2023年11月17日
〈11・18「創価学会創立の日」記念インタビュー〉
インド 創価池田女子大学
セトゥ・クマナン議長
三代の師弟に貫かれる 人間の可能性への信頼
池田大作先生を師と仰ぎ、インド・チェンナイに「創価池田女子大学」を設立したセトゥ・クマナン議長。師との出会いから四半世紀を経て、創価の教育哲学や師弟の精神の広がりを、どう見つめているのか。同大学を訪ね、インタビューしました。(聞き手=小野顕一)
――2000年に創価池田女子大学が開学し、24年目を迎えました。チェンナイを代表する名門マドラス大学のカレッジとして18学部を有し、卒業生は6000人を超えたそうですね。
海外で市民権を得て活躍する人もいれば、パイロットの夢をかなえた人もいます。1期生からは大学教授も誕生しました。彼女は学費の捻出が難しく、無償で教育を受けた一人です。
インド出身の若者が名だたるIT企業でグローバルに活躍する様子が取り上げられ、国中に教育が行き届いている印象も抱かれがちですが、児童の義務教育が制定されたのは2009年のことで、現在の大学進学率は28%ほど。特に農村地域で女子教育への偏見は依然として根強く、女性は家の手伝いをして、早く子を産み、家族に尽くすべきだとの考えが残っています。
ある学生の父親が、高等教育は女性に悪影響を及ぼすと主張し、娘の大学進学をやめさせようと訴訟を起こしたこともありました。
何度も対話を重ねて、納得してもらうことができました。卒業後、彼女は有名な歌手となり、テレビにもよく登場しています。育児に励みながら、音楽研究の博士課程にも在籍し、今では彼女の選択を父親も祝福してくれています。
こんな人生を誰が想像できたでしょうか。「教育」によって彼女の未来は開かれたのです。教育は、この一生の可能性を最大限に引き出すためにあるのです。
「母」の詩
――なぜ大学名に「創価池田」と掲げたのですか?
私が池田先生を知ったきっかけは「母」の詩でした。
世界詩歌協会創立者であるクリシュナ・スリニバス博士から頂いた書籍で「母」を読み、雷光を目にしたような衝撃を受けたのです。
母の姿が浮かびました。家畜の乳搾りをして学費を工面してくれた母です。
私は詩人です。各国で詩人の集いに参加してきましたが、これほど感銘を受けた詩は初めてでした。“この詩人にいつか会いたい”と願うようになりました。
1996年に日本での世界詩人会議に出席した折、創価大学を訪問することができ、そこで初めて、池田先生が詩人だけでなく、いくつもの教育機関を創立した教育者であることを知ったのです。仏法指導者、平和運動家としても著名であると伺い、「創価」が「価値創造」の意味であり、SGIが仏法を基調とした団体であることを知りました。
創価女子短期大学の見学を終えた時、空には大きな虹が懸かっていました。この時、インドの地に池田先生の名を冠した女子大学をつくろうと決めたのです。
「教育は私の最後の事業」「21世紀を女性の世紀に」との先生の精神に基づき、私は「創価」と「池田」の二つの名を大学に冠することを願い出て、快諾していただくことができました。
女性が教育を受けることで、家庭にも地域にも、そして次世代にも良い影響が広がります。ただ貧しい地域では、女性が高等教育を受ける機会が限られます。学校に通うため都会に出ることも難しい。ですので、あえて都市部から離れた地域に大学を設立しました。
チェンナイは1961年に池田先生がインドを初訪問された際、その第一歩を印された地です。この地に建設した意義が時と共に高まると信じています。
――大学の設立に当たって、苦労されたことは何でしょうか。
まず資金が十分ではありませんでした。自宅を抵当に入れて資金集めに奔走しました。
さらに、親戚や友人から設立を反対されました。なぜ日本人の名を掲げる必要があるのか。やめた方がいいと忠告されたのです。
「創価」の意味や「池田大作」という人物について、設立の認可を申請した当局や学位授与の提携を要請した大学から繰り返し質問を受けました。
今、振り返っても、本当に苦しい時でした。でも、ひるみませんでした。できることは限られていますが、私は教育の分野で先生との誓いを果たす。自らの行動で先生の偉大さを証明してみせると決意していたのです。
当時、私が抱き締めていた先生の指針があります。
“一人決然と立つ時、その胸中の思いは普遍の真実となって全世界に伝わっていく”という言葉です。
私は関係者一人一人に会い、「なぜ今、池田先生という人物が必要とされているのか」を、忍耐と誠実をもって訴えました。
徐々に支援者が増え、ようやく資金の目途がつきました。土地を取得することもできました。レンガを無償で提供してくれる人、後払いでいいからと資材を手配してくれる人、破格の工賃で建設作業を請け負ってくれる人……。中には「いつか、この創価池田女子大学が必ず有名になるよ」と、励まし続けてくれた人もいました。忘れられません。
大勢の方々の協力を得て、2000年8月に大学を開学することができ、翌年度から学生を校舎に迎えることができたのです。
この時、私は知りました。師匠とは、弟子が一番苦しんでいる時に「力」と「幸福」を与えてくれる存在なのだと。大学の設立は、私が池田先生を心から尊敬している証しであると同時に、次々に直面する困難に師と共に打ち勝った証しでもあるのです。
行動する詩人
――クマナン議長と池田先生は国籍も言語も異なります。なぜ先生を師匠と定めたのですか。
創価学会員ではない私が、なぜ池田先生を師匠と決め、力を尽くしているのか。その理由は、私が先生に“生きる光明”を見いだしたからです。
実は以前、私は「師匠」を探し求めて、世界中を旅していました。100を超える国を巡りました。友人はたくさん見つかりましたが、師といえる存在には巡りあえなかったのです。
池田先生を師匠と決めたのは、先生の「詩」を読んだ瞬間です。
詩人と詩人は、すぐに共鳴するものです。詩は、世界に隠されている美しさを明らかにするものです。魂を高揚させ、若返らせます。先生の詩は、どんな人にも分け隔てなく力を与えています。
美しい詩を作る人は、世界に数え切れないほどいます。しかし、詩の創作はしても、実践の伴わない人が大半です。ですが、先生は理想のために「行動する詩人」でした。
著名な詩人であったアブドル・カラム大統領(当時)を官邸に訪ね、先生の「母」の詩を紹介したこともありました。大統領は「これこそが詩のあるべき姿だ」と、「母」を3度、詠唱されたのです。「人々に幸福をもたらす、本当の詩人がここにいる」と語っていました。
創価の三代の師弟は、いずれもが卓越した教育者です。初代会長の牧口常三郎先生は、経済的に苦しい中、女子教育の普及に多大な尽力を果たされました。第2代会長の戸田城聖先生は、牧口先生の教育理論を実践する私塾を開いています。
その師と弟子の契りは、激動のさなかで受け継がれていきました。
牧口先生と戸田先生は軍国主義に抵抗して投獄されました。牢獄で殉教された牧口先生の遺志を継ぎ、戸田先生は創価学会の再建に孤軍奮闘されます。学会を支える戸田先生の事業が苦境に陥った時、池田先生は夜学に通うのを断念してまで師を守りました。そして「戸田大学」で万般の学問を教授されながら、師弟のあり方を示されたのです。
絶体絶命の窮地にあって師弟の究極の姿を示されたからこそ、創価の師弟は時代や国境を超越し、老若男女あらゆる人の“人生の模範”と輝いているのです。
イケディアン
――ガンジーの思想を実践する人を「ガンディアン」と呼ぶように、創価池田女子大学の学生は、池田先生の思想を実践する「イケディアン」を自称しています。
イケディアンであるということは、「幸福である」ということです。状況に支配されるのではなく、池田先生のように積極果敢に立ち向かい、他の人をも勇気づけながら自身の問題を解決していく。これは人生の一つの真髄です。
だから私も問題に直面した時、先生のことを思ってきました。自分の悩みが小さく感じられ、行動する勇気が湧きました。
創価池田女子大学に入学したばかりの学生にとっては、「創価」という言葉や池田先生の存在は耳慣れないものです。なので、先生の著書を通して、その精神を学びます。
1年生は『香峯子抄』(英語版)が必読書です。あれだけの世界的偉業を達成された池田先生を、どのように香峯子夫人が支えられたのか。問題をどう乗り越えるのかを、ディスカッションを通して深めるのです。地域や社会の問題を解決していくためには、その根本となる家庭が平和で価値的でなければなりません。
『若き日の日記』(同)も反響が多くあります。若き日の池田先生は何を思い、何をされていたのかを学ぶ。苦境にありながらも師を守り抜くことで、人生の価値を何倍にも開いていける師弟の原理を知るのです。
私は幼稚園から高校までの一貫教育を実施するセトゥ・バスカラ学園の理事長も務めています。ここでは8000人が学んでいて、「ドクター・イケダ・ブロック(池田博士校舎)」という校舎があります。
学園では視覚障がいのある30人の子たちも学んでいますが、先日、その一人が、何と州で一番の成績を収めたのです。原動力は、池田先生から教わった無限の可能性を信じる心です。その思いに応えようとした時、計り知れない力が発揮されることを実感するのです。
池田先生と同じように、私も全ての時間を学生の可能性を広げるために使いたいと考えています。
ですので、創価池田女子大学に私の部屋や椅子はありません。学生や生徒の元にとにかく足を運び、対話をします。師匠の間断のない行動に少しでも近づければ、弟子として本望です。
今、振り返ると、大学の開学には多くの困難がありました。しかし、思い返してみれば、わずか6カ月で校舎の完成にこぎ着けました。全て、師匠にお応えしようとする中で達成したことです。先生の心に即座に反応しようとすれば、必ずことは成就するのです。
目覚めるたび
私は、教育を通じて、自分にできるベストを尽くしていこうと考えています。
創価池田女子大学と同じ州内に約30万坪の土地を取得し、2015年に「セトゥ・バスカラ農業大学」を創立しました。これまで5万本以上の木を植樹し、敷地内には「池田博士森林公園」が広がっています。
この地域は私の故郷でもあります。教育の力で地域の生活を豊かにするとともに、環境に配慮した先進的な農法を研究し、地球環境に貢献する人材を育成していきたいと考えています。
これは、先生が折々に発表してこられた“環境提言”から着想を得たもので、私なりの気候変動問題への挑戦です。そうして行動を積み重ねた結果、気温がほんのわずかでも下がるかもしれない。理想を描いて行動し続けるのが本物の詩人であり、弟子です。
――池田先生を師匠に抱かれ、四半世紀が経ちます。
私はうれしいんです。師のおっしゃる通りに結果を示せることが。今日も師に付いていけることが。
毎朝、目が覚めるたびに先生は希望と幸せを与えてくれます。先生の一言一言から活力をもらいます。
池田先生の心を携えて学生に会えば、それが伝わって、みんなが心を弾ませるんです。「師匠にお応えしたい。今日も何かを成し遂げたい」と。
先生は世界の師匠です。先生を師と仰ぐ世界の数百万人の一人であることが、私の人生の誇りなのです。
Sethu Kumanan 1961年、インドのタミル・ナードゥ州生まれ。詩人。マドゥライ・カーマラージャル大学卒業。セトゥ・バスカラ学園の理事長。創価池田女子大学の設立に尽力。同大学の議長を務める。
2023年11月15日
「創価学会教学要綱」発刊
「御書根本」「大聖人直結」で
「実践の教学」を
池田先生が監修
「11・18」を記念して発刊される『創価学会教学要綱』
11・18「創価学会創立の日」を記念して、池田大作先生監修による『創価学会教学要綱』が発刊される。
「仏法の人間主義の系譜」「日蓮大聖人と『南無妙法蓮華経』」「一生成仏と広宣流布・立正安国」「万人に開かれた仏法」の4章立てで、創価学会が実践する日蓮仏法の骨格・核心について論じられている。
広宣流布大誓堂の完成から10年。「会則」の教義条項の改正や、「勤行要典」「会憲」「社会憲章」の制定、『日蓮大聖人御書全集 新版』の刊行など、創価学会は世界宗教としての基盤を着実に整備してきた。
教学要綱は、独善的・差別的な日蓮正宗(日顕宗)の教義と完全に決別し、「御書根本」「大聖人直結」で「実践の教学」を貫く創価学会こそ、日蓮仏法の唯一の正統な教団であることを明確に示すとともに、創価学会の教義を、各国の仏教団体をはじめとした宗教界、社会全体に向け、教学的な見解を踏まえて客観的に説明することに力点を置いた一書である。
2800円(税込み)。11月16日発売。
全国の書店で購入・注文できます。聖教ブックストアのウェブサイト、または電話での注文も受け付け中。電話(0120)983563(午前9時~午後5時、土・日・祝日を除く)。※電話の場合、支払いは代金引換のみ。FAXでの注文はできません。
コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能です。
2023年11月9日
〈危機の時代を生きる 希望の哲学〉
インタビュー
インド 医師・社会活動家
ルビー・マキジャ博士
持続可能な世界の実現へ!
自分が変わり社会を変える
自分自身の行動の変化をもって
周囲の人々を啓発
あなたが変わろうとすれば、
世界も宇宙も変わらないわけがない。
地球環境に深刻な被害をもたらす「プラスチックごみ問題」。世界各国で対策がとられるものの、プラスチックごみは今後も増え続けると指摘される。持続可能な未来を実現するために、私たちはプラスチックとどう付き合っていけばよいのか。インド・デリーでレジ袋の代わりに布製の袋を使用する運動を広げる、医師のルビー・マキジャ博士にインタビューした。(聞き手=小野顕一)
1週間に5グラム
――医師であるマキジャ博士が、なぜ布袋の使用を訴える活動を始めたのですか。
私は20年以上、眼科を専門に診療を続けてきました。20年前と今を比べると、がんやアレルギーに苦しむ人が非常に増えています。重い症状に落胆する患者や家族を目にするたび、胸が張り裂けそうな思いをしてきました。
何かできることはないかと自問していた時、環境汚染――なかんずくプラスチックごみの処理について疑問を抱いたのです。
私たちの生活は
プラスチック製品であふれており、
使い捨てられたプラスチックは
最終的に焼却処分場か海、
埋め立て地のいずれかに行き着きます。
特に直径5ミリ以下の
マイクロプラスチックは、
海で魚の体内に蓄積し、
食物連鎖を通じて
人体に影響を与える可能性が
懸念されています。
今、どれだけの量のプラスチックが
体内に取り込まれているかご存じですか。
1週間に5グラム、
およそクレジットカード1枚分もの
プラスチックが体内に入っているんです。
昨年に発表された研究結果では、
マイクロプラスチックが
血液から検出されて話題となりましたが、
その後、母乳や心臓などからも見つかり、
さらなる衝撃が走りました。
人体への影響が
解明されたわけではありませんが、
マイクロプラスチックは
化学物質と相性がよいといわれます。
発がん性のある有害物質が吸着し、
体内に取り込まれた結果、
健康に悪影響を及ぼす可能性は少なくありません。
――そこで運動に立ち上がられたのですね。
私たちが考えたのは、
買い物で使い捨てにされるレジ袋の代わりに、
繰り返し使える布袋を使用することでした。
そうすれば1人当たり
約2万枚から4万枚のビニール袋を
生涯で削減できるのです。
インドでは、
日本で普及するエコバッグのように、
家にある袋を買い物に持っていく
習慣がありません。
なので、布袋を自宅ではなく
お店に置くことを思いつきました。
それを、ごく少額の保証金で
借りてもらうのです。
布袋は、買ったお店以外でも返せます。
袋に二次元コードが付いていて、
返却できるお店が分かります。
返却先を検索する際に、
プラスチックごみ問題の深刻さや
影響について知ることができます。
リデュース(ごみの減量)・
リユース(再使用)・
リサイクル(再生利用)等の
行動が始まったばかりで、
まだまだ長い道のりです。
残念ながら不法投棄や
“ポイ捨て”もあります。
だからこそ、
環境への配慮をこうした
運動を通して学ぶことが大切なのです。
現在、
布袋を置く店はデリー市内の
1000店舗近くに広がり、
袋の製作作業は
困窮世帯や女性の
雇用創出にもつながっています。
実践の「可視化」
――近年、インドでは廃棄物の管理規則が相次いで規定され、昨年7月には一部の使い捨てプラスチックの使用が禁止となりました。
ファストフード店等のコップやストローが紙製に変わるなど、デリーの街中では変化も見られますが、全国的な浸透には長い時間が必要です。
デリーだけで毎日1・1万トンの廃棄物があり、そのうち10%がプラスチックです。しかし、そのプラスチックの50%は、一度使っただけで捨てられてしまうものなのです。
ビニール袋の平均使用時間は、
わずか12分とも指摘されています。
そんな短時間の使用にもかかわらず、
プラスチックは自然に分解されないため、
1000年以上も地球に残ってしまうのです。
私はある意味で、
プラスチックは“奇跡”ともいえる
素材だと思っています。
少なくとも、私が生きているうちには、
プラスチックに匹敵するような、
安価かつ軽量で、
耐久性があり、
成形しやすく、
断熱性にまで優れた素材は
実現しないでしょう。
特に医療において衛生を保つ上で、
私たちはプラスチックから
多大な恩恵を受けています。
プラスチックを使わないことが理想ですが、
近い将来に実現するのは難しいと思います。
だからこそ、
プラスチックの存在自体が
問題なのではなく、
どう使用するかという
私たちの側の行動が
問われているのではないでしょうか。
数年前に日本を訪れた時、
私はたくさんのインスピレーションを得ました。
ホテルから向かいのビルのバルコニーが見え、
そこにタバコを吸う男性がいました。
吸い終えると、
彼は誰も見ていないのに、
ポケットから灰皿を取り出し、
そこにタバコを捨てたのです。
多くの国で放り捨てられるのを
目にしてきたので、驚きました。
だからこそ日本は
清潔さが保たれているのだと
感嘆するのと同時に、
日本人の意識と行動に感銘を覚えました。
自分の行動に責任を持つことが
持続可能な社会の基礎だ
と思っていた私にとって、
必ず人は変わっていけると
背中を押されたような経験でした。
――BSG(インド創価学会)では社会貢献の一環として、2021年から「BSG FOR SDG」と掲げ、行動しています。SDGs(持続可能な開発目標)に関する取り組みをスマホやパソコンで共有し、先月は「BSG 25トンプラスチック回収活動」も実施されました。
BSGの活動がユニークだと思うのは、測定可能な手段を取り入れていることです。私もいくつかのアクションを目にしてきましたが、実践を「可視化」したことで努力や進歩が具体的に分かり、次回の目標を決める際の励みになっていると感じます。
「あの地域ではこんな取り組みをしているんだ」と体験をシェアできますし、「それなら私にもできる」と挑戦を後押しすることもできます。
BSGの取り組みの根本には「平和・文化・教育・持続可能性(サステナビリティー)」の各次元で社会に貢献するとの理念があります。自分の行動に責任を持ち、実践を共にする中で自信と意欲を育み、持続可能な方法を広げていく。だからこそ確実で長期的な変化をもたらしていけるのだと思います。
サステナビリティーへの貢献を
上から押し付けるのではなく、
自分自身の行動の変化をもって
周囲の人々を啓発する。
このような教育のアプローチは、
私自身の活動とも共通するものです。
山をも動かせる
――最も関心を持つ創価学会の哲学は何でしょうか?
特に注目しているのは、
自然環境とそこに暮らす人々が
一体であるという生き方
――仏法に説かれる「依正不二」に
基づくライフスタイルです。
ありとあらゆるものが
相互につながっていて、
互いに深く支え合っている
という視点があるからこそ、
環境汚染に無関心ではいられない。
周囲や社会にも働きかけようとする。
その責任ある生き方を可能にしているのは、
自分の心の変革から、
人生も、環境も、
やがては世界も変えていけるという
「人間革命」の哲学なのだと思います。
私は今、人間が人間であることが、
とても難しい時代に入っていると感じます。
地球に生きる一員として、
社会に生きる一人として、
どう責任を果たしていくべきなのか。
人間革命という言葉には、
その答えへと導くような、
人間としてあるべき姿を
引き出すイメージを持っています。
私たちは世間的な地位や肩書、立場
といった“見え”にとらわれがちです。
そうした自分を飾っているものを
一つ一つ取り除き、
人間らしくある大切さを、
BSGの方々と接していて感じるのです。
また環境への関わり方は
人それぞれですが、
生活に困窮していたり、
人生に満足できていなかったりすると、
とても環境のことまで
考えられないといったことも
当然あるでしょう。
一方で人間革命は、
今この場所から
幸福をつくり出していく哲学です。
自分自身が幸福感に満ちている、
あるいは、幸せになれるという
希望があれば、
環境や社会の課題に対しても
前向きに取り組んでいけるように感じます。
幸福な人が環境活動に取り組む姿は、
自分もこうなりたいと感じさせるものです。
私はよく
「自身の体験を5人に伝えてください。
その5人が、さらに5人に伝えてくれれば
25人が変わります。
相乗効果で必ず問題は解決できます」
と訴えています。
BSGの飛躍的な発展は、まさしく、
豊かな生き方の広がりを
象徴するものともいえるでしょう。
――創価学会の池田会長はインドで「ガンジス川の流れも、一滴の水から始まる」と語りました。BSGの若い世代にも、「私の一歩から全てを変革する」との実感が広がっているように感じます。
その「一滴」が重要です。
どんなに些細なことでも、
一つの行動が次につながり、
やがては大きなインパクトにつながるのです。
決して、自分一人に何ができるというのか
とは思わないでください。
私もあなたも、
宇宙そのものであり、
世界そのものです。
あなたが変わろうとすれば、
世界も宇宙も変わらないわけがない。
変化をもたらすと決意すれば、
それは必ず起こります。
後は、どれだけ本気になって
運動を継続するかにかかっています。
私は、信仰を基盤とする団体が果たす役割に着目しています。信仰を持つ人は「山をも動かせる」エネルギーがあると感じます。そして、信仰やスピリチュアリティー(精神性)といったものは、人の「生き方」そのものであり、社会から切り離すことができないものです。
信仰は内面の世界にとどまるものではありません。人々や社会と関係して、初めて価値をもたらします。信仰が現実の生活から離れてしまえば、それは観念や抽象の域を出ません。重要なのは、自身の信仰や実践を社会に生かしていこうというあり方です。
BSGの問題解決へのプロセスと価値創造の信念が、インド社会において、さらに重要な役割を果たしていくと確信しています。それは、サステナビリティーの取り組みを何倍にも加速させ、人類が待ち望む新しい文明を指し示すに違いありません。
Ruby Makhija インド・デリー市の眼科医。使い捨てプラスチックを削減するキャンペーン「Why Waste Wednesdays Foundation」を2021年に創設。レジ袋の代わりに布袋の使用を奨励する「Project Vikalp」を主導する。デリーにおけるプラスチック廃棄物管理に関するタスクフォース(特定任務に当たるチーム)の一員。
2023年11月7日
管楽合奏コンテスト全国大会
関西高が最優秀賞
関西小は優秀賞
第29回「日本管楽合奏コンテスト」(主催=公益財団法人日本音楽教育文化振興会)の全国大会が東京・文京シビックホールで行われ、関西創価高校(大阪・交野市)の吹奏楽部が「最優秀賞」に輝いた(5日)。関西創価小学校(大阪・枚方市)のアンジェリック・ブラスバンドは、「優秀賞」を受賞した(3日)。
関西高は高校生A部門に出場し、伊藤昌教諭の指揮で「ルイ・ブルジョワの賛歌による変奏曲」(C・T・スミス作曲)を熱演。
講評者から「躍動感あふれる感動的な音色でした」「全体のバランスが良く、とてもダイナミックな素晴らしい演奏でした」等と高く評価された。
辻谷智恵部長(3年)は「皆で一丸となって、感謝と歓喜の演奏をすることができました」と語った。
一方、関西小は、堀夢夏教諭の指揮で「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲」(R・ジェイガー作曲)を披露。「一音一音を大切にしている演奏」「聴き手に伝わる美しい調和」等の講評が寄せられた。
山下優子バンド長(6年)は感謝の言葉を述べつつ、「ここまで励まし合って頑張り切れたことに胸を張りたい」と瞳を輝かせた。
2023年10月27日
会長選出委員会行う
原田会長を再任
創価学会の会長選出委員会(議長=山本武総務会議長)が26日午後2時から東京・信濃町の学会本部別館で開かれ、全員の賛同で原田稔会長を再任した(5期目)。
同委員会は原田会長の任期(4年)が11月17日をもって満了となることから、創価学会会則に基づき次期会長選出のため行われた。
2023年10月21日
〈識者が見つめるSOKAの現場〉
寄稿 「世界への広がり」を巡って
東京大学大学院
開沼博 准教授
学会員の「価値創造の挑戦」を追う連載「SOKAの現場」では、「世界への広がり」をテーマに、取材ルポを9月9日と15日に掲載。「東京インタナショナル・グループ(TIG)」で活動するメンバーと、SGI(創価学会インタナショナル)青年研修会に参加した海外のメンバーを紹介した。それに連動して、社会学者の開沼博氏が、ルポに登場したメンバーを8月下旬と9月上旬に取材した。世界に広がるSOKAの魅力に迫った、開沼氏の「寄稿」を掲載する。
「近代化」の帰結
個人化、都市化、情報化など、私たちの日常を取り巻くさまざまな側面は、社会が「近代化」した帰結として言い表すことができます。そうした近代化のプロセスが、戦後日本で加速度的に進む中、創価学会には、社会からこぼれ落ちそうになる人々を包摂し、生きる希望を与える機能があった。
これまでこの連載を通して、全国で100人以上の創価学会員に会い、重ねてきた取材は、すでに先行研究によって広く知られていたこうした学会の社会的機能を、フィールドワークの中で再確認する作業であったともいえます。
翻って、世界を見てみると、どうなのか。創価学会の会員は192カ国・地域に広がっています。近代化それ自体は、スピードの違いこそあれ、地球上の至る所で相当程度、進んでいます。どこにいても、地球の裏側にいる人と、スマートフォンでオンライン会議ができる。
であるならば、「近代化における創価学会」は、日本のみならず海外でも、共通して見られる事象であるのか。この連載を進める中で、確認しておきたいテーマでもありました。
一つの“セット”
首都圏に在住する英語話者の海外メンバーで構成されるTIGと、4年ぶりのSGI青年研修会で来日した海外メンバー。どちらのグループの取材からも見えてきたのは、日本各地の取材で見てきたものの「再現可能性」でした。
具体的には、日々の勤行・唱題や、座談会をはじめとする会合、何でも語り合える人間のつながり。あるいは、折伏や社会貢献活動といった、外へと開かれた活動。これまでもその価値を考察してきた、こうした日々の習慣が、世界各国で同じように再現され、実践されていました。
もっとも、同じ信仰を持った創価学会員の皆さんからすれば、当たり前のように映るかもしれません。しかし、文化も伝統も異なる国々で、こうした実践が一つの“セット”となって広がっていることは、特筆されるべき事実です。
人の幸福を願っての祈りや実践、社会のしがらみから離れて対等に語り合えるコミュニケーションの場など、創価学会は、あらゆる人が普遍的に求めてやまない価値を、社会に提供することを可能にしてきた。これが、世界に広がった理由の一つであることを改めて理解できました。
国籍や民族の違いがさまざまな葛藤を生む現代にあって、創価学会員という一点において、国を超えても違和感なく、変わらぬ活動が成立している。TIGで活動するアメリカ出身のケニー・コハギザワさんは、日本で文化の違いに戸惑ったといいます。その中で、地域の男子部やTIGの先輩の励ましに触れ、改めて祈ることの大切さを実感した。祈りが深まると、仕事の姿勢も変わっていった。転職を経て、今、世界有数の金融企業に勤務します。
異国の地での新たな人間関係や葛藤の中で、もともと持っていた創価学会の信仰に、再び立ち返っていった。グローバル化する現代社会にあって、至る所で生ずるであろう摩擦や葛藤を乗り越えるための術を、信仰と実践の中に見いだした。こうした例を、取材した多くの方々から伺うことができました。
現実生活の中で
改めて驚いたのは、海外でも、創価学会の“2世”“3世”が多く、世代間継承も進んでいるという事実です。今回取材したメンバーの出身国は、アメリカ、ドイツ、インド、シンガポール、マレーシア、ベネズエラの6カ国ですが、それぞれに異なる個別の宗教事情がありました。キリスト教やイスラム教など特定の宗教の習慣が伝統的に残っている上で、近年は、どの国でも「世俗化」が相当進み、宗教から離れる人が増えているのも事実です。
その中で、あえて自ら選び取るだけの魅力を、創価学会の信仰に見いだし、子や孫の世代も継承している。特に多くの若者にとっては、宗教が“非日常”である世俗化の時代に、熱心に学会の信仰に励む、強い動機と誇りが必要です。
インド出身のギータンジャリ・ダンカールさんは、TIGの活動を通して、「信仰と現実生活は、別物ではない」ことを学んだといいます。人の幸福に尽くす信仰の目的は、彼女自身の現実生活や研究活動の目的そのものでもある、と。
現代は、宗教が“根付いているけれど、身近ではない”ものとして形骸化し、信仰と現実生活は別物となってしまった。インドで生まれ育った彼女にとっても、宗教はそういうものだったといいます。日本で生まれ育った人々と似た感覚が、そこにはあるわけです。
その点、ダンカールさんの言葉からは、創価学会が海外でも一貫して“信仰即生活”の実践を人々に広めてきたことがうかがえました。生まれ育った環境だからではなく、現実に自分自身を高め、課題を解決してくれるものだから信仰をしている。学会員にとって、信仰は、仕事や生活に直結した“日常”なのでしょう。自然体のまま、生き生きと信仰に励む理由がそこにあるのだと思いました。
誰にも開かれた実践で
誰もが変革の主体者に
地域に根差した活動が日常的に行われ、そこに新しい世代・属性の人々が多く参加している創価学会の現場から見えてくるのは、常にそのあり方をアップデートし続けようとする挑戦です。冠婚葬祭の時だけ顔を見せる宗教ではなく、とにかく意識の中でも、行動でも、個人的にも集団的にも「プラクティス(実践)」をすることが前提になっている。外部が言う「宗教」と、内部で捉えられる宗教とは全く別物です。
取材した方々は皆、そうした実践に意義を見いだしていました。SGI青年研修会に、ベネズエラから来日したオマイラ・サルダ・ナランホさんが、一日に数時間も唱題をしていたことに、友人が驚いたと語っていたのは印象的です。その驚きには、僧侶のような“読経のプロ”ではない彼女にも再現可能な、実践のシンプルさに対する新鮮さがあるようにも思います。
誰にも開かれた実践を通して、誰もが社会に変革を起こす存在になれる。自分は無力ではないし、日常こそが大切だ。そうした創価学会の哲理が、ハイパーインフレをはじめ過酷な社会状況に立ち向かうベネズエラで、確かな希望となっているのが分かりました。
メンバーが語る、信仰の功力の現れ方は多種多様でした。仕事で高い評価を得たといったものもあれば、会いたいと願っていた人と街中で本当に会えた、といったものもある。多種多様であるということは、一部の願いや一部の人に限られるのではなく、全ての人に信仰の結果は出るという、信仰の体系のもつ柔軟性の現れでもあります。
「必ず結果が出る」ことを強く確信して、信仰の実践に励む中で、現実に身の回りに変化が起こる。それを功力だと捉えて、さらに実践に熱が入る――。こうした循環が成り立つことが、多くの人を引きつけているのだと実感します。
共通していたのは、良いことも悪いことも、周囲ではなく自分自身に、その原因を求める姿勢です。この連載でも、心理学の「ローカス・オブ・コントロール(統制の所在)」――あらゆる行動や評価の原因を、内(自己)に求めるのか、外(他者)に求めるのかを分類する考え方に触れましたが、日本でも海外でも、創価学会員は、身の回りの出来事を“自分事”として捉えようとします。
だからこそ、行動の結果が思い通りにならないときは、環境のせいにするのではなく、自分の行動を見直してみたり、人間関係の中での振る舞いを変えてみたりする。徹底的に自分自身を変革していく姿勢が、挑戦することを促し、良いトライアル・アンド・エラー(試行錯誤)を継続させ、先の好循環を生む原動力となるのでしょう。
幸福の姿で示す信仰の証し
私自身、昨年、任用試験の受験に際して、「随方毘尼」(※)という教えを知りましたが、取材では、それが海外でどう具体化されているのかを理解できました。全ての国に共通する実践がありながらも、それ以外の点については、その国や地域、相手に応じて柔軟に変化させていく。「共通性」と「特殊性」の両方を強みとしてきたのが創価学会なのではないか、と。
そして、改めて創価学会が「人間革命」と呼ぶ基盤の上に、四つの実践が、世界共通の「柱」となっている。①自分を見つめる「勤行・唱題」、②他者と生活・信心を分かち合う「座談会」、③それらを社会に開いていく「折伏」、④伸び縮みするような柔軟な「師弟」の関係性、という四つです。これらが、日本の外でも成立している。「創価学会のグローバル化」の鍵がここにあるのでしょう。
もちろん、グローバルに広がる過程において、さまざまな障壁があったことは想像に難くありません。今回、話を聞いた中でも、マレーシアやシンガポールはかつて日本軍が侵略した国であり、“日本の宗教”に対してさまざまな目が向けられた。あるいはドイツでは、戦時中のナチスドイツの教訓から、一つの信念で結び付く凝縮性の高い組織そのものに、忌避感を持つ人も多いと聞きました。
ただ、そうした個別の事情、お国柄をよく理解し、受け入れつつ変化していったが故に、創価学会のグローバルなネットワークが、今も維持されている。
当然、日本で広がるのとは比べ物にならない葛藤があったはずです。キリスト教・イスラム教が強固に根付いている国に、創価学会が入っていくのは、逆の立場になって考えれば、全く入る余地も見えないところからのスタートだったでしょう。ただ、そういう国においても、そもそも世俗化が進み、既存の宗教自体が日常生活の中から消えていっている。そこにおいて、自らの成長を常に急き立てられ、個人主義的であると同時に常に孤独・孤立にさらされる現代人にフィットする信仰として、創価学会が広がっていった。
信仰の証しが人間としての成長・幸福に直結していて、そういう姿を周囲の人に見せることが折伏になっていく。そういう連鎖の中で信仰が生き残ってきたことが理解できました。
※仏法の根本の法理に違わない限り、各国・各地域の風俗や習慣、時代ごとの風習を尊重し、随うべきであるとする教え。
計算可能な社会
かつては自然が人間への恵みでありつつも、脅威でした。それを、科学的合理性の中でコントロールしたり、何が起こるかが予想できるようになってきた。これは、「計算可能性」が高まってきたと表現されたりもします。
私たちは、計算可能性の高い社会に生きていると、無意識に信じ切っています。例えば、私たちが、スマートフォンの充電を始めれば、何時間後に充電が完了するかを知っているように。それは、電力の供給が安定しているとか、充電池がすぐには劣化しないといった、さまざまな条件によって成り立っているにもかかわらず、充電が必ずなされることを当然だと思ってしまう。
でも現実に、世界を見渡せば、計算不可能なことであふれています。先進国は移民や安全保障、新興国は経済危機や政情不安と向き合う。そして現代の戦争・災害・感染症は、私たちの計算可能性を乗り越えてくる、厄介で計算不可能なものです。「リスク社会」と呼ばれる現代社会には、そうした不安や矛盾が常に横たわっています。
社会や経済、そして個人の生活も揺らぐ現実の中で、環境ではなく自分の内側に幸福の基準を置く創価学会の信仰が、日本のみならず海外でも、生き方の指針となり、それ故に多くの人を引きつけていることを、改めて感じる取材となりました。
かいぬま・ひろし 1984年、福島県生まれ。東京大学大学院准教授。専門は社会学。『漂白される社会』『日本の盲点』など著書多数。
2023年10月16日
〈社説〉
18日は「民音創立記念日」
争いを食い止め、
民衆の心を平和の方向へと
昇華させゆく偉大な潮流は、
文化
1963年(昭和38年)10月18日に誕生した民主音楽協会(民音)。創立60周年の佳節を記念する企画展示「『平和構築の音楽』展」が、今月13日から始まった(民音音楽博物館、明年6月30日まで)。「音楽を通じ国際間の文化交流を推進し、世界の民衆と友誼を結ぶ」と掲げる民音にとって、一つの集大成とも言うべき展示だ。
民音創立者の池田先生が、その設立を構想したのは、61年(同36年)2月、初のアジア歴訪の中でのこと。長兄が戦死したビルマ(現ミャンマー)を訪れ、戦争の悲惨さに思いを巡らせた。世界平和実現のために、何が必要か、思索を重ね、文化交流を目的とした団体の設立を提案した。
その時の思いが、小説『新・人間革命』第3巻「平和の光」の章に描かれている。
「広宣流布というのは、仏法をもって人間の生命を開拓し、平和と文化の花を咲かせていく運動です。つまり、平和、文化にどれだけ貢献し、寄与できるかが、実は極めて重要な問題になってくる」
平和貢献への挑戦こそ、民音60年の歩みだ。
創立から3年後の66年(同41年)には、「世界バレエ・シリーズ」の第1回として、ソ連(当時)のノボシビルスク・バレエ団を招へいしている。政治対立の激しい東西冷戦の時代にあって、人間と人間との友好の花を咲かせた。
85年(同60年)には、当時、公式には同席することのなかった中国とソ連の音楽家が、画期的な企画「シルクロード音楽の旅」にて、“世界初共演”を果たす。
民音の国際的な文化活動を紹介し、「民音は、ある意味で、音楽分野での国連と言ってよいだろう」と、フィリピンの日刊紙が評したこともある。
これまで結んできた文化交流は、112カ国・地域に広がっている。世界最高峰のオペラ、アルゼンチン・タンゴ、中国の京劇など五大陸の芸術を堪能できる、多彩な公演を重ねてきた。
また、「学校コンサート」の取り組みも、今年で50年の節目を刻む。未来を担う世代へ、民音は、音楽の魅力を伝え続けてきた。
「結論を言えば、争いを食い止め、民衆の心を平和の方向へと昇華させゆく偉大な潮流は、文化しかないのです」(『青春対話1』)
あらゆる智慧と努力を注いだ、さらなる名企画に期待したい。
2023年10月16日聖教新聞5面
2023年10月8日
〈危機の時代を生きる 希望の哲学〉
インタビュー㊦
日本大学文理学部 末冨芳教授
「安心」して生きるために
自他共の「幸せ」に焦点(フォーカス)を
「こどもまんなか社会」を築くために必要なことは、いったい何か。7日付の㊤に続き、日本大学文理学部教授で子ども政策が専門の末冨芳さんに聞きました。(聞き手=大宮将之、村上進)
人権を守ると平和を創れる
――インタビューの前半では、子どもの権利意識を育むため、子どもが意見を表明する機会を奪ってきた「沈黙の文化」から、子どもの意見に耳を傾ける「対話の文化」への転換が重要であると伺いました。そもそも子どもの権利は全ての子どもが“無条件”に持っているものです。「義務」や「責任」を果たさないからといって奪われるものでも、果たしたからといって与えられるものでもありません。
まず改めて考えたいのが、「なぜ人権を大切にするのか」という点です。権利について学び合う場などでこうした質問を学校の先生方にすると、答えに困ってしまう方々も少なくありません。私は一言、「『平和』を創れるからです」とお伝えしています。
「世界人権宣言」(1948年採択)の前文に、そう書いてあるのです。正確に言うと“すべての人間の尊厳と権利を承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である”とうたわれているのですが、ただ「自由」「正義」「平和」の三つを一遍に伝えても、みんな忘れちゃうので(笑)。私は「人権を守ると『平和』を創れる」と、シンプルに伝えています。
創価学会の池田名誉会長がこれまで、「対話」の目的を「平和」という一語をもって繰り返し強調されてきた理由についても、私なりに考えてみました。それは「平和」という一語の中に、「自由」も「正義」も含まれているからではないか――と。
人としての基本的な自由が制限されている状態を「平和」とは呼べません。人権侵害の不正義が放置されている状態も「平和」とは呼べません。
ケアする人をケアして
――池田先生も次のように語っています。「『平和』とは『戦争がない』というだけの状態ではない。『平和』とは『人間一人一人が輝いている』『人権が大切にされている』社会のことです」と。
自分の権利や尊厳が侵害された時、つらい時、苦しい時には、遠慮なく声を上げていい。それを受け止め、助けてくれる人が必ずいる。仕組みがある。だから安心して――そんなメッセージを、子どもたちに伝えられる社会にしていかなければなりません。
「こどもまんなか社会」の実現を目指す上で、私自身は「安心」こそがキーワードだと感じています。
その参考として、一つのアンケート結果を紹介させてください。神奈川・川崎市が、2020年に実施したものです。同市は全国に先駆けて、「子どもの権利に関する条例」を施行しています(2001年)。子どもと大人が一緒になって考え、何度も話し合いをしてできた条例でした。
条例には「ありのままの自分でいる権利」や「自分で決める権利」など七つの権利がうたわれているのですが、その中で「どの権利が大切だと思うか」との問いに対し、アンケートに回答した604人の子どもたちのうち半数以上が選び、最も多かったものが「安心して生きる権利」だったんですね。私自身も、各地の講演会などで子どもたちと語り合う際に、同様の実感を得ています。
子どもたちは誰もが、「今を安心して生きたい」と願っている。虐待があったり、心身が疲れた時にゆっくり休ませてもらえなかったりする家庭には、安心がありません。いじめがあったり、教師から怒鳴られたり、理不尽なルールがあったりする学校にも、安心がありません。
どうすれば、家庭を、学校を、子どもたちにとって安心の居場所にできるのか――。「こどもまんなか社会」を築くため、私たち大人がみんなで考え、取り組んでいく必要があります。
とはいえ、子育て中の保護者は何かと忙しく、「わが家を“安心の居場所”にと言われても、負担が大きい」と感じるご家庭も、少なくないでしょう。
だからこそ、地域で安心・安全の居場所をつくっていくことが大事になります。児童館であったり、子ども食堂であったり。近年はユースセンター(中・高生向けの放課後施設)にも注目が集まっています。
自らそうした「居場所」をつくることは難しくても、すでにある「子どもの支援団体」への寄付などを通し、間接的に子どもを支えていく方法もあります。子どもを支援する団体にとって、現実的に一番助かるのが「経済的な支援」です。もちろん、できることから実際に「お手伝い」をすることも、喜ばれます。どこも人手不足ですから。地域・社会全体で、物心両面において「子どもをケアする人たち」のことを「ケア」していかなければなりません。
大人も子どもも一緒の居場所に
――創価学会も、親御さんたちが子育ての悩みや苦労を安心して話し、ホッとできる「家庭教育懇談会」という取り組みを各地で実施しているほか、小中高世代のメンバーと日常的に関わり、支え励まし合う「未来部」という組織があります。今夏は全国各地で、この未来部を「真ん中」に置いた集い「“未来”座談会」を開催しました。
素晴らしい取り組みです。特に「“未来”座談会」は、大人の皆さんが子どもたちの意見に耳を傾け、それを取り入れる内容だったと伺いました。事前と事後に、代表の地域で子どもたちにアンケートを取ったのもいいですね。
事前の声で「(いつもの座談会は)大人向けの内容で堅いから、あまり楽しくない」という率直な意見を聖教新聞に載せたことも、事後に「楽しかった」「まあまあ楽しかった」という声が約9割ある一方で、ちゃんと「あまり楽しくなかった」「楽しくなかった」という声が掲載されていたことも、どちらも忖度がなくていい(笑)。子どもたちが安心して意見を表明できている証拠です。
“地域の居場所が大切だ”といっても、望ましいのは、「大人だけ」「子どもだけ」の居場所ではなく、「子どもと大人が一緒にいられる、一緒につくる、一緒に学べる」居場所だと、私は思います。そんな居場所をつくるには、大人が子どものことを決して下に見ず、子どもたちの力を信じることが第一歩です。
もちろん大人だけで物事を進めたほうが早いし、楽かもしれません。けれど大変だからこそ、新しい発見があり、新しい学びがあり、新しい楽しさもあるんです。
大人が「子ども目線」に立つということは、子どもを対等なパートナーとして見るということでもあります。
「子どもの幸せ」を第一に考えて、「子どもを信じる。一緒に学ぶ」――この信念や哲学を、私たち大人が持てるかどうか。それが問われているともいえるでしょう。
自分もあなたも大切にする哲学
――小学校の校長も務めたことのある創価学会初代会長の牧口常三郎先生は「教育は子どもの幸福のためにある」と叫び抜き、太平洋戦争中に軍国主義教育を進める軍部政府と対峙して、投獄されています。子どもを信じ、どんな時も子どもと共に歩んだ教育者でした。その信念を強めたものが「人間の無限の可能性」「自他共の幸福」を説いた日蓮仏法の信仰でした。
牧口会長は、困難な状況にあった多くの子どもを前にして、「この子らを何としても幸せにしなければならない」と思い、「そのために自分は何をすべきか」と問い続けた方であると理解しています。「子どもの権利」や「人権」といった概念などなく、「国家のための教育」が推し進められていた時代に、「子どもの幸福のため」と叫ぶことが、どれほど大変なことだったか。
ひるがえって現在、「こどもまんなか社会」を実現しなければならない理由として、「少子化による人口減少や、労働力の減少を抑えるため」「年金制度を維持するため」など経済的な理由を挙げる声も少なくありません。もちろん、そのことを否定する必要はありませんが――しかし、やはり、それは「国の目線」「大人まんなか」の発想です。
「こどもまんなか社会」を目指す今こそ、もっともっと一人一人の「幸せ」にフォーカス(焦点)を当てる社会に変化できるチャンスだと、私は思っています。
「国の未来のため」だとか「お金のため」だとか、そうしたものばかりに焦点を当てていると、「人間の幸せ」にフォーカスする力が、だんだんと弱まってしまいます。実際、私たち日本の大人は、子どもの幸せを実現する強い願いを持てなくなってしまっているのではないでしょうか。
「人間の幸せ」にフォーカスする力を支えるものこそ、人権に対する「哲学」です。「自分の権利」だけでなく、「あなたの権利」も大切にする。大切にしなければならない――と。何が正解なのか分かりづらい時代だと言われますが、「人間としてこれだけは譲れない」という正解は、必ずあるのです。
その哲学こそが、「こどもまんなか社会」を築く原動力となるに違いありません。
2023年10月7日
〈危機の時代を生きる 希望の哲学〉
インタビュー㊤
日本大学文理学部 末冨芳教授
「こどもまんなか社会」とは?
「今を生きる私」から始める未来
「こども基本法」の施行、「こども家庭庁」の発足から半年がたちました。目指すべき社会像は「こどもまんなか社会」です。それは具体的にどんな社会? 自分にも関係ある? 上下2回にわたり、日本大学文理学部教授で子ども政策が専門の末冨芳さんに聞きました。(聞き手=大宮将之、村上進)
子どものことをどう捉えるか?
<「こども基本法」が施行された意義とは改めて何でしょうか?>
それは二つの側面から語れます。「理念法」としての面と「政策の規定(プログラム)法」としての面です。まず理念としては「子どもは権利の主体である」と位置付けられたことが非常に大きい。子どもを「大人が保護すべき対象」として捉えるだけではなく、「大人と同じように、一人の人間として権利を持った主体」だと定義されたわけです。
<見方を変えれば、これまでの日本は、子どものことを“大人と等しく権利を持った主体”と認めず、“未熟な存在”と見て、その意見を尊重しない社会だったとも言えるでしょうか>
ええ。ご自身が子どもだった頃を振り返ってみてください。例えば学校や自治体において、自分たち子どもに関わるルールや政策が検討されている時に、「どうせ子どもだから分からないだろう」と理由を付けられ、自分たち(子どもたち)の意見を全く聞いてもらえず、大人たちだけで勝手に決められたり。自分たち子どもが何らかの意見を述べても、「子どものくせに」と思われ、その意見を抑え付けられたり……。思い当たるフシは、ありませんか?(苦笑)
1989年に国連で採択された「子どもの権利条約」には、“最も大切な「四つの権利」”として、「自分の意見を伝え、参画する権利」をはじめ、「子どもにとって最も良いことが実現される権利」「差別されない権利」「安全安心に成長する権利」が掲げられています。
「こども基本法」の意義のもう一つの側面についてはまさに、この「子どもの権利条約」を「誠実に遵守」するための政策が充実し始めてきている点を挙げられるでしょう。
「からだ」「心」「社会」の全て
<先月末、こども家庭庁は、子ども・若者政策の指針となる「こども大綱」の中間整理案を示しました>
評価できるポイントはいくつかあるのですが、「こどもまんなか社会」の定義がとても素晴らしい。
「全てのこども・若者」にとって幸せな社会とは、具体的には、「①身体的」「②精神的」「③社会的」に、将来にわたって幸せな状態(ウェルビーイング)で生活を送ることができる社会である――と定義しているのです。
幸せとは何かを考える上で「からだ」「心」「社会」という三つの側面から、子どもや若者たちの状態を捉えること、その三つの全てが良好な状態となるようにアプローチすることが、絶対に欠かせません。
一方、「こども大綱」の中間整理案には、まだまだ課題もあります。私自身、こども家庭審議会の「こどもの貧困対策・ひとり親家庭支援部会」で委員を務めているのですが、「子どもの貧困」に関する記述が十分ではなかったと感じています。「子どもの貧困」の解消なしに「子どもの権利」の保障と「最善の利益」の追求など、ありえません。もちろん今後、大綱案が改善されていくことを期待しています。
(こども家庭庁では「こども大綱」の策定に向けて、子どもや若者、子育て・孫育て中の方々、また貧困や虐待、社会的養護の当事者、さらに子ども・若者支援団体などから意見を募集しています。詳しくはこちらから)
受付期間:2023年9月29日(金)~10月22日(日)
子どもの貧困 視点を変えて
<7月に行われた創価学会女性平和委員会主催の「平和の文化講演会」で、末冨さんは「子どもの貧困」の定義を巡って、多くの場合、“低所得世帯の問題”として限定的に捉えられてしまっている実情に、警鐘を鳴らしていました>
世帯の所得が「高い」か「低い」かだけで「貧困」を捉えてしまうと、家庭内における子どもたち一人一人の状況が“見えなく”なってしまいます。
「子どもの貧困」とは親の所得の高低にかかわらず、「子どもらしく生きる権利や安心・安全に育つ権利、幸せな生活が奪われている状況」である――との視点の転換が必要です。
今、社会科学の分野では「家族内貧困」という概念が注目されています。例えば世帯の稼ぎ手である父親が、配偶者である母親、子どもの生活資金を不当に制限・管理する「経済的虐待」をしている場合、世帯の収入が安定していたとしても、子どもの状況は「貧困」です。これでは、子どもに「安心・安全」があるとはいえません。
また他にも、例えば2人きょうだいのうち上の子だけが習い事をさせてもらったり、学習塾に通わせてもらったりしているのに、下の子はそれを一切させてもらえないといったケースもあります。
現代は地域のつながりの希薄化や核家族化が一段と進み、子どもたち一人一人の置かれている状況が周囲から“見えなくなっている”社会ともいえるでしょう。今までは「家庭内の方針」として見過ごされてしまっていたようなケースについても、「こども基本法」に基づいて“子ども一人一人の権利”を擁護する視点から、地域・社会全体でアプローチし、解決していかなければなりません。
その意味でも、行政から独立した立場で子どもの権利が守られているかを監視し、権利の擁護に努める専門機関「子どもコミッショナー」の創設や、子どもたちが安心して何でも相談したり、助けてもらえたりする自治体の第三者機関「子どもオンブズマン」等の拡充が一層、求められます。
こうした「子どもの権利」を守る仕組みづくりとともに、絶対に外してはならないことは、子どもたち自身が「自分たちは権利の主体なんだ」という意識や自覚を育める「学びの場」を、積極的につくることです。
「沈黙の文化」を「対話の文化」に
子どもの意見を聞ける大人に
<子どもたちの人権意識の向上を阻むものがあるとすれば、それは何だと思われますか>
一言でいえば「沈黙の文化」です。「“子どもなんだから”我慢しなさい」とか、「“子どもなんだから”黙って大人の言うことを聞きなさい」とか、そういった理由だけで沈黙を強いられ、意見を表明する権利を奪われ、人権とは何かを学ぶ機会すらも奪われてきたのが、これまでの日本社会だともいえます。
<近年、問題となっている学校の「ブラック校則」(必要性や合理性が見当たらない校則)も、「沈黙の文化」を象徴するケースの一つかもしれません。例えば「生徒は登下校時にコンビニに入ってはいけない」と指導されているのに、大人である教員は出退勤時、普通に入っている。その矛盾に生徒が「おかしい」と声を上げても、「子どもだから」という理由で一方的に制限されてしまう……>
そもそも登下校の際の責任は、学校ではなく保護者にあります。民法上に定められる親の責任(監護権)の範囲なのです。だからそもそも、登下校の際にコンビニに入ってはいけないとか、学校から指示される理由はないのですが……。
ただ学校側としても、コンビニに自分の学校の生徒が集団でたむろしているのが常態化している場合、学校にクレームを入れられることが多いため、「安全管理」の名のもとに、コンビニへの出入りを制限してしまうのでしょう。
では、こうしたケースの場合、「権利」の視点からどのように対応すればよいのでしょうか。小・中学生が「子どもだから」という理由だけでコンビニの出入りを制限されること自体、権利の侵害です。
一方でコンビニ側の視点に立って考えてみた場合、お店の入り口に集団でたむろされると、他のお客が入りづらくなるため、お店にとっては「利益を上げる権利」が侵害されている状態だといえるわけです。
もしも学校教育の現場でこうしたケースを取り上げるとしたら、生徒とコンビニの双方にそれぞれ権利があることを学び、それをどうすれば侵害せずに尊重できるか――子どもたちを主体とした「対話」を通して共に考えていく方法が挙げられるでしょう。
「沈黙の文化」の対義語があるとすれば、それは、「対話の文化」です。しかし、この「対話の文化」「対話の作法」が日本社会に十分に育っていないことこそ、課題なのです。
どんな人生がいいですか?
<自分も相手も、大人も子どもも、どうすれば「互いの権利」を守り、「共に幸せ」な状況をつくれるか。その道筋を見いだすために「対話」が必要なのですね。
「自分も相手も幸せに」という目的を踏まえた上で「こどもまんなか社会」の実現を大人たちに呼びかけると、「子どもも大変だろうけれど、大人だって大変だよ」「子どもを大切にと言われても、自分たち大人の負担(物理的・経済的)が増えるのは嫌だ」という声が聞かれることも少なくありません。末冨さんであれば、そうした方々と、どのような対話をされますか>
ちょっと厳しい言い方になるかもしれないのですけれど……。こう問いかけるようにしています。「あなたは、誰かを傷つけて不幸にしたいですか」と。それでよいというのであれば、仕方がありません。けれどそう問いかけた時、ほぼ全ての人が「いや、それは違う」「そんなことは思っていない」とお答えになるんですよね。
それはなぜかといえば、誰もが自分の心の中に「誰かを望んで不幸にはしたくない。できれば誰かを幸せにして、自分も幸せでありたい」という本然的な願いがあるからだと、私は思っています。
であるなら!――その願いに正直になりましょう。そしてその優しさを真っ先に向けるべきは、子どもたちをはじめ、高齢者や障がい者など、社会的に弱い立場に置かれている人ではないでしょうか。そうした人たちに優しい気持ちを向けてこそ、社会は初めて明るくなり始めるからです。
社会福祉学には「バルネラビリティ」(社会的脆弱性)という概念があるのですが、社会で一番置き去りにされがちな人の幸せに対して目を向けてこそ、あらゆる人々が幸せになれるという認識が共有されているのです。
「誰かを置き去りにして、誰かを傷つけて、誰かを不幸にする人生でもいいですか」という問いを立てることで気づきが生まれる――人権について学ぶ大切さも、そこにあるんです。誰かの権利の侵害を放置するということは「誰かを不幸にして傷つける」ということと同じ意味ですから。
<私たちが信奉する日蓮仏法も「自他共の幸福」を追求します。創価学会名誉会長の池田大作先生も「自分だけの幸福もなければ、他人だけの不幸もない」と一貫して訴えてきました>
人権を大切にすることは「自分も相手も幸せになるため」であり、究極は「平和」のためだと、私は思っています。この点、池田名誉会長が「対話」の目的を「平和」という一語をもって繰り返し強調されてきたことに、「なんて優れたセンスだろう!」と尊敬の念を抱いているのです。
(インタビュー㊦は、あす8日付に掲載予定。「対話と人権」「安心できる居場所づくり」、さらには学会が今夏に実施した「“未来”座談会」や、牧口先生の教育哲学などを巡っても話を伺いました)
すえとみ・かおり 山口県生まれ。京都大学教育学部卒。同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。学術博士(神戸大学大学院)。専門は教育行政学、教育財政学。大学院修了後、福岡教育大学准教授などを経て2016年から現職。内閣府子供の貧困対策に関する有識者会議構成員、文部科学省中央教育審議会委員等を歴任。著作に『教育費の政治経済学』(勁草書房)、『子育て罰 「親子に冷たい日本」を変えるには』(共著、光文社新書)などがある。
2023年10月7日〈危機の時代を生きる 希望の哲学〉
2023年9月20日
〈創価インターナショナルスクール・マレーシア(SISM)〉
教職員にインタビュー
9カ国・地域から1期生を迎え、8月24日に第1回入学式を行った
「創価インターナショナルスクール・マレーシア(SISM)」
ヌグリスンビラン州の州都スレンバンに立つ「創価インターナショナルスクール・マレーシア」。クアラルンプールの国際空港から車で約45分。豊かな自然に恵まれた地で、治安も良い。
国際水準のカリキュラムと生徒第一の充実の学習環境が整い、若き世界市民の育成がスタートした。今月から首都クアラルンプール近郊にある校舎で授業が始まっている。具体的な教育プログラムや理念などについて余美婷校長、郭福安学園長ら教職員に聞いた。
◆余美婷 校長「時代に合わせた最良の教育法を導入」
――SISMの特徴を教えてください。
生徒が主体的に学ぶ、人間主義の教育プログラムが一番の特徴です。
また学力向上はもちろん、総合的な「ウェルビーイング」(心身と社会的な健康)の土台を築くことが大切だと考えます。
優秀で献身的な教職員も魅力の一つだと自負しています。
マレーシアはもとより、アメリカ、カナダ、韓国、日本、インド、イギリスなどから、創立者・池田大作先生の教育思想に共鳴し、創価の名を冠した初のインターナショナルスクールの設立のために集ったメンバーです。創価教育同窓の友もいて、一緒に歩めることを心強く思います。
9カ国・地域から1期生を迎えた 創価インターナショナルスクール・マレーシア
地元マレーシアの生徒を中心に、今月から対面の授業が始まった。ビザなどの関係で、海外の生徒にはオンラインの授業も。新入生全員が校舎に集って授業を受けるのは明年1月からの予定
――世界市民教育の具体的な取り組みは?
7~11年生(日本の中学1年~高校2年に相当)では、世界的に高く評価されている英国中等教育プログラムの国際版「IGCSE」を採用します。
その後の大学予備教育に当たる12、13年生(日本の高校3年以降に相当)では、一人一人が自身の進路に合わせ、国際バカロレア(IB)機構の「ディプロマ・プログラム」、またはケンブリッジインターナショナルの「Aレベル」プログラムから選択。
それぞれ所定の成績を収めると、欧米をはじめ世界の大学への入学に有利になります。
またSISM独自の「グローバル・シティズン・プログラム」に沿って、
自他共の幸福に寄与する意欲や能力を、7年生から13年生まで段階的に育成します。具体的には、
7年生では「友情」をテーマに、キャンプなどの課外活動で絆を結ぶ大切さを学び、
8年生では「環境」への理解を進めるために、野外活動を行い、人間と自然の関連性を学びます。
9、10年生は、「自分とコミュニティー」をテーマに、ボランティア活動を通して地域との関わりを学習。
11年生では、海外渡航の機会をもつ予定で、世界市民としての視野を培っていきます。
12年生では、「自分と社会問題」への考えを深め、プレゼンテーションに挑戦。
最高学年の13年生では、大学教授らを招待してフォーラムを主催し、
対等な立場に立って議論することを目指します。
このように、まずは身近な友情を育むことから始まり、徐々に視野を広げつつ、最後は、社会にいかに貢献していけるのかを考え、行動に移せるようにプログラムを進めていく予定です。
さらに「ソーシャル・エモーショナル・ラーニング」も取り入れています。これは、社会性と情動(感情)の学習とも呼ばれており、毎朝のホームルームで、生徒一人一人が今日一日をどのような気持ちで臨むのかを考え、感情を自分自身でコントロールしながら目標を立てます。
最近の研究では、新型コロナウイルスの世界的大流行の後、子どもたちが高いレベルの緊張感にある実態が明らかになってきました。
子どもたち、さらには教員自身が心を平穏に保つことが、非常に重要になっています。
「パーパス・ベースド・ラーニング」にも力を入れます。
これは、生徒自らが問いや目標を設定し、探究する中で学ぶ意味も考えていく、教科横断型の学びになっています。
――多角的で最先端の教育法を取り入れながら、生徒を育んでいくのですね。余校長ご自身、これまで青年の育成について研究されてきたと伺いました。
はい。マレーシアの国立プトラ大学の大学院で学び、青少年の社会性と情動の学習等を研究する「ユース・デベロップメント・スタディーズ」の分野で博士号を取得しました。
その後は、同大学と国立マラヤ大学で教壇に立ってきました。
SISMでは、最新の教育学の成果を取り入れていくことはもちろんですが、その根底には、創立者が示された創価の人間主義教育があることを強調したいと思います。
私たちの目的は、どこまでも生徒一人一人の幸福です。
だから、その時々に合わせて最良の教育法を導入していきたいと考えています。
時代が変われば、本校の教育プログラムも変化していくことでしょう。
しかし、創価教育の思想を根本に、生徒の幸せのために力を尽くす教職員の姿勢が変わることはありません。
――最後に改めて、SISMに携わる決意をお聞かせください。
SISMの校長の話をいただいた時、創価教育の父・牧口常三郎先生、戸田城聖先生、そして池田先生へと継承された精神を継ぐ挑戦ができることに、感謝と決意で胸がいっぱいになりました。
子どもたちには無限の可能性があります。一人一人が、より良い人生を歩めるよう全力でサポートしていくとともに、社会貢献の精神と一生涯の友情を築いていけるように尽力していきます。
ここには、誰もが平等に世界市民になれる教育環境が整っています。
「地球文明の平和の未来へ、智慧と勇気と慈悲の『世界市民』を育む」学園として、創立者が大きな期待を寄せるSISMの歩みは始まったばかりです。ここから旅立つ鳳雛たちが、21世紀、そして22世紀に、世界中で活躍する人材になっていくことを強く確信しています。
◆郭福安 学園長「多くの支援者に感謝」
8月に第1回入学式を迎えるまでの道は、困難の連続でした。2021年2月にSISMの建設開始が発表されましたが、それと前後してウクライナ危機やコロナ禍による資材の高騰、労働者不足などに見舞われたのです。
それらを乗り越えて「8・24」に晴れの式典を迎えることができました。工事関係者をはじめ、建設に携わった人々の尽力に感謝でいっぱいです。
そして何より、教育を「人生の総仕上げの事業」と定められた創立者・池田先生の心を、わが心として、支えてくださった多くの寄付者、支援者の皆さまに厚く御礼申し上げます。
生徒の幸福を第一に考えたカリキュラム、学習施設等をそろえることができました。
また今後も、一人一人が伸び伸びと学べるような環境づくりに全力で取り組んでいきます。
創立者の構想を実現する新たな創価の学びやとして、教職員一同が団結して、SISMを発展させていく決意です。
◆カーティ・パンカジ 教諭「学び続ける姿勢を培う」
私はカナダで約20年間、国際バカロレア(IB)機構の認定校で働いてきました。SISMでも採用するバカロレアは、“多様な文化を尊重する精神をもち、より良い、より平和な世界を築くことに貢献する若者を育成すること”を目的としています。
これは、世界に寄与する価値創造の人材を育むSISMの教育と共鳴するものだと思います。
「生徒主体」の理念も共通しています。SISMでは、教員との対話を通して生徒自らが課題を見つけ、解決していく教育法や、大きな困難に対して、仲間たちと協力して乗り越えていく環境等を提供し、人生を向上させるための「学ぶ力」を培っていきます。
どんな環境でも学び続けていく姿勢を身に付けることは、卒業後も生徒の未来を切り開いていくと信じています。
池田先生の掲げる「生徒の幸福を第一とする教育」の現場で、自分自身の経験を生かせる喜びを胸に、持てる力を全て発揮していきます。
◆リヤナ・アヒラ 図書館司書「創立者の思想を生徒に」
国立マラ工科大学を卒業後、図書館司書として、政府関係の施設や、マレーシアで最も長い歴史のある英国式教育のインターナショナルスクールで勤務してきました。
私は創価学会のメンバーではありませんが、偶然にも自宅近くにSISMができるに当たり、人間主義の思想に基づく創価の教育理念を初めて聞いて共感し、図書館司書に応募しました。また、創立者が池田大作先生であることを知り、驚くとともに、ある記憶がよみがえりました。
中学生の頃、クアラルンプールでの「自然との対話――池田大作写真展」を見学したことがあったのです。当時、両親が離婚し、気持ちが沈んでいましたが、美しい写真を見ると不思議と心が落ち着きました。写真のポストカードをたくさん買い求めたことを覚えています。
“学校の心臓部”ともいえる図書館で、多くの生徒が創立者の平和思想を学びつつ、万般の知識を吸収していけるように環境を整備していきます。
2023年9月14日
地球環境は人間を映し出す鏡
世界最高峰の賞に輝いた自然写真家に聞く
自然写真家
高砂淳二さん
海の生き物をはじめ地球の神秘を撮影してきた自然写真家の高砂淳二さん。昨年、自然写真の世界最高峰といわれる「ワイルドライフ・フォトグラファー・オブ・ザ・イヤー」の“自然芸術性”部門で、日本人初の最優秀賞を受賞しました。約40年にわたり、世界中の海を見つめてきた高砂さんに、SDGsの目標14「海の豊かさを守ろう」を巡ってインタビューしました。(取材=樹下智、澤田清美)
――高砂さんはダイビング専門誌の専属カメラマンを経て、1989年に独立されました。自然写真家になろうと思ったきっかけは何だったのでしょうか。
大学時代に1年間休学して、オーストラリアを旅した時、ダイビングのライセンスを取りました。海の中で“ぷかー”っと浮く浮遊感がたまらなく好きになり、水上から差し込む光がきれいで、「うわぁ、これはとんでもないものを見てしまった」と思ったんですよ。
ダイビング仲間に水中で写真を撮っている人がいて、「自分の写真が売れた」って言うんですよね。「なに!? そんな仕事があるのか」と思いまして。それから、プロの水中写真家を目指すようになりました。
――水中の撮影から、自然全体へと被写体を移していったのはなぜですか。
専属カメラマンの時代から、とにかく気になったものは撮らなきゃと思って、カメラを向けていました。普通、雑誌のカメラマンだったら、全体の構成を考えながら撮影するのですが、クマノミ(海水魚)が気になって、そればっかり撮って、編集長に怒られた時もありました(笑)。
でも、徐々にいい作品も撮れるようになって、だんだん自然全体に意識が向くようになりました。独立した後、動物や植物も撮り続ける中で、「どうして、こんなにいろんな生き物がいて、しかもその中で、なぜ人間という不思議な生き物がいるんだろう」っていう疑問で、僕の頭の中はパンパンになっていきました。
――そこで、ハワイに行って、人間と自然について探求されたんですね。
はい。先住民族の方のもとに毎日通って、いろいろなことを教わりました。「世の中が成り立つように、全ての生き物にそれぞれの役目があるんだよ」って。人間には二つの役割があって、一つは、全体のバランスが崩れないように自然を看ること。もう一つは、一生かけてアロハ(愛)を学ぶことだ――そう言われたんです。
――環境を破壊する人類は、真逆のことをしているように思いますが……。
ええ。それを考えると、人間はいない方がいいんじゃないかって感じる人も多いと思います。でも、相手の立場に立って考えて、相手を思いやれる力というのは、人間が圧倒的に強いと思うんです。「人間にも役割があるんだ」って、先住民の方の話を聞いて、ふに落ちました。だからこそ、環境問題を解決して、バランスを戻していく必要があると、強く感じます。
――約40年間、自然と向き合い続けてきて、特に感じる変化は何でしょうか。
やっぱり、暑さですよね。例えば、カナダのセントローレンス湾で北方から移動してくる流氷の上で生まれるアザラシを撮影してきたんですけど、年々暖かくなってきて、氷が薄くて撮影の際にヘリコプターで降りられない年が増えました。
4年前は、まだ氷が厚い方で、無事にアザラシの赤ちゃんの撮影ができたのですが、その約2週間後に、氷が全部解けてしまったことが分かりました。アザラシの赤ちゃんが独り立ちするには、氷上で4週間は生活する必要があるので、僕が撮影した子たちは、おそらく全員死んじゃったんだと思います……。
――とても悲しい話ですね。
その翌年は、氷が全くなくて、アザラシのお母さんはやむなく陸地に上がって出産したらしいです。それは、赤ちゃんが敵に狙われやすい危険な環境です。
人間は暑くても冷房を使えば、変わりなく暮らしていけますけど、こうした動物たちは、少し気温が上がるだけで生きていけなくなる。地球温暖化による海水温の上昇や海洋酸性化で、海で暮らす動物や海洋生物の生態系は危機にさらされています。サンゴの白化現象もたくさん見てきましたが、サンゴ礁は40年で半分以下になったといわれています。
――海洋プラスチックごみの問題も深刻です。
ええ。僕も1990年代から、その影響を見てきました。太平洋のど真ん中に浮かぶミッドウェー島に、アホウドリを撮影しに行った時のことです。ハワイから2000キロも離れていて、ほとんど誰も住んでいないような島で、プラスチックごみを食べて死んだアホウドリがたくさんいたんです。
海流の影響で流れ着いたプラスチックごみを、アホウドリのお母さんが餌だと勘違いして、子どもたちにあげるんですね。それがおなかにたまって、他のものを食べられなくなって、栄養失調になって死んでしまう。死骸を見ると、胃の形になってプラスチックごみが固まっているんです。そういった死骸が、ごろごろ転がっていました。
――90年代で、既にそうした状況だったんですね。
今はもっと多くのプラスチックごみが、海にあふれていると思います。9割以上の海鳥の胃に、プラスチックごみが入っているとまでいわれています。また、ウミガメの半数が、ビニール袋などを飲み込んでいるともいわれていますね。
――プラスチックごみが海で細かく分解されたマイクロプラスチックも問題視されています。
海に浮かんで目を凝らすと、水面に細かいプラスチックが見えることがあります。先日も、日本の海の調査船に乗せてもらったんですけど、5分くらい網を海中で引っ張ると、いっぱいプラスチックごみが入っていて。海水を実験室に持って帰って、目に見えるごみを全部取り除いても、顕微鏡で見るとまだまだいっぱいあるんですよね。2050年には、魚よりプラスチックごみの量の方が多くなるって予測されていますが、本当にそうなるような気がします。
――高砂さんは自身の撮影活動の経験から、“自然や生き物に心を開いて敬意をもって接していけば、自然や生き物も心を開いてくれる”と言われています。
ハワイの先住民の方から、環境は自分を映す鏡だから、自分と環境の関係を正しくするには、アロハの心、敬意や感謝の心をもって接していかないといけないと教わりました。海に一緒に入った時に、「どうだった?」と聞かれて、「いやー、気持ちよかったですよ」って答えたら、「それなら海も喜んでるな」って言われたんです。
――仏法では「依正不二」といって、人間(=正報)と、その人間を取り巻く環境(=依報)は分かちがたく関連していると説いています。
日本でも西洋文化が入ってくる前は、人間と自然は一体だという感覚が、もっと当たり前だったっていいますよね。そういった心持ちで被写体に向き合うと、やっぱり向こうの反応が違うんです。
森に入る時も、“撮ってやるぞ!”ってズカズカ入るんじゃなくて、“お邪魔します”って静かに入っていく。生き物の様子をよく見て、気にしてるなと思ったら少し下がって、安心してるなと思ったら少し近づく。遊びたそうにしていたら、面白いことをしてあげる。子守歌を歌いながら撮影する時もあります。そうすると、向こうも自然と緩むんですよね。
――そうした撮影を続けてこられ、昨年、自然写真の世界最高峰の賞に輝かれました。93カ国から16部門に3万8000以上の応募があった中での快挙です。
ありがとうございます。受賞作品となった「Heavenly flamingos」は、南米ボリビアにあるウユニ塩湖に降り立ったフラミンゴを撮影したものです。
この時も、究極の自然のハーモニー(調和)を織りなすフラミンゴたちにカメラを向けるため、2時間近くかけて、しゃがみながらゆっくり近づいていきました。標高3700メートルにある湖なので、酸素が薄くて、もう頭が痛くて(笑)。
でも、捕食の瞬間とか、あっと驚くような生態を捉えた写真が評価されやすい欧米のコンテストで、自然に溶け込むように努力して、自然のハーモニーを撮影しようと頑張った作品が最優秀賞を受賞できたのは、率直にうれしいです。
――高砂さんは環境NPOの副代表理事も務めています。最後に、環境問題に向き合う上で大事にしていることを教えてください。
二酸化炭素の排出量をどう削減しようとか、プラスチックごみをどう減らそうとか、いろんな施策や方法を考えるのも重要です。でもその前に、感謝や愛情をもって地球に接していくという“気持ち”を大切にする必要があると思います。
この数十年間、人間は地球に甘えてばっかりで、取りたいものは取り放題で、使い終わったら海に全部流せば大丈夫って思ってきた。今、その付けが回ってきている。人間と地球は一体ですから、そういう感謝も愛情もない態度で接していけば、自分たちの首を絞めることになります。
感謝や愛情があれば、例えば、大地にダメージを与えないよう、無造作に除草剤をまくことをやめるとか、具体的な行動につながっていくと思います。
人間も壮大な自然のハーモニーの一部として、人間にしかない役割があるはずです。愛、感謝、敬意といった心を、僕たちの周囲や自然環境に広げていきたいですね。
2023年8月12日
〈危機の時代を生きる 希望の哲学 創価学会ドクター部編〉
第16回
「健康」を勝ち取るために
健病不二が仏法の視座
前向きに病と闘う心を
しゅくみね内科・院長
祝嶺千明さん
長寿社会の現代。医療は多くの人々を支える重要な役割を果たしている。その最前線で働く友は、これからの時代を健康で生き生きと暮らすために必要なことを、仏法の健康の智慧から、どう見ているのか。「危機の時代を生きる 希望の哲学――創価学会ドクター部編」の第16回のテーマは「『健康』を勝ち取るために」。沖縄県の「しゅくみね内科」で院長を務める祝嶺千明さんの寄稿を紹介する。
生活習慣の影響
有数の長寿県として名をはせた沖縄も、現在は「沖縄クライシス」という言葉が聞かれて久しい状況にあります。
厚生労働省は5年に1度、都道府県ごとの平均寿命を発表しており、沖縄は1985年まで男女とも全国1位でしたが、徐々に順位を落とし、2020年時点では、女性が16位、男性が43位になったことが明らかになりました。
沖縄の方言では、食べ物のことを「くすいむん」と言います。これは“薬になるもの”という意味で、“食事は病を治す薬になる”との考えのもとで、多くの人々が野菜を中心に魚介類や、適度に豚肉などをバランスよく食してきました。こうした食事も、戦後、長らくアメリカの統治下に置かれたことなどが影響し、脂質や糖質の多い食事に変わりました。
また、車社会で運動の機会が少なく、アルコールを多く摂取する社会風土であることも、平均寿命が低下した原因と分析されています。
私は、特に健康問題が多いといわれる沖縄の中部圏で内科クリニックを構えていますが、患者さんと接する中、こうした生活習慣が健康に悪影響を及ぼしていると強く感じます。加えて健康診断の受診率が低く、病気の発見が遅れ、治療につながらないことにも問題があると考えています。
複雑で曖昧な境目
以前、心筋梗塞や脳卒中、糖尿病といった生活習慣病は、加齢とともに発症・進行するものとされ、成人病と呼ばれていました。しかし、実際には運動不足や飲酒、喫煙、不規則な生活など、長い間の生活習慣が原因となって発症することが分かり、生活習慣病と改められました。
将来、こうした病気で苦しまないためにも、バランスの良い食事や十分な睡眠、適度な運動といった習慣を取り入れるのが大切であることは、言うまでもありません。
しかし、いくら健康的な生活を心がけても病気になることはあります。それは生活習慣のほか、ストレスや加齢、遺伝的なものなど、病気は複数の原因が複雑に絡み合って発症するものだからです。逆に、私たちの健康は、そうした複雑な状況に対し、体内の器官が複雑に連携しながら、全体として調和を保つ中で支えられているのです。
このような複雑性の結果として、ある時は病気となり、健康となることから、その境目は曖昧で、病気とはどのような状態を指すのかは簡単なようで、実は非常に難しい問題なのです。
例えば、病気でも生き生きと暮らしている人がいる一方、身体は健康でも病気になったような浮かない顔をしている人もいます。これは見た目の話ですが、見た目では分からない場合もあります。
がんに関して言えば、「体内にがん細胞ができた時、がんという病気になる」と思うかもしれませんが、実際、私たちの体内では、毎日、数千個の単位でがん細胞が発生していると考えられています。しかし問題にならないのは、がん細胞が増殖する前に、体内の免疫細胞によって排除されるからです。
がん細胞が増殖しても、命に危険を及ぼさない場合もあります。例えば、前立腺がんの中には、進行が極めて緩やかなものがあり、寿命で亡くなった方の身体を解剖した結果、80歳以上の6割の方に前立腺がんが見つかったとの研究もあります。その状況が生前に分かっていれば、がんと診断されていたでしょう。
もちろん、これは一部の事例であり、がんはあくまで早期発見・早期治療が大切ですが、がんになっても健康な人はいるということです。
同じようなことは、認知症でも言えます。物忘れが出てもおかしくない脳の萎縮が見られても症状が見られず、記憶が鮮明な方がいます。
また、病気になることが、後の健康につながることもあります。
例えば、体内の免疫細胞には、感染した際に病原体の特徴を記憶し、その病原体が再び体内に侵入した時、病原体を効率的に排除して身体を守ってくれる働きがあります。
といっても、命の危険にさらされる可能性もあり、病気にはなりたくないでしょう。そこで開発されたのがワクチンです。ワクチンには、病原体の一部だけを体内に送り、あたかも病原体そのものの感染があったような反応を起こして、免疫細胞に記憶させる仕組みがあります。
このように見ると、病気と健康の捉え方も変わるのではないでしょうか。
道理を重んじる
これまで病気と健康が密接な関係にあることを見てきましたが、それは仏法の視座では“健病不二”と捉えます。
病気と健康は、見かけは異なりますが、本質的には分かちがたく一体であり、ある時は健康な状態として表れ、ある時は病気の状態となって表れるということです。
そして病気と健康は関連し合っているからこそ、仏法では、病気になったとしても希望を失わず、病気と闘い、その中で心身の健康を確立していく大切さを教えています。
御書を拝すると、日蓮大聖人は、そうした強い心で病と向き合うよう、門下を激励されています。
長患いで気も沈みがちだった富木尼には「どうして病が癒えず、寿命が延びないことがあろうかと強い思いをもって、御身を大切にし、心の中であれこれ嘆かないことです」(新1317・全975、通解)と仰せです。
夫が病床に伏していた妙心尼には、お手紙で次のようにつづられました。「このやまいは仏の御はからいか。そのゆえは、浄名経・涅槃経には、病ある人仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はおこり候なり」(新1963・全1480)
病気になって落ち込むのではなく、むしろ仏の境涯を開くチャンスと捉え、信心で乗り越えてみせると覚悟を決めることを教えられています。
私は、こうした捉え方は病気に立ち向かう上で、とても重要であると思います。というのは、心の持ち方が健康を勝ち取る力となるからです。
例えば、病気であっても「自分は健康である」と思える人の方が、病気の経過が良く、身体の衰えも緩やかという興味深い報告があります。
また、大きなストレスがかかると、副腎という臓器からホルモンが分泌され、血圧や血糖などが調節されることが分かっていますが、そのストレスが長期間にわたると、人体の各所で機能障害を起こしてしまうことが知られています。
一方、笑うことは、NK(ナチュラルキラー)細胞を活性化させ、免疫機能を高めることが知られています。
その上で仏法は、気合と根性があれば病は治ると言っているわけではなく、あくまで道理を重んじ、病になった時の注意点も教えています。
例えば、「摩訶僧祇律」には、病人としての心構えが記されています。
①それぞれの病気に適した食事や薬を服用する。
②治療する人・看病する人の言葉にしたがう。
③自分の病気が重いか、軽いかを認識する。
④苦痛を耐え忍ぶ。
⑤努力を怠らず、聡明な智慧をもつ。
こうした点は、複雑な要因で発症する病気に対し、生活習慣や周囲の協力など、あらゆるものの“総合力”で立ち向かっていくという発想であり、現代医学に照らしても説得力があります。
学会員の温かさ
私はこれまで、医師として、またドクター部員として、多くの方の病の悩みと向き合ってきました。その中で実感するのは、学会員には病を前向きに捉える人が多いということです。それは、まさに、先に挙げた仏法の哲学を心肝に染めているからでしょう。
実は、私自身も国指定の難病を患っており、そうした同志と似た体験をしました。
7年前のことですが、突然の倦怠感と吐き気に襲われ、入院して検査を受けると「急速進行性糸球体腎炎」との診断を受けました。数ある腎臓病の中でも、たちの悪いタイプの一つです。病名を聞いた瞬間、“このままいくと透析治療かもしれない”と頭をよぎりましたが不思議と動揺も不安もなく、「絶対に意味がある」と受け止めることができました。そう思えたのは、多くの同志が病に勇敢に立ち向かう姿を目の当たりにしてきたことはもちろん、これまで幾度も学会員の温かさに触れてきたからです。
妻が病になり、不安を抱えていた時には、ある女性部の先輩から「心配しなくていいよ。大丈夫だよ。私が題目を送っているからね」と声をかけてもらったことが忘れられません。こうした同志の温かさに包まれる中、妻は病を乗り越えることができました。
学会には、周囲の人の病を自分のことのように捉え、皆で祈り合う中で乗り越えていこうとする心があります。こうした団結も“総合力”の一つであり、そうした心に普段から触れているからこそ、病になった時に孤独にならず、前向きに捉えることができるのだと思います。
私自身はステロイドと免疫抑制剤の大量投与を受け、副作用で苦しむ日々が続きましたが、体調は次第に良くなり、ここ3年間は症状もなく、発症時に4分の1まで落ち込んだ腎機能も、約2分の1まで回復しました。
今では、日頃の診療の中、病に悩まれている方に、自らの闘病体験を伝えることがあり、その話で表情が和らぐ患者さんを見るたびに、私が病気になった意味があったとの思いを強くしています。
「仏は少病少悩」
現代は長寿社会であり、長生きをすれば、病気になるリスクも当然、高まります。そうした時代を反映してか、今では「無病息災」ではなく「一病息災」「二病息災」といわれ、何らかの病気があるのは当たり前との考え方が主流になりつつあります。
仏法でも「仏は少病少悩」と説かれています。たとえ自分自身に病気があっても、失望せずに雄々しく立ち向かっていく。そうした姿を周囲に見せることは、これからを生きる人々にとっての希望となると感じます。また、そうした強い心で立ち向かうからこそ、健康も勝ち取っていけるのだと思います。
健康の智慧に満ちあふれた仏法を学び、実践する一人として、これからも満々たる生命力で地域の方に寄り添い、一人でも多くの方が健康で生き生きと暮らしていけるよう心を尽くしてまいります。
しゅくみね・ちあき 1961年生まれ。群馬大学医学部を卒業。出身地の沖縄で研修を受けた後、南大東診療所の所長として離島医療に従事。中頭病院消化器内科を経て、2003年に「しゅくみね内科」を開院。創価学会沖縄ドクター部長。副総県長。
2023年8月5日
小説『新・人間革命』起稿から30周年
記念インタビュー
インド・ガンジー研究評議会議長
N・ラダクリシュナン博士
21世紀は、
池田先生の価値創造のリーダーシップと
その思想を受け継ぐ弟子たちによって、
混迷の危機の時を
人道の時代へと転換した世紀とする!
平和こそ人類の根本の第一歩
あす8月6日、池田大作先生が小説『新・人間革命』の執筆を開始してから30周年を迎える。起稿の日(1993年8月6日)、先生はガンジー研究の第一人者であるニーラカンタ・ラダクリシュナン博士と長野研修道場で会見している。インド南部・ケララ州のガンジー記念館で、平和活動家・教育者としてガンジー研究を主導する博士を訪ね、会見当時の印象や現代における創価学会の役割などをインタビューした。(聞き手=小野顕一)
――30年前、池田先生が小説『新・人間革命』を執筆開始された、まさにその日、ラダクリシュナン博士は先生と会見されています。
あの時のことは、鮮明に覚えています。
私は、広島に原子爆弾が投下された8月6日を、「人類の歴史における一番の暗黒の日」と認識していました。池田先生との会見では、そのことについて、何か大切なお話をいただけるのではないかと期待していたのです。
まず思い出されるのは、お会いした瞬間から、先生が私を事細かに気遣い、緊張を解きほぐそうとされたことです。
日本へのフライトは快適でしたか?
昨日はよく眠れましたか?
朝食はおいしく食べられましたか?
車窓からの景色はどうでしたか?
ご家族と連絡はとられましたか?
――質問に答えるうち、池田先生のことが、まるで実の父のように感じられ、とても安心した気持ちになりました。
そうしたやり取りを重ねながら、ガンジーの戦争観や平和の信念などについて、意見を交換していったのです。
ふと、先生は一枚の原稿用紙を手に取り、私に尋ねました。
「博士、私が何を書いたか、お分かりになりますか」
通訳の方が、内容を翻訳して教えてくれました。
そこには「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」と――。
そうです。それは、小説『新・人間革命』の冒頭の一節だったのです。
先生は、
この小説が、全何巻・何章で、
どういった構成になるのか、
具体的な考えを話してくださいました。
驚いたのは、
創価学会の歴史や登場人物の詳細を、
あたかもコンピューターがデータを読み出すように、
明瞭によどみなく記憶されていたことです。
私が「人類の暗黒の日」と考えていた、
この8月6日に、いわば、
民衆一人一人の人生の軌跡をもって、
創価学会の真実の歴史をとどめようとされていることに
深い感動を覚えました。
非暴力の覚醒
――この日、
博士は、ガンジーの“「魂の力」は原子爆弾よりも強い”との信念に触れ、語られています。
「誰もが持つ『魂の力』を引き出し、
平和を生み出していく
――これこそ池田先生が世界に広げている運動です」と。
創価学会三代の会長は、信仰を人生変革への希望の力とし、民衆を勇気づけてきました。一人一人が「生きる喜び」を得て、人生はより良く変えられるという実感を持ちながら、正義と平等の価値を周囲に広げていく――。そこに、持続可能な平和への道筋が、人間絵巻のモザイクアートのように現れているのです。
ガンジーが亡くなって、
今年で75年がたちました。
インドも世界も劇的な変化を続けています。
ですが、人間の基本的な性質は変わっていません。
もし、ガンジーが2023年という今日に生きていたとしたら、
全ての戦争や不平等に反対し、
人間の尊厳を掲げて、
あらゆる腐敗に挑んだに違いありません。
もちろん、
権威主義的なアプローチではなく、
どんな他者からも学び、
人と人との間に調和をもたらしながら、です。
「創価の師弟」は全人類の希望
自他共の変革で人道の時代を
ガンジーの非暴力・不服従の信念は、
南アフリカやインドで、
人々と苦しみを共にする中で不動のものとなりました。
直接会って苦労を知り、
自らの実感を元に、
癒やしの手を差し伸べたのです。
長きにわたる人権闘争で挫折しかけた時にも、
後悔と戦い、
分析を怠らず、
発想や手法を変え、
行動を起こし続けました。
それが地球的規模での非暴力の覚醒へとつながっていったのです。
平等、公平、尊厳、平和といった理念は、
自らが変わる中でしか伝わらないことを、
ガンジーは知悉していました。
民衆一人一人の成長が積み重なることで、
初めて変革の波紋は広がり、
社会のあるべき変化が成し遂げられていく。
そうした点においても、
「私の人生そのものが、私のメッセージだ」
「あなたが望ましいと思い描く変革の主体者たれ」
とのガンジーの信念は、
まさしく創価学会員の歩みと深く響き合っているのです。
人間の宗教
――かつて博士は「創価学会は、まさに『混迷の時代』の全人類の希望なのです」と語られました。
そう強く感じたのは20年以上も前のことです。
しかし、その直感は正しかったのだと断言できます。
創価学会は今、
世界平和のイニシアチブ(主導権)を遺憾なく発揮しています。
想像してみてください。
192もの国や地域で、
老若男女、
あらゆる立場の人が、
価値創造の担い手となり、
人々の憎しみや悲しみを生きる力へと転換し、
地域や社会の責任ある一員として、
地球の平和を願い、
希望のビジョンを示している。
「価値創造者」は、
世界の平和を祈る一方で、
草の根からの挑戦を続けるものです。
その柱こそ、「創価」の哲学であり、
「人間革命」の思想です。
軍部政府の弾圧によって壊滅状態になった創価学会は、
牧口先生と戸田先生の師弟の誓いによって、
戦後の灰の中からよみがえり、
再び「広宣流布」の旅を開始しました。
そして、人が人を殺してきた「戦争の世紀」において、
創価学会は一貫して平和の人を育ててきたのです。
言うなれば、
創価学会は、
“一人の人間がどれほど偉大な力を持っているのか”を学ぶ、
校舎なき学舎であり、
その規模は世界全体にわたっています。
教育者であった牧口先生の主眼は、
子どもたちの未来を信じ、
将来の可能性を広げ、
生きる自信をつけさせることでした。
教育は、
記憶力のテストなどであってはならない。
将来、子どもたちが何になりたいのか、
そのために身に付けるべき力とは何かを共に考え、
真実の人生を得るためのものでした。
学習と生活の一体化を目指した
「半日学校制度」の提唱なども、
そうした価値観の表れでしょう。
本来、学習と生活は、
一生涯、並行して行われるものです。
価値を創造する「創価」の思想を、
戸田先生は「人間革命」という理念で示しました。
そして人間革命の実践と連帯は、
池田先生の哲学と行動によって、
「人間の宗教」として世界へと広がっていったのです。
人生には多くの苦難があります。
しかし、
困難に立ち向かう覚悟を持ち、
人間革命に挑戦する中で、
「今までの経験は、このためにあった」
「私は、この道を生きていく」という
「人生の真実」を得ることができるのです。
この人間革命の理念は、
生活する国や、
生まれた境遇、
あるいは、
扱う言語、
経済状況など、
一切の違いに関係なく、
私たち自身の人間性を求め、深め、広げゆく、
“普遍的な呼びかけ”なのです。
不惜身命の精神
――インドでも多くの学会員が生まれています。
池田先生と言葉を交わしたり、
会合などで空間を共にしたりして、
先生を師と定める人が多くいます。
その一方で、
先生に直接、接する機会はなくても、
先生を自身の師匠と決めて、
自らの人生を開いていく人が、
世界には数えきれないほどいます。
インドの若い世代の人たちもそうです。
一度も会ったことのない人の存在を、
常にそばで見守ってくれているように感じ、
心を奮い立たせ、
現実の課題に立ち向かう力としていく――。
この師弟の力の淵源は何なのかと、
私は時に自問自答するのです。
世界中の人々に対して、
池田先生の存在が、
これほどまでに希望と感動をもたらすのは、
先生が人間革命について語るだけでなく、
古今東西の誰よりも、
先生自らが人間革命を実践されてきたからとも
言えるのではないでしょうか。
今、私が持ち歩く一冊に、
池田先生の『若き日の日記』(英語版)があります。
そこには、
若き先生が直面した困難が、
赤裸々につづられています。
苦しみながらも戦い、
決して諦めない。
絶対に勝利し、
師に応えてみせるという一念が描かれている。
私は、これこそ「人間の真実」なのだと思います。
師を行動の根本に据えることが、
人生を、いかに強く、豊かに、
大きく転じていくことになるか。
インドの創価学会員もまた、
小説『新・人間革命』を学び、
実践する中で、
その師弟不二の精神に迫っているのでしょう。
創価の三代に貫かれた、
不惜身命の精神は、
時代や世界を超越して、
尽きることのない人類の希望となっているのです。
人類を結ぶ象徴
――今、学会が果たすべき役割とは何でしょうか。
私が、よく受ける質問があります。
“なぜガンジーは、武器を持つことなく、
インドの独立を果たすことができたのか”との問いです。
私は、
ガンジーが“人間の共通項”を見いだし、
ヒューマニズムの連帯を呼びかけたこととともに、
ガンジーが世界中に友人を持っていたことが
重要だと考えています。
ガンジーを応援する友人は、
国外にも多くいました。
また、ガンジーの優れた伝記は、
いずれもアメリカやイギリス、ドイツといった、
欧米の著者によって書かれています。
池田先生も海外の友人が多く、
世界での評価が、
むしろ本質を突いていることも多分にあると感じます。
私のように、信仰や立場は異なろうとも、
先生を師匠と仰ぎ、
評価する人は世界に大勢います。
先生の思想は、
今や世界中で研究される、
定評のある学問領域です。
先生の存在は、
一人の可能性を無限に信じ、
最大に鼓舞する師匠であると同時に、
「人類を結ぶ象徴」なのです。
創価学会が民衆を本当に幸福にするために、
現実の社会や政治にも関わり続けることで、
「平和の擁護者」という宗教本来の使命が果たされ、
宗教の価値が活気づいています。
大きなものは、
目の前にあると全容が見えない。
大きな山は、
遠くからしか視界に入れることはできないのです。
池田先生という存在は、
そういう目で見なければいけません。
改めて強調しますが、
先生ほど、
青年や女性を信頼し、
力を与え、
「未来の指導者」と信じて激励し続けた人を、
私はガンジー以外に知りません。
だからこそ、
私は、先生のことを「生きているガンジー」と呼ぶのです。
私は創価学会員ではありませんが、
マハトマ(偉大なる魂)の研究を重ねてきたからこそ、
ガンジーと池田先生、
両方の大山を視界に入れることができるのです。
ガンジーの思想は、
絶えず価値を創造しながら、
後世の人々の心に生き続けていく。
池田先生の思想もまた、
悲哀や絶望にも人生を諦めない人、
分断や不平等と勇敢に戦う人、
他者に対する責任ある生き方を貫く人
――そうした無名の民衆の行動の中に、
厳然と生き続けていくのです。
先生の本を読んでください。
先生の偉大さを、
今以上に知ってください。
それが人類に変革をもたらします。
1年や2年の戦いではないのです。
先生という存在を知って以来、
私にとって、先生を学ぶことそのものが、
人生の大きな喜びとなっています。
それは、
「人生とは何か」に迫りつつ、
「人生とは、かけがえのない贈り物」であることを発見する、
師弟の旅路です。
私たちは、
この21世紀が、
戦争や暴力がなく、
人類が一つになり、
地球が平和と希望にあふれる世紀になると思ってきました。
しかし、
その最初の四半世紀は、
世界が未知の不安に襲われた時代であったと
歴史書には書かれざるを得ない。
ですが、
私たちは全てを「変毒為薬」していけるに違いありません。
そして、
将来の歴史書には、こう描かれるはずです。
21世紀は、
池田先生の価値創造のリーダーシップと
その思想を受け継ぐ弟子たちによって、
混迷の危機の時を
人道の時代へと転換した世紀であった、と。
誰一人も置き去りにしない、
人間主義の時代の到来には、
一人一人の変革が不可欠です。
それが人間革命の希望のメッセージです。
自他共の変革に挑み続けましょう。
池田先生の弟子であるために。
持続可能な平和のために。
そして、人類の未来のために。