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〈危機の時代を生きる〉

 コロナ後こそ気候変動対策の好機

 米ジョンズ・ホプキンス大学

 ヨハネス・アーパライネン教授

2021年9月29日

 

 地球温暖化を防ぐための国際会議「COP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)」が、コロナ禍による1年の延期を経て、10月31日から英国グラスゴーで開催される(11月12日まで)。コロナ禍は、もう一つの「危機」である気候変動にどう影響しているのか――。米ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院の「持続可能エネルギー政策イニシアチブ」所長であるヨハネス・アーパライネン教授にインタビューした。(聞き手=樹下智)

 

気温上昇を抑えるために都市封鎖を50年⁉

 

 ――国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が先月、最新の報告書を発表し、人間活動の影響で地球温暖化が進んでいることについて「疑う余地がない」と断定しました。グテーレス国連事務総長は、報告書は「人類への赤信号」だと警告し、COP26の成功を呼び掛けています。

  

 IPCCの報告書が明らかにしたのは、気候変動による衝撃が、私たちが当初予想していたよりも、はるかに早く、より深刻な被害をもたらしているという、紛れもない現実です。

  

 米国の西海岸では、酷暑と乾燥によって山火事がたびたび発生し、膨大な面積の森林が焼失しています。農業で生計を立てる人が多い国では、気候変動がもたらす干ばつが深刻な問題です。例えばインドでは、耕作に適さなくなった土地から、既に多くの人々が移住を強いられています。

  

 米国のマイアミイタリアのベネチアなど、海面水位の上昇が重大な問題になっている都市もあります。国土の大半が低地のバングラデシュでは、海面上昇と異常気象によって土地が失われ、“気候難民”が生まれています。次の20年から50年で、完全に海に沈むと予測されている小さな島国もあり、全人口の移住が実際に計画されています。

  

 二酸化炭素などの温室効果ガスを排出し続ければ、こうした問題が一層深刻化し、南極の氷床が解け、海面が急上昇するという、取り返しのつかない「ティッピングポイント(転換点)」を、人類は迎えることになります。水や食料などの資源が枯渇し、人々は生活できる場所を追われます。大規模な移民の発生によって、世界はより敵意に満ちたものになるでしょう。

  

 ――昨年からのコロナ禍によって世界の経済活動は停滞し、温室効果ガスの排出量は大きく減少しました。教授はコロナ後の気候・エネルギー政策について分析した論考で、先ほど述べたような危機を防ぐには、同規模の経済停滞が今後50年間、定期的に繰り返される必要があると論じています。

  

 昨年は一昨年と比べ、温室効果ガスの排出量が世界全体で4%から8%減少したと推測されています。これほど急激に減ったのは、冷戦後初めてのことです。

  

 科学者たちは、2070年までに温室効果ガスのネットゼロ(排出量から吸収量を差し引いて実質ゼロ)を実現すれば、3分の2の確率で、産業革命以降の地球の気温上昇を2度以内に抑えられるとしています。“コロナ禍級”の経済停滞を、半世紀にわたって何度も続けなければ、この目標は達成できないのです。

  

 当然、ロックダウン(都市封鎖)を続けるのは非現実的であり、各国経済は通常に戻りつつあります。そうした中、2021年の温室効果ガスの排出量は、コロナ危機前の19年よりも増えると予想されています。

  

 極端な経済停滞なしで気候変動を緩和するには、さまざまな方法が考えられます。

 一つは、再生可能エネルギーの拡大や原子力発電を利用し、エネルギー生産時の二酸化炭素の排出量を、可能な限り減らすことです。

 さらに、電気自動車など新しい技術を駆使して、産業を「脱炭素化」させる必要があります。

 そして、森林破壊を止めることです。

  

 しかし、これら全てを実践しても、地球の温暖化を2度以内に抑えることはできないでしょう。

 過去に排出された二酸化炭素を吸収する「ネガティブエミッション(負の排出)」が不可欠です。大気中の二酸化炭素を直接吸収して地中に埋める技術などが、それに当たります。

 

昨年10月の脱炭素宣言で面目を保った日本

 

 ――教授は同論考で、「2019年が『気候変動の年』だったとすれば、2020年は、気候変動に関心が寄せられなかった『パンデミック(世界的大流行)の年』だ」と記しています。

  

 私たちは一昨年、熱波や山火事など気候変動が与える深刻な影響を、実際に目の当たりにしました。また、スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリさんから始まった抗議運動が全世界に広がり、気候変動への関心は、かつてないほど高まりました(一昨年9月のストライキは、160カ国以上で約400万人が参加)。

  

 一方、昨年は新型コロナのパンデミックが世界を襲い、人々の関心は“コロナ一色”になりました。ただ、私がその論考を執筆した昨年8月ごろまではそうでしたが、驚くべきことに、気候変動への関心は決して衰えてはいませんでした。

  

 例えば、

 昨年9月、中国2060年までにカーボンニュートラル(温室効果ガスの排出量から吸収量を差し引いてネットゼロにする「炭素中立」)の達成を目指すと宣言。

 続いて日本が10月、2050年までに、カーボンニュートラルを実現した脱炭素社会を目指すと表明しました。当時、発足したばかりの新政権が、脱炭素社会の声明を出していなければ、日本の面目は保たれなかったでしょう。韓国も同月、2050年カーボンニュートラルを宣言しました。

  

 米国では本年1月、バイデン大統領が就任初日にパリ協定に復帰する大統領令に署名し、2050年カーボンニュートラル目標を掲げました。これで、ほぼ全ての主要経済国が2050年までのネットゼロ宣言をしたことになります。

  

 ――教授は「パンデミック後の時代は、耐久性があって持続可能な世界経済を再構築するための非常に大きな機会を提供している」と論じています。その理由は何でしょうか。

  

 コロナ危機によって世界経済は深刻なダメージを受けました。各国政府は経済回復のために巨額の資金を投入しますが、その投資先を再生可能エネルギーなど脱炭素の分野に向けることで、経済成長と気候変動対策の両方を追求することができます。

  

 さらに、二酸化炭素を排出する化石燃料業界も、コロナ禍によるエネルギー需要の縮小によって損失を被りました。これを機に、化石燃料中心のエネルギー供給システムに依存する「カーボンロックイン」を脱して、再生可能エネルギーを中心とする代替システムに移行できれば、気候変動を緩和できる可能性は飛躍的に高くなります。

  

 今のところ、脱炭素の未来を実現できる具体的な計画と予算を公表しているのは、欧州連合(EU)のみです。他の国々は、目標は設定しても、どうやってそれを実現するのか、そのために予算をいくら割くのかなど、具体的な行動をまだ公表できていません。

  

 ――そうした意味でも、今秋のCOP26が注目されているのですね。

  

 気候変動という21世紀最大の「危機」を食い止めるために、私たちに残された時間はあまりにも限られています。コロナ禍という「危機」をチャンスに変えて、今すぐにでも、温室効果ガスの排出量を削減し始めなければなりません。

  

 新型コロナのパンデミック以来、初めて開催されるという点で、COP26は極めて重要です。今回の会議で、それぞれの締約国が、現状、どういった計画を持ち、実行しようとしているのかを確認し、目標達成のための新たな行動を約し合うことができなければ、人類の未来は暗いと言わざるを得ません。

 

「脱炭素」達成には市民の政治参画が鍵

 

 ――会議の一番のポイントは何でしょうか。

  

 COP26を通し、各国がそれぞれ定める温室効果ガスの削減目標「国が決定する貢献(NDC)」を、どこまで引き上げられるかです。

  

 パリ協定の前身である京都議定書は1997年、第3回締約国会議(COP3)で採択されました。しかし“トップダウン”で、先進国にのみ削減目標を課したため不評でした。

  

 長年にわたる交渉の末、2015年の第21回締約国会議(COP21)で採択されたパリ協定は、途上国も含め、それぞれの国が削減目標を決めるNDCが基盤になっています。いわば、各国の主権を尊重する“ボトムアップ”の協定です。

  

 パリ協定では、世界における今世紀末の、産業革命以降の平均気温上昇を2度(理想的には1・5度)に抑える目標が決まりました。1・5度に抑えるには、2050年までに世界全体でカーボンニュートラルを達成しなければなりません。どれだけの締約国が、これと整合性のある目標と計画を示せるかどうかが、COP26成功の鍵となります。

  

 途上国への資金援助も焦点の一つです。先進国が約束した年間1000億ドル(約11兆円)にまだ達していないため、途上国は怒りを隠していません。ここが改善しなければ、交渉が難航する恐れもあります。

  

 ――私たち一人一人の市民が、気候変動の緩和のためにできることは何でしょうか。

  

 ガソリン車ではなく電気自動車に乗る、

 あるいは、なるべく公共交通機関を利用するなど、二酸化炭素の排出を削減する方法はたくさんあります。

 食生活で肉の量を減らすのも、大きな効果があります(肉の生産の過程では、飼料の栽培や輸送などで多量の二酸化炭素が生まれる)。

 代わりに植物性食品を増やすのは、自身の健康にも、気候変動対策にも良いことです。

  

 しかし最も大事なのは、政治に参画することです。自分たちが選ぶ議員が、どうカーボンニュートラルを達成しようとしているのかを問うべきです。なぜなら、気候変動の問題は、エネルギー政策という社会全体のシステムを変えなければ、決して解決することができないからです。

  

 そうした意味で、日本政府が昨年10月に、2050年カーボンニュートラルを表明したことを私は高く評価しています。

  

 今後さらに重要なのは、目標ではなく具体的な行動です。2050年までではなく、2030年までに何をするかです。全ての主要経済国にとって、それが現在の焦点になっています。

  

 グレタさんをはじめ、世界中の若者が立ち上がり、大人たちに圧力を掛け、気候変動対策が世界的な潮流になりました。

  

 気候システムの崩壊は、今、私たちの目の前に現れてきています。未来の世代だけの問題ではないのです。目標を宣言するだけの期間はもう終わりました。私たちは、今すぐに行動しなければならないのです。

 

 Johannes Urpelainen フィンランドのタンペレ大学で国際関係学の修士課程を修了後、米ミシガン大学で政治学の博士号を取得。米コロンビア大学の准教授等を経て、現職。ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院で、エネルギー・資源・環境プログラムのディレクターとして研究と大学院生の指導に当たる。世界トップレベルのエネルギー・環境政策のエキスパートとして、インドをはじめ新興経済国で大規模な研究プロジェクトを主導し、地方政府や国際機関にアドバイスを重ねてきた。共著に『再生可能エネルギー(仮訳)』など。

 

〈Switch――共育のまなざし〉

 合唱運動が育む「心」とは

2021年9月27日

東京都合唱連盟理事長/合唱指揮者

 清水敬一氏 に聞く

歌う人と聴く人とが共につくる励まし合いの「場」をこれからも

 

  

 長引くコロナ禍の影響で、文化芸術活動が大きな打撃を受けています。「合唱運動」もその一つ。読者の中にも、地域のコーラスグループや大学・学校の合唱部などに所属している方がおられるでしょう。活動が制約されている今だからこそ改めて考えたい、「合唱運動の魅力や意義」とは何か。東京都合唱連盟の理事長であり、約20の合唱団の指揮者も務める清水敬一氏にインタビューをしました。(聞き手=大宮将之)

 

「非効率」の大切さ

 

 ――コロナ禍が本格化してから1年半。今、実感されていることは?

  

 合唱って「みんなで歌うこと」だけを指しているわけではないんですよね。みんなで集まって、世間話も含めて語り合って、練習や発表の場を通して人と人とがつながっていく……こうした営みが、どれほど自分にとって「心の栄養」になっていたか。そのことを実感している合唱関係者は僕も含めて多いでしょう。

 学校や職場以外で、みんなと一緒に何らかの目的に向かって一生懸命になれる場所があるって、人が豊かに生きる上でとても大事なことだと思うんですよ。「合唱」って子どもから大人まで誰もがすぐに参加できるでしょう? 僕は「村みたいなコーラス」という表現を好んでよく使うんですが、老若男女、上手な人もそうでない人も、いろんな人たちが集まっている世界が好きなんです。多様な人々がつながるきっかけをつくってくれるのが、「合唱」の一つの魅力ではないでしょうか。

  

 ――リアル(対面)の合唱運動が制約を受ける中、それでも「歌いたい」「つながりたい」と、オンライン練習を重ねている団体もあります。

  

 昔はできなかったことができるようになった――これは、素晴らしいことだと思います。その上で、だからこそ「リアルならではの良さ」を再確認したという人も多いはず。

 僕は大学で講師を務めているんですが、オンライン授業が多いし、東京都合唱連盟などの会議もオンラインで行われることがほとんど。チャットや画面共有の機能を使って、文字情報や写真を共有できるのは便利ですよね。あと、自宅からすぐに参加できるので、遅刻する人がいなくなったかな(笑い)。無駄話もできないから、予定時刻より早く終わることも少なくない。とっても「効率的」ですよね。

 けれど僕は、こう思っているんです。“文化的なものは非効率の中から生まれる”って。時間をかけて同じ場所に集まり、みんなで顔を合わせることも、そう。話が脱線したり時間を忘れておしゃべりしたりすることも、そう。そこから思いがけない方向に展開が転がったり、新しい発想が生まれたりすることがある。心も動く。そこから得られるもの、生まれるものがたくさんある。

 もちろん感染防止が第一ですが、合唱運動が制約を受けている今だからこそ、「非効率の大切さ」「リアルの素晴らしさ」が、より広く共有される機会になるといいですよね。

 

そろえなくていい?

 

 ――吹奏楽や舞踊などにおいても「リアルの意義」をかみ締めている人は、少なくありません。その上で「合唱ならではの魅力」は、どんなところにあると思われますか。

  

 合唱には歌詞があります。

 いわば「言葉のある音楽」です。言葉には意味があり、

 合唱は「意味を伝える力」を持っている。

 合唱を通じて皆と同じ気持ちを共有できる

 ――多くの人がイメージする魅力や意義は、このようなものではないでしょうか。

 けれど僕は少し違う。

 むしろ合唱とは「言葉で説明できない何か」と出合えることに、大きな意義があると思っているんです。

 それは聴く側だけでなく歌う側にとっても――。

 

 ハーモニーが美しいとか歌詞の意味が伝わったとか、これはまだ「言葉で説明できる」ものです。

 けれど人間の心を言葉で説明し尽くすことなど、本来はできないはず。

 瞬間瞬間、心は変化していて多面的。何らかの課題や困難に直面した時に「こうありたい」「こうすべき」と頭で分かっていても「とはいえ、できない」という迷いも内包している。

 相反することを同時に考えられるのが人間らしさでもあるんですよね。だから同じ歌詞に触れても、その時の置かれている状況によって、いろんな捉え方ができるわけです。

 それゆえに僕は合唱団の指揮や指導を任された時、団員の方々にこう言ってしまうんです。

 「みんなで気持ちをそろえなくてもいいんだよ」って。

 いつも「心を合わせて歌おう」と指導されていた人たちからすれば目が点になりますよね(苦笑い)。

 もちろん音程やリズムはそろっている方がいい。

 僕も一方的に「気持ちをそろえるな」と言っているわけではありません。

 けれど人間は一人一人、考え方や受け止め方が違う。

 だからこそ面白い。

 同じ歌詞であるにもかかわらず、受け止め方の違う人たちが集団で歌い、ハーモニーを響かせるからこそ、ソロ歌唱では表現できない“えも言われぬ感情”を聴く人たちに呼び起こすことができる――僕はそう思っています。

 

被災地のコンサート

 

 ――思い起こす取材があります。創価学会音楽隊「しなの合唱団」が東日本大震災の被災地で行ってきた「希望の絆」コンサートです。被災状況は人それぞれ。生活再建に向けた歩みの速度も違う。そんな方々が同じ歌、同じ歌詞に触れた時、ある人には亡き家族との思い出がよみがえり、ある人は離れた故郷を思い、ある人は復興への誓いを抱く……。さまざまな状況にある方々が、言葉にはできない自分の感情と向き合うことができる「合唱」という“場”の力を感じました。

  

 「希望の絆」コンサートは、合唱団の皆さん自身が被災者の方々から“受け取ったもの”も、とても大きかったのではないでしょうか。

 少しでも励ましたい、元気になってもらいたいと思って臨んだつもりが、むしろ合唱団の皆さんの方が励まされたり。

 「何のために歌うのか」

 「合唱とは何なのか」

 という問いを深く考える機会となったり――。

 僕が、しなの合唱団の指揮者の一人になってから15年以上になりますが、団員の皆さんは本当に真面目で一生懸命な方が多い。2007年の「全日本合唱コンクール」で僕が指揮を務めた時、「金賞」の受賞を喜び合ったことも懐かしいですね。

 しなの合唱団の皆さんも「希望の絆」コンサートをはじめ、さまざまなステージで感じてきたことがあるでしょうけれど、

 舞台上の合唱者と客席の方々の心がとけ合って、

 同時に“うねって”いく瞬間というのがあるんです

 僕は指揮者で客席を見ることはできないけれど、背中でその“うねり”を感じられるくらいの瞬間です。

 “あ! お客さんたちがこの合唱作品の世界に入り込んでくれたな”ってハッキリと分かるんですよね。その時、お客さんもまた、「演者」「表現者」の側になり、舞台上の合唱者たちの心をも動かしていくんです。

 そこで感じられるものもまた、先ほど申し上げた「言葉では説明できない何か」と言えるでしょう。

 それが双方にとって励ましとなったり、

 学びとなったり、

 気付きとなったりする。

 これは、無観客では絶対に生まれません。

 歌う側と聴く側が共につくりあげる“場”なんです。

 

 コロナ禍によって合唱コンクールや合唱祭などが中止・縮小を余儀なくされ、合唱活動が存続の危機にさらされているのは、皆さんもご存じの通りです。東京都合唱連盟として「合唱の灯を絶やさぬために!」と銘打ったクラウドファンディングも実施しています。全日本合唱連盟としても「合唱活動における新型コロナウイルス感染症拡大防止のガイドライン

https://jcanet.or.jp/news/COVID-19.htm)を策定し、普及に努めているところです。

 合唱の“場”をこれからも、未来まで――僕の願いは、ただそれだけです。

 

 しみず・けいいち 1959年、東京生まれ。早稲田大学卒。指揮法を遠藤雅古氏、V・フェルドブリル氏、合唱指揮を関屋晋氏にそれぞれ学ぶ。現在、約20の合唱団でタクト(指揮棒)を振り、合唱とオーケストラのための作品のコーラスマスターとして数多くの初演に関わってきた。2005年に開かれた第7回世界合唱シンポジウムでは講師を務めた。国内外の音楽祭、作曲コンクール・合唱コンクールの審査員を歴任。著書に『合唱指揮者という生き方』(アルテスパブリッシング)など。全日本合唱連盟理事およびJCDA日本合唱指揮者協会理事、東京芸術大学および同大学附属高等学校講師も務める。

 

〈危機の時代を生きる 創価学会ドクター部編〉

第6回 食べること、話すこと

2021年9月17日

咀しゃくを助け会話を楽しむ

「歯」は豊かな人生の礎

歯科医師 永目誠吾さん

 

 仏法では六根(眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚・認識器官)が清らかになると、正しい認識・判断・行動ができるようになると説く。さまざまな情報が飛び交うコロナ禍の中にあって、この法理に照らしたときに見えてくるものは何か。「危機の時代を生きる――創価学会ドクター部編」の第6回のテーマは、六根の中の「舌」。歯科医師の永目誠吾さんが、「食べること、話すこと」と題して執筆した寄稿を紹介する。

 

 口腔衛生の分野では今、新型コロナウイルス感染症の重症化と歯周病との関連性が指摘されています。

 ヨーロッパ歯周病学会は本年2月、新型コロナウイルスに感染した568人を対象にした調査結果を発表しました。この報告によれば、歯周病にかかっている人は、そうでない人に比べて、感染症による死亡リスクが8・81倍、集中治療室を要するケースが3・54倍、人工呼吸器などの補助を必要とするケースが4・57倍に及ぶという驚きの内容でした。

 以前から、歯周病がインフルエンザなどのウイルス感染のリスクを高めることは知られていました。歯周病菌が出す酵素が歯肉などの粘膜を傷つけ、ウイルスを侵入しやすくしてしまうのです。

 

歯周病は万病の元

 歯周病は、細菌の感染によって歯を支える骨や歯肉などが破壊されていく疾患です。

 本来、ヒトと共生関係にある口腔内の常在菌は、身体に悪影響を及ぼすことはありません。しかし、あまりにも数が多くなると歯周病となり、その歯周病が、循環器疾患などの全身疾患につながってしまうことが分かっています。古代ギリシャの医聖ヒポクラテスも、歯周病と全身疾患の関連性を指摘しています。

 歯周病は、万病の元といっても過言ではありません。

 誤嚥性肺炎も、その一つです。飲食物や唾液は飲み込むと、通常は食道を通って胃に運ばれますが、誤って気道に流れてしまうと、歯周病菌をはじめとする細菌が肺の中で繁殖し、炎症を起こしてしまうのです。特に免疫力が弱まった高齢者は、重症化しやすいことが分かっています。

 また歯周病が、アルツハイマー病や糖尿病、関節リウマチなどにも関係しているとの調査もあります。

 歯周病は「サイレントキラー」との別名を持ちますが、その進行を放置してしまえば、ある日突然、命に関わる重大な疾患を引き起こす恐れがあるのです。

 何より、歯周病は、歯を失う一番の要因です。

 年齢の「齢」という字には「歯」が用いられているように、古来、人々は歯を命の象徴として大切にしてきました。それは、生きていく上で大切なものだからです。「歯の一本くらいなくても」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、奥歯1本の喪失で、嚙む効率が40%も損なわれるというデータもあります。

 また、歯は単に食べ物を咀しゃくするためだけでなく、会話を楽しむなど、豊かな人生を送るための基礎となります。だからこそ、歯の喪失は社会生活に支障をきたしてしまいかねないのです。

 一方、歯周病は、正しくケアをすれば予防できる疾患です。そのためにも、定期的に歯科に通うことが大切ですが、多くの人にとっては、歯が痛くならない限り、なかなか足を運ばないというのが現実ではないでしょうか。

 あるアンケートでは、歯にトラブルがなくても定期的に歯科に通院する割合は、アメリカが76%であったのに対し、日本はその半分にとどまっています。

 その結果、日本では、55歳から64歳で歯周病の有病者率が82・5%。そして、60歳代で半分の歯を失い、80歳代では約半数の人が全ての歯を失っているのが現状です。

 

健康を守るために口腔を清潔に

歯磨き文化は仏教と関係

人間の口は言葉を生み

 その力で協力してきた

孤立進む今こそ心結ぶ対話を

 

 そもそも、自然界の動物には、虫歯などの歯科疾患は、基本的にありません。どうして、人間だけがこうした疾患に苦しむのでしょうか。

 それは、人間が自然界のものをそのまま食べるのではなく、火を使った加工食品を摂取するようになったからだと考えられています。日本においては、縄文時代から弥生時代にかけて虫歯が見られるようになり、江戸時代には欧州から砂糖が輸入されるようになったことで、虫歯になる人が増えたといわれています。

 

 では、歯科疾患を防ぐために、何を心掛ければよいのでしょうか

 そもそも、現代に生きる私たちの食生活を、自然界のものだけに切り替えることは難しいでしょう。しかし、

 

間食を控える

糖分を取り過ぎない」など、食習慣を見直すことはできます。

 

 また、

 よく嚙んで食べることも大切です。

 

 咀しゃくするほど唾液が分泌されますが、

 唾液には抗菌作用等があることが知られています。

 嚙むことで食べ物も細かくなるので消化にも良いですし、

 うま味も感じやすくなります。

 満腹中枢も刺激されるので、食べ過ぎを防ぐこともできます。

 

 その上で、

 最も重要なのは、歯磨きです。

 

 歯周病菌の生息場所は、

 歯と歯茎の間にあるポケットですので、

 そこを丁寧に磨き、

 しかし、それだけでは完全には除去し切れませんので、

 やはり定期的に歯科に通っていただくことをお勧めします。

 

 ◆◇◆ 

 実は、日本において、歯磨きの文化は、仏教の伝来とともに中国から伝わりました。それは「楊枝」です。これは現在使われている「つまようじ」ではなく、細い木の枝を嚙んで繊維状にし、それで歯を磨くという、いわば歯ブラシのようなものです。

 これも仏教と関わりがあり、釈尊は、弟子たちに“歯磨き”を勧めるとともに、弟子たちが喉を突かないよう、楊枝の長さまで定めたと伝えられています。

 実際、仏典(四分律)には、口の中をきれいにする効果が記されています。

 ①口臭がなくなる。

 ②味覚が良くなる。

 ③口の中の熱や痰を除く。

 ④食欲が出る――等です。

 

 歯や口腔を清潔に保つことが、健康を守る上で重要だと分かっていたのでしょう。

 

 また大智度論には、

 仏の優れた肉体的特長として

 「歯がそろっている(歯斉相)」などが挙げられ、

 経典にも「脣舌は赤好にして丹華の若く」(法華経14ページ)、

 「口の中より常に青蓮華の香を出だし」(同601ページ)など、口に関係する記述が見られます。

 日蓮大聖人も、容色の一つとして「白歯」(御書395ページ)を挙げられていますが、こうした白い歯や、赤い舌、口臭に煩わされないことなどは、現代においても憧れではないでしょうか。

 

進化から見る役割

 そもそも生物にとって、口腔には、どのような役割があるのでしょうか。ここで生物の進化から、口腔の機能について考えたいと思います。

 もともと生物は、細胞の分裂を繰り返す中で多細胞となり、大型化していきました。そして大型化した体を維持するためには、栄養補給が不可欠です。そこで細胞の一部が陥没して「口」ができ、ものを食べるようになりました。

 この食べるという行為は、常に危険が伴います。なぜなら自然界には、自らの身を守るために毒を持ったものも存在しており、それを取り込んでしまえば死んでしまうリスクもあるからです。そこで生物は、味覚器を発達させました。それが「舌」です。

 この舌は、動物が海から陸に上がって生活するようになってから、さらなる進化を遂げたと考えられています。

 海の中では、泳ぎながら口を開ければ、水の流れとともに食べ物を口に入れることができましたが、陸上では、そうはいきません。当時は、既にトンボなどの昆虫が陸上で暮らしており、そうした昆虫を捕らえるために舌が進化したと考えられているのです。これは、舌で獲物を捕まえるカエルやカメレオンなどを思い浮かべていただければ分かりやすいでしょう。そもそもは、発生学的には手や足と同じ特徴を持っており、「第三の手」とも呼ばれます。

 そして「歯」は、さまざまな食べ物を嚙み砕くために発達しました。

 総じて考えれば、口も舌も歯も、生物が獲物を食べていくため、生きていくために獲得してきたものなのです。

 

生物で異なる味覚

 生物の舌には、こうした進化の過程が詰まっています。

 人間が感じる

 

 味覚は、

 甘味

 酸味

 塩味

 苦味

 うま味

 

 ですが、

 この5種類とも水溶性で、逆に水に溶けないものの味は感じません。これは、人間の祖先が海で暮らしていたことが由来と考えられています。ちなみに、辛い物が好きという方もいらっしゃると思いますが、辛味は水に溶けないため、味としてではなく、痛みとして感じています。

 また、この味覚は、生物によっても感じ方が異なることが知られており、ネコは甘味を感じません。これは例えば、笹を好んで食べるパンダや、ユーカリの葉を食べるコアラなど、それぞれの置かれてきた環境や食習慣に合わせて、舌が進化してきたことを表しています。

 その上で、人間の舌は、ほかの生物にはない独特の進化を遂げました。それは、手のように器用な舌を使って口の中に多様な空間をつくり、言葉を生み出したことです。

 先ほど、舌は獲物を捕るために発達したと述べましたが、人間はそうした使い方ではなく、会話によって協力し合うことで、獲物を捕ることを選択したのです。こう考えると、会話とは、生きていくために必要不可欠なものだということが分かります。

 ◆◇◆ 

 言葉を操る人間の口は、心とも密接に関係しています。

 例えば、心の持ち方で、一部の方に味覚障害が現れることが分かっています。これは心が口に与える影響です。

 その逆もあります。最近はコロナ禍で会話の機会が減少しており、心の健康への影響が指摘されています。その原因として、会えない孤独感などが想定されますが、そもそも口を動かさないことが心に与える影響もあるのです。

 よく野球の試合で、ガムを嚙みながらプレーしている選手を見ますが、それは気持ちが落ち着くからです。実は、口をリズミカルに動かすことで、口内からは唾液が分泌されますが、脳では神経の興奮を静めてくれるセロトニンという物質が分泌されると考えられています。私たちが日々唱える題目が精神の安定につながることは、口の動きからだけでも言えると思います。

 

六根の中の「舌」

 さて、仏法では外界を認識する感覚を、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つとしており、「六根」と呼ばれます。そして、この六つが清らかになっていくことで得られるものを、功徳と捉えています。

 その中で、舌の功徳について、法華経では次の2点が挙げられています。

 一つは“何を食べても、おいしく感じられる”という味覚に関することです。歯磨きなどの心掛けで口腔環境が良くなれば、一つ一つの味も鮮明に感じられますし、口は心とも関係するからこそ、心が清らかになれば、さらにおいしく感じるということは科学的にも考えられます。

 もう一つは、声についてで「この舌で、大衆の中で演説するならば、深く妙なる声を出して、聞く人の心によく届き、皆を歓喜させ、気持ちよく、楽しくさせるであろう」(法華経543ページ、通解)と記されています。

 大聖人も「声仏事」(御書708ページ)と仰せの通り、仏法では声を大切にします。その声とは、人々を思う慈愛の励ましであり、民衆を不幸に陥れる思想をたたき切る正義の叫びであり、人類を結ぶ信念の対話ではないでしょうか。

 これは力を合わせて生きていくために舌があるという捉え方であり、まさに人間が進化の中で手に入れた口腔機能の本質を突くものでしょう。

 ◆◇◆ 

 現在、猛威を振るう新型コロナウイルスは、口から出る飛沫が主な感染経路となっており、会話を避けなければならない状況にあります。しかし、その結果、世界は分断し、社会の中で孤立化が進みました。人類は今、声の力を使って、どう人々をつないでいけるかの岐路に立たされていると思わずにはいられません。

 そうした中にあって、創価学会員は、感染対策に留意しながら、オンラインなども使って励ましを広げ、声の力で地道に人々を結んできました。この学会の言論闘争こそ、人間が人間であるために必要なものであると思います。

 私自身、その誉れの一員です。声の力を磨きに磨き、地域の同志と共に、身近なところから励ましを広げていきたいと決意しています。

 

 ながめ・せいご 1949年生まれ。歯学博士。大阪歯科大学歯学部卒業。同大学で口腔衛生学を教える傍ら、虫歯菌を防ぐ化学物質の研究などに従事。その成果が認められ、2013~15年に米ハーバード大学で学会発表。梅花女子大学看護保健学部口腔保健学科教授などを歴任。日本口腔衛生学会元理事。創価学会関西副ドクター部長。副区長。

 

〈危機の時代を生きる 創価学会ドクター部編〉

 

第5回「老」と歩む人生

2021年8月21日

 

バランスの良い運動・睡眠・食事

感染対策に留意し健康守る心掛けを

 

関西福祉科学大学

健康福祉学部教授

中村敏子さん

 

 コロナ禍は、「生老病死」という問題に、人類がいかに立ち向かうべきかを投げ掛けている。「危機の時代を生きる――創価学会ドクター部編」の第5回は、「生老病死」の「老」がテーマ。関西福祉科学大学健康福祉学部教授の中村敏子さんが「『老』と歩む人生」と題して執筆した寄稿を紹介する。

 

 人生100年時代といわれる昨今。医療の進歩などにより、日本人の寿命は、年々延びています。

 本年、WHO(世界保健機関)の統計では、「平均寿命」は84・3歳(男性は81・5歳、女性は86・9歳)と、世界で最も高いことが発表されました。平均寿命から寝たきりや認知症などの介護状態の期間を差し引いた「健康寿命」も延びており、74・1歳(男性は72・6歳、女性は75・5歳)と、これもまた世界一です。

 しかし、新型コロナウイルス感染症の流行によって自粛生活が続くことで、今後、この健康寿命に影響が及んでしまうことが、多くの専門家から指摘されています。その中にあって、一人でも多くの方々が健康長寿の人生を歩んでいけるよう、どう「老い」と向き合うべきかについて考えたいと思います。

 

細胞レベルの老化

 

 まず、なぜ老化が起こるのかについて、細胞レベルから説明します。

 私たちの身体を構成する一つ一つの細胞は、さまざまな要因で傷つき、そのたびに新しく分裂した細胞と入れ替わっています。しかし、その分裂も50回程度繰り返すと、それ以上、分裂できなくなることが知られています。若い頃は、細胞が頻繁に入れ替わるので、組織としての機能を保てるのですが、加齢とともに分裂が限界に達し、取り換えることができなくなると、組織の機能も低下してしまうのです。これが老化です。

 分裂のスピードには個人差があり、たとえ同じ日に生まれた人でも、年相応に見える人もいれば、年齢より若く見える人もいます。また、そのスピードは、臓器などによっても変わります。ですので、見た目は若くても、臓器の一部では老化が進んでいるということもあるのです。

 そうした違いを生む要因の一つが、活性酸素の存在です。

 活性酸素は、細胞を酸化、つまりさびさせるものですが、その活性酸素が体内に蓄積してしまうと、細胞の入れ替わるスピードが早まってしまうのです。この活性酸素は、呼吸をした際に吸い込む酸素の一部から生じることもありますし、たばこや車の排気ガス、紫外線や心的ストレスなども活性酸素の蓄積を誘発することが分かっています。

 生きている以上、呼吸をやめることはできませんが、喫煙を控えたり、抗酸化成分が含まれる果物や野菜などを食べたり、軽めの運動で体内に備わる抗酸化作用を増進させたりと、私たちの生活次第で活性酸素を必要以上に生じさせないことはできます。

 

生活習慣との関係

 

 近年では、こうした生活習慣の違いで、一人一人の健康寿命に差が出ることも知られています。私は以前、国立循環器病研究センターで高血圧や動脈硬化などの患者さんを診てきましたが、その中で感じたのも、そうした病態に一人一人の生活習慣が深く関係しているということでした。

 また、感染症や事故などで亡くなられる方を除いて、多くの方が死亡する要因となっているのは、喫煙や高血圧、低い身体活動、高血糖、高い食塩摂取など、生活習慣と結び付くものが主であると考えられています。生活習慣は、老化や病を引き起こすだけでなく、死亡するリスクにも直結しているのです。

 だからこそ、コロナ禍による自粛生活の中でも、感染対策に留意しつつ、バランスの良い運動、睡眠、食事を心掛けていただきたいと思います。

 

地域とつながり友のために歩く

学会の活動に長寿の智慧が

 

いくつになっても新しい発見・新しい感動を

老いを楽しみに変えるヒントは挑戦の心にあり

 

 運動で言えば、「老化は足から」という言葉もあります。体内で最も大きな筋肉が脚にあるため、歩く速度の低下などで老いを感じやすいことが理由です。加えて自宅にこもりっぱなしだと、筋力はすぐに衰えてしまいます。

 その上、運動不足は睡眠にも影響を与えます。年を取り、寝付きが悪くなったと言う人がいますが、この原因の多くが日中の活動量の少なさに起因します。良質な眠りには、日中に太陽の光を浴びることで体内に作られるメラトニンや、運動による、ほどよい疲れが不可欠です。

 運動しない間に失ってしまった筋肉を元に戻すには、その3倍もの時間が必要という調査もありますので、日頃から定期的な運動を取り入れていただきたいと思います。

 また、私は現在、大学で食生活と健康に関する研究を行っていますが、減塩意識も大切だと感じます。塩分の取り過ぎは高血圧の原因となります。高齢になるほど塩味を感じにくくなることから、無意識のうちに塩分過多になりやすいのですが、調理の際は量って入れるなど、摂取量を調整することが健康長寿につながりますので、ぜひ、実践してみてください。

 

「生」の充実のため

 

 さて現在、メディアなどでは、健康長寿のための食事法や運動法などが盛んに取り上げられています。その一方、老化を防ぐ「アンチエイジング」という言葉が象徴するように、老いそのものをネガティブに捉える風潮もあると感じるのは、私だけでしょうか。

 そもそも、誰人であれ、老いを遅らせることはできたとしても、老いそのものからは逃れることはできません。

 年を重ねれば、白髪やしわが増え、腰が曲がるなどの外見の変化が起きます。身体能力も衰え、走れなくなったり、目や耳が悪くなったりすることもあります。内臓機能の低下で、さまざまな疾患が生じることもあるでしょう。

 また、平均寿命と健康寿命の差が縮まってきているとはいえ、現在でも10年ほどの差があります。

 「老」を含め、生老病死の四苦は、釈尊が出家するきっかけとなった出来事であり、人生の根本問題です。この「老いる苦しみ」に目を背けていては、最期まで充実した「生」を歩んでいくことはできないと思うのです。

 

年齢を重ねる喜び

 

 なぜ、「老い」が「苦しみ」となってしまうのでしょうか。

 私はそこに、失う苦しみがあるからだと考えます。

 足腰が悪くなれば、行きたい場所があっても自由に行くことはできません。骨ももろくなるので、少しの段差であっても骨折する危険もあります。そうした中で、若い頃には“できていた”ことが“できなくなってしまう”という喪失感が、苦しみの原因となるのではないかと思うのです。

 しかし、目線を変えれば、失うものばかりでなく、実際には得られるものもあります。それは経験や知識、そして、そこから生まれる対応力です。

 私も医師になりたての頃は、今まで接したことがない症例の患者さんを診るたびにうろたえ、目の前のことに精いっぱいで、意見の異なる同僚と衝突することもありました。しかし、経験を重ねる中で心に余裕が生まれ、どんな患者さんでも冷静に診察でき、同僚の意見も受け入れられるようになっていきました。そうしたことから生まれる充実感は、年を重ねなければ、得られなかったと思います。

 年とともに、身体的な衰えという、いわば目に見える変化を感じる一方、人生経験や精神的な成長を重ねなければ見えないものもあります。そうした目には見えないものの中に、若い時には得られなかった新しい発見があり、感動があるものです。だからこそ、いくつになっても挑戦の心を持ち、新しい発見や新たにできることを増やしていく。そこに「老い」を「苦しみ」ではなく、「楽しみ」にするヒントがあると感じるのです。

 幼い頃は、年を重ねることが楽しみだった人も多いと思います。それは年齢とともに成長を感じ、まさに、できることが増えていく喜びがあったからではないでしょうか。

 

脳は発達し続ける

 

 実は、人間には年を重ねると衰えてしまう部分がある一方、心掛け次第で衰えないものもあります。それは脳です。

 よく老化によって物忘れが激しくなったという声を聞きますが、それは認知機能が低下したのではなく、不注意であることが往々にしてあります。人間の脳は、なるべく全体に負担をかけないよう、無意識にできることは無意識に行うようにつくられています。長い間、生きていれば、同じような動作も多くなるので、その分、無意識に行ってしまうのでしょう。

 厳密に言えば、脳細胞も老化を避けられないので、年とともに脳も萎縮し、機能が衰えることも事実ですが、近年の研究では、そうした中でも脳は新しい神経回路をつくり、いくつになっても機能を高められることが分かってきました。脳は刺激を与えた分だけ、発達し続けるのです。

 だからこそ、いくつになっても、若々しい気持ちで、挑戦していく心を忘れないことが大切なのです。

 

後悔しない日々を

 

 挑戦する心は、幸福感を得ていく上でも重要です。

 ある調査では、高齢期の幸福感を大きく左右するのは「後悔」であることが分かっています。これは、挑戦して失敗したという後悔ではなく、チャンスがあったのにやらなかったという後悔です。

 年齢を重ねるほど、やり直す機会も限られます。“私は勉強が苦手だ”とか、“この資格を取得するには遅い”とか、さまざまな感情もあると思いますが、やりたいことに挑戦できるチャンスがあるのなら、やってみることです。

 実は、こうした心の持ち方が、身体に変化を与えることが分かってきました。

 研究では、挑戦の息吹を失わず、やりがいを持っている人は、健康状態も良いことが明らかになっています。私自身、医療現場で患者さんを診ていても、将来に希望を抱いている人と、半ば諦めの心を持つ人とでは、治療への取り組み方も、その結果も大きな違いが生まれると感じます。

 その上で、挑戦する内容の一つとして、地域とのつながりを築こうとする努力も入れていただきたいと思います。

 800人を70年間追い続けた研究では、高齢期の幸福感は「人のつながり」と深く関わっていることが分かりました。また、地域や友人とのつながりの多い人は、認知症の発症リスクが低いことも知られています。

 友情を育むことは、幸福感を高めるだけでなく、健康にもつながるのです。

年は・わかうなり

 

 そうした点を踏まえると、創価学会の活動には、健康長寿の智慧が詰まっていると思えてなりません。

 御書に「年は・わかうなり」(1135ページ)、「月月・日日につより給へ」(1190ページ)とある通り、学会員は、常に新しい目標を掲げ、挑戦の息吹にあふれています。

 最近では、コロナ禍の中でオンラインの集いが行われるようになりました。家族や同志に教えてもらい、これまで苦手意識を持っていたスマートフォンの操作を学び、参加できるようになった方も多くいらっしゃいます。

 また、同志と励まし合いながら、地域とのつながりを築き、深める挑戦を続ける方もいます。地域のため、周囲の友のために歩くことは、筋力低下を防ぐ上で極めて有効です。話すことは、口腔機能や心肺機能を保つことにつながり、友の幸福を願って手紙を書くことは、認知機能の衰えを防ぎます。

 そして、学会には、老若男女が集う座談会があります。世間を見渡しても、生まれたばかりの赤ちゃんから高齢世代までが、一堂に会する機会などありません。そうした集いが定期的に行われ、高齢の方々にとっては、いつまでも若々しい気持ちでいることができます。

 何より、多宝会の大先輩は「長寿にして衆生を度せん」(法華経505ページ)との誓願のままに、いくつになっても笑顔を絶やさず、たとえ足が悪くなっても口があると、どんな状況に置かれても前を向いて広布に尽くされています。

 そうした姿は、“釈尊を25歳の青年とすれば、まるで人生経験豊かな100歳の人のよう”と記された「地涌の菩薩」そのものであり、ここに老いを楽しみに変える生き方があると痛感せずにはいられません。

 心が老いなければ、人は永遠に向上していける――この確信で、私自身、挑戦の心を失わず、同志と共に、老いを楽しんでいきたいと決意しています。

 

 なかむら・さとこ 医学博士。大阪市立大学大学院修了。国立循環器病研究センター高血圧・腎臓科医長などを経て現職。日本高血圧学会評議員・理事、日本腎臓学会評議員、日本未病システム学会評議員。創価学会関西副ドクター部長。支部副女性部長。

 

〈危機の時代を生きる〉 インタビュー 

一般財団法人

 日本総合研究所会長

 寺島実郎氏

2021年8月1日

 

仏教の“柔らかな多様性”が分断を超え「第三の道」開く

「小さな幸福」に留まらず「大きな希望」育む社会へ

 

 世界を知らずに、世界は変えられない――この一貫した姿勢で、世界と日本を捉えてきたのが寺島実郎氏(一般財団法人日本総合研究所会長、多摩大学学長)である。コロナ禍で浮き彫りになった課題や未来への展望を巡り、インタビューした。(聞き手=萩本秀樹、村上進、4月17日付)

 

GDPの推移

 

 ――近著『日本再生の基軸』やTOKYO MXをはじめとするメディア出演を通して、世界における日本を展望してこられました。コロナ禍をどう見ていますか。

  

 私は社会科学の世界で生きてきた人間ですから、まずは日本経済をGDP(国内総生産)という視点で捉えると、日本がどれだけ“埋没”しているかが分かります。

 日本のGDPの世界におけるシェアは、平成が始まる前年の1988年には16%でした。日本を除くアジアは、中国やインド、ASEAN(東南アジア諸国連合)などを合わせても6%ですから、日本はアジアの中で断トツの経済国家として、平成の時代を迎えたわけです。

 2000年になっても、日本のGDPは世界の14%を占め、その他のアジアは7%でした。それが2010年には、日本が7%まで急速に落ち込み、その他のアジアが17%です。この年は、中国が単独で日本を追い抜いた年でもあります。

 そして、コロナ禍の中の2020年のGDPは、日本のシェアが6%、日本を除くアジアは25%です。今後、コロナ禍のトンネルを抜けているであろう2030年には、日本のシェアは4%台に落ち込んでいるというのが、私の見立てです。

 「アジアの世紀」といわれる時代が確実に近づく中で、日本は明らかに存在感を失っているといえます。

 尺度としてのGDPの正当性を問う声もあるでしょうが、GDPは付加価値の総和です。日本国民が額に汗して、知恵を出しながら経済産業活動を展開し、創出した価値の大きさが、世界の中でこれほど“埋没”していると捉えることは重要と考えます。この現実を多くの人が自覚できていないことに対して、「健全な危機感」を持つべきであると私は思います。

  

 ――“健全な”危機感とは、悲壮感や諦めではなく、現実を直視しつつ、どうすれば打開できるかを模索する前向きさを生むものではないでしょうか。

  

 日本が置かれた状況に対して、多くの人が危機感を抱いていないのは、急速な復興と成長を遂げた戦後日本の残影を、今も引きずっているからです。産業力で外貨を稼ぎ、国を豊かにするという「工業生産力モデル」が、まだ機能しているとの重大な錯覚の中にいます。株価の上昇などで、“日本はうまくいっている”との感覚を、日本人が抱いていた側面もあります。

 しかし、世界の有識者らと議論をする中でも、日本の“埋没”は、すでに常識になりつつあります。まずはその事実に対する認識を、これからの議論の基盤に据えていくことが“健全な危機感”であると考えます。その上で、GDPを押し上げることはもちろんですが、それに限らず、世界の中で存在感を放ち、重要な役割を果たしうるために、どうすればよいのか。

 コロナ禍は、日本がすでに抱え込んでいた問題を、目に見える危機としてあぶり出しているといえるでしょう。

 

 ――これからの世界を、どのような視点で捉えるべきでしょうか。

 

 前提として、二つの時代認識を持つことが重要であると考えます。

 第一に、現代は、二極化という構図の中で論じられやすい時代であること。そして

 第二に、日本は「宗教なき時代」を生きているという認識です。

 「二極化」を象徴するのが、西洋文明を代表するアメリカと、東洋文明の中核である中国との分断です。“米中新冷戦の時代”とまで言われる緊張高まる現代にあって、日本には、その二項対立に引き込まれない「第三の道」を模索する役割が求められます。

 次に「宗教なき時代」は今に始まったのではなく、戦後日本にあって、宗教の受け止められ方は希薄であり続けました。もちろん、日本人に全く宗教心がないわけではなく、神社にお参りに行く、易や占いを信じるといった行動をとる人は一定数いますが、「心の基軸」として宗教を持つ人が少ないのが、長年の特徴です。

 あえて言うならば、戦後日本人の心の基軸となったのは、松下電器の創業者・松下幸之助さんが提起した「PHPの思想」だったと思います。

 「Peace and Happiness through Prosperity(豊かさを通じた幸福と平和)」という言葉は、繁栄すなわち経済成長が、幸福と平和をもたらすという、ある種の“希望”を国民に与えるものでした。しかし今、豊かになれば幸福と平和が訪れるという方程式は、もはや成り立ちません。加えて「宗教なき時代」です。このままでは日本は、GDP上だけではなく、心まで埋没してしまう――そう強い危機感を抱いています。

 

日蓮の時代

 

 ――日本再生の基軸の一つとして、仏教に着目されています。

  

 二項対立に分断されないよう視界を広げ、強い意志を持って「第三の道」を切り開くカギとなるのが、仏教に見られる、人間の苦悩や葛藤に迫りながら、深い精神性を追求する姿勢であると考えるからです。

 仏教の特徴は“柔らかな多様性”であると思いますが、それを理解する上で大切なのが「加上」――一つの思想は進化を重ねて、後の世になるほど加えられていくという考え方です。

 例えば、釈迦が説いた仏教は、その弟子や後進の求道者によって、多様な解釈と思索が加えられました。そうして発展を遂げた大乗仏教が、日本をはじめ世界に広く受け入れられてきました。全てを固定化するのではなく、深化させ、さらには弟子が師匠をも超えていく。それが仏教の深みであると理解しています。

 その中でも、日蓮の時代と生き方を知ることは、現代にも有益だと思います。当時、年表に「飢饉」「疫病」「強訴」「群盗」等の言葉が目につくほどに国は荒れ、さらには蒙古の襲来が日本に迫っていました。

 庶民の間に広まっていた仏教諸派は、鎮護国家(災難を鎮め国家を護ること)の思想でしたが、その内実は絶対的な存在に救済を求める“他力本願”であったわけです。それはそれで、“信じればいいことがある”といった原始的な仏教思想のパラダイム(規範)を、庶民のためへと転換した意義はあります。

 しかし日蓮は、さらなるパラダイムの転換を図ったわけです。日蓮は、日本の危機は「国難」であると受け止め、法華経への帰依を訴えました。

 法華経では、人間の外に人智を超越した存在を置くのではなく、自己の内に仏を見ます。そして日蓮は、鎌倉幕府に対して「立正安国」の重要性を主張していきました。仏教が国や政治に挑むなど、それまではあり得なかった状況の中で、日本の危機を語らずにはいられなかった、「法華経の行者」としての日蓮の深い自覚が感じられます。

 世の中を変えなければ、人間の幸福もないといった志向は、創価学会にも受け継がれています日本が世界の二極分断に吸い込まれかねない状況の中、創価学会には、柔らかくとも強靱な多様性を持って、「第三の道」を切り開いていくことを期待します。

 二項対立へと誘惑するポピュリズムや国家主義が台頭する現代にあって、これまで日本人が丁寧に培ってきた民主主義を、持ちこたえさせる精神的役割を担っていただきたい。

 

全体知への接近

 

 ――コロナ禍では、感染者数の推移といった部分的な数値ばかりが目に入りやすい現実があります。そうした「専門知」に対して、「全体知」を持つことの大切さを訴えられています。

  

 物事を一部の視点からしか捉えない「専門知」に埋没してもいけないし、それらを合わせた「総合知」に満足してもいけない。物事の全体像を見渡し、その本質を捉える「全体知」への接近を訴えています。

 全体知を理解するには、仏教の「空」の概念が分かりやすいと思います。「空」は「無」とは違います。むしろ、「空」は「ゼロ」に近いものです。インドにおけるゼロの発見が、近代科学の原点となっており、ゼロは無限大につながる概念です。

 同じように、あらゆる事物・事象を突き詰めると、その本質は、固定的な実体は存在しない「空」であるとの真理が、般若経典などに説かれています。つまり「空」も、無限の広がりを持っているといえる。

 私が言う「全体知」もまた、ある一点から立体的、多面的に物事の本質を見極めるような完全なる英知を指します。コロナ禍で求められているのは、この全体知に立った構想力であると思います。戦後日本の成功体験を引きずり、“何となくうまくいっている”と錯覚し続けてきた結果、日本人には、目先の価値や損得を求めるのが当たり前になってしまいました。

 「イマ・ココ・ワタシ」だけに関心を持ち、クーポンやポイントを集めてばかりいるような、自分だけの“小さな幸福”に沈潜しているのではないでしょうか。もっと広い視界から世界と日本を展望し、どうすれば人々に大きな希望と方向性を与えていけるのかを、議論すべきでしょう。

 

創価の社会学

 

 ――未来への希望を育む上で、宗教が果たすべき役割は何でしょうか。

  

 未来を構想する上で基盤となるのは、「イマ・ココ・ワタシ」という価値を超越する精神性です。そこに教育を通した人材育成の要点がありますし、広い意味で宗教が果たす役割があると思っています。

 戦後に経済至上主義が吹き荒れる中、創価学会は、競争にさらされる人々に希望を送りました。社会の中で困難を極める人たちも、信仰に生き、努力することで、人生が開けるのを経験した。それは「創価学会の社会学」ともいえる現象でした。そうした希望があったから、創価学会は今日まで、大きな組織として生き続けてきたのでしょう。

 今、これだけ時代が変わり、目に見えにくい貧困や差別、格差といった課題が生まれているからこそ、社会が抱える問題に向き合い、解決していくような、エネルギーに満ちた宗教が求められます。経済的価値の限界が露呈し、何を心のよりどころとしていいか分からない今日にあって、豊かな精神文化を支えるのが宗教です。創価学会に期待するのも、この点です。

 そして目先の状況に流されず、耐えながら、二項対立に陥らない強い姿勢は、仏教の「中道」(注=相対立する両極端のどちらにも執着せず偏らない見識・行動)の生き方に通じます。この生き方を確立するのは容易ではありません。

 だからこそ、立体的、多面的な視点から物事の本質を見極める全体知に立ったリーダーの存在が求められます。どんなに有能な野球選手でも、やはり監督がいるダッグアウトを振り返るものです。監督がどういう表情をして、どういう言葉を発するか。それが事態を動かしていくことは多くあります。

 そうした真のリーダーシップを発揮できる人を待望しつつ、私たち一人一人ができる行動を起こして、自分の周囲を踏み固めていくことが大切です。

 

 てらしま・じつろう 1947年、北海道生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。三井物産入社後、ワシントン事務所長、常務執行役員、三井物産戦略研究所所長などを歴任して現在、一般財団法人日本総合研究所会長、多摩大学学長。著書に『日本再生の基軸 平成の晩鐘と令和の本質的課題』『シルバー・デモクラシー』(以上、岩波書店)、『ジェロントロジー宣言』(NHK出版新書)等がある。TBS系列「サンデーモーニング」、TOKYO MX「寺島実郎の世界を知る力」などメディア出演多数。

 

〈危機の時代を生きる〉

 英オックスフォード大学

 マーガレット・マクミラン名誉教授

2021年8月5日

歴史の教訓から学び 新たな社会の建設を

 

 これまで人類は感染症の拡大や戦争など、さまざまな危機を経験してきた。私たちは、過去の歴史から何を学び、どうコロナ禍を乗り越えていけばいいのか。イギリス帝国現代史の大家であるオックスフォード大学名誉教授(カナダ・トロント大学教授)のマーガレット・マクミラン博士に、歴史家の視点から語ってもらった。博士は第1次世界大戦を主要な研究分野の一つとしており、同大戦の終戦時に英首相だったロイド・ジョージの曽孫に当たる。(聞き手=樹下智)

 

現代人の思い込み

 

 ――今回のコロナ禍と、ペストやスペイン風邪など過去の感染症のパンデミック(世界的大流行)の違いについて、どのように考えておられますか。

  

 まず申し上げたいのは、現代の私たちは、過去の人類に比べてリスクに不慣れになっていたということです。薬品や治療法の飛躍的な発達によって、がんやエイズなど、かつては治療不可能と考えられていた病気も克服できるようになりました。私たちは、どんな医療的困難が訪れたとしても、それを制御できると思い込んでいたのです。

 これに対し、14世紀の欧州では、医療は未発達であり、病気で命を落とすことは日常の出来事でした。ペストに襲われた当時の人々にとって、「死」は決して特別なものではなかったのです。人々は、どんなに努力しても治療できない病気があることを理解しており、突然の「死」に対して慣れていたわけです。

 スペイン風邪が猛威を振るった20世紀前半でも、現在と比べれば「死」はもっと身近な存在でした。

 腸チフスやコレラなどの疾病は一般的で、女性が出産で亡くなることも多くありました。若い人も老人と同じように突然亡くなりました。「死」は突然訪れるものであり、人間ができることは限られている――人々は、そう考えていたのだと思います。

 また、スペイン風邪が流行したのは、850万人が戦死した第1次世界大戦の終わり頃です。当時のパンデミックに関する証言や文学作品が少ないのは、戦争、革命、飢餓など、命に関わる他の動乱があまりにも大きかったからでしょう。パンデミックは、複合的な危機の一つでしかなかったのです。

 一方、医療が急速に発達した現代にあって、私たちは「死」を身近なものとして直視せず、リスクに対し不慣れになっていました。そうした中で新型コロナのパンデミックは、人間と社会の脆弱性を浮き彫りにしました。だからこそ、私たちは極めて大きな衝撃を受けたのだと思います。

   

 ――コロナ禍と過去のパンデミックとの類似点については、どうでしょうか。

  

 時間差はありましたが、これら過去の感染症も、欧州だけでなく中央アジアや中東など広範な地域に広がりました。

 また、人々の反応が多岐にわたったということも、大きな類似点であると思います。ペストに見舞われた中世欧州でも、病気の存在自体を否定する人からパニックを起こす人まで、さまざまでした。自分たちの身を守ることだけを考える人もいれば、ボランティアグループを結成して、互いに助け合う人々もいました。

 今回のコロナ禍でも、その危険性を疑問視する人から、懸命に感染抑止に協力する人など、さまざまな反応が見受けられます

 陰謀論が流行した点も、当時と今で共通しています。中世欧州では、陰謀論者がユダヤ人などのマイノリティー(少数派)に責任を押し付けました。

 今日も、事実に基づかない偽情報が蔓延し、パンデミックの原因を巡って、大国同士が互いに非難を繰り返しています。700年たっても、人間の本質というのは、たいして変わっていないのです。

 

国際的な協力と市民の参画が

人類の危機を乗り越える力に

 

  

自己満足と油断

 

 ――博士は論考「コロナ後の世界――歴史からの視点」の中で、第1次世界大戦など過去の危機とコロナ禍を比較し、三つの教訓を提示しています。

  ①現状に安心し油断する「自己満足」、

  ②自分と違う意見を受け入れない「狭い視野」、

  ③危機が過ぎるとすぐに以前の状態に戻ろうとする「経験から学ぼうとしない姿勢」です。

  

 とりわけ警戒しなければならないのは、「自己満足」に陥って油断してしまうことです。その危険性は、第1次世界大戦が勃発する過程が如実に表していて、コロナ禍に立ち向かう私たちも肝に銘じるべき点です。

 1914年に世界大戦が始まるまでの数年間、ボスニア危機(08年)、イタリア・トルコ戦争(11年)、バルカン戦争(12年と13年)と、いくつかの危機が続きました。列強諸国は、それぞれの危機をどうにか切り抜けることができましたが、“軍事力の威嚇だけでも効果はあるし、たとえ局所的な戦争に至ったとしても最後は話し合いで解決できる”という「油断」を生みました。

 第1次世界大戦の引き金となったオーストリア皇位継承者暗殺事件が起きた後でも、一般市民も含めた多くの人々が、“今回の危機も結局、以前の危機のように平和裏に終わるだろう”と考えていました。

 しかし武力をちらつかせた瀬戸際外交は、すでに脆弱だった欧州の国際秩序を突き崩し、自国の不利益を未然に防ぐための予防戦争へと列強諸国を駆り立てました。つまるところ、“今回も以前のようにうまくいくだろう”という「油断」が、かつてない規模の戦争へと人々を突き落とした要因の一つになりました。

 翻って、私たちが直面するコロナ禍はどうでしょうか。感染拡大初期に、“どうにかできるだろう”という「油断」が、死者数の多い各国政府にあったことは否めません。

 そしてワクチン接種が進んでいる今、私たちが懸念しなければならないのは、「結局のところ、すぐにワクチンが開発され、想像していたよりも犠牲者は少なかった。今回も何とかなった」と油断してしまうことです。

 私は疫学者ではありませんが、次のパンデミックはほぼ確実に起こると考えた方がいい。例えば5年後に、私たちが「あの時は大変だったね。でも、もう大丈夫」と振り返っているだけのような状況は避けなければなりません。

  

 ――博士は同論考で、戦争の歴史を振り返り、危機が社会の価値観を根本的に変革し得ると論じています。コロナ禍にも、そうした可能性はあるのでしょうか。

  

 パンデミックと戦争は別次元の話であり、安易に比較すべきではありませんが、ともに平時ではなく非常時であり、より大きな権力と独断的な措置が必要になる点は共通しています。そうした意味で、既成概念や社会の前提を変え得る要素をはらんでいるといえます。

 例えば先の大戦では、特定の職種に女性は就くべきではないという既成概念が覆りました。はっきりとは言えませんが、今回のコロナ危機においても、私たちが自分自身をどう捉えるのか、政府についてどう考えるのか、そして政府と市民がいかに協力していけるのか、そうした意識に根本的な変化が起こるのではないでしょうか。

 ある特定の人種コミュニティーがより甚大な被害を受けていることが示すように、コロナ禍は、不平等、格差、分断といった問題を改めて浮き彫りにしました。加えて、私たちの目の前には、気候変動、各国で増幅する偏狭な国家主義など、人類の行方を左右する大きな課題が山積しています。

 これらにうまく対応し、安定した国際社会を築くためには、社会の価値観と一人一人の行動の変革が求められているはずです。

  

 ――具体的に、どのような変革が望ましいと思われますか。

  

 私たちはコロナ禍を通して、人間は「協力」なしでは何もできないことを改めて知りました。政府がリーダーシップを発揮し、国民が「協力」できた社会は、死者数を少なく抑えられています。日本や韓国など東アジアの国々には、欧米諸国と比べ、強い共同体意識と社会的責任の感覚があります。政府の対応も効果的だったのでしょう。それが違いを生みました。

 一つ確かなのは、「個人主義」が危険をもたらすことを、欧米諸国が学んでいる点です。自分と家族のことだけを考える傾向が強い社会は、より大きなリスクにさらされる。私たちは、「協力」や「団結力」といった価値の重要性を、コロナ危機から学んでいます。

 政府の役割がいかに重要であるかも、私たちは再確認しました。都市封鎖をはじめ、生活支援、経済刺激策、ワクチン接種など、政府による大規模な施策なくして、感染症とは戦えません。大きな政府は成長の障害であり非効率的であるため、極力その役割を小さくするべきだという「新自由主義」の革命が、1980年代に始まりましたが、その潮流は終焉に向かいつつあります。危機に対応するには、「良い政府」が欠かせません。

 

問われる生き方

 ――今月、広島と長崎は原爆の投下から76年を迎えます。第2次世界大戦後、日本は平和を希求し、さまざまな形で国際社会の発展に貢献してきました。

  

 日本は、国際社会で非常に重要な役割を果たしています。私の母国カナダと同じように、国際機関、多国間主義を力強く支持し、国際秩序の構築と維持に多大な貢献をしています。これまでと同じように、共々に国際秩序を信じ、守っていってほしいと願います。

 各国が「協力」できる世界を実現しなければ、人類の未来はありません例えば気候変動の問題一つとっても、全ての国が協力できなければ、人類全体が被害を受けることになります。気候変動は既に紛争を生み、人々に移住を強い、多くの命を犠牲にしています。私たちが協力し、安定した世界を築く以外に、この問題を乗り越える道はないのです。

  

 ――気候変動などの地球的問題に対して、“普通の市民”ができることは限られている、と言う人もいます。

  

 “自分には、どうせ何もできないし、行動しても意味がない”と投げ出してしまうのは簡単です。しかし、危機に強い社会を築くために、私たちにできることが必ず何かあるはずです。地域の行事に関わること、気候変動のような社会問題の解決のために活動すること、あるいは政治に積極的に参画することなど、さまざまな方法があります

 一人一人の市民が、それぞれの道で積極的に関わっていかなければ、健全な社会は決して築けません。もちろん一人の力で全ての問題を解決できるわけではありません。だからといって、心のドアを閉めて、諦めてはいけないのです。 他者に対する一人一人の姿勢は、その社会の特質の醸成に寄与します。第1次世界大戦後の荒廃した欧州社会にあって、人々は心を閉ざし、他者を責め、独善的な国家主義が台頭しました。そして多国間の人的・経済的交流が衰退していき、やがて2度目の世界大戦へと突入していったのです。

 第1次大戦と第2次大戦の戦間期の教訓から学ぶべきは、“自分たちさえ良ければいい”という偏狭な国家主義にとらわれてしまえば、世界的な危機を解決できないどころか、危機が連鎖してしまうということです。

 コロナ危機から「良き変革」を生み出すのだとの希望を失わず、失敗からは謙虚に学び、決して油断せず次の危機に備える。冷戦後の新たな世界秩序がいまだ存在しない社会だからこそ、危機を乗り越えるための、私たち一人一人の生き方が問われているのではないでしょうか

 

 Margaret MacMillan カナダ・トロント出身。英首相ロイド・ジョージの曽孫。トロント大学で修士号を取得後、オックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジで博士号を取得。同大学の国際史教授、同カレッジ学長等を歴任し、名誉教授に就任した。現在は、トロント大学教授。ウエスタンオンタリオ大学など多数の大学から名誉学術称号を受章し、2018年には、英王室からコンパニオンズ・オブ・オナー勲章を授与された。第1次世界大戦後のパリ講和会議を描いた代表作『ピースメイカーズ』など多数の著書がある。 ©Canadian War Museum

 

〈私がつくる平和の文化Ⅲ〉

第6回

 同じ人間であるということ

 

 NPO法人 ホロコースト教育資料センター

理事長 石岡史子さん

2021年6月8日

 

 「私がつくる平和の文化Ⅲ」の第6回は、NPO法人「ホロコースト教育資料センター」(東京・品川区)理事長の石岡史子さんです。ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害の歴史を教材として、世界各地の学校で訪問授業を行い、平和教育を推進してきました。ホロコーストから学ぶ、差別や暴力のない世界の実現について話を聞きました。(取材=サダブラティまや、歌橋智也)

 

 ――石岡さんは、13歳でナチスの犠牲になった少女、ハンナ・ブレイディの実話を通して、ホロコーストの悲劇を伝える活動を20年以上、続けておられます。

  

 ハンナはチェコ共和国の町、ノブ・メストで生まれ育ったごく普通の少女です。私は、彼女の遺品である旅行用の「かばん」を使って、子どもたちと命や人権の大切さについて語り合ってきました。

 第2次世界大戦中、ナチス・ドイツとその占領下のヨーロッパでは、“ユダヤ人である”というだけの理由で、600万人が迫害され、命を奪われました。そのうち、約150万人は子どもたちです。

 なぜ、ホロコーストは起きたのか。私は、その歴史を学び、生存者から話を聞くにつれて、異なる民族や宗教、習慣などを受け入れることができない「人間の弱さ」が生み出したものだと深く考えさせられたのです。このことを子どもたちと学びたいと思い、1998年に「ホロコースト教育資料センター」を開設しました。

 

 ――ハンナの「かばん」とは、どのように“出会った”のでしょうか。

  

 当初、センターには小さな展示室がありました。そこには、ホロコーストに関する白黒の写真があるだけでしたが、どこか遠い国の話に思えるし、怖いと感じる子どもたちもいました。何か形のあるものがあれば、当時のことを考える手掛かりになると思い、世界中のホロコースト博物館に手紙を書き、遺品の貸し出しをお願いしたのです。

 当然、良い返事はすぐには得られませんでしたが、諦めきれず、99年秋、ポーランドのアウシュビッツ博物館を訪問。直談判をすると、3カ月後、五つの品が届きました。子どものくつ、くつ下、小さなセーター、毒ガスの空き缶、そして、ハンナのかばんでした。

 

痛みを分かち合う勇気と想像力

 

 大きな茶色い革のかばんには、「ハンナ・ブレイディ 1931年5月16日生まれ 孤児」と白いペンキで書かれていました。センターで一緒に学んでいた子どもたちから、“ハンナって誰?”“どこに連れて行かれたの?”と質問が寄せられます。でも、持ち主について分かっていることは何一つない。私は、子どもたちの“知りたい”という純粋な思いに応えたい一心で、ハンナ探しを始めたのです。

  

 ――しばらくして、ハンナはチェコのテレジン収容所にいて、44年にアウシュビッツのガス室で亡くなったという貴重な情報が入ってきます。

  

 ハンナの手掛かりをつかむためには、実際にテレジンに行くしかないと思い、現地に渡りました。

 テレジン博物館で資料を見せてもらうと、ハンナの名前と共に、「ジョージ」という3歳上の兄の名前があり、しかも、ホロコーストを生き延びたことが記されていたのです。さらに、博物館の方の尽力で、ジョージさんを知る方にも会うことができ、カナダで暮らしていることまで分かったのです。信じられない展開でした。歴史を風化させないために、第1次資料をきちんと残すヨーロッパの姿勢に学ばされました。

 日本に帰国後、早速、この事実を子どもたちに伝え、ジョージさんに手紙を書きました。あなたの妹ハンナの「かばん」が日本にあって、それを通して子どもたちが歴史を学んでいると。

 すると、ジョージさんから手紙の返事と共に、5枚の写真が送られてきたのです。そこには、ほおのふっくらした、かわいらしいハンナの姿が写っていたのです。「この子がハンナだ!」と思わず大声を上げました。

 

 ――手紙の交流がきっかけで、2001年3月にジョージさんは来日。57年ぶりに「かばん」と対面しました。この奇跡の物語は翌年、『ハンナのかばん――アウシュビッツからのメッセージ』(ポプラ社)として出版され、今も40カ国45言語で親しまれています。

  

 ハンナは、どこにでもいる、普通の少女です。スケートが好きで、明るく元気な心優しい女の子だったそうです。アンネ・フランクのように、日記を残したわけでもなければ、言葉の力があったわけでもありません。

 でも、ハンナという少女を通して、それまで歴史の中の出来事だったことが、一人の生身の人間に起きた悲劇として、身近に感じることができる。もっと生きたいと願った“無数のハンナ”が世界中にいることを思い起こさせてくれる。彼女の“普通さ”が、多くの人の心を結び、共感を呼んでいるのだと思います。

 ジョージさんは来日した折、子どもたちに涙ながらに語ってくれました。

 “半世紀以上たっても癒やすことのできない大きな悲しみ。それがハンナでした。でも、きょうの私とハンナの再会を、皆さんのような未来をつくっていく若い方々が見守ってくれていることに、大きな希望を感じます”と。

 

僕はヒトラーに勝った

 ――子どもたちや青年世代に、過去の歴史を正しく伝えていく教育の大切さを痛感します。

  

 私は、ジョージさんが19年に亡くなるまで交流を続けましたが、生前こんな話を聞いたことがあります。

 ジョージさんは、娘のララ・ハンナさんが14歳だった時、2人で、戦後初めてアウシュビッツを再訪しました。強制収容所跡に立った時、まだ若いララさんには、ちょっと怖かったようです。その様子を見たジョージさんは、「大丈夫。もうこんな場所に来るのは最後だから」と伝えたそうです。

 すると、ララさんは答えました。「パパにとっては最後かもしれないけど、私は自分に子どもが生まれたら、必ずここに連れてくるから」と。その言葉を聞いて、ララさんのように未来ある若者をアウシュビッツに連れてこられたことに、「僕はヒトラーに勝った」と思えたそうです。

 

過去に未来へのヒント

 

 ――力強いお話です。日本のような国で、ホロコーストを学ぶ意義をどう捉えていますか。

   

 ジョージさんは、日本の子どもたちに、さらにこう語り掛けてくれました。「この世界はまだ、差別や偏見、争いが絶えません。皆さん一人一人が21世紀に平和をつくりだしてくれることを信じています。あなたができることを考えてみてください」と。

 “ホロコースト”と聞くと、収容所や遺体の山を連想しがちですが、決して、そこから始まったわけではないんです。ある日突然、ガス室ができたのではなく、ユダヤ人を「他者」と見なして線引きするところから始まった。同性愛者や障がい者も、その標的になりました。

 人間が他の人間にレッテルを貼り、排除することの恐ろしさ。それは、今の日本社会や、普段の生活の中でも、見受けられることではないでしょうか。いじめも、根っこにある構図は似ているという声が、子どもたちから出ることもあります。私は「かばん」という何気ない日常の品から、誰かの痛みを自分のこととして捉える、たくましい想像力を子どもたちと共に育みたいのです。

 ホロコーストという悲劇を入り口にして、“私たちの社会にも似たようなことはないか”と問いを投げ掛け、みんなで思索し、対話していく場所を、これからもつくっていきたいと思っています。

 

 ――過去の学びを通し、自分自身を見つめていくこと。それが、平和の心を育む第一歩につながるということでしょうか。

   

 ジョージさんの右腕には、アウシュビッツで刻まれた「B11498」という入れ墨の番号が入っています。彼はそれを生涯、消すことはありませんでした。“この番号を見ると、どんなにつらいことも、へっちゃらに思えるんだ”と話していました。どれほどの苦しみがあったか、想像するに余りあります。

 ジョージさんのようにアウシュビッツを生き延びた人たちから出る、「差別はいけない」という言葉の重み。それを受け止め、平和な社会を築くには、どうしたらいいのか――。

 私は、人間が生きていく上で、“愛情”や“希望”といった美しいものは、絶対に必要だと思います。でも、それだけでは足りないとも感じるのです。もう一歩、積極的に、“自分は傍観者になってはいなかったか”“自分には何ができるのか”と、振り返ったり、反省したりする中に、平和の心は育まれていくのではないでしょうか。でも、それは勇気のいることだし、一人でやると、苦しいですよね。だからこそ、話し合える“問いづくりの場”をつくり続けたい。過去と向き合い、そこから学ぶこと。それは、より良い「未来へのヒント」を導き出すためなんだということを、みんなで共有していきたいのです。

 

 いしおか・ふみこ 東京都生まれ。英国リーズ大学院修士課程修了。1997年、「アンネ・フランクの会」事務局次長、98年NPO法人「ホロコースト教育資料センター」(愛称Kokoro)理事長に就任。「ハンナのかばん」を題材にして、国内外の学校で訪問授業を行ってきた活動に対して、カナダのヨーク大学から名誉博士号、米国ワシントン大学から特別功労賞が授与。現在、愛知教育大学非常勤講師。著書に『「ホロコーストの記憶」を歩く』(共著)、『ハンナのかばん――アウシュビッツからのメッセージ』(翻訳)がある。

 

 歴史を学ぶことは、自らの生き方を探求することである。そして、歴史を学ぶことによって、人間は自らを高め、外なる権力や内なる感情などに左右されることのない、聡明な自分自身を築きゆく一歩を踏み出すことができるのです。

  池田 大作  

 (対談集『人間勝利の春秋――歴史と人生と教育を語る』から)

 

◆ 「平和の文化」とは ◆

 国連は1999年に「平和の文化に関する宣言及び行動計画」を採択し、生命の尊重、教育・対話や協力を通した非暴力の実践、環境の保護、男女の平等や人権に基づいた価値観、態度や振る舞いを「平和の文化」として推進しています。「平和の文化」は、日々のあらゆる場面で、異なる人や考え方に寛容になり、対話によって理解し、対立を乗り越え、連帯を広げていくという、私たち一人一人の生き方の変革から始まります。

 

〈危機の時代を生きる〉

 災害と災害の「間」を生きる

 ゆえに「準備」を常に怠らず

2021年5月21日

インタビュー

国際日本文化研究センター教授

歴史学者

磯田道史さん

 

「勝負の十年」

 

 感染症のパンデミック(世界的大流行)という未曽有の事態と向き合う今、長い時間軸で物事を見つめる歴史の視点から、多くの教訓が得られるのではないか。歴史学者の磯田道史・国際日本文化研究センター教授にインタビューをした。(聞き手=志村清志、村上進)

 

国民の安全保障

 ――磯田教授はこれまで日本における自然災害の歴史を詳細に研究され、昨年来、感染症についても多角的な発信をされています。「災害多発時代」ともいうべき今日の日本社会をどう見ているでしょうか。

  

 人間が地球環境に過度な影響を及ぼすようになった今日、頻発し、激甚化する自然災害に対して、私たちの弱さが露呈しているといえます。その意味で、人類は災害との向き合い方を見つめ直す必要があるでしょう。

 特に、自然災害が昔から周期的に発生してきた日本においては「災後」というものはなく、私たちは常に「災間」(災害と災害の間)を生きている、という認識が適切だと考えます。

 感染症についても同様です。環境破壊が進み、大量かつ短時間での人の移動が可能になった現代は、新しい感染症がいつ現れてもおかしくない。私たちは「疫間」を生きているのです。

 「後=アフター」ではなく「間=ビトウィーン」、つまり「次の災害は来る」という視点に立つ時、必然的に「準備」という考え方が生じます。災害の場合、人類の力でなくすことはできませんが、備えることで「減災」は可能です。

 一方、戦争や紛争は、災害とは違い、人間の意思で起こるため、私たちの努力でなくすことができる。そのために、軍縮や予防外交といった備えに尽力する姿勢が、人間の本筋の生き方といえるでしょう。

 「戦争は周期的に発生する」=「戦間」という発想に陥らないように慎み、「戦争を二度と起こさない」=「戦後」にしてみせるという希望を持ち続ける社会に転換できるかどうか。21世紀を生きる私たちの課題といえます。

 いずれにしても「間」という視点を常に意識して、未来に向けて「準備」をする。そう考えると、コロナ禍を機に、例えば「国防」の考え方なども変わるのではないかと思います。

 従来、国防とは、領土・国境、国の中枢を防衛する「国家の安全保障」が中心となってきましたが、それだけでは、災害や感染症に対峙することは難しい。私たちは、新型コロナの流行初期のマスク不足や、現在のワクチン接種などのように、国民の命や生活を守るために何が必要かを痛感したと思います。国民個人の人命を守る「国民の安全保障」が、これからの国防思想上の重要なポイントとなるでしょう。

 

――磯田教授は近著『感染症の日本史』等でも、歴史から今を生きる知恵を学ぶことの重要性を訴えられています。

 

 災害や疫病は、個人の記憶の範囲を超えた周期で経験する場合が多いため、個々人の心の持ち様も含めて、その準備が簡単ではないという側面があります。今回のコロナ禍も、ほとんどの人にとって“未知の事態”だったため、さまざまな混乱が生じました。

 正確な情報がゼロに等しい状況下で、対処法を選択するためには、過去の事例から類推するしかない。その時、長い時間軸をもって物事を捉える歴史学の視点が役に立つわけです。

 

 今回のコロナ禍を考える上でも、20世紀前半に発生したスペイン風邪の事例が“参考例”となりました。

 私の学問の師匠であり、社会経済史の第一人者であった速水融先生は、晩年、先行研究がほとんどされていなかったスペイン風邪の調査を行い、『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』を著しました。

 それによると、1918年から20年にかけて流行したスペイン風邪は、世界で約4000万人以上もの命を奪ったとされます。日本では、3、4回の感染の波があり、約45万人が亡くなりました。

 スペイン風邪の時と現在の感染防止策を比較してみると、手洗いを除き、うがいの励行やマスク着用など多くの共通項を見いだせます。今、多くの国が外出禁止や都市封鎖を強制的に実施する中、日本は“要請と自粛”のみで感染拡大を防いでいますが、この傾向も、スペイン風邪の頃と変わっていません。

 その背景として、日本特有の「ゾーニング(区分け)文化」が挙げられます。多くの日本人は、靴は玄関で脱ぎ、コートは入り口近くに掛けておくなど、「内と外」を峻別して生活する習慣があります。こうした個人レベルにおける清潔意識の高さが、感染を抑制している面があるでしょう。

 一方で、その意識の高さが、感染者や医療従事者への差別として働く場合もあります。スペイン風邪の頃から続く課題です。

 「感染=悪」とする異様な雰囲気が強まれば、感染の隠蔽を促し、さらなる感染を助長する恐れもあります。まさに「百害あって一利なし」です。

 また、世界中で猛威を振るったスペイン風邪ですが、不思議なことに、日本ではその後、人々に忘れ去られてしまいます。

 スペイン風邪によって、日本の風景はさほど変わりませんでしたが、収束後の1923年に発生した関東大震災、さらにその後の第2次世界大戦によって、日本の風景は一変しました。そのインパクトがあまりに大きく、スペイン風邪は人々の記憶から消え去ってしまったのです。

 ゆえに、残念ながら、日本は感染症の教訓を十分に学ぶことができませんでした。そのこと自体が、一つの教訓といえます。

 

患者史の役割

 ――現在、私たちが体験している感染症の教訓を、後世へ伝え残すためにも、歴史学の果たす役割は大きいように感じます。

  

 私は、歴史学者として、「誰から見た歴史なのか」を大切にしてきました。

 一般に「歴史」と聞くと、政治史や外交史といった、為政者や権力者の歴史を連想しがちですが、私は、それらの記録から抜け落ちてきた「庶民」に光を当ててきました。

 “歴史は細部に宿る”といわれますが、当時の一庶民が何を考え、どのような生活を送っていたかを探究する中で、その時代の普遍的な本質を見いだせる場合があるからです。

 感染症の場合、単に医療だけの問題ではなく、当時の人々の感情や社会状況も関連します。そのため、感染症の教訓を学ぶには、医療史や疾病史に加えて、患者側から見た「患者史」が重要であると考えます。

 コロナ禍になって以降、毎日、感染者数・死亡者数が報道されています。私たちは、どうしても数値ばかりに目がいきがちですが、その数字一つ一つには、多様なストーリーが含まれています。いつ・どこで感染したか、どのくらい症状が続いたか、どのような予防対策を行ったのか――そうした経験の蓄積には、後世に生かせる具体的な教訓が詰まっているのです。

 最近になって、スペイン風邪の渦中を過ごした京都の女学生の日記が発見されました。そこには、感染症に対する不安や恐怖、身近な親族を亡くした悲しみなどが率直につづられています。パンデミックの実像を知る上で貴重な史料といえます。

 また、志賀直哉の小説「流行感冒」は、スペイン風邪にかかった自身の体験をもとに書かれています。作品中、志賀自身をモチーフにしたとされる主人公は、こっそりと芝居を見にいったお手伝いさんに対して“自粛警察”のような行動を取ってしまいます。その後、自らがスペイン風邪にかかり、以前の言動を反省し、物語は終わります。危機的状況であっても他者への配慮を失ってはいけないという思いが伝わってきます。

 このような個別具体的な「ミクロヒストリー」と、統計データなどから導き出される「マクロヒストリー」を組み合わせることで、感染症という事象を立体的に描き出すことができ、教訓として継承されていくのだと思います。

 特にSNSが普及した現代にあっては、個人の記録がアーカイブされやすい。誰もが感染症の脅威に立ち向かっているという意味では、私たち一人一人が患者史の“担い手”になり得るわけです。言い換えれば、コロナ禍の中での私たちの経験を生かしていくことが、そのまま未来の安全につながるということになります。

 パンデミックという人類史に残る期間をリアルタイムで経験しているからこそ、そうした一日一日を大切に生きていきたいと思います。

 

せめぎ合いの時代

 ――感染症の流行を経験した社会は、今後、どのような変化を迎えるのでしょうか。

  

 歴史をひもとくと、パンデミックの後の社会は、良い方向にも悪い方向にも振れる可能性があります。

 14世紀にまん延したペスト(黒死病)の後、ヨーロッパでルネサンスが興隆したという例もありますが、それだけで「感染症の後には、社会は良い方向に転換する」と簡単に結論づけるのは難しい。歴史は、さまざまな要素が複雑に絡み合って形成されており、些細な出来事であっても、事態が大きく変わってしまう場合があるからです。

 その象徴的な例が、スペイン風邪の世界的な大流行によって、終結が早まったとされる第1次世界大戦とその後の状況です。

 講和会議の場で、戦勝国のイギリスやフランスは、自国の経済再建のため、敗戦国ドイツに対して莫大な賠償金を要求しました。対して、アメリカのウィルソン大統領は、世界平和のために敗戦国に過酷な賠償責任を課すべきではないと考えていました。

 そんな中、ウィルソンがスペイン風邪に倒れてしまい、会議に参加できなくなります。この間、議論は大きく進んでしまい、結果的に、ドイツは多大な賠償金を負担することになりました。やがて経済危機に陥ったドイツでは、ヒトラー率いるナチスが勢力を伸ばし、ファシズム体制を樹立。他国への侵略を契機に、第2次世界大戦が勃発するわけです。

 このように、パンデミック後の社会は、多くの死を経験していることもあり、人心が荒廃し、極端な方向に走りやすい。これからの世界は「危ない橋」を渡るような不確実性の高い状況、すなわち、良い方向にも悪い方向にも変わり得る「せめぎ合いの時代」が続くと予想されます。その意味でも、これからの10年は、人類の意志と行動が試される「勝負の10年」といっても過言ではありません。

  

 ――社会や国家が極端な方向に走らず、コロナ禍を乗り越えるためには、何が必要でしょうか。

  

 今回のコロナ禍で、今日のグローバル社会には「他人事」が存在しないということが分かったと思います。感染症の場合、一部の地域に、医療の空白が生じれば、その分、抑制が難航します。世界各国が、自国優先主義だけに傾かず、コロナ禍という共通の課題に対して連帯できるかどうかが、パンデミックを克服する上での鍵になります。

 それと人間は価値観が揺らぐと、どうしても極端な考えに傾く。集団の運用や指導も荒くなり、丁寧な説明や対話を省いて、物事を強引に進めようとします。そこに陥らず、バランスを保って進むためには、平和と人権に対する「尊敬心」と、他者を思いやる「共感性」が社会の根底にあることが求められます。

 共感といっても、自分に近いものだけが愛しいというのであれば、どんどん利己的になり、社会は弱肉強食に傾いてしまいます。ここでいう共感とは、遠くにいる他者であっても思いをはせる想像力、仏教でいうところの「慈悲」、儒教の「仁愛」の思想に近いでしょうか。

 とはいえ、現代の私たちが互いに共感性を示し合うことは簡単ではないかもしれない。

 だからこそ、「こんなことをしたら、あの人がかわいそう」という相手の側に立つ思いを持つことを互いに目指したい。そして、人間にとって快適な幸せは、どのような条件で成り立つのかという視点で、現実的・合理的な対処を粘り強く続ける。このバランスが大切ではないでしょうか。

 戦後史を概観すると、課題は山積するものの、戦争自体は徐々に減ってきました。人類はぶれながらも、世界平和を目指して漸進してきたとも捉えられます。全面的に安心することはできませんが、私は、人類の賢明な選択を信じたいと思います。

 

 いそだ・みちふみ 1970年、岡山県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。茨城大学准教授、静岡文化芸術大学教授などを経て、2016年から国際日本文化研究センターへ。本年4月から同教授。著書に『武士の家計簿』、『天災から日本史を読みなおす』、『災害と生きる日本人』(中西進氏と共著)、『感染症の日本史』など多数。

 

HEROES 逆境を勝ち越えた英雄たち

第7回 エレノア・ルーズベルト

2021年5月16日

恐れるよりは希望をもってやる方が

賢明である。「そんなことできない」

という人間からは何も生まれない。

 

 2度の戦争の惨害から将来の世代を救うため、人類は国際連合(国連)を設立し、平和への道を模索し始めた。

 その国連で「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」として公布されたのが「世界人権宣言」である。

 第一条で「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」とうたう宣言の起草に尽力した一人の女性がいる。

 「アメリカの良心」とたたえられる第32代米大統領夫人、エレノア・ルーズベルトである。

 宣言が採択されたのは、第2次大戦から3年を経た1948年12月10日。東西冷戦が始まっていた。あらゆる“差異の壁”を超克し、一つの宣言を作り上げることは不可能と思われた。

 しかしエレノアの心には“もう同じ過ちは繰り返させない。必ず成し遂げてみせる”との誓いが赤々と燃えていた。

 「歴史の光に照らしてみても、恐れるよりは希望をもつ方が、やらないよりはやる方が、より賢明なことは明らかである。それに、『そんなことできるわけがない』という人間からは何一つ生まれたためしがないということも、動かすことのできない事実なのである」

 彼女は国連人権委員会の委員長として、各国の代表者と顔を突き合わせ、一つ一つの文言に平和への願いを込めていった。

 草案作成の委員会議は実に85回。時には意見が衝突することもあったが、その信念はいささかも変わらなかった。

 「この世界に平和を創造するためには、一人の人間との理解を深めることから始めなければなりません」「新しい人に近づくとき、冒険心をもって接することにすれば、今までにない新しい人格、新しい経験、新しい考えの水脈を発見して、それに無限の魅力をおぼえることがきっとあるに違いない」

 同じ人間であるゆえに、胸襟を開いて語れば、必ず分かり合える。互いの「相違点」ではなく「類似点」を見つめ、「眼前の一人」「新しい人」と心を結び続けたエレノアの熱誠によって、宣言は完成を見たのである。

 

 

〈エレノア・ルーズベルトを語る池田先生〉

彼女は苦労を避けるのではなく「挑戦を引き受けて立つ」ように訴えてやまなかった。何があっても粘り強く前へ!ここに我ら創価の真骨頂がある。

 

〈エレノア・ルーズベルト〉

私たちが強く願い、その実現のために行動するならば、変革できない分野などないと確信しています。

  

 エレノアの幼少期は決して幸福とはいえなかった。母から愛情を感じることができず、自身の容姿に強い劣等感を抱くように。10歳を迎える前に両親が他界。祖母に育てられた。

 転機は、イギリスの学校に入学した15歳の時。一人の教師との出会いが、内気な性格を変えるきっかけになっていく。

 「人間というのはだれもが、この世をよりよくするために生まれてきました」。地位や外見などは関係ない。物事を自分の目で見て考え、困っている人に手を差し伸べる――この恩師が示した「他者に尽くす生き方」が、人生の指標となった。

 アメリカに帰国後、のちに政治家となるフランクリン・ルーズベルトと結婚。3人目の子どもを失う悲哀にも負けず、5人の子の母として、妻として、家庭を守りながら、女性の地位向上運動などに力を注いだ。

 そんなある日、一家を苦難が襲う。夫がポリオを患い、歩けなくなったのだ。政治生命が危ぶまれる中、エレノアは懸命に夫を励まし続けた。代理として苦手な演説に立つこともあった。

 “二人三脚”の支えもあり、病気の発症から7年後の1928年、フランクリンはニューヨーク州知事に選出。5年後には米大統領に就任し、大恐慌の嵐を打ち破る「ニューディール政策」に取り組んだ。彼女自身も夫に代わり、各地の人々の激励に飛び回った。

 第2次大戦中の45年4月、大統領だった夫が病で急逝する。彼には「国連」の設立という大いなる夢があった。エレノアは深い悲しみを乗り越え、亡き夫の分まで平和のために生きることを決意する。その年の10月、念願の国連が発足。アメリカの国連代表に任命された。

 彼女は語っている。

 「女性というのは、さまざまな障害をはねのけて、一センチずつ前進するものなのです」

 「一つが切り抜けられたら、次には何でも切り抜けられるはずではないか。立ち止って、恐怖と正面から対決する度に、人には力と勇気と自信がついてくる」

 世界人権宣言の採択の後、エレノアは万人にこの宣言が用いられることを願い、つづった。

 「普遍的な人権とは、どこからはじまるのでしょう。じつは、家の周囲など、小さな場所からなのです。あまりにも身近すぎて、世界地図などにはのっていません。ご近所の人、かよっている学校、働いている工場や農場、会社などの個人個人の世界こそ、はじまりの場なのです

 

 宣言の採択から半世紀以上がたった2007年。エレノアの親戚から池田先生に、彼女の遺品が届けられた。「彼女が生きていれば、池田SGI会長とお知り合いになり、人間に内在する力や、さまざまなことについて対話したいと思ったでしょう」との言葉と共に――。

 世界地図に載らない身近な場所から、庶民と共に平和への道なき道を切り開いてきた池田先生。「地球上から悲惨の二字をなくしたい」との恩師・戸田城聖先生の夢を実現するため、対話を重ねた識者の中には、エレノアと一緒に宣言の起草に携わったカナダのジョン・ハンフリー博士や、ブラジル文学アカデミーのA・アタイデ総裁も名を連ねる。

 アタイデ総裁は、池田先生と編んだ対談集『21世紀の人権を語る』で、エレノアとの思い出を述懐。創価の人権闘争に強い共感を寄せ、「池田会長に引き継がれた思想――つまり、人間への差別を断じて許さないとする立場――が尊重されるとき、21世紀は輝かしい栄光の世紀となる」と断言した。

 事実、池田先生は、国連を「人類の議会」として位置付け、歴代事務総長らと会見するとともに、その支援と強化を一貫して主張し、行動してきた。

 SGIが国連経済社会理事会の協議資格を持つNGOとして登録された1983年からは毎年、「SGIの日」記念提言を発表。国連を中心とする平和構築のための具体的方途を発信し続けている。これらの貢献が高く評価され、「国連平和賞」などを受賞している。

 エレノアの生涯を通して、先生が語り、記してきた指針にこうある。

 「大統領夫人は、最晩年の著書に綴っている。『私たちが本当に強く願い、その願いに対して確信を持ち、その実現のために誠心誠意、行動するならば、人生において、願いどおりに変革できない分野など、何ひとつないと確信しています

 創価の女性の決心と通じ合う言葉である。いわんや私たちは、無上の妙法を持ち、広宣流布の大道を歩んでいる。不可能に思える困難が立ちはだかったとしても、すべてをよりよく変えていく力の源は、この信心である」(2009年6月4日、創価女子会館開館3周年記念協議会でのスピーチ)

 「彼女は、『勇敢に、張り切って、夢をもって生きる』ように、さらに苦労を避けるのではなく『挑戦を引き受けて立つ』ように訴えてやまなかった。

 人生の真髄は、生き生きとした『チャレンジ精神』の中にあるのだ。(中略)我らが勇気を奮った挑戦の一歩一歩は、自身の『人間革命』の完璧な栄光の足跡である。その着実な一歩一歩の中に、人類待望の『広宣流布』の未来図も描かれているのだ。何があっても前へ、粘り強く前へ!

 

――ここに慈折広布を使命と定めた、我ら創価の真骨頂がある」(本紙13年8月1日付「随筆 我らの勝利の大道」)

 

 新たな歴史は、常に勇気と挑戦の一歩から始まる。

 それは、創価のヒロインたちの揺るがぬ確信でもある。

 

 【引用・参考】『エリノア・ルーズヴェルト自叙伝』坂西志保訳(時事通信社)、『生きる姿勢について――女性の愛と幸福を考える』佐藤佐智子・伊藤ゆり子訳(大和書房)、デイビッド・ウィナー著『エリノア・ルーズベルト』箕浦万里子訳(偕成社)、Allida M.Black,Editor『The Eleanor Roosevelt Papers,Vol.1:The Human Rights Years,1945-1948』(THOMSON GALE)ほか

青年部と医学者による第19回会議から

2021年4月25日

恐れすぎず侮らず賢明に励ましのネットワークを

 

 新型コロナウイルスの感染が拡大している東京、大阪、京都、兵庫の4都府県に、緊急事態宣言が発出された。期間はきょう25日から5月11日まで。政府は、短期集中対策として、人の流れを止めるための強力な措置を講じる。全国各地でも、感染の再拡大が続き、とりわけ、変異株が急速に広がっている。こうした状況を踏まえ、青年部の代表と公衆衛生等に詳しい医学者らの第19回の会議(22日)では、変異株の特徴や対策のポイント、若い世代を中心とした「コロナ慣れ」による危機感の希薄化への対応などが話題に。さらには、公衆衛生上の危機の場面では「人とのつながり」が重要であることを再確認し、そのつながりを強くするための新たな知恵や行動について語り合われた。また、今回の会議には、経済学を専門とする東京大学の藤井大輔特任講師が参加し、感染拡大に伴う経済への影響等についても論じた。

 

変異株は若者の感染も増加 従来の対策の徹底をさらに

 

 志賀青年部長 感染力の強い変異株が流行し、前回の緊急事態宣言時よりも、感染状況が悪化しています。政府は、3度目の緊急事態宣言の考え方として、短期間で強い措置を強調する方針ですが、その一方で、社会経済活動への影響が懸念されています。

  

 藤井特任講師 感染症による損失と経済的な損失を共に最小限に抑えるために、どのような策をとるべきか。同僚と共に、感染症対策と経済損失の関係をシミュレーションし、毎週、データをウェブサイトで公開しています。

 緊急事態宣言を発出すると、感染症は抑えられますが、経済へのダメージは大きくなります。短期的に見ると、感染症対策と経済活動には、一方を優先するともう一方を犠牲にしなくてはならないという関係にありますが、中長期的な視点から見ると、必ずしもそうではありません。規制の強弱や期間によっては、感染による死亡者数と経済損失の両方を抑えられる可能性があります。

 私たちの試算によれば、「長期間の弱い規制」よりも「短期間の強い規制」の方が、経済損失も少なくなる傾向にあります。今回の短期間で強い措置の方針は、感染症対策の面からだけでなく、経済活動の面からも合理的であるといえます。

 ただし、私たちが試算した「変異株シナリオ」よりも、実際の変異株の感染力が強く、感染拡大スピードが極めて速いため、今後の経済に与える影響を懸念しています。ともあれ、今はいち早く感染拡大を抑え込むことが最重要だと思います。

  

 西方男子部長 改めて、変異株の特徴を踏まえ、個々人の対策のポイントなどについて、確認できればと思います。

  

 菖蒲川特任教授 変異株には、英国株や南アフリカ株、ブラジル株などがあり、特に英国株は従来株と比較して感染力が強く、欧米を中心に急速に拡大しています。また、インドでは一つのウイルスに二つの変異がみられる新たな「二重変異株」が流行し、1日で30万人を超える新規感染者が発生しています。

 日本でも、変異株の発生割合は急増しており、関東でも関西でも、直近の1週間の新規感染者の8~9割を占めています。

 また変異株は、従来株よりも重症化スピードが速いこと、さらには若い世代にもかかりやすい傾向があることが危惧されています。事実、東京でも、大阪でも、30代以下の新規感染者は全体の半数近くになっています。

 これまでの傾向では、若い世代の感染が増えると、家庭や職場などを介して、一気に全ての世代に感染が広がっていきます。従来株よりも感染力の強い変異株は、一層の警戒が必要です。

 その上で変異株に対しても「正しく恐れる」「恐れすぎず侮らず」という姿勢が重要です。個々人の基本的な感染予防対策としては「マスクの着用」「手指の衛生」「3密の回避」などを、これまで以上に、賢明に徹底していきたいと思います。

 

「マスクを外しての会話」 特に飲食の場に要注意

 

 藤原教授 こうした変異株の特徴を踏まえると、ある意味で“新しいウイルス”と捉え直し、新しい心構えで、感染予防の意識をもう一段階、引き上げることが必要ではないでしょうか。

 とりわけ、複数人での「飲食の場面」には、細心の注意が必要です。「屋内」はもとより、テラス席や公園のベンチなど「屋外」であっても、マスクを外して会話をすれば、飛沫感染のリスクは高まります。「マスクを外す場面は要注意」であることを、改めて、確認し合いたいと思います。

 今、懸念されるのはコロナに対する警戒を呼び掛ける声への「慣れ」です。報道されている数字が実生活の感覚とは異なるために、「これまで、友達と飲みにいっても、大丈夫だった」などと、自分にとって都合の良い解釈をしてしまいがちです。しかしながら、この変異株の感染力の強さを考えると、それは極めて感染リスクが高いことを認識すべきだと思います。

  

 大串女子部長 新型コロナの影響が長期化し、「コロナ慣れ」は、あらゆる場面で、顕著に出てきていると感じます。

 飲食の場に限らず、「化粧室」なども、マスクなしで、つい会話をしてしまいがちな場面です。今一度、声を掛け合いながら、感染予防対策の徹底に努めたいと思います。

 

「外を歩く」「人と話す」ことは心身を豊かにする

 

 西方 一方、コロナ禍にあって、若い世代でも「望まない孤独・孤立」が大きな社会問題になっています。この1年余り、私たちは日常生活における「人とのつながり」の価値を再認識してきました。「支え合い」「助け合い」が、感染症に立ち向かう大きな鍵になると感じています。

  

 藤原 感染症は「人と人との接触」から広がりますので、感染の急速な拡大時には、人流の抑制は避けられません。その上で公衆衛生の観点からいえるのは、「外に出ず、誰とも交流しない」というのは、感染リスク以上に健康に悪影響を及ぼすリスクが高い。「望まない孤独・孤立」につながりかねません。

 短時間でも、マスクをした上で、「人と会う」「人と話す」こと自体が、心身を豊かにするとともに、孤独・孤立を防ぐ最大の力となります。近隣の方々へのあいさつや、ちょっとした会話、さらには、電話やオンラインなどを活用した「声掛け」が今こそ、求められていると思います。

 ですので、たとえ緊急事態宣言下の地域であっても、日中に、マスクを着用し、感染予防対策を講じた上で、「外を歩く」「外の空気を吸う」などの工夫が必要です。

 日本よりも強い感染防止対策の措置を講じる諸外国でさえ、心身の健康を維持するために、自宅周辺を歩くなどの外出は認められています。

  

 村山議長 SOKAチャンネルVODで配信中の番組「ドクター部セミナー」でも、講師が、免疫力を高める行動として、“一日30分の散歩”を推奨していました。“10分の散歩を3回”でも良いそうで、「歩くこと」が心身の健康の増進につながることが紹介されています。

 コロナ禍で、どうしても「できないこと」に目がいきがちですが、今でも「できること」はたくさんあると感じます。「できること」を見つけて、価値的な日々を過ごしていきたいと思います。

  

 庄司議長 「外を歩く」「人と話す」――まさに、私たちの学会活動そのものです。感染予防対策を徹底した上で、地域を歩き、同志を励ます。近隣や友人に「声掛け」をしていく。私たちの常日頃の実践は、「豊かなつながり」を強くし、自他共に充実した日々を送るための最大の武器だと感じます。

  

 志賀 先日、池田先生は、この会議の意義について、「正しい情報で、皆の命を守りたい。一人でも多く、安心と勇気を届けたい――。この一念を込めて、青年部は気鋭の医学者との会議を重ね、聖教で発信してくれている」(今月10日付の本紙「希望・勝利の師弟旅」)とつづってくださいました。

 今回の会議でも、変異株への具体的な対策のポイントとともに、毎日を価値的に過ごすための新たな知恵・視点について語り合うことができました。

 コロナ禍にあって、学会活動の意義は、いやまして高まっていると確信します。

 今後も、青年部は、“一人でも多くの方々に、安心と勇気、そして希望を”との思いで、対話と励ましのネットワークを大きく広げてまいります。

 

〈危機の時代を生きる〉

 「小さな幸福」に留まらず

 「大きな希望」育む社会へ

2021年4月17日

一般財団法人日本総合研究所会長

寺島実郎氏

 

 世界を知らずに、世界は変えられない――この一貫した姿勢で、世界と日本を捉えてきたのが寺島実郎氏(一般財団法人日本総合研究所会長、多摩大学学長)である。コロナ禍で浮き彫りになった課題や未来への展望を巡り、インタビューした。(聞き手=萩本秀樹、村上進)

 

GDPの推移

 

 ――近著『日本再生の基軸』やTOKYO MXをはじめとするメディア出演を通して、世界における日本を展望してこられました。コロナ禍をどう見ていますか。

  

 私は社会科学の世界で生きてきた人間ですから、まずは日本経済をGDP(国内総生産)という視点で捉えると、日本がどれだけ“埋没”しているかが分かります。

 日本のGDPの世界におけるシェアは、

平成が始まる前年の

 1988年には16%でした。日本を除くアジアは、中国やインド、ASEAN(東南アジア諸国連合)などを合わせても6%ですから、日本はアジアの中で断トツの経済国家として、平成の時代を迎えたわけです。

 2000年になっても、日本のGDPは世界の14%を占め、その他のアジアは7%でした。

それが

 2010年には、日本が7%まで急速に落ち込み、その他のアジアが17%です。この年は、中国が単独で日本を追い抜いた年でもあります。

 そして、コロナ禍の中の

 2020年のGDPは、日本のシェアが6%を割り込んで5・7%、日本を除くアジアは25%です。今後、コロナ禍のトンネルを抜けているであろう

 2030年には、日本のシェアは4%台に落ち込んでいるというのが、私の見立てです。

 「アジアの世紀」といわれる時代が確実に近づく中で、日本は明らかに存在感を失っているといえます。

 尺度としてのGDPの正当性を問う声もあるでしょうが、GDPは付加価値の総和です。日本国民が額に汗して、知恵を出しながら経済産業活動を展開し、創出した価値の大きさが、世界の中でこれほど“埋没”していると捉えることは重要と考えます。この現実を多くの人が自覚できていないことに対して、「健全な危機感」を持つべきであると私は思います。

  

 ――“健全な”危機感とは、悲壮感や諦めではなく、現実を直視しつつ、どうすれば打開できるかを模索する前向きさを生むものではないでしょうか。

  

 日本が置かれた状況に対して、多くの人が危機感を抱いていないのは、急速な復興と成長を遂げた戦後日本の残影を、今も引きずっているからです。産業力で外貨を稼ぎ、国を豊かにするという「工業生産力モデル」が、まだ機能しているとの重大な錯覚の中にいます。株価の上昇などで、“日本はうまくいっている”との感覚を、日本人が抱いていた側面もあります。

 しかし、世界の有識者らと議論をする中でも、日本の“埋没”は、すでに常識になりつつありますまずはその事実に対する認識を、これからの議論の基盤に据えていくことが“健全な危機感”であると考えます。その上で、GDPを押し上げることはもちろんですが、それに限らず、世界の中で存在感を放ち、重要な役割を果たしうるために、どうすればよいのか。

 コロナ禍は、日本がすでに抱え込んでいた問題を、目に見える危機としてあぶり出しているといえるでしょう。

 

 ――これからの世界を、どのような視点で捉えるべきでしょうか。

  

 前提として、二つの時代認識を持つことが重要であると考えます。

 第一に、現代は、二極化という構図の中で論じられやすい時代であること。そして第二に、日本は「宗教なき時代」を生きているという認識です。

 「二極化」を象徴するのが、西洋文明を代表するアメリカと、東洋文明の中核である中国との分断です。“米中新冷戦の時代”とまで言われる緊張高まる現代にあって、日本には、その二項対立に引き込まれない「第三の道」を模索する役割が求められます。

 次に「宗教なき時代」は今に始まったのではなく、戦後日本にあって、宗教の受け止められ方は希薄であり続けました。もちろん、日本人に全く宗教心がないわけではなく、神社にお参りに行く、易や占いを信じるといった行動をとる人は一定数いますが、「心の基軸」として宗教を持つ人が少ないのが、長年の特徴です。

 あえて言うならば、戦後日本人の心の基軸となったのは、松下電器の創業者・松下幸之助さんが提起した「PHPの思想」だったと思います。

 「Peace and Happiness through Prosperity(豊かさを通じた幸福と平和)」という言葉は、繁栄すなわち経済成長が、幸福と平和をもたらすという、ある種の“希望”を国民に与えるものでした。しかし今、豊かになれば幸福と平和が訪れるという方程式は、もはや成り立ちません。加えて「宗教なき時代」です。このままでは日本は、GDP上だけではなく、心まで埋没してしまう――そう強い危機感を抱いています。

 

日蓮の時代

 

 ――日本再生の基軸の一つとして、仏教に着目されています。

  

 二項対立に分断されないよう視界を広げ、強い意志を持って「第三の道」を切り開くカギとなるのが、仏教に見られる、人間の苦悩や葛藤に迫りながら、深い精神性を追求する姿勢であると考えるからです。

 仏教の特徴は“柔らかな多様性”であると思いますが、それを理解する上で大切なのが「加上」――一つの思想は進化を重ねて、後の世になるほど加えられていくという考え方です。

 例えば、釈迦が説いた仏教は、その弟子や後進の求道者によって、多様な解釈と思索が加えられました。そうして発展を遂げた大乗仏教が、日本をはじめ世界に広く受け入れられてきました。全てを固定化するのではなく、深化させ、さらには弟子が師匠をも超えていく。それが仏教の深みであると理解しています。

 その中でも、日蓮の時代と生き方を知ることは、現代にも有益だと思います。当時、年表に「飢饉」「疫病」「強訴」「群盗」等の言葉が目につくほどに国は荒れ、さらには蒙古の襲来が日本に迫っていました。

 庶民の間に広まっていた仏教諸派は、鎮護国家(災難を鎮め国家を護ること)の思想でしたが、その内実は絶対的な存在に救済を求める“他力本願”であったわけです。それはそれで、“信じればいいことがある”といった原始的な仏教思想のパラダイム(規範)を、庶民のためへと転換した意義はあります。

 しかし日蓮は、さらなるパラダイムの転換を図ったわけです。日蓮は、日本の危機は「国難」であると受け止め、法華経への帰依を訴えました。

 法華経では、人間の外に人智を超越した存在を置くのではなく、自己の内に仏を見ます。そして日蓮は、鎌倉幕府に対して「立正安国」の重要性を主張していきました。仏教が国や政治に挑むなど、それまではあり得なかった状況の中で、日本の危機を語らずにはいられなかった、「法華経の行者」としての日蓮の深い自覚が感じられます。

 世の中を変えなければ、人間の幸福もないといった志向は、創価学会にも受け継がれています。日本が世界の二極分断に吸い込まれかねない状況の中、創価学会には、柔らかくとも強靱な多様性を持って、「第三の道」を切り開いていくことを期待します。

 二項対立へと誘惑するポピュリズムや国家主義が台頭する現代にあって、これまで日本人が丁寧に培ってきた民主主義を、持ちこたえさせる精神的役割を担っていただきたい。

 

全体知への接近

 

 ――コロナ禍では、感染者数の推移といった部分的な数値ばかりが目に入りやすい現実があります。そうした「専門知」に対して、「全体知」を持つことの大切さを訴えられています。

  

 物事を一部の視点からしか捉えない「専門知」に埋没してもいけないし、それらを合わせた「総合知」に満足してもいけない。物事の全体像を見渡し、その本質を捉える「全体知」への接近を訴えています。

 全体知を理解するには、仏教の「空」の概念が分かりやすいと思います。「空」は「無」とは違います。むしろ、「空」は「ゼロ」に近いものです。インドにおけるゼロの発見が、近代科学の原点となっており、ゼロは無限大につながる概念です。

 同じように、あらゆる事物・事象を突き詰めると、その本質は、固定的な実体は存在しない「空」であるとの真理が、般若経典などに説かれています。つまり「空」も、無限の広がりを持っているといえる。

 私が言う「全体知」もまた、ある一点から立体的、多面的に物事の本質を見極めるような完全なる英知を指します。コロナ禍で求められているのは、この全体知に立った構想力であると思います。戦後日本の成功体験を引きずり、“何となくうまくいっている”と錯覚し続けてきた結果、日本人には、目先の価値や損得を求めるのが当たり前になってしまいました。

 「イマ・ココ・ワタシ」だけに関心を持ち、クーポンやポイントを集めてばかりいるような、自分だけの“小さな幸福”に沈潜しているのではないでしょうか。もっと広い視界から世界と日本を展望し、どうすれば人々に大きな希望と方向性を与えていけるのかを、議論すべきでしょう。

 

創価の社会学

 

 ――未来への希望を育む上で、宗教が果たすべき役割は何でしょうか。

  

 未来を構想する上で基盤となるのは、「イマ・ココ・ワタシ」という価値を超越する精神性です。そこに教育を通した人材育成の要点がありますし、広い意味で宗教が果たす役割があると思っています。

 戦後に経済至上主義が吹き荒れる中、創価学会は、競争にさらされる人々に希望を送りました。社会の中で困難を極める人たちも、信仰に生き、努力することで、人生が開けるのを経験した。それは「創価学会の社会学」ともいえる現象でした。そうした希望があったから、創価学会は今日まで、大きな組織として生き続けてきたのでしょう。

 今、これだけ時代が変わり、目に見えにくい貧困や差別、格差といった課題が生まれているからこそ、社会が抱える問題に向き合い、解決していくような、エネルギーに満ちた宗教が求められます。経済的価値の限界が露呈し、何を心のよりどころとしていいか分からない今日にあって、豊かな精神文化を支えるのが宗教です。創価学会に期待するのも、この点です。

 そして目先の状況に流されず、耐えながら、二項対立に陥らない強い姿勢は、仏教の「中道」(注=相対立する両極端のどちらにも執着せず偏らない見識・行動)の生き方に通じます。この生き方を確立するのは容易ではありません。

 だからこそ、立体的、多面的な視点から物事の本質を見極める全体知に立ったリーダーの存在が求められます。どんなに有能な野球選手でも、やはり監督がいるダッグアウトを振り返るものです。監督がどういう表情をして、どういう言葉を発するか。それが事態を動かしていくことは多くあります。

 そうした真のリーダーシップを発揮できる人を待望しつつ、私たち一人一人ができる行動を起こして、自分の周囲を踏み固めていくことが大切です。

 

 てらしま・じつろう 1947年、北海道生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。三井物産入社後、ワシントン事務所長、常務執行役員、三井物産戦略研究所所長などを歴任して現在、一般財団法人日本総合研究所会長、多摩大学学長。著書に『日本再生の基軸 平成の晩鐘と令和の本質的課題』『シルバー・デモクラシー』(以上、岩波書店)、『ジェロントロジー宣言』(NHK出版新書)等がある。TBS系列「サンデーモーニング」、TOKYO MX「寺島実郎の世界を知る力」などメディア出演多数。

 

2021年4月6日

〈危機の時代を生きる 創価学会学術部編〉

第10回 遺伝子スイッチという希望

 

祖先から受け継いだ生命の設計図

感染症に負けぬ力がここに

 

山口東京理科大学

副学長・薬学部教授

 井上幸江さん

 

 

 DNAの二重らせん構造の模型で遊ぶ赤ちゃん。どんな人のDNAを比べても、わずか0・1%の違いしかないことが分かっている。

 私たちが祖先から受け継いできた遺伝子。そこには、感染症に打ち勝つ力も秘められている。

「危機の時代を生きる――創価学会学術部編」の第10回のテーマは、「遺伝子スイッチという希望」。生化学、分子生物学が専門で、山口東京理科大学の副学長・薬学部教授の井上幸江さんの寄稿を紹介する。

 

 遺伝子――それは、私たちが祖先から受け継いだ宝です。

 人類が地球に誕生して約700万年。人類はこれまで、さまざまな環境の変化に適応して生き延びてきました。そして、その中で蓄えられた生き抜く力は、生命の設計図である遺伝子に刻まれ、次の世代、また次の世代へと受け継がれてきたのです。

 もちろん、その中には、感染症に立ち向かい、乗り越えてきた歴史も含まれます。

 今、感染症の猛威が世界を包んでおり、不安に感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、私たち一人一人の生命には新型コロナウイルスにも負けない力が備わっています。加えて、世界の研究者たちがワクチンや治療薬の開発に当たっており、少しずつ、立ち向かう武器もそろってきました。

 だからこそ、決して希望を失わず、3密(密閉・密集・密接)の回避やマスク着用など、今できる感染対策を丁寧に続けていきたいと思います。

 

 今回は遺伝子スイッチがテーマですが、その前に、遺伝子について話を進めます。

 私たち一人一人の身体は、約37兆個ともいわれる細胞から成り立っており、その一つ一つの細胞の核に、遺伝子が入っています。遺伝子は、私たちの身体を形づくる情報を持っており、これを設計図として生命は誕生するのです。

 もっとも、遺伝子は私たちが祖先から受け継ぐものの全てではなく、一部でしかありません。全体は「DNA」と呼ばれ、DNAの中に占める遺伝子の割合は、わずか1・5%ほどと言われています。

 人間のDNA(ヒトゲノム)の解読は、2003年に基本的に完了しました。しかし、世界の人のDNAを調べてみると、さらなる謎が残りました。どんな人を比べても、99・9%が同じDNAを持っていたのです。

 人間は太りやすい体質の人もいれば、食べても太らない人もいます。病気にかかりにくい人もいれば、かかりやすい人もいます。99・9%同じなのに、なぜ、こうした違いが生まれるのでしょうか。

 

 謎を解く鍵は、DNAの遺伝子以外の部分、つまり98・5%の部分にありました。そこには、遺伝子に働き掛けるスイッチのような役割があり、そのスイッチがオンになるか、オフになるかによって、遺伝子の働きが変わることが分かったのです。簡単に言えば、食べても太らない人は、脂肪を燃焼するスイッチがオンになっており、病気にかかりにくい人は、免疫を高めるスイッチがオンになっているということです。

 その上で、遺伝子配列によって、先天的にオンになりやすい人、オフになりやすい人がいることも事実です。しかし、多くの場合、このスイッチは、常にオンではなく、むしろオフなっていて、必要に応じてオンになります。それによって、さまざまな種類のタンパク質が作られ、体内で多彩な働きをするのです。

 私は、大学院生の時から40年以上、このスイッチのオン・オフの仕組みを明らかにしようと研究してきました。しかし、仕組みの謎に迫れば迫るほど、その複雑さを感じてきました。

 例えば、人間の身体を構成するタンパク質は熱に弱く、風邪などで熱が出ると変質してしまうのですが、体内には、その変質を元に戻すタンパク質が存在することが知られています。これはヒートショックプロテインと呼ばれ、大腸菌から人間に至るまで、あらゆる生物が備えている生命の防御機能です。この一つを取っても、分かっているだけで10個くらいのスイッチが関係しており、いつオンになり、いつオフになるのかは正確には解明されていません。

 ◆◇◆ 

 スイッチのオン・オフに関わっているのは、さまざまなストレスです。ストレスと言うと、精神的ストレスを思い浮かべるかもしれませんが、生物学では、精神的なストレスを除き、温度の変化や紫外線といった物理的ストレス、置かれた環境に酸素や水分があるかといった化学的ストレス、細菌やウイルスなどの侵入によって引き起こされる生物的ストレスを意味します。

 

 

運命は遺伝では決まらない

 鍵は行動と心の持ち方

人類はDNAの99・9%が同じ

誰にも等しく豊かな可能性が

 

 海外では“祈りが遺伝子スイッチを働かせる”との報告も

 私たちの生命は、こうしたストレスを敏感に感じ取り、遺伝子スイッチを切り替えます。

 例えば、インフルエンザウイルスが侵入すれば、体温制御のスイッチがオンになり、ウイルスが増殖できない温度に発熱して、感染拡大を抑えてくれるのです。

 このように、私たちの生命は、たとえ自分が感じていなくても、巧みな適応力で身体を一番良い方向に持っていこうとしてくれます

 ただ、必ずしも全てのスイッチをオンにすれば良いわけではありません。身体に良い働きをする遺伝子もあれば、逆に悪影響を与える遺伝子もあるからです。

 しかし、たとえ悪い働きをする遺伝子であっても、生命活動には必須です。

 例えば、がんを引き起こす遺伝子も、本来は、細胞の分裂や増殖の制御に関わるタンパク質を作っています。問題は、その遺伝子の変異によって働きが変わってしまうと、病気を引き起こす原因になってしまうことです。

 また、良い働きをする遺伝子でも、それが強まり過ぎると、逆に身体に害を及ぼすことがあります。大事なことは、オンとオフを適度に働かせることなのです。

 ◆◇◆ 

 これまでは、両親から受け継いだ遺伝子は、変化することはなく、その遺伝子の働きによって、私たちの体質や才能も決まると考えられてきました。

 事実、先天的にがんになりやすいといった遺伝子配列の人もいます。しかし、がんを抑える遺伝子スイッチの働きがオンになれば、がんにならない可能性があるのです。むしろ、運命は決められたものではなく、スイッチのオン・オフによって変えられることが分かってきました。

 では、私たちは、このスイッチのオン・オフを調整することができるのでしょうか。

 それには、私たち自身の行動が鍵を握っています。

 健康維持には適度な運動・睡眠・食事が重要と言われますが、バランスの良い生活習慣によって、スイッチも適度に保たれると考えられています。

 また、個人的には、心の持ち方も大切であると考えます。

 「病は気から」と言われますが、私たちの心と身体は密接な関係にあり、精神的に弱っていると病気にかかりやすく、逆に心が喜びで満たされていると、身体に元気がみなぎり、病気にもかかりにくくなるといった経験は、皆さんもお持ちでしょう。

 心と遺伝子の関係は、科学的には解明が始まったばかりですが、研究が進めば、絶対に生き抜いてみせるという強い心を持ったり、夢や希望を持って前を向いたりすることによって、生命力を高め、免疫力を高めるスイッチが働くといったことも、分かってくるかもしれません。

 興味深いところでは、ハーバード大学から、祈りという行為によって、2200以上の遺伝子スイッチが働くという研究成果が発表されています。これは、祈りの重要性について、深く考えさせられるものでしょう。

 残念ながら、それらのスイッチが働くことで、人体にどのような影響を及ぼすのかは、まだ分かっていません。しかし創価学会は、祈りを根本とした信仰で、現実に多くの人々を救い、世界192カ国・地域に広がりました。この事実は揺るぎないものです。

 ◆◇◆ 

 科学の発展によって、生物の謎が少しずつ解き明かされています。一方、iPS細胞(人工多能性幹細胞)やゲノム編集など、遺伝子操作のさまざまな技術が開発された現在でも、1個のウイルスはもちろん、生命を“無”からつくることはできません。

 また、生命の神秘を知ったとしても、その生命とどう向き合い、いかに生きるべきかについては、科学では教えてくれません。そこには哲学が必要なのです。

 「何のために生まれてきたのか」――私は青春時代、この答えを求めて学会に入会しました。

 いかなる苦しみがあっても、前を向いて生きる。

 どんな時も笑顔を絶やさず、目の前の一人のために心を砕く。

 そうした同志と活動する中で、人のために尽くしていくのが、私の使命だと思えたのです。

 日蓮仏法は、一人一人に「仏の生命」が備わっていると教えていますが、遺伝子レベルで見ても、人間は99・9%同じであり、全ての人に差別なく豊かな可能性があると言えます。時には気分が落ち込み、自信が持てないと思うこともあるかもしれませんが、どこかの遺伝子スイッチを適切に調節できれば、誰しもが生き生きと輝くことができるはずです。

 私は、これまでに出会った国内外の全ての皆さまへの報恩感謝を胸に、そうしたスイッチの仕組みを明らかにし、一人でも多くの人が希望の人生を歩んでいけるよう、これからも研究を重ねていきたいと決意しています。

 

 いのうえ・さちえ 医学博士。広島大学薬学部卒業、同大学院修士課程修了。山口大学大学院医学研究科博士課程修了。山口大学医学部医学科助手、米スタンフォード大学客員研究員、山口大学医学部医学科専任講師、安田女子大学薬学部教授などを経て現職。創価学会総山口副学術部長。地区副婦人部長。

 

〈HEROES 逆境を勝ち越えた英雄たち〉

第4回 マハトマ・ガンジー

2021年2月7日

この試練を乗り越えた時、すべては好転する。

そう信じて耐え抜いた時、とてつもない力を手にすることだろう。

 

 インドを植民地支配から解放へと導いた力――それは暴力による革命ではなかった。「非暴力の精神」で結ばれた不屈の民衆のスクラムであった。

 その連帯を率いた「マハトマ(偉大なる魂)」と呼ばれる人物は、いかなる苦境にあっても、理想への歩みを止めなかった。

 インド独立の父・ガンジー。「一人の人に可能なことは、万人に可能である」。この確信のままに、彼が貫いた人権闘争は一人から百人、千人、万人へと広がり、人々の胸中に勇気の炎を燃え上がらせていった。

 支配国から経済的に自立するため、外国産を脱ぎ捨て、チャルカ(紡ぎ車)を使って衣服を生産。塩の専売という不当な政策には、デモで徹底抗議した。有名な「塩の行進」である。

 こうした運動の先に待ち構えていたのは、激しい迫害の嵐だった。だが、無名の庶民たちは“人と戦うのではない。人の中に潜む憎しみと戦うのだ”と、抵抗も屈服もしなかった。

 その先頭には常にガンジーの痩身があった。彼は幾度も投獄されながら、命を削って同志を鼓舞し、励ましを送り続けた。

 「人は何度でも立ち上がる。立ち上がっては倒れ、立ち上がっては倒れ、その足もとはおぼつかないかもしれない。けれども、立ち上がったことは、一生忘れることのない、かけがえのない記憶となる」

 「不幸はわたしたちに与えられた試練である。この試練を乗り越えたとき、すべてはきっと好転する。そう信じて、辛抱強く耐え抜こう。耐え抜いたとき、あなたはとてつもない力を手にしていることだろう」

 ガンジーの闘争は、やがて国際社会を、敵対する人々の心さえも動かしていく。そして1947年8月15日、インドは自由の夜明けを迎えたのである。

 その前日。日本では19歳の池田大作先生が、恩師・戸田城聖先生と運命的な出会いを刻んでいた。インドを源流とする仏法を世界へ未来へ――新たな平和の潮流が起ころうとしていた。

 

〈マハトマ・ガンジーを語る池田先生〉

「進むべき距離がいかに遠くとも第一歩はどこまでも第一歩であり踏み出さなければ第二歩はない」

その地道な忍耐と執念こそが偉大な勝利を可能にする。

〈マハトマ・ガンジー〉

自己浄化は自由への最も確実な道である。

そのために必要なのは――何ものにもたじろがぬ、山のように不動の信仰なのだ。

 

1992年2月、インドを訪れた池田先生はガンジー記念館のパンディ副議長と会談。マハトマの笑顔の写真が2人を見守る中、ガンジーの直弟子である副議長は語った。「池田会長はガンジーと同じ精神のメッセージを広げておられます」と(ニューデリーの同記念館で)

 

 1869年10月2日に生まれたガンジーが、人権闘争に立ち上がったのは23歳の時。弁護士となり、インド人商人の顧問として南アフリカへ赴いた。

 彼はそこで「人種差別」の分厚い壁にぶつかる。以来、南アで“インド人救済法”の可決を勝ち取るまでの21年間、熾烈な戦いに身をささげた。

 メディアでの抗議や地位向上を目指した政府への協力……。試行錯誤を繰り返しても、光の見えない現実が続く。そんなガンジーに大きな影響を与えたのが、英国の思想家ラスキンの著書『この最後の者にも』だった。

 個人の中にある善は、全てのものの中に潜んでいる善――この本との出あいを機に、誰も犠牲にしない社会の建設を目指すようになった。後に、仏法にも啓発を受けたガンジーは「人間ひとりひとりに非暴力を展開させる無限の可能性が備わっている」との信念で、人々に“内面の変革”を促していった。

 「(自己浄化は)自由へ向かういちばん真直で確実な道であり、同時にいちばんの早道でもある。自己浄化のためには、いかに努力しようともし過ぎるということはない。それに必要なのは、――何ものにもたじろがぬ、山のように不動の――信仰なのだ」

 1914年、南アでの長い戦いに勝利した後、祖国に帰国。そこで彼は、「カースト」という身分階級制度の外に置かれた最下層の“不可触民”を「ハリジャン(神の子)」と呼んで敬意を示し、その解放を最大の悲願として戦い抜いた。

 ガンジーの闘争――それは単に独立という国外に向けられた戦いだけではなかった。国内で虐げられた全民衆のために起こした戦いでもあった。だからこそ性別や年齢、地位といった、あらゆる差異を超えて皆が連なり、一つとなったのだ。

 その精神は、インド独立の翌年、彼が凶弾に倒れた後も決して失われることはなかった。後継の人々が遺志を伝え続け、アメリカ公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング博士をはじめ、世界各地で人権闘争に戦う勇者たちの希望となった。

 

 池田先生は1961年2月1日、ガンジーを荼毘に付した聖地ラージ・ガートを訪問。独立の父の足跡を偲び、記念碑の前で題目を唱えた。

 「すべての人びとの目から涙をぬぐい去りたい」と願ったマハトマと、「地球上から“悲惨”の二字をなくしたい」と祈った恩師――。先生の胸には、両者の峻厳な精神を継承しゆく熱情がほとばしっていた。

 92年2月11日には、ガンジー記念館の招請を受け、インド国立博物館で「不戦世界を目指して――ガンジー主義と現代」と題して講演。その日はくしくも戸田先生の誕生日であった。

 池田先生はガンジー主義の特徴として、①楽観主義②実践③民衆④総体性の四点に言及。マハトマが理想とした「開かれた宗教性」にこそ、人類を蘇生させゆく大道があると論じ、聴講したガンジー研究者などから惜しみない賛辞が寄せられた。

 先生はこれまで、ガンジーの直弟子である同記念館のパンディ副議長やJ・P・ナラヤン氏、インド・ガンジー研究評議会議長のN・ラダクリシュナン博士のほか、歴代大統領や首相など、マハトマの精神に連なるインドの知性と友情を結んできた。

 さらにはガンジーの言葉を通し、友を励まし続けている。

 「『これから進まなければならない距離が1マイルであっても、または、1000マイルでも、第一歩はどこまでも第一歩であり、第一歩が踏み出されなければ第二歩はない』

 いかなる道も、一歩また一歩と進んでいくことだ。いかなる戦いも、一つ一つ、手を打っていくことだ。その地道な忍耐と執念こそが、偉大な勝利を可能にする」(2007年6月14日、「7・3」記念協議会でのスピーチ)

 「ガンジーいわく。『あなたの崇高な夢、大志は、必ず実現されるでしょう。良い目的のために努力すれば、それは決して無駄になることはない』と。強き意志のあるところ、夢を実現する道は必ず開かれる。いわんや、私たちには、『祈り』がある。絶対に勝つことができるのだ」(08年9月30日、新時代第22回本部幹部会でのスピーチ)

 全ては一歩から始まる。意志のあるところに道は開ける。

 本年は、先生のインド初訪問から60周年の節目である。

 

 【引用・参考】『ガンジー自伝』蠟山芳郎訳(中央公論新社)、『わたしの非暴力』森本達雄訳(みすず書房)、K・クリパラーニー編『抵抗するな・屈服するな〈ガンジー語録〉』古賀勝郎訳(朝日新聞社)、『ガンディー 魂の言葉』豊田菜穂子・豊田雅人訳(太田出版)、『ガンディー 獄中からの手紙』森本達雄訳(岩波書店)、カルヴィン・カイトル著『ガンジー』岳真也訳(潮出版社)、映画「ガンジー」リチャード・アッテンボロー監督、ほか 

 

〈危機の時代を生きる 創価学会学術部編〉

 

第7回 腸内環境と健康

2021年2月3日

麻布大学名誉教授

鈴木潤さん

新型コロナに立ち向かうために

 

「免疫の最前線」の強化を

 

 

 「腸」の強化は、新型コロナウイルス感染症の重症化を防ぐ上で重要と考えられている。「危機の時代を生きる――創価学会学術部編」の第7回は、「腸内環境と健康」がテーマ。細菌感染症が専門で、細菌毒素が腸に及ぼす影響などを研究してきた麻布大学名誉教授の鈴木潤さんの寄稿を紹介する。

 

 嗅覚の喪失、味覚の変化、運動障害、頭痛や下痢、嘔吐など、さまざまな症状を引き起こす新型コロナウイルス。このウイルスは、人間の細胞膜の表面にある「ACE2」というタンパク質と結び付くことで、細胞の中に取り込まれることが分かっている。

 ACE2は、血管の収縮に関係しており、血流や血圧の調節に重要な役割を果たす。ここにウイルスが感染し、細胞内で増殖すると、本来の細胞が持つ働きが阻害される。例えば、感染者が重度の肺炎を引き起こすのは、肺の細胞表面にACE2が多く発現していることが一因と考えられている。

 実は、5~7メートルにも及ぶ人間の小腸と、約1・5メートルといわれる大腸の上皮には、ACE2が多く存在しており、一説には肺の300倍との報告もある。こうしたことが、腸の炎症や下痢を引き起こす原因になっているのであろう。

 今回の感染症の始まりは、動物から人にうつったことと指摘されている。それは、新型コロナウイルスを持つ動物を、人間が食べたことが原因だといわれるが、体内では、腸のACE2を介して感染した可能性が高いと考えられている。新型コロナウイルス感染症と腸の関係は、今後、ますます注目されていくと思う。

 ◆◇◆

 

 そもそも、感染症に立ち向かう上で、腸の役割とは何か――。

 まずは、「免疫の最前線」という点である。

 私たちが口にした食べ物は、胃と腸で消化され、最終的な栄養分は、腸から体内に吸収される。口にした時点で“体内に入った”とも捉えられるが、実際に体内に吸収するのは、腸である。

 この吸収の際、赤痢菌、コレラ菌といった病原性細菌やウイルスが侵入してしまえば、人体に悪影響を及ぼす可能性がある。だからであろうか、さまざまな外敵と戦う免疫細胞の実に7割は、腸で作られている。いわば、ここが免疫の最前線なのである。

 そして、この腸と協力し、外敵から守る働きをするのが、腸に常在する腸内細菌である。

 一説には1000種類、100兆個ともいわれる腸内細菌が生息し、丸いものや棒状のもの、連鎖状のものなど、種類ごとにまとまっている様子は、まるでお花畑のようで、これらは腸内フローラと呼ばれる。

 大きく善玉菌悪玉菌日和見菌の三つに分類される腸内細菌は、私たちが口にした食べ物の分解を手助けし、そこから栄養を吸収して生きている。栄養が吸収されてしまうと、腸にとっては、メリットがないように思えるが、そうではない。腸内細菌は、人体に悪影響を及ぼす外敵を監視し、時には免疫細胞に“敵が来たぞ”と知らせながら、協力して外敵と戦っている。また人間が合成できないビタミンは腸内細菌が作り、私たちはその恩恵を受けている。

 腸内フローラは、臓器と同じくらい重要であり、腸内フローラに異常があると、免疫細胞にも大きな影響を与え、感染症にかかりやすくなることが分かっている。

 腸内細菌の存在も、感染症に立ち向かう上で重要なのである。

 

 ◆◇◆ 

 

 また、腸の役割で注目すべきは、「第2の脳」という点である。

 「第2」と言うと、“脳より下”と思うかもしれないが、生命の進化では、最初に腸が生まれ、その腸が進化して脳が生まれたとの説があり、腸は“脳の生みの親”とも指摘される。

 脳だけで生きている生命は、存在しない。一方、この世には、脳がなく、腸だけで生きているヒドラのような生命体がいる。

 

 

 

腸内は細胞と細菌との絶妙な調和の世界

調食・調身・調息・調眠・調心 仏法の健康観は腸を活性

 

 

 腸には、脳のように神経細胞が張り巡らされ、脳の指令がなくても“自分で判断し、自分で動く”ことができる。それが「第2の脳」と言われるゆえんである。

 脳と腸には、共通点が多い。

 例えば、味覚を感じる細胞は、舌のほか、脳と腸にも存在している。私たちが食べ物を口にして“おいしい”と感じる時、舌で感じた信号が脳に伝達され、幸福感が得られると思うかもしれないが、実は、腸も“その味”を感じていると考えられている。

 また、脳と腸で使われる伝達物質も近い。その一つがセロトニンで、脳ではストレスを緩和し、幸福感をもたらすが、それに加えて腸では、食べ物を消化液と混ぜ、吸収しやすいように変えるための腸管を動かすために使われる。

 脳と腸は互いに伝達物質をやりとりすることが知られており、体内のセロトニンの9割が腸、厳密に言えば腸クロム親和性細胞になるが、そこで生成される。これは、ACE2との共同作業で生成されると考えられている。

 私たちは今、新型コロナウイルスに感染しないよう、マスク着用などの対策を取っている。それは脳で考えたことであろうが、もしウイルスを体内に取り込んでしまったら、どうだろう。

 ある時は免疫細胞を活性化させてウイルスと戦い、そして、ある時は腸管を通って下痢を起こし、病原体を体外に排泄することを“自分で判断”してくれる腸の働きは、「超」大事なのである

 

 ◆◇◆ 

 

 腸内環境を整えておくことが、感染症に立ち向かう力となる。

 では、私たちには、そのために何ができるのか。

 一つ目は「食事」である。

 免疫細胞はもちろん、腸への病原体の接近を防御する粘液などは、私たちの食べるものから作られる。だからこそ、そうした材料となる物質を多く含む食品を選んで食べることが、腸内環境の機能を高めることにつながる。

 例えば、ヨーグルト、納豆などの発酵食品には、乳酸菌やビフィズス菌など、免疫細胞を活性化させる善玉菌が含まれている。また、これらの善玉菌を腸内で育てる食物繊維、オリゴ糖などの摂取も大切である。

 最近の研究では、新型コロナウイルスの感染者には、腸内の善玉菌が不足していることが分かっている。善玉菌の数や種類を増やすための食生活を心掛けることは、重要なのである。

 さらに、腸の動きやストレスの緩和、幸福感と関係するセロトニンの材料となるのは、必須アミノ酸であるトリプトファンだが、これは、カツオやマグロ、牛乳、ダイズなどに多く含まれる。ともあれ、そうした食品をバランス良く摂取することが大切である。

 二つ目は「運動」である。

 私たちの身体を構成する細胞は、酸素のある条件下で初めて生命活動ができる。だからこそ深呼吸で新鮮な酸素を取り込んだり、適度な運動によって血流を促進させ、全身に酸素を巡らせたりすることが大切である。気持ち良いと感じるくらいの運動は、自律神経にも影響を与え、腸の活性化にもつながることが知られている。

 三つ目は「睡眠」である。

 睡眠不足は体内時計を狂わせるだけでなく、自律神経の働きを乱し、腸内環境にも悪影響を与えることが近年、分かり始めてきた。腸内細菌は、私たちの睡眠中に活発に動くことが知られており、睡眠も大切な要素となる。

 四つ目は「心の安定」である。

 日光浴をしたり、気心の知れた友と会話したりして心が安らぐと、脳ではセロトニンが分泌される。脳と腸は互いに連携しているので、人生の充実感となるだけでなく、腸内の動きを活性化させることにつながる。

 ◆◇◆ 

 こうしたことを踏まえて、仏法の健康観を見ると、興味深いことが分かる。

 それは、天台大師が健康法の基本として挙げた次の5点である。

 ①調食(食べ物の質と量を調整する)

 ②調身(散歩、体操、運動をする)

 ③調息(呼吸を調える)

 ④調眠(睡眠、生活のリズムを調える)

 ⑤調心(心を調える)

 この仏法の捉え方は、腸内環境を良くする視点とも響き合う。

 また、たとえ身体に良いからといって、同じものを食べ過ぎると、かえって毒となる。寝過ぎも生活リズムを崩す原因となる。まさに「調」の一字が入ることで、絶妙な表現となっていると感じる。

 

 ◆◇◆ 

 

 日蓮大聖人は「所詮・万法は己心に収まりて一塵もかけず(中略)日月・衆星も己心にあり」(御書1473ページ)と仰せである。

 星々が絶妙な調和を保ちつつ運行し、一瞬たりとも止まることがない宇宙。そして、数え切れないほどの生命を守り支える宇宙……。

 そんな宇宙から見れば、一人一人は小さな存在かもしれないが、仏法では、その一人一人の生命には、“宇宙大の力”が収まっていると説く。

 私は、その一端を、感染症に立ち向かう身体の働きを研究する中で感じてきた。

 例えば、腸内細菌は、私たちとは別の生命だが、その一つ一つの腸内細菌が、私たちの細胞と協力し、さまざまな外敵と戦う中で、私たちの生命は支えられている。いわば、「私」とは、腸内細菌たちも含めて「私」なのだ。

 その一人一人に備わる力を信じ、いかに強めていけるか――。

 ここに、今回のコロナ禍に立ち向かう鍵があると思う。

 

 すずき・じゅん 1948年生まれ。博士(医学)。麻布大学生命・環境科学部教授などを経て現職。細菌感染症分野で顕著な研究成果を上げたほか、日本電気泳動学会児玉賞に輝くなど多大な功績を残す。著書に『仏法と科学からみた感染症』(潮出版社)、共著に『「食の安全」基礎知識』(アドスリー)などがある。

 

〈危機の時代を生きる〉

 “弱いロボット”が教える豊かな関係性のあり方

2021年1月23日

インタビュー 豊橋技術科学大学 岡田美智男教授

 

 変化が絶えないコロナ禍の社会。この不安定な時代を生きるには、「強い個人」であらねばならない……というイメージとは異なった生き方を提唱する研究がある。豊橋技術科学大学・岡田美智男教授による〈弱いロボット〉の研究だ。その内容、真意とは――。(聞き手=萩本秀樹、金田陽介。写真は本人提供)

 

引き算の発想

 

 ――岡田教授が研究している〈弱いロボット〉とは、どのようなロボットでしょうか。

 

 ものづくりというのは基本的に、一つの個体にいろいろな機能を閉じ込めて、自己完結させるのが望ましいという発想で成り立っています。ですから一般的にロボットは、「あれができる」「これもできる」と、できることを強調するわけです。

 それは私たち人間も同じで、例えば、小さな子どもは“早く一人で靴下をはけるように”と期待され、あるいは学校の試験も、誰の手も借りずに、一人で受けるのが当然です。一人でできることを、良しとする価値観があるのですね。

 個の力で物事を解決しようとする考え方は、「個体能力主義」と呼ばれます。しかし私たちは、必ずしも、個の中だけで閉じたまま活動してはいないのです。子どもは一人で靴下をはいているように見えて、実は、背中を壁につけたり、いすに座ってバランスを取ったりするなど、周りを頼っています。

 私は、“自己完結が当たり前”という常識を捉え直し、周りに支えてもらうようなロボットを作れないかと考えました。個体の機能をそぎ落とし、周囲との関係性を探究できれば面白い、と。

 そして、学生たちと一緒に、〈弱いロボット〉と名付けて開発に取り組んできました。自分だけでは問題を解決できない「弱い」存在ですが、周りとの関係性を豊かに構築することで、最後は目的を達成してしまうようなロボットです。

  

 ――“なんでもできる”ことを目指すのではなく、周囲の手を借りるのですね。

 

 一例として、私たちが開発した〈ゴミ箱ロボット〉(※動画を参照)には腕がなく、自分ではゴミを拾えません。では何をするかというと、ゆっくりと歩き回り、ゴミが落ちているのを見つけたら、体を揺らしたり、声を出したりしてアピールするだけです。

 そうしているうちに、様子を見ていた周囲の人たちが、一生懸命、ゴミを集め始めたりします。自分ではゴミを拾えなくても、周囲の助けを引き出して、結果として、ゴミ拾いという目的を完結するわけです。

 拾った物がゴミなのか、誰かが落としたものなのか。燃えるゴミなのか、燃えないゴミなのか。価値があるのか、ないのか。そういった判断は、ロボットには難しい側面があります。また、例えば薄っぺらいゴミを拾うことも、ロボットのごつごつした手では大変です。

 むしろ、そうしたことは人間の方が得意です。そうであれば、人に手伝ってもらった方が早いんですね。すると、どんどん機能を追加する「足し算」ではなく、シンプルに作って、多くを周囲に委ねる「引き算」のデザインになります。そんな発想から、弱いロボットが生まれていきました。

 ゴミ箱ロボットは、「もこもこ」と意味不明な言葉を発しながら、ゴミが落ちていることを周囲に知らせます。ここで「ゴミが落ちている。拾って」と言ってしまうと、人間は“指示されている”“使われている”と感じてしまうのですが、ロボットの言葉が拙い分、聞き手側が解釈する余地が残ります。

 “困っているのかな”と聞き手側が考えることで、“放っておけないな”という優しさも引き出されるのですね。納得した上で手伝うので、ロボットが目的を達成できたことを、手伝った側もうれしく思います。

 効率性や便利さばかりがものづくりの目的になりがちな現代ですが、こうした「関係性」を志向するものづくりの考え方が、あってもよいのではないかと思うのです。

 

 

“不完全さ”を補完し合うことで強いレジリエンス(困難を乗り越える力)が生まれる

 

  

 ――「弱さ」が結果的に「強み」になる、という視点を示されていますが、人間にも同じことが言えるでしょうか。

 

 人の体を外から見ると自己完結しているように見えますが、内側から自分を見ようとすると自分の顔すらも見えません。そういう意味では、本当は誰もが不完結なんです。

 不完結だからこそ、コミュニケーションを取って補完し合うのですが、人間には、不完全さという意味での「弱さ」を他の人に見せようとせず、強がってしまう傾向があります。

 しかし、目の前の人が、そうした「弱さ」を少し開示してくれると、“私と同じだ”と思えて距離が縮まり、共感が生まれます。反対に、互いに強がってばかりいては、なかなか協力関係が生まれないと思うのです。

 社会を見ても、弱さは隠されることがほとんどです。しかし、例えば10年前、東日本大震災で電力が逼迫した際に、電力会社はその事実を隠さず、“明日は80%しか、まかなえません”といったように公表しました。

 弱さが開示されたことで、“ここは節電できる”“この明かりは消せる”といった、全国の人の工夫や優しさが引き出された面があったと考えています。“大丈夫、大丈夫”と強がられてしまうと、そういう共感は、なかなか引き出されないと思うのです。

 

ブリコラージュ

 

 ――今、コロナ禍の中では未来を見通すことが難しく、誰もが不安定・不確実な“弱い”状況にあると言えます。

 

 「ブリコラージュ」という言葉があります。有り合わせのものをかき集めながら、周りの環境や制約を上手に生かして、問題解決をしていく方法です。

 一般的に、何か問題が起こると、事前にデザインした通りの解決法を実行しようとするのですが、世の中に、事前に備えることができるような問題は、そう多くはありません。むしろ、この先どうなるのか分析も予測もできない状況の方が多いわけです。これらは問題が閉じていない、「オープンな(開いた)」状態です。正解が見えないコロナ禍も、まさにオープンな問題であると思います。

 こうしたオープンな問題に対しては、周りの環境や制約を味方に付けたほうが都合がいい。

 例えば、お掃除ロボットは、真っすぐにしか動けない、シンプルな機能のものです。部屋の壁や机やいすにぶつかると方向転換して、またひたすら真っすぐ進むのです。これは、自分の行動の一部を壁や家具などの環境に委ね、次に進む方向を教えてもらっているということでもあります。

 本来、壁や家具は、ロボットにとっては“障害物”として、忌み嫌われるようなものです。しかし、それらをむしろ味方に付け、上手に利用することで、部屋を満遍なく掃除してしまう。とても賢いですね。

 ブリコラージュは、レシピ通りに料理を作るのではなく、冷蔵庫の有り合わせのもので調理をするようなものです。いつも同じ味にはなりませんが、意外とおいしく、オリジナリティーのあるものが生まれます。

 ゴミ箱ロボットの開発にあっても、技術や研究予算に制約があったからこそ、人に手伝ってもらうロボットを作ろうという発想になりました。もし技術や研究予算がそろっていたら、腕を付けてみたりして、もっと高機能なロボットを開発していたかもしれません。有り合わせの中だからこそ、従来とはひと味違うロボットが生まれたと思っています。

 

依存先の分散

 

 ――周りの環境や制約をバネにしながら働く〈弱いロボット〉は、コロナ禍で求められるレジリエンス(困難を乗り越える力)の在り方を、示唆してくれているように思います。

 

 お掃除ロボットが真っすぐ進んで壁にぶつかり、すかさず進行方向を変えて掃除を行う様子は、周囲や環境を味方にしていくことの“強さ”を教えてくれており、人間の生き方にも通じます。

 コロナ禍のように予測不能な状況下では、事前に準備したプランが役に立たないことが、しばしばある。そんな時、目の前に現れる状況を味方に変えていく柔軟性がある人は強いわけです。まず一つの解決策を試して、ダメだったら次の策を素早く取り入れるという俊敏性も、大切になります。

 当事者研究の第一人者で東京大学准教授の熊谷晋一郎さんは、「依存先の分散としての自立」という概念を提唱しています。自立とは「誰の手も借りずに、一人で行えること」ではなく、「依存先を増やし、分散させておくこと」である、と。

 レジリエンスを「個人の能力や資質」と見るのではなく、「頼れる依存先を豊かにしていくこと」と見る考え方ですね。

 ロボットと人との関係も、人と人との関係も、自分が弱さをさらけ出すことで、相手の優しさを引き出すことができます。その意味で多くの人の恐怖や不安が露呈するコロナ禍は、新たなつながりをつくり、依存先を増やすチャンスでもあります。

 そうした補い合いや支え合いの中で、強いレジリエンスが育まれていくのではないでしょうか。

 

価値創造の好機

 

 ――マイナスと捉えられがちな「弱さ」から「強い関係性」を生むという研究は、価値創造を意味する創価の哲学とも響き合うものです。

 

 その通りだと思います。はじめから全部が備わっているのではなく、ほんのちょっと隙間や余地があることで、周囲が手を加えるきっかけになります。そうして関係性を引き出すのは、人間のつながりも同じですね。

 不完全であったり、弱さがあったりするからこそ、そうした面を介して人とつながり、一緒に価値をつくり出していけるのだと思います。

 私は高校時代、数学、特に因数分解が苦手でした。毎日、問題集を解くことを自分に課したのですが、一人では解けないわけです。そこで何をしたかというと、次の日に学校で、気のいい友人たちに教えてもらったんです。

 ある意味で自分の弱さをさらけ出したわけですが、その友人たちは「そうか、分からないのか」ということで、教えてくれたんですね。弱いところを繕わずに伝えることができれば、次の展開がどんどん見えてくるものだと感じました。

 そうしたことができるのは、相手を信頼しているからこそだと思います。そして、相手もまた、弱さをさらけ出してくれることで、信頼関係はさらに強くなります。

 不完全さという意味での「弱さ」を互いに共有することで、距離が縮まり、強いつながりが生まれます。そういう豊かな関係性の中では、「○○する側」「○○される側」という線引きは、なくなっていくのだと思います。

 反対に、「やってあげる人」「やってもらう人」、「教える人」「教えられる人」というように役割が分かれると、相手にお願いばかりすることになり、要求水準がどんどん高まっていきます。そうなると、互いの間に距離が生まれ、共感や思いやりが失われ、非常にもろい関係性に陥ってしまう。不完全さ、弱さを認め合いながら、皆が支える側にも、支えられる側にもなるような社会づくりが大切です。

 コロナ禍は、ある意味で、意図せずとも多くの人が、そうした面をあらわにせざるを得なかったような状況ではないでしょうか。しかしそれは、価値創造のチャンスとも言えます。ある一人が自分の不完全さを正直に伝えることで、周りの人もまた、同じことをしやすくなるからです。その意味で、その最初の一人は「先駆者」と言えるわけです。

 最近、「オーセンティック・リーダーシップ」といわれる、自分らしさをさらけ出すことで皆を糾合するリーダーシップの在り方が注目されています。“自分はここが弱いけど、頑張っているよ”といった等身大のリーダーに、周囲の人は共感し、付いていきたいと思えるのかもしれません。

 そうした不完全さの共有の中で、「個人の力」の足し算を超えた、組織としての強さが生まれていくのだと思います。

 

 おかだ・みちお 豊橋技術科学大学情報・知能工学系教授。1960年、福島県生まれ。東北大学大学院工学研究科博士後期課程修了。工学博士。NTT基礎研究所情報科学研究部、国際電気通信基礎技術研究所等を経て、2006年から現職。専門はコミュニケーションの認知科学、社会的ロボティクス、ヒューマン・ロボットインタラクション、生態心理学など。〈弱いロボット〉の提唱により、平成29年度科学技術分野の文部科学大臣表彰科学技術賞(科学技術振興部門)等を受賞。主な著書に『〈弱いロボット〉の思考』(講談社現代新書)、『弱いロボット』(医学書院)などがある。

 

〈危機の時代を生きる〉

 若者よ、考える力を磨き「覚悟」を胸に進もう

2021年1月7日

建築家 安藤忠雄さん

“地球は一つ”との感性 “共に生きる”との行動

 

 先行きが不透明な時代。常に“挑戦の心”で道を切り開いてきた世界的な建築家は、何を思い、何を発信するのか――。「成人の日」(今月11日)を前に、安藤忠雄さんに、若者たちへのメッセージを込めて語ってもらった。(聞き手=関西支社編集部・石田仁、岡直彦)

 

“何ともならん”

 

 ――建築家として半世紀、社会や人々の暮らしに、鋭い感性で向き合ってこられました。コロナ禍の中で明けた本年を、どのようにご覧になりますか。

  

 昨年末からまた状況が悪化して、厳しい年明けとなりましたね。ワクチン開発などで、いずれは収束するのでしょうが、今年が昨年以上に苦しい一年になることは確か。これはもう“何ともならん”と危惧しています。ただ、一つ言いたいのは、今の日本社会の不安定な状態というのは、決して今に始まったことではないということ。

 実際、日本経済は、1990年代のバブル崩壊以降、ずっとさまよい続けています。やはりどこかで「経済大国」と呼ばれていた頃の“平和ボケ”があるのでしょう。その間に、情報技術の躍進と連動して一気にグローバル化する世界に取り残され、また一方で、少子高齢化、頻発する自然災害、環境問題への対応など、“差し迫った課題”は解決できないまま積み重なっています。そんな状況が、コロナ禍で改めて白日の下にさらされた感覚です。

 そう考えると、この危機下で必要なのは、近視眼的な成長戦略より、この先の日本、世界はどうあるべきか、そのために今は何をするべきか、という根本に立ち返ったビジョン、新しい価値観をつくることですよね。

 残念ながら、現在の日本でそんなリーダーシップは期待できない。コロナ禍でも急変する事態に右往左往、あおられた方向に流されるばかりですから。今はともかく踏ん張って、それぞれに自分の足で前に進んでいくしかない。

  

 ――若者が今後、そうした社会を生きていく上で、何が必要でしょうか。

  

 今回のパンデミックは、世界をつなぐグローバリズムが起爆剤となって引き起こされました。それによって今、世界のつながりが断たれているのは皮肉な話ですが、ともかく、今や、世界は一つの存在なのです。

 そこを生き抜いていこうというのなら、まずは“地球は一つ”という感覚を、芯として持つことです。コロナ禍で、自国第一主義が蔓延し、金のあるなしで命が決まるような経済格差、人種差別など、悲しい「分断」のニュースが目立ちますが、結局、人間は一人では生きられない生き物なのですから。

 こういう時代だからこそ、一つの地球で“共に生きる”精神が必要であり、それこそが、この先の世界を切り開く鍵になると私は思います。

 一つの地球、共生といっても、そんなに大それた話ではありません。「自然と共に」「隣人と共に」「地域と共に」そして「世界と共に」――手の届く身近なところから一歩ずつ視野を広げ、行動を起こしていけばいいのです。

 私は長年、各地で市民の方々と共に植樹活動などに携わってきましたが、この種の運動の趣旨もまさにその精神にありました。いきなり“環境を考えろ”と言われてもピンとこないけれど、“自分たちの街の風景を、自分たちの手で”となると、“やってみようか”と立ち上がる人も出てくる。

 地元・大阪の中之島周辺で取り組んだ「桜の会・平成の通り抜け」では、もともと4000本の桜があった所に、新たに3000本を植えました。

 植樹と、その後30年間の維持管理には、4億5000万円かかる。というので寄付を募ったところ、多くの方が“それはいい話や、私も乗ります!”と応じてくださり、1年余りで目標を達成できた。利にさとい、と言われる大阪人でも、こういう心意気もあるんです(笑い)。

 

誰にでも手に入る“材料”で誰にもできないものをつくる

 

 自分のためだけではなく「皆のために」と思うことで湧き起こる力がある。そうした一人一人の力のネットワークが、時代を変える大きな流れをつくるんです。今、日本はもう一度、国をつくり直さなければいけないような状況を迎えています。若い人たちに、他者を思う心と国際感覚、勇気と忍耐力を持って立ち上がってほしいですね。

 

自力で学ぶ体験

 

 ――安藤さんは特に、「自分で考える」ことの大切さを訴えてこられました。

  

 簡単な話なのですが、今のように管理された情報過多の社会では、意外にそれが難しいんですよね。私は工業高校を卒業後、大学には行かずに独学で建築の道に進む決意をしました。学力や家庭の経済的問題で、行きたくても行けない、ならば“働きながら、自分で学ぼう”と考えたわけです。

 独学の難しい点は、何をどう学ぶか、そこから自分で考えねばならないところです。まず、京都大学に通っている友人に、使っている教科書を教えてもらい、それを、アルバイトしながら、懸命に読み込みました。正直、半分も理解できませんでしたが、目標を掲げ、それをやり抜いたことで前に進んでいる実感は持てましたね。

 そして、建築の場合は目指すべきお手本が実際にありますから、それらの“本物”を一つでも多く体験しようと、関西近郊から日本、そして世界へと、ひたすら建築行脚を重ねました。奈良だったら東大寺、唐招提寺、法隆寺。現地で空間を体験しながら考えると、構造やデザインの歴史だけでなく、材料がどうやって運ばれ、どのように建てられたかといった目に見えない背景の部分まで視野を広げることができます。例えば資材の大木は広島や山口といった遠方から船で運んでくる。なぜなら時間がかかる分、余分な樹液が抜けて乾燥するからです。

 あるいは建設資金の問題。東大寺は、国にお金がないからと、高僧が各地を歩いて回り、民衆から寄付を募った。教科書には、なかなかこういう現実的な話は出てきませんが、実際の建築の仕事で一番大事なのは、実はそこだったりするんです。独学の道は決して楽ではなかったけれど、その分、自分なりのモノの見方、考え方を養えたのは良かったと思います。

 そうして28歳の時に、自分の事務所を開設し、徒手空拳の状態で仕事をスタートしたわけですが、そんな私がここまで来ることができたのは、もちろん、周囲の人々の助けがあったからです。とりわけ、サントリーの佐治敬三さん、アサヒビールの樋口廣太郎さん、京セラの稲盛和夫さんなど、関西経済界のリーダーたち。彼らは、私の建築を評価したというより、“あの青年の生き方がおもしろい”という理由で、大きな仕事のチャンスをくれたように思います。

 自分の足で立ち、苦しくとも前を向いて走っていれば、時に応援してくれる人も現れるんですよね。現れないかもしれないけど、信じて走り続ける。そんな覚悟が要るんです。自分で道を切り開いて生きていくなら。

 

読書のすすめ

 

 ――常々、“読書の重要性”を語られています。「考える力」を磨くためにも欠かせないものですね。

 

 読書は大事です。自由や勇気を言葉で学ぶ本は、心の栄養ですから。特に、子どもたちに読んでほしい。今の日本では、何でも親が答えを出そうとする。これではいけません。子どもの頃から優れた本にたくさん触れさせ、考える力を付けさせることです。子どもたちの可能性を伸ばすことが、そのまま国の未来、成長につながります。

 昨年7月、大阪・中之島に「こども本の森 中之島」がオープンしました。私がつくって大阪市に寄贈した図書施設ですが、これも“桜”と同じく、一般の寄付で、今後20年間の運営費を確保しています。

 蔵書は約1万8000冊。名誉館長の山中伸弥さん(京都大学教授)をはじめ、文化人の有志が寄贈してくださった、彼らが子どもの頃に読んだ本のコーナーもあります。建物は3階建ての、文字通り本に包まれた空間。大階段や階段下など、館内の好きな場所で本が読める。外に持ち出して読んでもいい。親が本を選ぶのではなく、自分で選ぶ。自由がテーマの施設なのです(※編集部注=当面、入館にはサイトでの予約が必要)。

 同じ「本の森」のコンセプトで、本年には岩手県遠野市、明年には神戸市に、子ども向けの図書施設が開館する予定です。神戸は、阪神・淡路大震災の「慰霊と復興のモニュメント」がある東遊園地の中ですね。

  

 ――「こども本の森 中之島」の並びに立つ大阪市中央公会堂は、創価学会にとっても64年前に歴史的な大会が行われた特別な場所です。

  

 あの公会堂は約100年前、岩本栄之助という大阪の株式仲買人が寄贈したものです。残念ながら、岩本は後に破産して、建物の完成前に自ら命を絶つ。しかし、公会堂の寄贈をやめようとはしなかった。悲しいエピソードですが、そんな志高い市民の心意気が、民の街・大阪を支えてきた歴史があります。公会堂の近隣に、今を生きる大阪人の力で「本の森」ができたことには大きな意味があります。

 

ないことは幸せ

 

 ――このコロナ禍では、私たちの生活にも、さまざまな制限があります。

  

 「ない」なら「ない」ことを受け入れて、覚悟を決めることです。私の経験でいえば、「ないものがある」ハンディキャップは時に力にもなります。

 半世紀前、社会に出た時、私には学歴も社会的基盤もなかった。その不利をどう乗り越えるかというところからスタートして、常に不安を胸に、がむしゃらに頑張ってきたことが、今につながっているんです。

 最近では、2009年と14年に、がんで2回、大手術をして、胆のう・胆管・十二指腸・膵臓・脾臓と、五つの臓器を全摘しました。医師にも「これだけ臓器がないと、生きてはいけても、“元気に”とはいかない」と言われ……。

 しかし、「ない」なら「ない」に合わせた生活をするしかない。医師の言う通りに生活を一新しました。毎回の食事に40分かける。1日1万歩近く歩く。運動を欠かさない。昼は休憩を1時間。おかげで、今では手術前より体調はいいです。それまで、とれなかった読書の時間も確保できるようになった。病気で失ったものもありますが、得たものもありましたね。

 その後、中国から大きなプロジェクトのオファーがあり、私を選んだ理由を尋ねると、「安藤さんみたいに内臓が五つもなくて元気な人なんて、縁起がいいから」と。冗談みたいですが、本当の話です。

 今後は本当に厳しい社会になっていきそうです。働く場所もなくなってくるでしょう。日本の国も、かじ取りが難しいですよ。経済に偏ることなく、科学技術や文化・芸術といった分野も引き上げていかないと、世界は信用してくれません。国際社会における力とは「信用」ですから。

 何も、ゼロからやり直すことはないんです。それぞれの国、場所に、長短の個性がある。日本にも、海外から評価されるような独自の文化力がありますよね。それをいかに生かすかというところから、始めていけばいいんです。“今あるもので、どこにもない価値を生み出していく”柔軟な姿勢が必要です。

 

挑戦の心燃やし

 

 ――“今あるもの”に新たな価値を見いだすという点では、近年、ヨーロッパで歴史的建造物の“再生”も手掛けてこられました。そこには、安藤さんならではの建築への信念が込められています。

  

 集まって生きる人間の歴史が形として残ったのが都市・建造物であり、その記憶の堆積こそが文化の土壌です。私たちには自らが受け取ったものを次代へとつなげていく責任がある。

 今年、フランスのパリで、ルーブル美術館近くにあるかつての穀物取引所「ブルス・ドゥ・コメルス」を、美術館に改造するプロジェクトがオープンを迎えます。実業家のフランソワ・ピノー氏が私財を投じて実現したものです。私のアイデアは、円形の古い建物の構造をそのままに、中心に円筒型のコンクリートの壁を挿入し、新旧がぶつかり合う対話の空間をつくるというもの。実に単純な建築です。全貌が見えてきた今は、ピノー氏も満足してくれていますが、最初は“安藤さん、本当にこれだけでいいのか”と不安だったかもしれませんね(笑い)。

 鉄筋コンクリートといえば、私がこの材料・工法にこだわるのは、それが、現代において最も“ありふれた”存在だからです。“世界中どこでも、誰にでも可能な方法で、世界のどこにもない、誰にもできないものをつくりたい”という挑戦心が、今日までコンクリートを使い続けている一番の理由です。

 人生も同じじゃないかな。誰にもまねできない、自分なりの生き方を貫くというのが、一番豊かなことだと思います。かつての日本は、みんな「右へ倣え」で“冷蔵庫がほしい、テレビがほしい、家がほしい”という願望を成長のエネルギーにしてきましたが、もうそんな時代ではない。どんな小さな家でも、当人ならではの豊かな生活ができれば、それでいいのです。

 今後は、周囲に流されず、皆が自分の生き方を自分で探し、創っていく時代になるでしょう。特に若い人たちは、それぞれに“この道では誰にも負けない”と誇りが持てるよう頑張ってほしい。世の中は、もっともっと変わっていきます。言い古された言葉ですが、“逆境こそチャンス”なのですから。

 まあ、まずは、スマホの使用時間を、今の半分にした方がええね(笑い)。突っ張って生きていくには、便利も過ぎると、“不便”だから――。

 

 あんどう・ただお 建築家。1941年、大阪市生まれ。プロボクサーを経て、独学で建築を学び、69年に安藤忠雄建築研究所を設立。日本をはじめ世界各地の建築を手掛け、日本芸術院賞(93年)や“建築界のノーベル賞”といわれるプリツカー賞(95年)、国際建築家連合(UIA)ゴールドメダル(2005年)、文化勲章(10年)など受賞。イタリア、フランスから国家勲章も贈られている。イエール、コロンビア、ハーバード大学の客員教授を歴任。東京大学名誉教授。代表作に「光の教会」「淡路夢舞台」や「フォートワース現代美術館」(アメリカ)、「プンタ・デラ・ドガーナ」(イタリア)など。

 

〈新春特別インタビュー〉

 分断の克服へ

 対話を広げるSGIに期待

 アメリカ公民権運動のリーダー

 ジェームズ・ローソン氏

 

2021年1月1日

非暴力闘争の「柱」は人間自身の変革

一握りの人たちの行動が全世界の心を変えるのです

 

   

 アメリカ公民権運動のリーダーであり、著名な社会活動家のジェームズ・ローソン氏。盟友であるマーチン・ルーサー・キング博士は、氏を「非暴力運動の理論と戦略の第一人者」とたたえました。92歳の今もなお講演やセミナーを続ける氏に、現在の社会状況をはじめ、公民権運動の精神や創価学会・SGIへの期待について聞きました。(聞き手=木﨑哲郎、福田英俊)

 

 ――2020年は、新型コロナの感染拡大をはじめ、接戦となった大統領選挙、「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大切)」運動の広がりなど、アメリカ社会、そして世界が激しく揺れ動いた1年となりました。その中で人々の「分断」が深刻化しています。この現象の本質を、どうお考えでしょうか。

  

 まず私たちが理解しなくてはならないのは、西洋文明が内包する思想、その構造そのものに問題があるということです。

 15世紀以降、西洋文明は軍と銃をもって海を渡り、世界中を征服しました。そして、ある種の「思想」を伝播させたのです。

 それは「暴力こそが地球上における最大の力であり、暴力によってこそ、あらゆる変革は可能となる」という思想でした。19世紀にカール・マルクスが“革命とは暴力である”と宣言した通りです。

 私は、自分の富だけを追い求めた、この西洋文明の暴力的な土壌に、「人種差別主義」「性差別主義」「植民地資本主義」の病根があると考えています。

 多くの人々が「他者」に対する誤った先入観を植え付けられており、理性や慈悲の心を失ってしまっています。

 本来、「人間の道」とは、他者の尊厳をおとしめる行為を拒否し、思いやりをもって接していく中にあるのであり、自分も他者も生命という素晴らしい贈り物をもっていることを認識し、それを大事にする中にあるはずです。

 昨今のアメリカ社会の分断の様相は、多くの人が「人間の道」を見失い、“魂に穴が開いてしまっている”ことを示しています。黒人も白人も、魂の傷を癒やさなければなりません。

 こうした人間の魂の回復は、世界の諸宗教に突き付けられている課題なのです。 

 

忘れ得ぬ母の言葉

 ――アメリカ公民権運動は、人々が人種差別の根絶のために立ち上がった歴史的運動でした。その一番の原動力は何だったのでしょうか。

  

 アメリカで「公民権」という言葉が法律に明記されたのは、1866年の公民権法制定の折です。南北戦争、奴隷解放宣言を経て、黒人も同等の市民権をもつことが示されました。公民権獲得の戦いには長い歴史があるのです。

 その上で私は、教育、雇用、投票、公共施設の利用などでの人種隔離・差別を明確に禁ずる新しい公民権法を生み出した、20世紀の公民権運動を「アメリカの非暴力運動」と呼んでいます。

 私は小学生の時、差別的な言葉を浴びせてきた白人の子を、カッとなり殴ってしまったことがあります。一部始終を知った母は、私の怒りを受け止めつつも、「暴力は絶対にいけません」と言いました。「神の道、キリストの道は、常により良い方法を考える努力にあるのよ」と。

 以来、その「より良い方法」を、ずっと探し求めてきました。朝鮮戦争の兵役を拒否し、1年以上、投獄されたこともあります。暴力や差別につながる法には、絶対に従わないと決心していました。

 そして1950年代、マハトマ・ガンジーの「非暴力思想」を学んだのです。

 人類がもつ最大の力は暴力ではなく、非暴力という精神の力である。これが彼の主張でした。

 愛こそが人間を癒やす力である。慈悲こそが、全ての人々の生命が輝く社会をつくる力である――こうした非暴力思想は、世界の宗教や聖典に共通する普遍的なものです。

 キングと私は、この非暴力思想をもって運動の先頭に立ちました。「いかなる場所における不正も、あらゆる場所における正義への脅威となる」と彼が演説したように、私たちは黒人の権利だけでなく人類のために戦いました。

 「自由」「平等」「正義」という倫理を、社会の根幹に据えていこうとしたのです。

 事実、私たちの運動に続いて、ヒスパニック系、アメリカ先住民など、あらゆる人々が覚醒していきました。セクシュアルマイノリティー(性的少数者)や障がいのある人たちも、「差別をやめよ!」と声を上げていったのです。

 このように「非暴力運動」は、わが国の独立時にも匹敵する地殻変動を起こしました。歴史上初めて、アメリカが「暴力」ではなく「非暴力」で生まれ変わったのです。

  

 ――創価学会・SGIは、一人の人間の変革が世界の変革をもたらすという「人間革命」の哲理を掲げています。この思想について、どう思われますか。

  

 非暴力闘争の「柱」も、まさに人間自身の変革にあります。私たちはそれを「コンバージョン(転換、改心)」と呼んでいます。

 非暴力の最大の力は、人の心、生き方を根本的に変革することです。暗闇から光が差し込む方へと歩み始めるように「転換」を遂げた多くの人々を、私はこの目で見てきました。個人の変革が、家庭、社会、国家、世界を変えていく。それは非暴力の哲理でもあります。

 また私は非暴力の実践家として、何より「対話」の重要性を強調したいと思います。

 正義の実現を目指す戦いにおける、一番の武器は対話です。一対一の真剣な対話こそが、人間に大いなる変革をもたらし、連帯を生み出すのです。そこから政治、経済へと変革の波を広げていくことができます。

 

「3・5%」の力

 ――1960年、池田SGI会長はアメリカを初訪問し、世界を舞台にした平和・人権闘争を開始しました。当時は、アメリカ公民権運動の最中でもあり、ここに歴史的な絆を感じずにはいられません。創価学会は今、192カ国・地域へと発展し、人種・民族の垣根を越えた草の根の対話を広げています。

  

 池田会長には、ガンジー、キングと多くの共通点があります。

 第一に、普遍の宗教的信念をもっています。

 第二に、そうした宗教的信念は常に身近な生活の場で実践されるべきものである、という確信がある。慈悲深く人と関わり、対話を重んじています。

 そして第三に、理想のために命を懸けて戦っています。あふれる人類愛があります。

 私は、どうか池田会長に長生きしていただき、この崇高な事業を続けてほしいと念願しています。

 世界の諸宗教は、SGIの人間革命の実践、平和への献身を模範とするべきです。一人一人が不正の鉄鎖を断ち切り、人類家族の一員となっていくSGIの運動に連なるべきです。

 池田会長と共に進むSGIの皆さまは、歴史と共にある。そして、永遠性と共にある。私はそう断言します。

 世界を変えるには、一体どれほどの人が必要でしょうか。実は、過半数の人が必要なわけではありません。ある学者の研究によると、全体の3・5%の人が非暴力の運動を推進すれば、世界は変わっていくというのです。

 振り返れば、私が「シット・イン(座り込み)」運動(=飲食店などの白人専用の席に抗議の意を込めて座る運動)を立ち上げたナッシュビルの街でも、実際に運動を主導したのは人口の5%ほどの人たちでした。彼らが街全体を変え、アメリカ全土を動かしたのです。

 ここに、20世紀の歴史の大事な教訓があると言えるでしょう。すなわち、ほんの一握りの人々の行動が、全世界の人の心を変えるのです。

 

 1928年生まれ。米ボールドウィン・ウォレス大学、ボストン大学を卒業。51年、朝鮮戦争の兵役を拒否し投獄。52年、インドに渡り、ガンジーの非暴力思想を学ぶ。帰国後、キング博士と出会い、テネシー州ナッシュビルで学生たちを対象に非暴力の講座を開始。これが米公民権運動を象徴する「シット・イン(座り込み)」運動(60年)などにつながった。ホルマン・ユナイテッド・メソジスト教会(ロサンゼルス)の名誉牧師。

 

〈私がつくる平和の文化Ⅱ〉

第12回 女性への性暴力と戦う

 2018年ノーベル平和賞受賞者

 デニ・ムクウェゲ 医師

2020年12月22日

権利と尊厳が守られる公正な社会に

 

 「私がつくる平和の文化Ⅱ」の第12回に登場するのは、アフリカ・コンゴ民主共和国の産婦人科医で、性暴力の根絶を世界に訴え続けてきた、2018年ノーベル平和賞受賞者のデニ・ムクウェゲ医師です。コンゴで起きている女性への性暴力と戦ってきた氏に、平和への信念を聞きました。(取材=サダブラティまや、歌橋智也)

 

 ――コンゴ国内で今なお続く性暴力の背景について教えてください。

   

 始まりは、1994年に隣国ルワンダで発生したジェノサイド(大虐殺)と、それによる難民問題にさかのぼります。この時、100万人規模の難民と虐殺首謀者がルワンダからなだれ込んできました。さらに、難民キャンプでの軍事勢力の拡大に対処する名目で、周辺国の軍がコンゴ東部に侵攻(第1次コンゴ戦争)。

 その後も争いは収まらず、98年8月に、周辺国による第2次コンゴ戦争が勃発します。女性への卑劣な性暴力が始まったのも、この頃です。

   

 ――武装勢力はなぜ、女性を標的にするのでしょうか。

   

 コンゴ東部には金、ダイヤモンド、ウラン、錫、コルタンなど、膨大な鉱脈が眠っています。スマートフォンを含む電子機器にもコルタンが使用されていますが、コルタンの全世界の埋蔵量の80%がこの地域にあるといわれています。武装集団や民兵組織がこうした天然資源地域を牛耳っており、多国籍企業や周辺国に代わって争奪戦を繰り広げています。そこで紛争の道具として、女性への性暴力が使われてきたのです。

 コンゴでは、女性が畑仕事や子育てなど家庭の中で中心的な役割を占めています。女性を標的にすることで、その人間性を奪うだけでなく、家族の絆、地域の信頼、経済構造、ひいては共同体の連帯を破壊します。女性に対する組織的な性暴力を見て恐れをなした住民たちは、土地を放棄して逃げざるを得なくなり、武装集団がその土地を手に入れ、支配するのです。

 紛争下における女性への暴力は、残念ながら新しい現象ではありません。しかし、コンゴで見られる性暴力が他と大きく異なる点は、類を見ない規模の大きさと野蛮性です。ここでは、戦争に付随して性暴力が起こるのではなく、鉱物を巡る経済紛争を背景に、銃や爆撃機に代わる最も効果的な“武器”として、性暴力が用いられるのです。

 

“無関心でいない?ことから始まる

  

 ――ムクウェゲ医師は、1999年にコンゴ東部のブカブにパンジ病院を設立し、20年以上にわたって性暴力で被害を受けた女性の治療・保護に当たってこられました。

    

 開設以来、パンジ病院では5万5000人もの被害女性を治療してきました。現在も、1日平均10人を受け入れています。しかし、治療を受けることができたのは、ほんの一握りの女性です。私たちが目にしてきたものは、氷山の一角に過ぎません。私が治療した患者は全世代にわたり、生後6カ月の赤ちゃんから、80歳を超えた女性までいます。この人間の悲劇を言葉で説明することは不可能です。

 性暴力によって生まれた子どもたちが、さらに性暴力によって深い傷を負わされ、病院に運び込まれてくるのを目にした時、私はこの問題を手術室だけで解決することはできないと悟りました。暴力の連鎖を断ち切り、女性たちを守るためには、世界を回って、この悲劇の深刻さを訴えるしかない、そう決心しました。そして、国連をはじめ、さまざまな国際会議の場で、コンゴにおける女性への性暴力の実態と、解決のための国際社会の行動の必要性を訴えてきたのです。

 

父と歩み続ける

 

 ――ムクウェゲ医師は、そうした活動によって幾度となく武装集団に命を狙われてきました。今も国連の部隊に警備されながら生活をされています。自身の身の危険にもかかわらず、性暴力との戦いを続ける信念は、どこからきているのでしょうか。

   

 もともと私に医師になる道を指し示してくれたのは、父でした。プロテスタントの牧師をしていた父は、悩める人の側に寄り添い続ける愛情深い人であり、どんな困難にも立ち向かう尊敬すべき人でした。

 幼い頃、父と共に重い病気の子どもを見舞いに行った時のこと。父は、その子が回復するよう真心込めて祈りをささげると、家を後にしました。

 この時、父とこんな会話をしました。「なぜ、祈りをささげるだけで、薬をあげないの? あの子は死んでしまうよ」「私は医者ではないから、私にできることは、祈ることなんだ」「じゃあ、僕は大きくなったら薬をあげる人になるよ」。すると父はうなずき、言いました。「では、私たちは互いに協力し合う関係になるな。お前が薬を配り、私は祈りをささげる」――これが、医師になることを決意した決定的な瞬間でした。私は今も、父と一緒に歩み続けているような思いがします。パンジ病院の精神を形づくっているのも、この科学と信仰の結び付きです。それが、絶望に立ち向かう活力を患者に与え、生きる勇気を送っているのです。

 私は敬虔なキリスト教徒として、誰人にも使命があると信じます。私たちは、自己の幸福や喜びを追求するためだけに生きているのではありません。私は誰かのために存在しています。あなたもまた、誰かのために存在しているのです。

 

希望は必ずある

 

 ――パンジ病院では、被害女性の治療に当たるだけでなく、彼女たちが社会復帰できるための経済面、教育面、精神面を含む、包括的なケアにも力を入れています。一度は、身も心もボロボロになった女性が、再び生きる希望を取り戻し、さらには、同じ境遇の人たちを支援するまでに回復する姿に、「平和の文化」建設における女性の役割を感じずにはいられません。

   

 サラという一人の女性がいます。彼女のことは、ノーベル平和賞を受賞した時のスピーチでも紹介しました。サラは、極めて危機的な状態で病院に運ばれてきました。武装集団が彼女の村を襲い、家族を虐殺しました。そして、一人残されたサラは、人質として森に連れて行かれ、木に縛り付けられた後、意識を失うまで毎日、集団からの暴行を受けたのです。病院に着いた時のサラは、一人で歩くことも、立ち上がることもできませんでした。性器や内臓に深い傷を負っており、彼女が将来、自分の足で歩けるようになるとは誰も想像できませんでした。それでも、時が経つにつれ、サラの目には生きる希望が宿ってきました。医療スタッフにまで日々、勇気を送ってくれたのも、ほかでもない、サラでした。

 笑顔が美しく、芯の強い、素敵な女性に成長した彼女は現在、生活再建のための50ドルを受け取り、小さなビジネスを経営しています。土地を購入し、パンジ財団の手助けで小さな家を建てました。サラの経験は、どんなにつらく絶望的な状況でも、トンネルの先には必ず希望があることを私たちに教えてくれます。

 彼女のように性暴力の被害者となった多くの女性が、パンジ財団が提供する包括的なケアを受け、人生の目的や意味を再発見しています。そして、地域の中心者、変革の主体者となって立ち上がり、自分の権利のみならず、自分の子どもたちや人権全般の擁護者へと変わっていくのです。その力強く歩みだす崇高な姿は、いかなる性暴力も人間としての尊厳を奪うことなど絶対にできないと、教えてくれます。

 ゆえに、最も悲惨な苦しみを味わった女性たちを断固として守り、支援しなければなりません。“回復しよう”“再び人生を楽しもう”と前を向く女性たちの勇気と強い意志に触れることで、私たちは、正義、人権、平和のために戦う決意を深くすることができるのです。

 

思いを巡らせてほしい

 

 ――コンゴでの性暴力の実態を世界中で訴えてこられました。私たちにできることは何でしょうか。日本と世界の読者へメッセージをお願いします。

   

 私はノーベル平和賞のスピーチで訴えました。「行動を起こすことは、無関心に対して『ノー』と言うことです。もし戦争を起こすとするなら、それは私たちの社会を蝕む無関心との戦争なのです」と。

 どうか、この問題を、遠く離れたアフリカの国で起きていることと思わないでください。紛争と暴力の連鎖が続いてきたコンゴとその周辺地域に恒久平和を築くことは、世界平和を促進することになるのです。

 そして、女性と男性が同じ権利と尊厳を享受できる公正な社会を共に築きましょう。幾万もの女性たちが、女性に生まれたというだけで殺害され、非人道的な扱いを受けなければならない現実に、無関心でいないでください。スマートフォンなどの電子機器を使うことを責めるわけではありませんが、それらを手にした時、コンゴの紛争地域の資源が使われていることに、ほんの少しでも思いを巡らせてほしい。そして、私たちにも道義的責任の一端があることを感じてほしいのです。

 今こそ、連帯と相互尊重の精神をもって、平和な世界を築こうではありませんか。これは単なる夢ではありません。私たち一人一人の手で、必ず実現できる夢なのです。

 

 ムクウェゲ医師は、コンゴで暴力がなくならない大きな理由の一つに、加害者の不処罰を挙げている。

 国連人権高等弁務官事務所は、1993年から2003年の間に同国で起きた617件にも及ぶ、戦争犯罪、人道に対する罪、大虐殺などを記した報告書を発表。しかし、それから10年が経っても状況は改善されず、氏はこうした不処罰のサイクルを断ち切る司法制度の創設が急務であるとし、「大量虐殺の真実が明らかにされ、責任ある人間が処罰を受けなければ、コンゴの地に平和は築けない」と強く訴えている。

 さらに氏は、資源が採掘されるコンゴから、電子機器が製造され、商品が店頭に並ぶまでの経路を追跡・確認できる仕組み(トレーサビリティー)が必要であると強調し、各国政府や企業、そして日本を含む消費者の理解と協力を求めている。

 

 デニ・ムクウェゲ 1955年、コンゴ民主共和国に生まれる。隣国ブルンジで医学を学んだ後、病院勤務とフランス留学を経て産婦人科医に。コンゴ東部に蔓延する性暴力の根絶と女性の地位向上を国際社会に訴え続け、国連人権賞(2008年)、サハロフ賞(14年)などを受賞。18年にノーベル平和賞に輝いた。著書に『すべては救済のために デニ・ムクウェゲ自伝』(あすなろ書房)などがある。

 

 池田先生の箴言

 

 女性のもつ、愛するものの生命を慈しむ心、家族を守ろうとする力の偉大さ。女性が深い人間性に支えられて、「母性」からの正義を叫び訴える時、それはすべてのものを破壊から建設へと導きゆく、平和の力となる。

 ◆◇◆ 

 人間の権利、人間の尊厳が最大に尊重される社会を、いかにつくりあげていくか。ここに民衆の「自律」と「連帯」の新たなうねりが強く要請されている。(中略)みずからの現実の足元から、「人権」が何よりも尊重される平和社会への一波をまず起こしていっていただきたい。

 池田 大作 

 (前半は『女性に贈る 100文字の幸福抄』、後半は『池田大作全集』第59巻)

 

◆ 「平和の文化」とは ◆

 国連は1999年に「平和の文化に関する宣言及び行動計画」を採択し、生命の尊重、教育・対話や協力を通した非暴力の実践、環境の保護、男女の平等や人権に基づいた価値観、態度や振る舞いを「平和の文化」として推進しています。「平和の文化」は、日々のあらゆる場面で、異なる人や考え方に寛容になり、対話によって理解し、対立を乗り越え、連帯を広げていくという、私たち一人一人の生き方の変革から始まります。

 

 

〈危機の時代を生きる〉

 生命は「動的平衡」の流れ

 絶えず自ら変わり続ける

2020年12月5日

生物学者

福岡伸一博士

 

個人ができる最大のウイルス対策は

自分の体を信じること

 

 コロナ禍を機に私たちは、人とのつながりを見つめ直し、地球環境との共生のあり方を改めて考えるようになった。生物学者の福岡伸一博士(青山学院大学教授)に、新しい時代の生命哲学などを巡りインタビューした。(聞き手=萩本秀樹、村上進)

 

正しく畏れる

 

 ――生物学者の視点から、新型コロナの感染拡大を見つめてこられました。ウイルスに対して「正しく畏れる」ことが大切だといわれています。

  

 「畏れる」とは、自然に対する畏敬という時の「畏」です。英語では「センス・オブ・ワンダー」という言葉が適切でしょう。

 これは「畏れる感性」という意味で、もともとは、『沈黙の春』等の著者である、アメリカの生物学者のレイチェル・カーソンが、最後に著した本のタイトルでもありました。

 彼女は、子どもたちにとっては「知ること」よりも「感じること」が先にきて、自然の中の美しいものや精妙なもの、ドラマチックなものを見ることで、尊敬や畏敬(ワンダー)を抱くと語りました。それが自然観や生命観、あるいは生命哲学といったものの基礎になるべきだというのです。

 例えばチョウを観察すると、卵から幼虫が生まれ、その幼虫が葉を食べ、脱皮しながら育ちます。アゲハチョウだったらミカンやサンショウの葉、キアゲハだったらパセリやにんじんの葉のように、種によって食べる葉が決まっています。

 自分が食べる分の葉を自然が守り、他者の環境を荒らさないようにしているのです。これも一つのワンダーです。

 そして何といっても幼虫は、ある日、急にさなぎになり、さなぎの中で一度、細胞が全部溶けた後、チョウが再構成されて出てくる。幼虫とチョウを初めて見た人は、これが同じ生物だとは到底思えないわけです。

 自然はそういう驚異に満ちあふれていて、私自身、生物学者になってからも、「畏れる感性」を持ち続けてきました。

 ウイルスも自然の一部である以上、「正しく畏れる」ことが大切です。

 科学の進歩によって、ウイルスがいるかいないか、あるいは感染者数や感染ルートは、すごいスピードで調べられるようになりました。しかし、だからといって私たちにできることは、マスクをする、手を洗う、身体的距離を保つといった基本的なことです。100年前に、スペイン風邪が流行した時と同じなわけです。

 では最大の対策は何かというと、特効薬やワクチンができることではなく、自分の体を信じることです。

 ウイルスに対しては必ず体の中の免疫システムが働き、まずは自然免疫という方法で、ウイルスが無作為に暴れないように制御します。それでもウイルスが増殖するようなことがあれば、ウイルスに結合して無力化するような抗体ができます。

 ワクチンと同じ効果を持つ働きが本来、体の中にあるということです。まずはそれがきちんと働くよう信頼を置くことが、最も正しい「畏れ方」です。

 この免疫の最大の敵は、ストレスです。ストレスを感じることは本来、生命にとって非常に大事な防衛システムです。急に寒くなれば体温を上げたり、天敵と戦うために筋肉を緊張させたりするストレス反応は、いわば“緊急の防衛反応”であり、エネルギーを必要とします。

 一方で、“通常の防衛反応”である免疫システムもまた、リンパ細胞や抗体をつくるために多大なエネルギーが必要です。

 つまり、ストレスと免疫はトレードオフ(二律背反)の関係にあって、緊急のストレス反応が起きた時には、免疫反応は抑制されてしまうのです。

 現代社会は、人間に天敵が現れるようなことはまずありませんが、人間関係や組織のストレスに日々、さいなまれていて、それによって免疫系が抑制されていることが多い。そうするとウイルスに侵されて、風邪をひいたり、がんになりやすくなったりします。

 自分の体を信じるということは、免疫システムを正常に維持するということであり、できるだけストレスを感じない生活を送るということでもあります。これも「正しく畏れる」ことの一つだと思います。

 

目先の最適を求める効率主義から

支え支えられる「利他」の生き方へ

 

 ――「ウィズコロナ」の時代に求められるのは、どのような生命観であるとお考えですか。

  

 現代社会はAI(人工知能)やデータサイエンスが発展し、生活が便利になってきた半面、それらが万能であるという、ある種の錯覚に陥ってしまうことがあります。科学によって制御すればウイルスに打ち勝てると考えて、個人の行動を電子化したり、履歴をたどれるようにするわけですが、これは、本来の生命の自由度を損なってしまうものだと考えます。

 私の生命哲学の一つの軸に、「ピュシス」と「ロゴス」があります。ギリシャ語で、ある対立概念を表しています。

 「ロゴス」は、言葉あるいは論理という意味で、AIやデータサイエンス、法律など、人間が外部につくりだしたシステムのことです。それらが人間の外側に向けて可能性を広げるのは喜ばしいことですが、人間の内側に向かって生命をコントロールするようになると、問題が大きいと思っています。

 なぜかというと、ロゴスに対する「ピュシス」は人間の生命や本来の自然を指す言葉で、ロゴスではコントロールしえないものだからです。死ぬことも、病気になることも、食欲やいろいろな感情も、ピュシスの一部であって、本来はコントロールできない生命のありようです。

 文明社会では、ロゴスが優位になりすぎて、言葉や法律で全てを支配下に置けるという幻想に浸かっています。生や死、性など、制御できないものについては、タブーとして触れないようにして、隠蔽してしまっているわけです。

 しかしウイルス感染のような事態が起きると、ピュシスとしての人間の生や死が、現実としてあることを改めて思い知らされます。

 

分解と合成

 

 生命とは機械のようなものではなく、「動的平衡」にある流れそのものだといえます。

 これは、物体の生命は絶えず「分解」と「合成」を繰り返しているという考え方です。人間の体や細胞も、止まることなく自らを壊しながら、つくり変えているというわけです。

 合成には、DNAの遺伝情報が情報の運び屋であるRNAに移り、RNAの情報がタンパク質の情報に移るという、たった一つの方法しかありません。しかし研究が進めば進むほど、分解の方法は何通りもあるということが分かってきました。

 生命は、つくることよりも「壊すこと」を一生懸命にしているのです。なぜかというと、壊さないと新しいものをつくれないからです。これは「エントロピー増大の法則」と、どう戦うかということと関係します。

 エントロピー増大の法則は、秩序ある状態(エントロピーが低い)から無秩序の状態(エントロピーが高い)にしか進まないという、宇宙の大原則です。

 いくら整理整頓しても、2、3日経てば書類が積まれたり、本が倒れたり、消しゴムのかすがたまったりしますね。コーヒーも、いれたては熱々でも、すぐにぬるくなってしまいます。

 あるいは、壮麗なピラミッドのような建造物を建てても、1000年、2000年も経つと風雪にさらされて砂粒に変わります。これらは全て、エントロピー増大の法則です。

 生命もまた、この法則のもとで、酸化が起きたり、老廃物がたまったりしながら、常に壊されています。いくら生命を頑丈につくっても、法則は避けられません。

 そこで生命が選び取ったのが「動的平衡」です。

 つまり、最初からゆるく、柔らかくつくり、絶えず先回りして細胞を壊しているのです。

 エントロピーを自ら外に捨て続けながら、秩序を新たにつくり変えることで、初めて秩序が守られる。絶えず動きながら、バランスを取り続けている状態が動的平衡です。

 つくり変えるといっても、ロボットみたいに、古い部品を全く新しいものにするのではありません。体は小さな部品が寄り集まってできていると考えるのは、機械論的な生命観です。

 そうではなく、流れとしての生命の合成と分解は、ジグソーパズルのピースを入れ替えるようなものです。ピースは同時多発的に入れ替えても、互いに補い合っているため、全体としては絵柄は変わりません。

 同じように、ある細胞が捨て去られても、周りの細胞が残っていれば、新しい細胞がはまる場所は決まっています。そしてはめ込まれると、また新たな関係性が成立するのです。

 生命も、こうして常にエントロピーが外に捨てられながら、保たれています。大きく変わらないために、小さく変わり続けているのだといえます。

長い時間軸

 

 ――「分解」とは、私たちの生活に当てはめると、具体的にどのようなことでしょうか。

  

 生命が行う分解は、いらなくなったから捨てる、さびたから壊すのではありません。つくりたてで新品と同じなのに、惜しげもなく分解するのです。壊れてから捨てるのでは、エントロピー増大の法則に打ち勝つことはできないからです。

 変わらなければならない時点まで追い詰められてからではなく、あえて先回りして、変わるということです。

 そういう視点から生活に当てはめれば、率先して変えなくてはならないのは、環境に対する取り組み方だと思います。

 今、SDGs(国連「持続可能な開発目標」)などいろいろな形で環境問題が語られていますが、誰かに言われたから、目標が決められたからやるのではなく、率先して自らを変えていくことではないでしょうか。

 一番身近で簡単なのは、「消費行動を変える」ことです。例えば、少し値段が高くても、生産者が手間暇かけて、有機的な方法で製造した牛乳を買うことで、環境問題に気を配っている人を応援することになります。環境のために正しいコストを払うことが、個人ができる最も簡単な環境運動ですので、そこから自分を壊していくことも大事ではないでしょうか。

 変化を恐れないことや、今までの価値観を疑ってみることもまた、分解といえます。

 特に、我々はどうしても効率主義に陥りすぎて、いつも最適解ばかりを求めて行動していますが、その生き方を分解する必要があります。

 効率主義というのは、時間を分母とした分数ですね。時給いくらとか、日当いくらとか、売り上げや販売部数など、常に時間で割った数字が評価基準になり、その比較の上で「最適化された」「歴代1位を達成した」と喜ぶのです。

 しかし時間とは、本当は区切られていない、連続した流れです。良い時もあれば、悪い時もある。部分的な最適だけを求めると、その時はいいように見えても、長い時間の幅で見れば、全体は非効率になっている場合もあるのです。

 「ウィズコロナ」の時代は、どれくらい長い時間軸を持てるかが大事な視点だと思います。

 時間で割る効率主義的な生き方を見直すことが一番ですが、少なくとも、10年といった時間の射程で物事を見る必要があるのではないでしょうか。

もらっては還す

 

 ――持続可能な未来のためには、自らが常に変わり続けるとともに、自分の周囲や次世代に思いをはせることが大切です。

  

 人間はついつい目先の利益が大事に思えてしまいますが、その考え方を分解して、「今、自分が効率を最大化することは、周囲や後の世代に負担を残すことだ」という視点に立つことが大切です。

 「利他」を意識するということですが、それは自己犠牲ではありません。100の力しかない人が、無理に他人に10を与えてしまえば、自分の持ち分が90になって苦しくなります。

 でも、自分が何らかの形で力づけられたり、運が良かったりすると、100だった力が110になったりしますね。自然界では、その余分は必ずエントロピーに流されて、腐ってしまうか、分解されます。

 例えば余分に光合成できた植物は、その葉を他の生物に食べさせたり、落ち葉として落として土壌生物に与えたりして、結果として、利他的に働いているのです。

 しかし人間だけは、ロゴスによって、貨幣や財産といった腐らないかたちで10の余分をため込んで、自分の中に隠してしまうのです。その余分は、利他性によって解放すべきでしょう。

 どんな生物も、良い時と悪い時があります。良い時は利他的に行動し、悪い時は無理に他者に施さなくてもいい。与える側と与えられる側がいて、動的平衡が成り立っています。

 我々は、エネルギーや情報を絶えず環境から得て、それを環境に戻すといった関係の中で生きています。これこそ、コロナ禍が改めて人間に教えていることです。

 もらっては還すという、平衡関係を互いに守るという利他的な行為によって人間は支えられているのであって、もう一度、その生き方を取り戻す時がきています。

 自分は何ができるかを考えながら、できるだけ利他的に行動することが、コロナ時代に選択すべき生き方ではないでしょうか。時に支え、時に支えられるといった動的な関係性が、きっと助けになるはずです

 

 ふくおか・しんいち 生物学者。1959年、東京都生まれ。京都大学卒。米ハーバード大学医学部研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授・米ロックフェラー大学客員研究者。生命の本質に迫る研究と執筆を重ね、『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)がサントリー学芸賞、中央公論新書大賞を受賞し、ベストセラーに。他にも、現在3巻まで刊行されている『動的平衡』や対談集『動的平衡ダイアローグ』(いずれも木楽舎)、『最後の講義』(主婦の友社)など著書多数。美術にも造詣が深く、世界中のフェルメールの作品を鑑賞し、解説書も発表している。

 

〈危機の時代を生きる〉

 ウィズコロナ時代の知恵㊦

2020年10月6日

青年部と医学者の会議から

 

100事例から分かったことは基本的な感染防止対策の重要性

 

 青年部の代表と公衆衛生等に詳しい医学者らによる会議のポイントの要旨を紹介する「ウィズコロナ時代の知恵」。4日付2面の㊤に続き、今回の㊦では、基本的な感染防止対策の重要性、不安や偏見を打ち破る鍵、自己免疫を高める方法について確認する。

 

①身体的距離の確保 ②マスク着用 ③手洗い

 

 ――国立感染症研究所は8月13日、本年2月から7月までの半年間に各地で確認された「クラスター(感染者集団)」の約100例を分析し、典型的なケースをまとめた事例集を公表しました。分析結果から、どのようなことが言えるでしょうか。

  

 新潟大学・菖蒲川由郷特任教授 半年前と比べて、どのような状況で新型コロナウイルスの感染が広がりやすいかが、かなり分かってきました。

 国立感染症研究所がクラスターの代表例として挙げているのは、①院内感染②昼カラオケ(カラオケを伴う飲食店)③職場会議④スポーツジム関連⑤接待を伴う飲食店⑥バスツアーです。

 このうち「昼カラオケ」のクラスターは、換気の悪い部屋で、マスクを着用せずに長時間、歌ったことが感染を広げる原因となりました。また、症状が出ていたにもかかわらず利用した客や従業員等がいたこと、利用客が複数の店舗を行き来したことでさらに感染が広がってしまいました。

 「職場会議」クラスターも、ドアや窓を閉め切った空間に参加者が集まり、近距離で議論をしたことが原因です。

 こうした事例からは、マスクを着用せずに大きな声を出すこと、「3密(密閉・密集・密接)」状態であったことなどの共通点が見えてきます。これは同時に、このようなことに気を付ければ感染は防止できる、ということを示しています。

 そのポイントは特別なことではありません。

 私たちが実践している、身体的距離の確保、マスクの着用、手洗いの励行、「3密」の回避という基本的な感染防止対策を徹底することです。

 マスクの効果については、対面して言葉を交わす場面で、飛沫の拡散を防ぐことができます。飛沫を拡散させないという観点では、大人数での会食や、料理を大皿に盛り付けることを控えるのも大切です。

 「職場会議」は、マスクを着用の上、参加者同士の間隔を取り、小まめに換気することで感染リスクが下がります。

 “クラスターが発生した”と聞くと、それだけで不安に思われる方も多いと思います。しかし、クラスターとして把握できているということは、感染経路が分かっている、ということでもあります。

 経路が特定できないことに比べれば、感染の原因や範囲が分かるという意味で安心材料と捉えることができます。

 これからは、過度に恐れることなく、実態を正しく評価し、どこまでのリスクを許容するかという社会的なコンセンサス(合意)を得ながら対策を考えていく段階に入っているのではないでしょうか。

 〈第10回、8月20日開催〉

 

「正しく恐れる」実践が不安や偏見打ち破る鍵

 

 ――新型コロナウイルスの感染が拡大する中で、多くの偏見や差別が生まれました。私たちはどのように、こうした状況を克服していくべきでしょうか。

  

 東京医科歯科大学・藤原武男教授 人から人に感染するのはウイルスだけではないということです。日本赤十字社が、新型コロナウイルスには「三つの感染症」があると指摘しています。第一の感染症は「病気」。第二の感染症は「不安と恐れ」。そして第三の感染症が「嫌悪・偏見・差別」です(「新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう!~負のスパイラルを断ち切るために~」日本赤十字社)。

 感染症の不安の原因は「目に見えない」ことです。ゆえに、人は不安にかられると、まずは特定の対象を「見える敵」とみなして嫌悪の対象とします。そして嫌悪の対象を偏見・差別して遠ざけることで、つかの間の安心感を得ようとするのです。

 特定の人や地域、職業に「危険」というレッテルを貼るから「登園拒否」や「ばい菌扱い」が起こります。

 この偏見・差別が進むと人々は分断され、自身が差別されることを避けるため感染を隠します。そうすると、もはや誰が感染しているか分からなくなり、第一の感染症である「病気」が拡大するという「負のスパイラル」に陥ります。

 病気は「身」を侵します。

 そして、不安・恐怖が「心」を侵し、偏見・差別が「思想」までも侵してしまう危険性があります。

 思考にはシステム1(直感的思考)と、システム2(論理的思考)の二通りがある――これは行動経済学者のダニエル・カーネマンによって広く知られるようになった理論です。

 この概念に則せば、「感染症は危険だ」という直感によって危機を回避してきたのも、まぎれもない人類の歴史です。しかし、根拠なき直感は、時に偏見や差別を生み出してきました。情報社会を生きる私たちは、「論理的思考」をもって、目に見えない感染症に対峙するべきです。すなわち「正しく恐れる」ことが必要です。

  

 創価青年医学者会議・庄司議長 世間には国民の不安をあおるような、直感的な論調があふれています。こうした根拠なき発言に、知らず知らず惑わされて、偏見・差別の風潮を生んでしまってはなりません。

 不安や恐れは「無知」から生まれます。「病気」には「正しい手洗い・うがい」、「不安」には「正しい知識」、そして「偏見」には「正しい思想」で立ち向かっていきたいと思います。

 〈第5回、4月23日開催〉

 

“励まし、励まされる”心の絆が免疫力高める

 

 ――感染拡大防止の取り組みが長期化する中、ウイルスなどの病原体から体を守る「免疫の働き」が注目されています。免疫の仕組みや、どのような意識と行動が自己免疫を高めるのか、教えていただければと思います。

  

 東海大学・山本典生教授 「免疫」とは、簡潔に言うと、体に侵入してきた病原体を体から追い出したり、攻撃を加えたりする働きのことで、人間の生命維持に欠かせない機能です。この仕組みは、主に二つに大別されます。

 一つは、病原体への接触がなくても、生まれながらに体に備わっている「自然免疫」です。病原体を自らに取り込んで排除してくれます。

 もう一つは、特定の病原体に感染することで、後天的に得られる「獲得免疫」です。標的の病原体や、その病原体に感染した細胞を攻撃します。

 こうした免疫の活性化には、「心の状態」が密接に関連していることが、広く認識されています。

 この自粛期間、人と直接、会えないことによるコミュニケーション不足や孤立感の増幅、行動制限による経済活動の停滞など、多くの方がストレスを募らせているのではないでしょうか。こうしたストレスがたまると、交感神経が優位になりすぎ、免疫の働きを抑制してしまいます。さらに「コルチゾール」という副腎皮質ホルモンが過剰に分泌されて、免疫の活性化を抑えてしまうのです。新型コロナウイルスに限らず、ほかの病気にもかかりやすくなってしまうので注意が必要です。

 免疫学の観点からも、ストレスに対して適切に向き合い、対処することが求められます。

 そこでポイントになるのは、基本的な生活習慣を整えることです。

 まずは「質の高い睡眠をとる」ことです。

 日々の起床と就寝のリズムを一定にし、年齢に合った十分な睡眠時間を確保することが質の高い睡眠をとる基本です。つい夜更かしをしてリズムが狂うと睡眠の質が低下します。質の低い睡眠を続けると、風邪等のウイルスへの感染率が高まるとの報告もあります。

 次に「バランスのとれた食事」です。ストレスがたまると、食事が偏りがちです。決めた時間に食事をすることや豊富な栄養をとるよう意識することが大事です。

 さらに、健康維持のために「適度な運動」も欠かせません。感染予防に十分に努めた上で、散歩やジョギングを行うと、気分転換にもなります。

 その上で、誰もが不安を抱える今、免疫を高める力になるのが、「人と人とのつながり」です。

 皆さんも実感されたことがあると思いますが、誰かを励ましていると、自分が励まされます。不安や悩みを人に語ると、心が軽くなります。「声を出して笑う」ことも、免疫を活性化させるといわれています。

 創価学会の皆さんは、日常的に“励まし、励まされる”つながりを大切にされています。こうした行動が、自分のみならず、周囲の人々の健康をも守ることにつながると確信していただきたいと思います。

 〈第7回、5月28日開催〉

 

〈危機の時代を生きる〉

 ウィズコロナ時代の知恵㊤

2020年10月4日

青年部と医学者の会議から

 新型コロナウイルスの感染状況を踏まえ、青年部の代表と公衆衛生等に詳しい医学者らが、3月末から会議を行い、意見交換している。ここでは「ウィズコロナ時代の知恵」と題して、同会議で語り合われたポイントの要旨を、上下2回にわたり紹介する。㊤では、「正しく恐れる」意義、リーダーが心掛けること、「対面」だからこそ培えるもの、人と人の「つながり」の重要性について確認する(㊦は後日掲載)。

 

変化する情報を見極め 感染予防対策の徹底を

 

 ――新型コロナウイルスに関連する膨大な情報の中で、何が正しい情報なのかを見極めることは容易ではありません。「正しく恐れる」意義について、ご意見を伺えればと思います。

  

 新潟大学・菖蒲川由郷特任教授 メディアからうわさ話まで、新型コロナウイルスに関する情報があふれています。そこで重要なのは、それを受け取る私たちの姿勢であると思います。

 どんなに状況が変わっても、変わらないのは、私たちの日常の感染予防の基本です。身体的距離の確保やマスクの着用、手洗いの励行、「3密」の回避など、改めて基本的な対策を徹底していくことが、「正しく恐れる」行動と言えます。

  

 創価青年医学者会議・庄司議長 情報に惑わされず、冷静な行動を取っていくためのポイントは、「全ての情報は日々、変化していくものだ」との視点を忘れないことです。今日、正しいと思われている情報も、明日には変わっているかもしれません。

 「ウィズコロナ」との言葉に象徴されるように、当分の間、ウイルスとの共存が想定される今後の社会において、刻々と移り変わる状況を注視しながら、基本的な感染予防の対策を、変わらずに、確実に行っていきたいと思います。

 〈第9回、7月16日開催〉

 

リーダーが心掛けるポイント

リスクを的確に捉え新たな方針を丁寧に発信

 

 ――今、感染防止と社会経済活動の両立に向け、あらゆる企業・団体などが、地域性や職種等の特性に応じて、方針を模索しています。新たな方針を検討する上で、心掛けるべきポイントは何でしょうか。

  

 東京医科歯科大学・藤原武男教授 公衆衛生上の重大な危機に直面した際に重要なのは、行政や地域、職場、家庭など、それぞれのコミュニティーにおける「リーダーシップ」です。

 そのリーダーは、自身が責任を持つ人々に対して、新たな方針を検討する上で採用した情報とその根拠を提示し、どのようなリスクを避け、どこまでのリスクを受け入れるのかを明確にしていく必要があります。

 そして、その理由や意味を、的確に説明することが大切です。

 そうすることで、コミュニティー内に安心感が生まれ、それぞれの役割に集中することができます。

 その上で、コロナ禍にあって重要になるのは、画一的にならず、リスクに対する多様な考え方を尊重することです。

 大きなリスクを負っても物事を進めるべきだと考える人もいれば、リスクは一切、負いたくないという人もいる。その中間の人もいます。

 こうした、さまざまな考え方を、一度、受け入れて、誠実に対応する姿勢が大事になってきます。

〈第9回、7月16日開催〉

 

「対面」だからこそ

――「自己存在感」と「共感的人間関係」が培われる

 

 ――新型コロナウイルスの感染拡大によって、教育現場でも、オンラインの活用が注目されています。実際にオンライン授業を実施した中学校教諭の青木女子青年教育者副委員長から、オンラインでの「ホームルーム」で一人一人に声を掛け、全員が「主役」となれるように心掛けるなど、工夫を凝らした実践報告がありました。オンラインの長所や課題について伺いたいと思います。

  

 教育本部・田村修一副社会教育部長(創価大学教職大学院教授) 対面の価値を考える上で紹介したいのは、私が教職大学院の学生に“子どもが成長するために大事なこと”として伝えている、①自己存在感を与えられているか②共感的人間関係が築けているか③自己決定の時間と場があるか、との3点です。

 1点目の「自己存在感」とは、「自分は大切にされている」と感じられているかどうかということ。2点目の「共感的人間関係」とは、温かい心の絆・つながりを基盤とした人間関係を意味します。3点目は、子どもが自分自身で学びのペースをつくり、探求する機会を与えていくことです。

 オンラインの活用によって、この3点目は満たすことができます。しかし、1点目、2点目については、対面だからこそ培うことができる力だと思います。この二つを、オンラインのみで満たすことは容易ではありません。

 それでも、青木さんの実践報告には、オンラインの壁を乗り越える知恵と工夫が詰まっています。一人一人の名前を呼んで声を掛けるといった実践は、「自分は大切にされている」という自己存在感を高め、温かい人間関係を築いていくことにつながります。

 ともあれ、オンラインにはオンラインの良さ、対面には対面の良さがあります。例えば“情報の伝達はオンライン”“対話によって理解を深め、人間関係を強めるのは対面”といったように、それぞれの特性を生かすにはどうすればよいかを検討する中で、オンラインと対面を使い分ける新しい教育モデルを生み出していくチャンスだと思っています。

 〈第11回、9月18日開催〉

 

人と人との「つながり」の中で幸福感は強まる

 

 ――想定外の非日常の事態の中で、うまく対応して「幸福を感じる人」と、「幸福を感じられない人」の格差が大きく広がっているとの指摘があります。

  

 東京医科歯科大学・藤原武男教授 非常に大事な視点です。「孤独」は健康に悪影響を及ぼします。一方で、豊かなつながりの中に身を置くことで幸福を感じることができると、多くの研究結果が示しています。

 ある研究調査では、対面とオンラインの二つの形式で患者に心理療法を実施したところ、メンタルサポートの効果は、ほぼ同等でした。対面であれ、オンラインであれ、人と「つながり続けること」が、幸せの格差を防ぐ方途であると思います。

  

 創価青年医学者会議・庄司議長 その上で、私たちは自粛生活の中で、「直接、会って語る」価値を再認識しました。と同時に、オンラインによる交流によって、同じ空間に居合わせなくても、心の絆を結べることも経験しました。

 一方で、徹底して人との接触を避け、一歩も外出しないような自粛生活が長期にわたり、感染への恐れや不安から抜け出せない方もいます。今の「思い」は人それぞれです。そうした全ての方の「思い」をくみとっていくことが重要ですね。

  

 創価女性医学者会議・勝又議長 私も各地の創価女性医学者会議の皆さんとオンラインでつながっています。人と人とのつながりこそ、ピンチをチャンスに変える力であり、たった一言でも勇気の源泉となると実感しています。

 多くの人が先の見えない不安を抱えている今こそ、“誰も置き去りにしない”創価の励ましのネットワークが、いや増して求められていると確信します。

  

 藤原教授 ハーバード大学医学部の教授などを務めたニコラス・A・クリスタキス博士の研究によると、「幸福は人に伝わる」ことが分かっています。ある人が幸福であると、その人が直接知っているかどうかに左右されず、「友人」の「友人」の「友人」にまで幸福感が伝わるのです(藤原武男著『医学からみた「幸福は人に伝わる」』潮出版社)。

 今の状況を前向きに捉え、幸福を感じる人が、つながりを広げていくことによって、社会全体に幸福感が広がっていきます。

 今後は、つながろうとする相手が、どのようなつながりを求めているのかを丁寧に想像していくことが大切です。その人が求めるやり方に応じて対面とオンラインをうまく使い分けることで、より多くのつながりを築いていく可能性が開かれている、とも言えるのではないでしょうか。

 自分にとっての「つながり」をどのように構築するかに、その人の人生観が表れます。創価学会の皆さんは「人に励ましを送る」という使命感に燃えて、地域や友人とのつながりを築かれています。こうした目的意識が高い人ほど幸福感が強まると言われています。

 〈第8回、6月18日開催〉

 

〈危機の時代を生きる〉

 今日をしのぎ明日を開く コロナ禍の長期化に立ち向かう

2020年8月22日

NPO法人全国こども食堂支援センター「むすびえ」理事長

東京大学特任教授 湯浅誠さん

 

 新型コロナウイルスの感染拡大の長期化と、私たちはどう向き合うべきか。NPO法人全国こども食堂支援センター「むすびえ」の理事長を務める湯浅誠・東京大学特任教授に、コロナ禍で見えてきた社会的課題や「新しい日常」のあり方について話を聞いた。(聞き手=志村清志・村上進)

 

 ――湯浅さんは、2008年の金融危機の後の「年越し派遣村」で貧困問題の支援に携わるなど、数々の社会課題の解決に取り組んできました。今回の長期化するコロナ禍は、私たちにどのような影響を及ぼしていますか。

  

 本年春、国内で新型コロナの感染拡大を抑えるため、緊急事態宣言が発令され、外出や店舗営業などの自粛が要請されました。それによって、感染拡大はいったん収まったものの、飲食や観光関連業をはじめ、多種多様な人々の生活が深刻な打撃を受けました。一方、5月中旬以降、各地で緊急事態宣言が解除され、徐々に経済活動が再開される中で、感染者数は再び増加傾向になっています。

 このように「感染抑止」と「経済危機」「生活危機」は“歯車”のような関係にあって、どちらかを回すと、もう一方も回ってしまう状況が続いています。

 自然災害の場合、発生時には人命救助最優先で復旧的な措置がとられる。それがある程度、落ち着いた段階で、生活再建・経済復興に全力を傾けていくという意味で、時間軸の移行が見えやすいといえます。しかし、コロナ禍では経済復興を強く回すと、感染拡大によって人命優先の自粛の方向に戻らざるを得ない中途半端な状況が繰り返され、時間軸が長期化していく。これがコロナ禍の難しさであり、怖さだと感じています。

 さらに長期化すればするほど、生活再建に向けての個人差、いわば「復興格差」は広がります。東日本大震災の時も、しばらくしてから孤立死や自殺の問題が顕在化しました。今回も長期化に伴うリスクには、十分注意が必要です。

  

 ――NPO法人「むすびえ」は、全国で3700以上ある「こども食堂」のサポートなどをしていますが、どのような課題と向き合っているのでしょうか。

  

 3月ごろから、多くの学校が臨時休校を余儀なくされ、給食が食べられないこともあり、「食」に困る子どもや家庭が増えました。

 これまで「こども食堂」の多くは、安価な食事などを提供しながら、地域の人たちが気軽に集まれる場所として機能してきました。しかし、コロナ禍によって一緒に食事をすることが難しくなった。そのような状況で、衛生面等の対策をしながら、食材等を取りにきてもらい配布するフードパントリーや、個別に宅配するなど、創意工夫しながら事業を継続しようという動きがありました。

 そこで「むすびえ」では、各地の「こども食堂」で使ってもらえる食品や運営資金の調達を目指し、全国的に寄付を募り、大きな支援をいただき、現場に届けることができています。ここで大切にしてきたテーマは「今日をしのぐ 明日をひらく」です。

 

 

――「むすびえ」が今回の取り組みのテーマに掲げた「今日をしのぐ 明日をひらく」には、どのような思いが込められていますか。

  

 「今日をしのぐ」とは、生活危機の進行に歯止めをかけ、生活の崩壊を防ごうという視点です。フードパントリーや宅配などの取り組みが当てはまります。「明日をひらく」とは、コロナ禍からの復興、さらには行政や企業などと連携して、誰も取り残されない地域を目指す、中長期的な視点を意味します。

 6月中旬、「むすびえ」は、全国の「こども食堂」を対象にアンケート調査を実施しました。その中で印象に残ったのが、「こども食堂」で人が会話できなくなると、「食べるだけの場所になることへの疑問がある」「多年代の交流ができないのが残念」といった、「こども食堂」の「本質」に立ち返る記述が多かったことです。「明日をひらく」という観点で、このことは非常に示唆的だと考えています。

 感染流行する前の平時にあっては、「こども食堂」は、食事提供だけではなく、地域の交流を促進する場でもありました。いわば“アクセル”の役割です。そして、コロナ禍という非常時にあっては、食事提供を通して、生活危機に歯止めをかける“ブレーキ”の役割があるといえます。

 「平時のつながり」と「非常時のセーフティーネット(安全網)」――アクセルとブレーキを踏み分けるように、この二つのサイクルを循環させることが、地域におけるつながりを豊かにし、結果的には災害に強い地域をつくっていきます。「こども食堂」には、その“起点”としての機能が期待されています。

 「こども食堂」が初めてつくられたのは2012年。東日本大震災の翌年です。その後も、日本では多くの災害が発生しました。そして、それに呼応するように、「こども食堂」も全国各地につくられていきました。愛媛県の宇和島市は、もともと、「こども食堂」がありませんでしたが、18年の西日本豪雨水害の後の1年間で13カ所も開設されました。

 「病気になって初めて、健康のありがたみを知る」といいますが、非常時になって、多くの人がつながりや居場所の大切さを実感したのでしょう。そうした経験の蓄積が、「こども食堂」をつくる機運を高めた、と考えられます。

  

 ――「新しい日常」を考える上で、リスクとの向き合い方は欠かせないテーマの一つといえます。その点、湯浅さんはどのように考えていますか。

  

 ここ10年、日本は多くの災害に見舞われました。そのことを考えると、社会は「長い平時の合間に非常時がある」のではなく、「非常時と非常時の間に平時が織り込まれている」と捉える方が適切ではないかという気がします。平時と非常時の反復そのものが、「新たな日常」ともいえるでしょう。

 今回のコロナ禍も、ワクチンが普及しない限り、リスクは大きくは減少しません。先月の豪雨水害では、避難所での感染防止が迫られたように、複合的なリスクが立ち現れることも視野に入れる必要があります。

 また非常時というのは、社会全体で同時になるものとは限りません。個人や家族単位で見れば、交通事故や病気などは、いつ何時、誰に起こっても不思議ではありません。昨日まで“支える側”にいた人が、急に“支えられる側”に回ることもあります。

 そう考えると、今まで以上に重要視されるのが「地域」の存在です。コロナ禍の影響で、私たちの生活圏域が縮小したこともあり、そう実感している方も多いのではないでしょうか。自分の周囲に「非常時のセーフティーネット」を築くためにも、いかにして「平時のつながり」をつくっていけるかが、この「新しい日常」を送る上で大切な視点になります。

 2020年という節目に感染症の世界的大流行が起こったことは偶然にすぎませんが、私はそこから2020年代を生きる教訓を引き出したいと考えています。今までの10年は、多くの災害を通して、人とのつながりや居場所の重要性を実感した10年でした。そして、これからの10年は、リスクに強い地域・社会を定着させるための“勝負の10年”だと思います。

 「誰も置き去りにしない世界」をうたうSDGs(持続可能な開発目標)のゴールでもある2030年をどのように迎えるか――今の私たちの行動が、問われている気がします。

 

 ――現代は「無縁社会」といわれるように、人と人との関係が希薄になりつつある社会です。その中で、つながりを豊かにするために、何が必要でしょうか。

  

 私の実感ではありますが、度重なる災害の経験を経て、社会における「共助」の感覚が強まっている印象を受けます。「むすびえ」が行ったクラウドファンディング(インターネット上で広く資金を募ること)に関しても、10年前だったら「そうはいっても、現実は変わらない」という冷たい反応も少なくなかった。しかし今は「10円でも100円でも寄付する方が、大事だ」という雰囲気があります。つながりをつくる“土壌”のようなものが、つくられてきたと思います。

 その上で、地域社会を見てみると、“縦割り”の課題別組織が多く存在しています。例えば、病院や警察、役所などは、個々の課題を解決するための機関です。ある人が抱える、さまざまな課題をひとまとめに受け入れることは、しにくいといえます。

 ここでいう「つながり」とは、人を課題別で見ないで、多様な悩みを、全て包摂するような深い信頼関係を意味します。

 そうした関係性をつくるためには、ありのままの自分を受け入れてくれるような“居場所”が不可欠です。残念ながら、今の社会には、あらゆる人にとっての“居場所”になり得るものが不足しています。

 そうした状況にあって、創価学会のように、地域に根を張ったコミュニティーは、ますます存在意義を増すでしょう。コロナ禍の中で、電話やメール、手紙などで友人とつながろうとした学会員の方は多くいたと思います。平時から“一度つながった人とは、つながり続けよう”という意識があってこそ、今回のような非常時に行動に移すことができるのではないでしょうか。

 今後、より多くの個人・団体が「平時のつながり」と「非常時のセーフティーネット」のサイクルを回すことが求められます。それぞれが、地域のつながりを豊かにする“起点”となって、共々に、信頼関係を広げていきたいと思います。

 

 ゆあさ・まこと 1969年、東京生まれ。20代の頃から、ホームレス・生活困窮者の支援に携わる。内閣府参与、法政大学教授などを歴任して、東京大学特任教授に就任。NPO法人全国こども食堂支援センター「むすびえ」の理事長として、貧困問題等の社会的課題について、発信を続ける。主な著作に『反貧困』『「なんとかする」子どもの貧困』など。

 

〈危機の時代を生きる〉

 新型コロナ危機後の世界

2020年7月29日

人間主義と持続可能性によって制御されたグローバル経済へ

 

寄稿 

高木功教授 

創価大学経済学部長

 

 新型コロナウイルス感染のパンデミック(世界的大流行)によって、世界経済は大きな打撃を受けた。各国で経済活動が再開される中、専門家やメディアの間では“新型コロナ後”のグローバル経済の在り方について、さまざまな議論が交わされている。世界経済の現状と今後の課題について、創価大学経済学部長の高木功教授に考察してもらった。

 

 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が止まらない。WHO(世界保健機関)などによると、世界220カ国・地域に及び、感染者の数は世界で1648万人を超え、約65万4100人の命が奪われた(7月28日現在)。国境の存在を忘れさせるグローバルな経済活動と大量の人々の移動・交流が、新型コロナウイルス感染のパンデミックを導いた主因であり、超グローバル化の帰結の一つである。

 1990年代後半から、経済のグローバル化は加速し始めた。規制緩和と自由化の政策路線は、先進国内の企業による国際投資を活性化させ、企業の生産工程において分業・協業化を導いた。「グローバル供給連鎖」と呼ばれる現象である。

 特定の部品も、製品も、複数の企業によって意匠・製造・ブランド化され、世界市場への販売に向けて、いくつもの国境をまたいでいく。一つの生産物を、一つの企業の製品として特定することは今や難しい。そこに「グローバルな価値創造の連鎖」が形成される。私たちの生活の維持は、世界各地の多様かつ無数の労働・資源に支えられており、“一蓮托生の世界”といえよう。

 グローバル経済はこの30年、一段と拡大・膨張した。購買力平価(ある国において一定の商品・サービスの組み合わせの価格が、米国では何ドルで買えるかを示す交換レート)で換算した80年の世界のGDP(国内総生産)は13兆ドル余りだったが、90年に27・4兆ドルに増加。2000年には50・2兆ドルとなった。08年、世界を震撼させた金融危機が起きたにもかかわらず、10年には89・6兆ドルに拡大。そして19年には142兆ドルにまで達している。

 グローバル経済の急拡大を支えたのは先進各国の相互の過大な投資であり、また中国やブラジル、インドなど新興諸国への投資と、新興国経済の急成長である。その背景には、米国の慢性的な経常収支赤字と、先進各国の金融緩和政策によって生み出された巨額の余剰資金、すなわち過剰流動性が挙げられる。

 新型コロナウイルスの感染拡大は、こうしたグローバル経済の連結構造を一気に分断し、世界経済を危機に陥れた。国家レベルの危機回避策として、国や都市の封鎖を実施し、人々の国内外の移動を制限したが、それによって生産・消費活動は停止し、国際物流網は寸断された。年内の危機収束を前提としたIMF(国際通貨基金)の推計でも、経済成長率は、米国がマイナス5・9%、欧州ユーロ圏がマイナス7・5%、日本がマイナス5・2%となっている。今年の世界経済は戦後最大の危機に直面しているといえよう。

 米国、日本、EU(欧州連合)からなる先進国経済はこれまで、異常なまでの金融緩和策で景気を演出してきたが、バブル経済の崩壊と危機の発生が、経済の内的要因ではなく、感染症のパンデミックによってもたらされるとは、誰が予想しただろうか。

 金融危機ではなく、新型コロナ危機が近年の野放図なグローバリゼーションのリスクを広く知らしめたのである。

 

では、新型コロナ危機後の世界経済は、どうあるべきであろうか。

 

 第1に、グローバル化の負の産物である格差社会の是正と、万人に「人間らしい生活」を保障する経済体制の構想が求められよう。

 フランスの経済学者トマ・ピケティが示唆するように、グローバルな供給連鎖と金融中心のグローバリゼーションは国内・国際を問わず、所得・資産格差を拡大してきた。経済格差の大きい米国では、新型コロナウイルス感染による死者と被害者は、十分な医療サービスを受けられない貧困層、マイノリティー(少数派)に偏っているという。経済格差と感染症の被害に密接な相関があると思われる。

 つまり、経済格差が大きいほど、その社会は感染症の危機に脆弱だということ。医療サービスの享受をはじめ、健康的な、人間らしい生活を最低限保障することが再び注目されるべきであろう。ここでは、人々の意識変化、国家と地方自治の役割の見直し、そして危機管理能力が問われることになる。

 第2に、分断されたグローバル経済を再生・再構築すると同時に、足元の各国経済、地域経済の再構成が必要だ。新型コロナ危機は、グローバルな供給連鎖と、世界市場への過度な依存によるリスク、不確実性を明らかにしたからである。

 例えば、国外で、どこか一つの工場が閉鎖されれば、ある商品の生産活動がストップしてしまうのである。これまでのように、収益性と効率性を追求するだけではなく、リスク管理の強化が必須となる。供給連鎖を構成する契約先を複数・多様化させると同時に、生産活動の簡素化あるいは国内回帰も見直されるべきだ。国・地域内の循環経済も再構築される必要がある。

 第3に、人々と世界を結び付けるインフラ整備として、ICT(情報通信技術)ネットワークと、リアルな社会・経済との融合が挙げられる。目に見えないウイルスは、人々の心を恐怖と不安で覆い、人や社会、経済の連帯を破壊した。一方で、世界中の人々が同じ危機に直面し、自分自身と世界とのつながりを認識した結果、相互連結のネットワークの修復と再構築へ動き出している。この関係性の構築と修復に欠かせないインフラがICTである。

 ICTはAI(人工知能)と結び付くと、国家による監視強化とプライバシーの侵害をもたらしうるが、国境を越えて人々を結ぶツールとして、計り知れない潜在力を有している。新型コロナ危機の後、リモートワーク、リモートラーニングは広く普及し、対面会議よりもリアルタイムのオンラインコミュニケーションが主流になる可能性すらある。

 

 最後に、私たち自身の意識変革と行動変化について記したい。

 グローバリゼーションの拡大を支えた原動力は、中国に代表される新興国の人々の豊かさへの渇望と、国境を越えて肥大化する富への際限なき欲望である。人間の豊かさへの渇望と欲望の肥大化を止めることは難しいが、これらを抑制・転換する新しい変化はすでに見られる。

 例えば、環境問題への対策を含む国連「持続可能な開発目標(SDGs)」の達成を目指す「2030アジェンダ」は、普遍的な共通目標として人々に共有されつつある。その中には、感染症対策と、全ての人に保健医療サービスの提供を目指す「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ」の達成が含まれている。同時に、目標達成のための国際パートナーシップの構築も掲げられている。

 世界的な投資市場においても、環境・社会・企業統治への配慮を掲げる「ESG投資」が主流化しつつある。

 一方で、新型コロナ危機をきっかけに、世界の貧困率は上昇し、SDGsの「目標達成は一層困難になっている」(グテーレス国連事務総長)との見通しもある。その意味で、今まさに正念場であり、達成に向けた意識と取り組みが世界的に強化されなければならない。

 持続可能性と、あらゆる人間の生を保障する人間主義に導かれる「制御可能なグローバルエコノミー」の構築を期待したい。

 

 たかぎ・いさお 1956年生まれ。創価大学大学院博士課程単位取得満期退学。専門は、世界経済論、開発経済学、アジア経済論。シンガポール東南アジア研究センター客員研究員、フィリピンのデ・ラ・サール大学ユーチェンコ・センター客員研究員などを歴任。現在、「ウェルビーイング(よき生)」「人間主義経済学」の研究に取り組む。

 

〈危機の時代を生きる〉

 グローバル時代の感染症に「国際協力」で立ち向かう

 

 東京都立大学 詫摩佳代教授

2020年7月8日

 

 いかに人々の健康を守り、維持していくのか――。新型コロナウイルスの流行は、この人類の長年の問いを、改めて現代に突き付けている。今回は国際政治が専門であり、感染症との闘いと国際協力の歴史をつづった著書『人類と病』(中公新書)を本年4月に出版した、詫摩佳代・東京都立大学教授にインタビューした。(聞き手=萩本秀樹・村上進)

 

 ――なぜ、新型コロナウイルスの流行は私たちにとって脅威なのか。近著『人類と病』では、グローバル化時代の感染症の特徴について述べられています。

  

 新しいウイルスの流行は新型コロナに始まったことではなく、近年でも、エボラ出血熱やSARS(重症急性呼吸器症候群)といった新興感染症の流行が頻繁に起きていました。

 しかし新型コロナには、発展途上国や一部の地域だけではなく、全世界に一律に、被害が広がったという特徴があります。この世界的な感染の原因をたどると、国や地域などを超えて社会や経済が一体化するグローバリゼーションの進展に行き当たります。

 もちろん、国境を越える人や物の交流は今までもありましたが、その移動の量とスピードは、近年増しています。そのため、中国・武漢で感染爆発が始まったウイルスが瞬く間に世界に広がり、グローバル化時代の感染症の脅威を、世界に知らしめました。

 感染症の影響は、公衆衛生という一領域にとどまらず、経済、社会、政治といった領域に多面的に及んでいます。ゆえに各国では、保健関係の省庁のトップではなく、アメリカのトランプ大統領、中国の習近平国家主席、そして日本では安倍首相といった国家の首脳が、自ら陣頭指揮に当たっています。

 そのため、ウイルスを巡る対応に、国際政治が色濃く反映されていることも、グローバル化時代の感染症の特徴であるといえます。

  

 ――感染症への世界規模の対策を主導することは、WHO(世界保健機関)が本来の役割とするところですが、WHOの対応を巡っては今、加盟国の間で意見や対立があります。

  

 感染症の脅威は、グローバル化時代に、その影響力を増しています。それに対応するための枠組みであるWHOは、さまざまな改革を経てはいても、グローバル化時代に完全に適応する形で存在しているわけではありません。

 WHOの主な役割は、専門的知見を結集し、情報提供や勧告を行うことですが、いずれも強制力を持つものではなく、加盟国の自発的な協力なくしては機能し得ません。こうした性格による課題が、今回、露呈したといえます。

 また、WHOは国際機構であるため、自ら資金を拠出することができず、財政面で加盟国に依存せざるを得ない現実があります。そのため、アメリカや中国といった大国の動向に、振り回される局面が出てくるのです。

 今後、WHOなどを中心としたグローバルな感染症対策を進めるためには、各国の自発的な国際協力が不可欠となります。

 

――人類がウイルスに立ち向かうための国際協力体制は、どのように生まれたのでしょうか。

  

 制度としての国際協力の誕生は、19世紀のヨーロッパにさかのぼります。それまでは感染症の流行のたびにそれぞれの国や地域で独自の対策が講じられてきましたが、19世紀のコレラ大流行を機に、複数の国々によるルール策定が始まりました。

 港にやって来た船をどれだけ隔離するのか。人々をどのように検疫するのか。それらのルールが定められ、1903年、史上初の「国際衛生協定」が成立しました。

 この協定が対象としたのは、コレラペスト、後に加えられた黄熱病の三つでしたが、第1次世界大戦後、より広範囲な感染症対策の仕組みづくりが始まります。同時に、清潔な家に住むことや上下水道の整備など、感染症の流行を起こさせないような環境そのものが人間の健康を守る、という考えが芽生えていきます。

 第2次世界大戦の戦乱の中でも、連合国を中心に感染症抑制のための保健協力が続けられました。そして終戦後の48年に、WHOが設立されました。

  

 ――政治においては対立している国同士が、「保健」という共通項では協力し合ってきたという側面もあります。

  

 昨今の米中対立に見られるように、感染症対策に国家や国際政治が介入することのマイナス面も、もちろんあります。しかし、地球規模で感染症をコントロールし、今後完成するであろうワクチンを公平に分配する点などにおいて、政治の力は必ず必要になります。

 冷戦期、アメリカとソ連は、天然痘根絶事業で協力した歴史があります。ここから、私たちが学べることは多くあります。時に諍いながらも、両国は、ワクチン開発などで助け合い、天然痘を根絶に導いたのです。

 この事業においてWHOは、両国へのこまやかな配慮を切らしませんでした。ソ連が提供したワクチンがWHOの品質テストに合格しなかった時、担当者がすぐにモスクワに説明に飛んだことなどがその一例です。当時、国連安保理を含む国際機関が機能しない中、WHOは重要な役割を果たしました。

  

 ――今後の保健協力において日本が果たしうる役割は。

  

 トランプ大統領がWHOからの脱退を表明し、少なくとも大統領選(11月)が終わるまではアメリカの協力は期待できないでしょう。しかし、新型コロナを収束に向かわせるために必要な施策や、発展途上国など対応能力が低い国々で感染拡大を抑えていくことなど、目の前の課題は変わりません。

 また、有効なワクチンの開発を急ぐとともに、完成した場合は、それを公平に分配していくという課題もあります。これらは、国際協力なくして達成できないものであり、中長期的にそれを支えるのは、ヨーロッパや日本といったミドルパワーの連帯だと考えます。

 日本は、戦後築かれてきた、開かれた国際協力を推進し、民主的な価値を基調とする国際社会を維持していく上で、重要な役割を担うと考えています。

 さらに考慮すべきは、新型コロナが収束しても、次なるコロナは必ずやって来るという見通しです。その時代に、いかに備えるか。

 感染症が発生した時、国際保健規則にのっとった義務を各国が果たせば、感染症の管理は非常にスムーズになります。しかし、世界の約7割の国は、その履行能力が不十分であるといわれており、日本をはじめとする先進国が、自国のリソース(資源)や研究を生かして支援することが大切です。

 また日本は、国民皆保険を実現しているまれな国の一つとして、発展途上国で、国民が負担可能な費用で医療を受けられるシステムの構築に尽力してきました。今後もその活動を継続していくことは、より多くの命を助けることにつながるのではないでしょうか。

 日本やヨーロッパの国々は、WHOを中心に協力していく立場を示していますが、その他の例ではパリ協定(地球温暖化対策の国際枠組み)でも、国際協調を支えていく姿勢は一貫しています。

 その底流には、食糧や環境、保健といった個々の分野の協力を積み重ねることが、国際協力の基盤であるとの意識があるといえます。自国第一主義などで、リベラルな国際秩序が揺らぎつつあるといわれて久しいからこそ、その基盤である機能的な協力を支えようという価値観が、日本やヨーロッパの国々のリーダーに見られます。

 また、ビル&メリンダ・ゲイツ財団やGaviワクチンアライアンスなど、非国家アクター(行動主体)も大きな影響力と役割を持ち始めています

 こうした中間団体は、国益や個人の政治的選好から離れることが可能です。ゆえに、政治や経済的なインセンティブ(動機)によって生じたゆがみや格差を是正し、より公平な視点から国際協調を促していくことができます。これらの団体の役割を高めることが、活動の幅を広げることにもなります。

  

 ――国家以外の組織や団体を含む、国際保健協力の枠組みを指す「グローバル・ヘルス」は、国益を超えた“人類益”を、新たな価値基準として示すものです。

  

 国家を主役とする枠組みの限界は、新型コロナによって明らかになりました。国家を超えて、いかにグローバルな枠組みをつくれるか。WHOを中心としながら、情報収集などの局面では、非国家アクターも国家と同様に扱うような枠組みづくりが、急務であると思います。

 WHOでは、特定の国家やアクターに依存し過ぎないよう、個人から基金を募る仕組みもできました。資金面で一般市民の役割は高められ、それは発言権が増すことにもつながります。こうした市民の声を反映する体制づくりも、今後は大切になるでしょう。

 市民一人一人が、特定の国家や個人のためといった価値観を見直し、全ての人の健康を、国際社会における共通の価値へと高めていくことで、より大きな役割を発揮していくことが求められていると思います。

 

 たくま・かよ 東京都立大学法学部教授。専門は国際政治。東京大学法学部卒、同大学院総合文化研究科国際社会科学専攻国際関係論博士課程単位取得退学。博士(学術)。東京大学東洋文化研究所助教、首都大学東京法学政治学研究科准教授などを経て現職。著書に『人類と病』『国際政治のなかの国際保健事業』『新しい地政学』(共著)などがある。

 

コロナ禍に立ち向かう

 戸田記念国際平和研究所

 ケビン・クレメンツ所長

2020年7月7日

パンデミックで露呈した現行システムの限界

「人間の安全保障」に基づく優先課題の見直しが急務

 

 戸田記念国際平和研究所(創立者=池田大作先生)のケビン・クレメンツ所長は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミック(世界的大流行)を踏まえ、所長声明「コロナ禍に立ち向かう――危険と機会」を発表した〈4月28日配信「Policy Brief(政策提言)」No.71〉。声明では、今回のコロナ禍によって軍事的な「安全保障」の枠組みの限界が明らかになったと指摘。疫病や気候変動、貧困など生存に対する現実の脅威を見据え、「人間の安全保障」の概念に基づいて国家と世界の優先課題を再検討し、多国間プロジェクトを再活性化させることを訴えている。同声明の要約を紹介する。

 

 コロナ禍という難題への取り組みが最終的にもたらすのは、革新的かつ根本的な制度変革か、現状の再肯定のいずれかです。しかし後者はすでに、パンデミックの脅威に対する人類の対応能力の欠如を証明してしまっています。

 感染者数と死者数を見れば、人間の生存に関わる課題と世界的な安全保障の問題が、今回のコロナ禍により顕在化したといえます。

 新型コロナウイルスの被害は、世界のテロ行為による被害をはるかに上回ります。それにもかかわらず、諸国は過去20年間、健康への脅威より軍事的脅威に、人間の安全保障より国家の安全保障に、より多くの資金を投じてきました。今回のパンデミックは、人間の生存に対する現実の脅威を克服するための、政治的・経済的優先順位を決定する唯一無二の機会を提供してくれているといえます。

 今回の事態は危険であると同時に、改善のチャンスでもあります。危険の方は認識されていますが、改善の機会についての認識はどうか、を考えてみたいのです。

 

何が脅威か再考を

 

 第一に、21世紀におけるリスク、脅威の性質の見直しを始める必要があります。

 今回のコロナ禍によって、国家は、健康、世界人口、集団移民、難民、気候変動、不平等などよりも軍事的脅威を上位のリスクに据えることは難しくなりました。国民と政策担当者は、福祉と生存に対する脅威の性質を再考することが不可欠であり、特に「人間の安全保障」の概念に基づいて検討することが重要になります。

 

 コロナ禍で浮き彫りになったのは、医療崩壊、気候変動、貧困撲滅に対して無力であることが明らかな「軍事的国家安全保障」という枠組みの限界です。核兵器や通常兵器の軍備拡大競争は、今日の世界的問題を解決できない。それどころか、それにより悪化し、複雑になるだけです。

 あらゆる人が健康で生産的な生活を送れるようにするためには食料、水、汚染されていない環境が必要であり、医療・教育制度を特に重視する必要がある。このビジョンを推進できる戦略を策定するために、国家と世界の優先課題を軍事的安全保障から地球全体の安全保障へと大幅に転換する必要があります。

 また、不気味に迫っているのが気候変動による中長期的な影響です。これも21世紀最大の課題であることを忘れてはなりません。

 

多国間協力が不可欠

 

 第二に、これら複合化された脅威のいずれに対しても、一国のみで解決することは困難であり、地域的・世界的な協調を必要とします。このため、コロナ禍後の世界では多国間プロジェクトを再活性化させる必要があるということです。

 国家と国民は世界に関わる意思決定のために、国際機関の効率、有効性、関連性の改善に重点を置く。とともに、国家や世界の政治指導者は、さまざまな国際機関の戦略や目標の有効性と関連性について、「国益」のためという狭い概念ではなく、「人間」にとってより良いものにするために注意を向けなければなりません。

 また、このパンデミックは貧困層に対してとりわけ深刻な打撃を与えており、貧困と不平等の問題はさらに悪化しています。

 パンデミックによって私たちは社会的、経済的、政治的な優先事項を考え直すことを余儀なくされるのです。「人間の安全保障」の概念および再活性化された多国間機関は、革新的な政策決定を可能にするといえましょう。

 

新たな経済モデルへ

 

 第三に、このパンデミックが、国と地域と世界の経済活動に根本的な変化をもたらすことは明らかです。

 世界の労働者33億人のうち、合計81%において、職場が全面的または部分的に閉鎖されました。グローバル・サウス(南半球に多い発展途上国)の経済に対するパンデミックの影響の全体像はまだ確認されていませんが、最悪の影響を受けるリスクがあるとの指摘もあります。

 このため、新たな経済的思考では、工業化された北部(北半球)だけでなく、南部(南半球)の持続的な経済活動も活性化させる方法に重点を置くことが大事です。

 コロナ禍後の世界で古い経済モデルを改めて追認することは極めて反動的であり、21世紀のための新たな経済システムについて大胆に思考する必要がありますそしてこの危機の結果として生まれる経済システムを、大企業のためのものではなく、社会福祉中心のものにしていく努力が求められます。

 

地域共同体が重要

 

 第四に、回復力を持つ社会制度を確実に整備するためには、コミュニティーの再活性化と社会的連帯(ウイルスに対応する中で生まれたもの)を基盤とすることが不可欠です。

 危機が収束したときに、この惨禍を切り抜けることができたのは公共サービスを担う労働者、最前線の医療従事者、そして、なかなか認められることもない、現代都市生活の土台を維持するために不可欠な人々のおかげだという事実を、政治家も一般の人々も忘れないことが重要です。

 そして何より、持続的なコミュニティーの礎としては、家族と世帯単位の回復力を基盤とすることが大切です。それは近所同士が協力し、確実に地域、町、市の自立性と持続性を強化すること、少数の人のニーズではなく全員のニーズに対する感受性を高めることを意味します。

 

医療制度を構築

 

 最後に、独裁的な指導者がこのパンデミックを利用し、非常時の権威主義的権力を恒久的に導入する事態を防ぐことが不可欠です。

 この危機を通じて、私たちはあらゆる分野で進歩的な政治変革を実現し、誰もが母胎にいる時から墓場までの安全を保障され、未来が投げ掛けるあらゆる危機に対応できるだけの医療制度を構築しなければなりません。

 このたびのパンデミックは、恐怖と混乱と不安をもたらしましたが、新たなビジョンを築くための機会――より共感的、平等で、恐れが少なく、汚染が低減され、自然と調和した世界を築く唯一無二の機会も提示しているのです。これは、創造的な可能性が開かれた瞬間です。今回の世界危機がもたらした一つの結果として、今世紀の大きな課題に応えられるだけの世界を共に創出していこうではありませんか。

 

〈危機の時代を生きる〉

 インタビュー 

立命館大学 

開沼博 准教授

2020年6月24日

コロナ禍で見落とせない「多様なリスク」への視点

 

 「ウィズコロナ」という言葉が表すように、当分の間、私たちの生活は、新型コロナウイルスとの“共存”が想定される。こうした状況下で、私たちが向き合うべき課題は何か――。東日本大震災の被災地復興に携わり続ける、立命館大学の開沼博准教授に話を聞いた。(聞き手=志村清志・村上進)

 

 ――コロナ禍が長期化する現状を、どのように考えていますか。

  

 日本においては、ウイルス感染による「直接的なリスク」は、抑えられつつあるといえます。むしろ今後は、コロナ禍の影響で起こる「間接的なリスク」を一層、考慮していくべきでしょう。

 具体例の一つは「健康リスク」です。外出や人との交流が減っていることで、心身に不調をきたす恐れがあります。社会的孤立から、自死に至る場合も想定されます。また「経済的リスク」も深刻です。今は飲食業や観光業などが影響を受けていますが、今後、他の業種へも広がっていくでしょう。

 他にも、高齢者の認知機能の低下や児童虐待・DV(家庭内暴力)の増加など、挙げればキリがありません。

 今日の状況は、2011年の東日本大震災後の状況とよく似ています。福島県において、地震や津波で亡くなった方は、1605人を数えます。一方、避難生活の中で心身の体調を崩して亡くなった「震災関連死」の数は、2308人に上ります(本年6月16日現在)。「直接的リスク」もさることながら、「間接的リスク」も、私たちの社会に深刻な影響を与えるのです。

 かつての日本社会は「貧・病・争」(貧乏・病気・争いなど)が、人々にとっての主要なリスクでした。ある意味では、分かりやすかった。その後、経済発展に伴い、国民全体の生活水準が高まると、人々の生活が多様になり、立ち現れるリスクも多様化・細分化されました。そのため、一般には“見えづらい”リスクが増えていったのです。

 社会全体が、こうした細かなリスクを見落としてしまえば、東日本大震災の後に「震災関連死」が問題になったように、「コロナ関連死」と呼ばれる問題が顕在化するのではないかと危惧しています。

  

 ――今後、コロナ禍と向き合う上で必要な視点は?

  

 小さなリスクにも目を配る「多元的なリスク観」が求められます。

 そうした視点に立つことで、全体の被害逓減に大きく貢献する場合もあります。1853年に起きたクリミア戦争の際、ナイチンゲールは、戦死者の死因が、戦闘で受けた傷自体よりも、治療現場の不衛生によるものの方が多かったことを、統計を用いて解明しています。その後、衛生管理を改善し、死者数を大きく減少させました。こうした彼女の姿勢は「多元的なリスク観」に立ったものといえるでしょう。

 しかし現状を見ると、「感染リスクの抑制か、経済危機からの復興か」という二項対立の議論ばかりが目立ちます。3・11の後、「原発か、脱原発か」との論争が多く取り上げられた構図と同じです。

 こうした問題は早々に解決できるわけではありません。それにもかかわらず、延々と二項対立の議論が続けば、課題解決に向けた本質的な議論は一向に深まらず、多くの人が抱える「多様なリスク」が抜け落ちてしまう恐れがあります。

 

 かいぬま・ひろし 1984年生まれ。福島県出身。東京大学卒。専攻は社会学。福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)ワーキンググループメンバー、復興庁東日本大震災生活復興プロジェクト委員などを歴任。2016年から、立命館大学准教授を務めている。主な著書として、『はじめての福島学』『漂白される社会』『フクシマの正義』などがある。 

 

オンラインなどの活用を通して

新たな「顔の見える関係」をつくる

個人間の情報格差(デジタルディバイド)をなくし

社会の中に「共助」の基盤を

 

 

今、青年部を中心に“オンラインによる集い”の取り組みが推進されている

 ――危機的な状況に直面した場合、多様なリスクがこぼれ落ちてしまう理由は何だと考えますか。

  

 さまざまな理由がありますが、一つは、日本社会の“特殊性”といえるでしょう。

 社会学には「社会統制」と「社会化」という概念があります。「社会統制」とは、秩序の維持のために、個人の行動を規制するメカニズムのことで、法や制度などを指します。一方で「社会化」とは、人々が、集団や社会の行動様式を取り入れる過程を意味します。ここでは“暗黙のルール”と考えてもよいでしょう。

 4月に発令された「緊急事態宣言」は「社会統制」に分類されます。ただし、この宣言には、法的な強制力はほとんどありません。それにもかかわらず、国民の多くは宣言に従い、外出や店舗の営業などを自発的に控えるようになり、5月25日には「緊急事態宣言」が全面解除になりました。これは、政府の提示した行動様式を取り入れる「社会化」が、強く働いたことを意味します。

 しかし、その一方、“自粛警察”と呼ばれる、一般市民による私的な取り締まりや攻撃、感染者のあぶり出し、医療従事者やその家族への差別行為など、「社会化」の“負の側面”も多く見られました。

 人々のライフスタイルや生活環境は多種多様です。中には、止むに止まれぬ事情から、緊急事態宣言下であっても店舗の営業を続けた人もいたでしょう。

 それにもかかわらず、日本社会には、そうした人たちへの想像力に欠ける部分があり、全体から逸脱する人を「悪」と捉えてしまう傾向がある。言ってしまえば「社会化」の行き過ぎが、多様なリスクを“見えづらい”ものにしている原因といえます。

  

 ――多様なリスクを見逃さないためには、何が必要でしょうか。

  

 地域のつながりが豊かになることが大切だと考えています。そうすれば、ある人がリスクを抱えたとしても、皆で助け合うことができるからです。そのためにも、人とのつながりを形成する、「サードプレイス」(第3の場所)のコミュニティーが求められます。

 これは、社会学者オルデンバーグの提唱した概念で、家庭(第1の場所)や会社・学校(第2の場所)とは異なる「場」のことです。地元の喫茶店や居酒屋、身近な集会での交流などを指します。こうした場では、ゆるやかな「顔の見える関係」の中で、豊かな教養やつながりがつくられやすい。そこで生まれる信頼や安心感は、「共助」(助け合い)の輪を育む上で大変に有効です。

 しかし、「個人化」の進展した現代社会にあっては、そもそも「サードプレイス」の存在が減少している。さらに追い打ちをかけるように、新型コロナウイルスの感染拡大によって、そうした「場」に集まりづらい状況が生まれています。

 こうした苦境の中で、どのように「顔の見える関係」を構築できるか――つまり、“新たな日常”における新たなコミュニティーのあり方、「共助」のあり方が、今後、求められます。

  

 ――ここ最近、オンライン上での交流が活発に行われるようになってきています。

  

 直接会っての交流がしづらい状況は、しばらくの間、続くでしょう。そうした中で、オンラインを活用して交流し、支え合う流れをつくることは、有効だと考えています。

 しかし、その裏で、見逃してはいけないのは、「デジタルディバイド」(情報格差)の問題です。インターネットを使えなければ、即座にこうした「共助」の流れから脱落してしまいます。加えて、オンラインによる教育や医療、公的サービスの申請などからも取り残されれば、大きな格差につながりかねません。

 日本におけるインターネット利用率は79・8%です(総務省・令和元年版「情報通信白書」)。単純に考えて、人口の約2割が、インターネットへのアクセス手段を持っていないことになります。この2割にあてはまる層は、高齢者や経済的に恵まれない人が想定されます。つまり、もともと多くのリスクを抱えている層です。

 東日本大震災の時もそうでしたが、もともとリスクを抱えていた人ほど、災害などの非常事態が起こった際、さらなるリスクに見舞われます。今回のコロナ禍にあって、「デジタルディバイド」の問題は、その象徴的な例といえます。

 単に技術的な問題と捉えられがちな「デジタルディバイド」ですが、この状況下では、人の命・生活に関わる重要な問題です。そうした人々へのサポートは、ますます希求されるでしょう。

  

 ――“コロナ以前”のように、直接会っての交流がしづらい状況の中で、この問題を乗り越えるためには?

  

 個人間の情報格差をなくすには、行政による「公助」が必要になってきます。社会の中で「共助」の流れが生まれるような基盤をつくってほしいと思います。

 その上で留意してほしいのは、この問題は今に始まったわけではないということです。個人化された社会では、人と人とのつながりは希薄になり、そもそも「共助」の流れがつくられづらい。長らく棚上げされてきた課題が、今回のコロナ禍で可視化されただけといえます。

 だからこそ、私たちは、この課題に真摯に向き合い、新しい「共助」のあり方を構築していかなければいけません。そうした意味で、創価学会をはじめ、個人と社会を結ぶ「中間集団」の果たす役割は大きいでしょう。「共助」には、人と人のつながりが欠かせません。東日本大震災の時も、学会の励ましのネットワークが、多くの人を勇気づけたように、今回のコロナ禍でも、「共助」の流れを生み出す起点として、その力を発揮してほしいと思います。

 

2020.6.24付聖教新聞一面

 

〈危機の時代を生きる〉

 インタビュー

 創価大学看護学部

 佐々木諭 教授
2020年6月17日

アフリカ大陸で広がる新型コロナウイルス
逆境に立ち向かう力は地域コミュニティーに

 

 世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス。アフリカ大陸でも広がっており、累計の感染者数は5月22日に10万人を記録し、今月中旬には25万人を超えた。国際保健学が専門で、アフリカで医療支援をした経験のある創価大学看護学部の佐々木諭教授に、アフリカの現状をはじめ、日本の医療現場で奮闘する看護師の様子などを電話で取材した。(聞き手=加藤伸樹)

 ――WHO(世界保健機関)は、アフリカで封じ込めに失敗すれば“1年間で最大4400万人が感染し、19万人の死者が出る恐れがある”と警鐘を鳴らしています。
  
 アフリカで最初に感染が確認されたのはエジプトで、2月14日でした。アフリカ疾病予防管理センターの発表などを見る限り、ヨーロッパなどの国々と比較すると流行のスピードは抑えられており、その要因として、専門家と各国が連携し、事前に抑制の準備に取り組んできたことが指摘されています。
 ただ、国によって状況は異なるものの、5月に入ってからは徐々に流行し始めています。アフリカの国々は、人工呼吸器などの医療機器や治療に当たる専門職の人々も不足していますし、集中治療室の割合も低く、重症患者に適切な処置が行えません。都市部には貧困層の人々が暮らす未計画居住区があり、そこでは狭い家屋に大人数で生活していたり、「感染予防では手洗いが大事」といっても、安全な水にアクセスできない人もいます。こうした環境下では、すぐに感染爆発が起こることは想像に難くありません。先進国に比べ、警戒が必要です。
  
 ――感染者が少ない理由として、検査体制が不十分であることを指摘する専門家もいます。
  
 アフリカの人口の6割は、25歳未満の若年層です。こうした人々は免疫力も高いことから、感染を抑えられているのではないかと考えられています。しかし、ご指摘の通り、アフリカで最も人口の多いナイジェリアで1000人当たり0・46人など、検査数が低いのが実情で、実際の感染者はもっと多いことも考えられます。
 ただアフリカには、エイズやマラリア、エボラ出血熱など、さまざまな感染症と闘ってきたノウハウが蓄積されています。
 医療資源が限られている分、特にアフリカでは「地域の支え合い」で感染症に立ち向かってきました。その要が、各家庭に感染予防や健康改善に関する教育を行う「コミュニティー・ヘルス・ワーカー」と呼ばれるボランティアの存在です。こうした人々が行政や医療関係者らの指示のもと、感染しないための策を講じた上で、各家庭に正しい予防法を指導するのです。ボランティアの強みは“実際にその地域に住む人”ということです。地域のことをよく知り、地域の人々との信頼もあります。もちろん人との接触は感染のリスクを伴います。しかし、一人一人に丁寧に伝える分、皆が正確な情報をもとに判断でき、何より納得して行動できます。そこでは、さまざまな情報があふれ、何を信用していいのかといったことは起こりません。

 

感染症を防ぐ三つの方策
①治療薬開発で「感染源」を除去
②皆の協力で「感染経路」を遮断
→手洗い・マスク、身体的距離の確保
③免疫力強化で「感受性」を低める
→睡眠・食事・運動、笑顔ある生活
最前線で命を守る医療従事者にエールを

 

 ――感染対策において、私たちは何を基準に考えていけばいいのでしょうか。
  
 そもそも感染症は、「感染源」「感染経路」「感受性宿主」という要因がそろうことで広がります。病原体という「感染源」が存在し、感染が広がる「経路」があり、その病原体を「感受」、つまり“受け入れる生物がいる”ということです。一方、どれか一つでもブロックできれば感染症は広がらないことが分かっています。それを踏まえて考えれば、①感染源を除去する治療薬の開発、②感染経路を断つための一人一人の行動変容、③健康的な生活の心掛けや予防接種を受けることで免疫力を高めること――この三つが大切なのです。
 一つ目の治療薬は世界の研究者らが行っているので、私たちができることは、二つ目と三つ目になります。手洗いの励行やマスクの着用、身体的距離を取るといった行動は、病原体の体内への侵入を防ぐもので、感染経路への対策。三つ目の免疫力の強化には、ワクチンの接種も含まれますが、十分な睡眠や栄養バランスの取れた食事、そして適度な運動を心掛けることでも高めることができます。
  
 ――やはり「正しく知る」ことは大切ですね。
  
 私はザンビアでコレラの大流行の制御対策をしましたが、その際に特に力を入れたのは、行動変容を中心とした感染経路の遮断でした。コレラは、口から細菌が入ることで感染します。ですので、先ほどのボランティアグループの人々に感染予防や家屋の消毒などの講習を行い、水質調査をもとに「ここの水は飲んではいけない」とか「石けんによる手洗いが大切ですよ」などの情報を伝えました。
 その中で罹患率を下げることができたことからも、感染症対策において、地域コミュニティーの存在と、その人々が伝える正しい情報がいかに大切かを感じました。
  
 ――日本赤十字社は、不確かな情報に振り回され、感染症への恐怖が増してしまうと、感染者や医療関係者への差別につながっていくと警告しています。
  
 創価大学看護学部の1期生が卒業したのは、2017年のこと。以来、4年にわたって卒業生を送り出してきました。卒業生たちも今、医療現場の最前線で奮闘していますが、人とすれ違う際にあからさまな態度で避けられたことなど、差別が起きていたことは聞きました。
 医療従事者は、自分が感染してしまうかもしれないリスクと不安の中にいますが、それでも目の前の命を救うために全力を尽くしています。こうした医療従事者を守ることが、新型コロナウイルスに打ち勝つ道であると確信します。
  
 ――未知のウイルスということもあり、治療や看護の仕方も試行錯誤の連続だと思います。
  
 患者を勇気づけられるよう、真心と誠実で一人一人に寄り添ってきた看護師も、今回のウイルスが蔓延してからは、さまざまな制約の中で看護に当たっているようです。
 病室に入る時間も制約があり、患者と接する時間も当然、短くなります。またマスクやゴーグルなどを着けた状態では、笑顔といった自分の表情で相手の不安を取り除いてあげることもできません。だからこそ、「声」が大事だと、今まで以上に一言一言に思いを込めていると聞きました。
 加えて、家族も患者と会えない状況があります。そうした家族へのケアのために、まずは家族と信頼関係を深め、電話で小まめに患者の状況を伝えたり、SNSを活用して患者と家族が話せるように工夫したりしているそうです。
  
 ――航空自衛隊のブルーインパルスが5月末、医療従事者への感謝を示すために都心上空を飛行するなど、さまざまなエールが送られています。
  
 そうしたエールは、間違いなく医療従事者を勇気づけています。患者や家族からの「ありがとう」との言葉や、地域の方々の「頑張ってね」「応援しているよ」といった声が力になり、「負けずに頑張ろう」と思えると感謝していました。
 また創大看護学部の卒業生にとって、学部開設時に創立者・池田先生から贈られた三つの指針が心の支えとなっていることを改めて感じました。
 「生命の尊厳を探究する生涯学びの看護」「生きる力を引き出す励ましの心光る看護」「共に勝利の人生を開く智慧と慈悲の看護」との指針を在学中から何度も自らに問い掛けてきた卒業生は、それぞれの医療現場にあって、どうすることが患者の生きる力を引き出し、患者と共に勝利の人生を開くことになるのかと日々模索し、そして、共に探究してきた仲間たちと連携を取り合い、励まし合いながら奮闘しています。
  
 ――励ましの絆を広げていくことは、人類が感染症に立ち向かっていく上でも重要ではないでしょうか。
  
 社会に不安が漂う中、励ましは人々に生きる力を与えます。「笑い」が免疫力を高めることは知られていますが、励ましで“人々を笑顔にしていくこと”も、感染症の予防に貢献することでしょう。
 また、感染症対策で必要なのは「自分が感染しない」「人に感染させない」との思いを持ち、皆で感染を抑え込もうという協力体制です。その意味では、人々の絆が鍵を握ると思います。
 例えば、正しい情報といっても、人によって置かれた状況も納得の度合いも違います。だからこそ、一人一人に応じて話す人も必要ですし、誰一人孤立することがないよう、地域の人々を見守る存在も重要でしょう。
 新型コロナウイルスの流行によって、人と人の物理的距離を保つことが求められますが、その中でも電話などを使って社会的なつながりを強めることは可能です。支え励まし合う絆は、危機の時代にあって、ますます求められていくと感じます。

 ささき・さとし 医学博士。新潟大学大学院医歯学総合研究科助教、創価大学学士課程教育機構准教授などを経て現職。国際医療NGO「AMDA」の職員として、ルワンダなどでの難民支援の医療系業務に従事。国際協力機構(JICA)の専門家としてザンビアの貧困地域で子どもたちの健康改善に取り組んだ経験も持つ。創価大学ではグローバル・シティズンシップ・プログラム(GCP)ディレクターも兼任

 

寄稿

 コロナ後の目指すべき社会

2020年5月31日

社会学者 大澤真幸

国民国家を相対化する

自発的な連合の重層化を

 

 現在、世界は新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)によって大きな転換点、岐路に立たされている。かつての日常が失われるなか、私たちの社会はどのような世界へと向かえばよいのだろうか。社会学者の大澤真幸氏にコロナ後の社会と世界をテーマに寄稿してもらった。

 

地球社会貫く原理の限界

 

 人類の共同体は、国民国家の集合である。政治的主権は、最終的には国民国家に帰属しており、それよりも大きな組織(例えば国連)も、またより小さな共同体(例えば自治体)も、国民国家の主権を超える権限をもたない。そして何より、私たちのアイデンティティーが、国民国家への所属をベースにしている。標準的な日本人にとって、「私は日本人だ」という意識は非常に重要だ。しかし例えば「アジア人である」と意識することはほとんどなく、「○○県民である」ということを自尊心のよりどころとする人は少ない。

 従って、地球社会の全体を貫いている原理は、国民国家の間の競争の論理である。もちろん、国民国家は絶えず闘っているわけではなく、多くの協力的な関係が結ばれてきたが、そのような協力も、それぞれの国益に合致する限りでしか成り立たない。

 しかし、二十世紀の末期以降、私たちは、国民国家間の競争という論理には限界がある、いやこの論理は危険である、ということを繰り返し確認してきた。人類の存続にも関わるような大きな問題は、国民国家のレベルでは解決できない。それどころか、国民国家間の競争こそが、問題を深刻なものにしてきた原因だ。例えば環境問題。アメリカの「パリ協定からの離脱」が示すように、それぞれの国の利益の追求こそが、二酸化炭素排出量の削減という目標への到達を阻む最大の障害である。

 国際社会の基本的な枠組みが、「国民国家間の競争」である限り、個人が倫理の点でいくら成熟しても、絶対に重要な社会問題は解決できない。このとき、最も高潔な行為と最も野蛮な行為とが、完全に合致してしまうからだ。国民国家の観点からは、最も高潔な行為とは、自国民のために命をも懸ける覚悟でなされることだ。しかし、その同じ行為は、国家間で見れば、野蛮さむき出しの闘争として表れる。例えばある国の科学者が、その国の防衛方針に従い、自己犠牲的な努力によって核ミサイルを開発したとする。この業績は、その国の内側から見ると英雄的だが、国家間で見れば、ケンカを売っているに等しい。

 

一国だけの解決はない

 

 さて、現在の新型コロナウイルスのパンデミックは、「国民国家間の競争」という前提の下では絶対に解決できないということを示す究極のケースとなっている。述べたように、現在の重要な問題はいずれも、国民国家がそれぞれ国益を求めて競争しあっている限りは解決困難なわけだが、その問題から生ずる破局はまだ少し先のことであるため、人々は、何とか従来の枠組みの中でことを収めようと、「悪あがき」してきた。しかし、目下の新型コロナの場合は違う。破局的な混乱はすでに来ているのであって、私たちは今その渦中にいる。

 もちろん、現在、コロナ対策は国ごとに行っている。各国政府は、外国からの渡航を制限し、都市をロックダウンしたり、人々の外出を制限したりしてきた。そうしながら、世界中の人が理解したことがある。感染症の流行は、一国だけでは解決できない、と。いや、そもそも、「一国だけの解決」ということ自体がナンセンスだということを人々は学んだはずだ。

 仮に自国の感染者の数が減少し、ゼロに近づいても、他国で流行が止まっていなければ、自国にとってさえも解決ではない。地球上のどこかに、感染者がいれば、ウイルスがいつ自国に再び入ってくるか分からないからだ。そもそも、他国に感染者がいる間は、十分な経済活動も交流も不可能で、私たちは本来の生活を取り戻すことはできない。要するに、「一国だけ」であれば、それはいまだ解決ではないのだ。

 従って、各国政府が奮闘する中で明らかになったことは、「国民国家の主権」の不十分さ、無力さである。ここから導かれる教訓は次のようなことだ。すなわち、今後もまだ何年か続くパンデミックへの対応を通じて、あるいはコロナ後の来るべき社会においては、国民国家の主権は相対化され、やがて乗り越えられなくてはならない、と。

 国民国家の主権は、二つの方向へと――つまり、より包括的な上位と、よりローカルな下位へと――向けて相対化される必要がある。

 

人々にも変化の必要が

 

 一方で、国民国家は最終的には主権を放棄し、代わって主権は、国民国家を横断するグローバルな共同体に、要するに「人類」そのものであるような共同体に担われるべきである。現在でも、WHO(世界保健機関)や国連など、国民国家をつなぐ機関や制度はあるが、それらは、国民国家の主権を超えるものではないので、いざというときに役立たない。WHOや国連が、国民国家の争いの場となってしまうからだ。将来は、WHOや国連を改組し、「人類」を代表するそれらの機関に、国民国家レベルの行動を抑制し得る権威が与えられなくてはならない。

 この目標はしかし、非常に高い。人類を代表するとされる機関が民主的に支持され、実際に機能するためには、少なくとも、私たちのアイデンティティーの在り方が変容しなくてはならない。国民国家への所属からくるアイデンティティーより、人類という共同体への所属に基づくアイデンティティーが優越する必要がある。「日本人」や「アメリカ人」であるより前に世界市民である、と。

 例えば、グローバルな機関は、パンデミックのとき、医療資源やスタッフを「わが国」ではなく、別のもっと感染者が多い地域に優先的に配分すべきだと決定するかもしれない。「国益」には反するこうした決定を受け入れられるためには、人は世界市民である必要がある。他方で、(大枠の方針ではなく)具体的な個々の判断や施策に関しては、権限は逆に、国民国家よりも小さいローカルなコミュニティーのレベルへと移されなくてはならない。現在のコロナ対策において、日本でも、また他国でも、一国の政府よりも、地方自治体の首長や地方政府の活躍が目立っているが、それには理由がある。医療に関しては、地域の実情を熟知し、それに即した対応ができる行政機関が必要だからだ。人が、地方政府の判断を信頼できるのは、もちろん、ローカルなコミュニティーに対して、強い参加意識をもっているときに限られる。

 従って、整理すれば、国民国家は、将来的には、その上位と下位の二つのレベルの「連帯」によって相対化される必要がある。ローカルなコミュニティーのレベルの連帯とグローバルな人類のレベルの連帯である。この二つのレベルを合体させると、私たちが最終的に目指すべき社会の在り方として、次のような理念的な像を得ることができる。

 コミュニティーの理想を、自由な個人の間の自発的な連合という意味で「アソシエーション」と呼ぶとしよう。これをグローバルな連帯と接続するということは、結局、アソシエーションを重層化していくということである。アソシエーションの集まり自体が、アソシエーションの原理で結び付く。アソシエーションをこうしてより包括的なものへと何段階も積み上げ、最終的には人類の普遍性へと至る。これは単純化したモデルだが、しかし、コロナ後に目指すべき社会の骨格を表現している。

 

世界市民として考える

 

 とはいえ、悲観的にもなる。私たちが現在目にしているのは、むしろ国民国家レベルの極端な利己主義でもあるからだ。トランプ大統領がドイツの製薬会社に米国人向けのワクチンを開発させようとしたり、中国がコロナ後の覇権を視野に入れて戦略的に他国を援助したり、米中が互いを非難しあったり……と。パンデミックの前からあった「自国ファースト」の方針が、強化されようとしている。

 要するに、人類は、現下のパンデミックの中で、大きな分かれ道に差し掛かっているのだ。国民国家の利己主義を極限まで推し進めるのか、それとも国民国家を相対化する新たな連帯へと向かうのか。二十一世紀の末にも人類が繁栄しているとすれば、私たちが今、後者の道を選んだときである。

 二百年以上も前にカントが書いていたことが、今このときほど当てはまるときはない。カントによれば、思考の自由とは、理性を公的に使用することだ。普通私たちが「公的」と見なすこと、例えば公務員が自国のためにあれこれ考えることは、カントの考えでは、理性の私的使用である。それは国家の利己的利害に縛られているからだ。理性の公的使用とは、世界市民として考えることである。

 カントはこうも書いている。思考の自由を維持しつつ、とりあえずは国家のルールに従いなさい、と。私たちも今は安全のために必要な要請に従いながら考え抜こう。理性を公的に使用する術を得たならば、私たちは正しい道の方へと進みつつあることになる。

 

 おおさわ・まさち 1958年、長野県生まれ。千葉大学助教授、京都大学教授を歴任。社会学博士。著書に『夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学』『自由という牢獄』『三島由紀夫 ふたつの謎』『社会学史』などがある。

 

〈危機の時代を生きる〉

 新型コロナのパンデミック

 乗り越える鍵は皆が地球規模で考えること

2020年5月27日

北海道大学 人獣共通感染症リサーチセンター 髙田礼人教授 

 

 猛威を振るう新型コロナウイルスは、なぜ出現したのか――。世界各地を飛び回り、動物から人にうつるウイルスの感染メカニズムを解き明かしてきた北海道大学人獣共通感染症リサーチセンターの髙田礼人教授に、電話で取材した。(聞き手=本田拓視)

 

 ――新型コロナウイルスの出現について、どう思われていますか。

  

 正月明けくらいに、中国で原因不明の肺炎が流行していると報道され、これが他の地域に広がったら、どのくらいの影響を及ぼすかと心配していました。

 今回の新型コロナウイルスは、感染しても症状の出ない「不顕性感染」も多いことが対策を難しくさせています。感染者が感染に気付かず、他の人と接触してウイルスを撒き散らしてしまう可能性があるからです。SARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)に比べて致死率は高くないものの、今は警戒が必要だと思います。

  

 ――教授はこれまで、エボラウイルスやインフルエンザウイルスの研究をされてきましたが、今回のウイルスもエボラウイルスと同じく、コウモリの持っていたウイルスと考えられています。

  

 新型コロナウイルスに非常によく似ているウイルスがコウモリから見付かっているので、自然宿主(もともとウイルスと共存している動物)はコウモリと考えられます。その上で、どうしてコウモリに、そんなに多くのウイルスがいるのかとよく聞かれます。あくまで推測ですが、コウモリは洞窟等の密閉した空間で密集・密接して生活しているものが多いのです。いわゆる「3密」です。そういった環境は、ウイルスが維持されやすいのだと思います。

 ただ実際は、コウモリとともにげっ歯類(ネズミの仲間)もまた、多くのウイルスを持っていることが分かっています。そうしたウイルスがたまたま人や他の動物に入った時に、感染症を引き起こすのです。

  

 ――エボラ出血熱で臨床試験が行われていた「レムデシビル」が、新型コロナウイルス感染症の治療薬として国内で承認されました。

  

 新型コロナウイルスは感染した細胞の中に入り込み、自らの遺伝情報(RNA)を複製させていきますが、この複製の際に必要なのは、ウイルスが持っている「RNAポリメラーゼ」という酵素です。「レムデシビル」には、この酵素の働きに作用する性質があり、結果としてウイルス遺伝子の複製を阻害することができます。日本で注目されている抗インフルエンザ薬「アビガン」も似たような機能を持っており、2014年に西アフリカで流行したエボラ出血熱の治療にも使用されました。ともに副作用があることも指摘されていますが、有効な薬の候補であることに間違いはありません。

 

 

ウイルスは無生物だが生物的

 自然界で生き物と静かに共生

コロナ後に求められる新たな哲学

 人と動物と環境の健康を

 

上空を飛ぶコウモリ。新型コロナウイルスの自然宿主と考えられている(コートジボワール、EPA=時事)

 ――RNAを持つウイルスは、変異しやすいといわれます。さらに凶暴化することはあるのでしょうか。

  

 それは分かりませんが、そもそも重症化しやすいウイルスは、生き残りにくい。感染者に依存して自らの子孫を増やすウイルスにとって、生き残るためには“一人の感染者から一人以上に感染させること”が求められますが、感染者が重症化して寝込んでしまうと、他の人にうつすことができず、途絶えてしまう確率が高くなるからです。なので、毒性が強すぎるウイルスは、生存戦略としても望ましくないのです。また新型コロナウイルスは、普通の風邪を引き起こしているウイルスと同じ「コロナウイルス科」に属します。断定はできませんが、このまま人類に定着するならば、長い年月をかけて弱毒化していくだろうと思っています。

  

 ――ウイルスを、まるで生き物のように語られますね。

  

 生命活動に必要なエネルギーを生み出す「代謝」を行わず、自ら分裂して「増殖」することができないウイルスは、生物学的には「生物」ではありません。ですから、ウイルスは“ただの物質”と考えることもできますが、ひとたび生物に感染すると、生物の細胞の代謝能力などを利用して、自らの遺伝情報を複製させるのと同時に、ウイルス固有のタンパク質を合成させ、子孫をつくっていきます。まさに“極めて生物的な物質”といえます。

 また、そう考えるようになったのは、私が長年、人と動物に共通して感染する「人獣共通感染症」を研究対象としてきたからかもしれません。人と動物の接触によって起こりうる事態を予測し、先回りで予防策を立てるために、これまで各地でフィールドワーク(現地調査)を続けてきましたが、その中で動物を生かし、時には支えながら自分も生き続け、自然界で静かに存続するウイルスの姿を見てきました。そのあり方から、ウイルスも地球上に存在する生命体の一部であると感じるのです。

  

 ――そうしたウイルスがなぜ、人間にとって致命的な病気を引き起こすものに変わってしまうのでしょうか。

  

 長い時間をかけて築き上げられたウイルスと自然宿主動物との蜜月な関係に、人間が踏み込んでしまったからでしょう。

 人獣共通感染症の多くは、野生動物との接触から始まります。自然破壊などを通して人間の活動領域が広がったことや、地球温暖化による動物や昆虫の生息域の変化で、ウイルスと共生していた動物との接触が増える。すると当然、今まで人との接触がなかったウイルスと出くわす可能性も高くなります。野生動物からまずは家畜に感染し、それが人に伝播するという経路もあります。そのウイルスが人への感染に成功し、爆発的に増殖できる条件を備えたものであれば、高い病原性を示すこともあるのです。

 また、人類の食糧問題とも深く関係しています。先進国では野生動物を珍味として食べているかもしれませんが、途上国では生きていくために食べざるを得ない状況もあります。その動物の血液、粘液、尿あるいは糞等に触れることで感染する恐れがあるのです。一方、こうした感染の恐れのある動物を食べないようにするため、農業や畜産業を発展させようと思っても、農地などを広げるためには、やはり自然に踏み込まざるを得ない。こうした環境破壊や食糧問題とどう向き合うかも、人類に問われていると思います。

  

 ――仏法には、環境(依報)と人間(正報)は密接に関わっていると説く「依正不二」という法理があり、自然破壊は人間の命を脅かすものとなり、逆に自然を守ることが人間を守ることにつながると考えています。

  

 興味深い視座です。私たちの大学院では今、人の健康、動物の健康、環境の健康は互いにつながっていると捉えるワンヘルス」という考えをもとに教育・研究を進めています。「依正不二」とも共鳴するのではないでしょうか。

 ともあれ私たちが研究を続けているのは、今の脅威はもちろん、新たに遭遇するかもしれないウイルスにも備えるためです。近年は遺伝子の配列を高速で調べることができる「次世代シーケンサー」と呼ばれる装置も生まれ、今まで発見できなかったウイルスも検出できるようになりました。こうした科学技術の力も使いながら、獣医学、医学、環境学という分野の垣根を越えて、感染症対策に当たっていきたいと思っています。

  

 ――最後に、新型コロナウイルス対策で私たち市民が心掛けるべき点を教えてください。

  

 世界がこういう事態になっても、悲観も楽観もせず、なるべく平常心でいてほしいと思います。

 その上で、たとえ緊急事態宣言が解除されても、「自分の地域は大丈夫」と人々が一気に動きだせば、当然、再び感染は広がります。感染が世界に広がっている以上、日本だけが乗り越えればよいという問題でもありません。

 私自身、「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー」という言葉、つまり“地球規模で考え、足元から行動する”ことを大切にしていますが、一人一人が世界全体のことを考え、今できることを地域や個人レベルでやっていく。この心掛けが大事だと思います。

 

 たかだ・あやと 1968年、東京都生まれ。獣医学博士。専門は獣医学、ウイルス学。北海道大学獣医学研究科助手、東京大学医科学研究所助手などを経て現職。エボラウイルス研究の第一人者として知られる。著書に『ウイルスは悪者か』(亜紀書房)など。

 

〈危機の時代を生きる〉

 希望は正しい知識と行動から

2020年5月20日

東海大学医学部 山本典生 教授

ウイルスからの「挑戦」には人類の知恵と絆で「応戦」

 

 新型コロナウイルスの正体を知ることが、私たちの身を守るための第一歩――そう主張するのは、ウイルス学を専門とする東海大学医学部の山本典生教授。現在の研究で分かっていることや、一人一人ができる感染防止法などを電話で聞いた。(聞き手=加藤伸樹)

 

 ――新型コロナウイルスについて、研究が進む中で分かってきたことを教えてください。

  

 ウイルス感染は、ウイルスが体内の細胞と結合し、自らの遺伝情報(RNAやDNA)を複製させていくことで広がります。新型コロナウイルス(SARS―CoV―2)の感染は、まだ謎が多いものの、人間の細胞膜にある「ACE2」というタンパク質と結合することから始まると判明しています。私自身、これまでSARS(重症急性呼吸器症候群)の研究をしてきましたが、そのきっかけとなるタンパク質と同じです。

 ACE2の量は臓器によって違いますが、肺の奥にある細胞で多く発現しています。そこでウイルスが増殖するため、気道の比較的浅いところで増殖するインフルエンザウイルスと比べて、重症肺炎が起きやすいのでしょう。またACE2は、心臓や腎臓などの細胞表面にもあることから、感染が多臓器不全にもつながると考えられています。

  

 ――これまでも重症化のリスクが高いといわれてきた心不全、呼吸器疾患などの基礎疾患のある方は、やはり注意が必要ですね。

  

 一般的に、高齢者や基礎疾患のある方は、ウイルスに対する炎症反応が起こりやすいことが分かっていますが、新型コロナウイルスの感染メカニズムから考えても、こうした方々を感染から守らなければなりません。またACE2は血圧を調節する役割を担うタンパク質なので、感染による血圧の乱れが人体に悪影響を及ぼしてしまう高血圧の方も注意が必要です。

 ACE2は最近、舌の細胞にも発現しているとの報告がありました。そうしたことが背景で「何を食べても味がしない」という味覚障害につながっている可能性も指摘されています。

  

 ――世界で今、研究者がウイルスの解明に当たりながらワクチンや新薬を開発しています。実用化の見通しを教えてください。

  

 ワクチンは急ピッチで開発が進んでいます。安全性や有効性を調べるため、通常は実用化までに数年を要しますが、1年半程度で実用化されるものも出てくると思います。ワクチンは体の免疫系に働き掛け、体内でウイルスへの抗体(抵抗力)をつくらせるものですが、今回のウイルスは、その抗体が、かえって症状を悪化させる可能性も指摘されています。開発されたワクチンの安全性などは、慎重に見る必要があります。

 また治療薬の研究も精力的に行われています。新薬をゼロから開発するには、一般的に10年以上かかるともいわれますが、10年後に特効薬が開発されても、目の前で起きている感染症の治療には使えません。そこで、別の病気に対して既に開発された薬を、今回の治療に転用するという研究が進められています。現時点で治療薬候補として挙げられている薬剤は、ほとんどがこの枠に入るものです。

 

 

新型コロナウイルスの弱点

 

①石けん・アルコールに弱い

   →小まめな手洗い・消毒で撃退

②自分では増殖できない

   →接触・飛沫からの感染に注意

 

小まめな手洗いは有効な感染症対策(スイス、EPA=時事)

 ――「アビガン」や「レムデシビル」など、有効といわれる薬が次々と出てきていますね。

  

 薬には、さまざまな形でウイルスの動きを制限する働きがあります。「ファビピラビル(アビガン)」と「レムデシビル」は、どちらもウイルスのRNA複製を抑える薬です。アビガンは抗インフルエンザウイルス薬、レムデシビルは抗エボラウイルス薬として開発されましたが、作用メカニズムとしては、これらのウイルスに限定されないと考えられます。そのため、今回のウイルスへの転用が早くから検討されました。

 私たちの研究グループでは、エイズの薬として既に実用化されている「ネルフィナビル」が、今回のウイルスの増殖を抑制することを見いだしました。このほか、喘息薬の「シクレソニド(オルベスコ)」、抗寄生虫薬の「クロロキン」や「イベルメクチン」、リウマチの治療薬「トシリズマブ(アクテムラ)」なども有効と期待されています。

 現状、どの薬が最もよいかという結論は出ていませんが、例えばアビガンは副作用の面で妊娠中の方には使用できないなど、特定の薬だけでは対応できない方も出てきてしまいます。また将来、そうした薬に耐性を持つウイルスが現れる恐れもあることから、薬の選択肢を増やすことが、多くの人の命を守ることにつながると考えます。

  

 ――“目に見えない敵”ということもあって、不安を感じている人もいます。

  

 ウイルスは、電子顕微鏡を通さなければ見えない大きさです。まさに目には見えない敵ですが、人類にはウイルスからの「挑戦」に対し、巧みな技術と知恵で「応戦」してきた蓄積があります。その中で、これまで不治の病と恐れられたエイズも、今では効果的な薬が見つかりました。今回も、絶対に希望はあると考えています。

 また新型コロナウイルスは、未知の部分が多いものの、分かっていることはあり、全く弱点がないわけではありません。ウイルスの正体を知り、その弱点を踏まえて行動すれば、一人一人も身を守る「応戦」ができると思います。

  

 ――ウイルスの挑戦に応戦する中で、人類は希望を見いだしてきたのですね。今回のウイルスの弱点と、私たちにできる応戦の方法を教えてください。

  

 一つは、新型コロナウイルスの膜(エンベロープ)は、石けんやアルコールに弱いことが分かっています。ですので、小まめに石けんを使って手洗いしたり、アルコール消毒したりすることで、感染リスクを減らすことができます。

 またウイルスは体内の細胞と結合しない限り、自己増殖できないことも弱点の一つでしょう。それを防ぐためにも、接触感染と飛沫感染への注意が大切です。

 接触感染は、ウイルスが付着した手で自分の口や鼻を触ったり、その手で食べ物などを食べたりすることで起こります。飛沫感染は、くしゃみや咳でまかれたウイルスを含む飛沫を、自分の体内に取り込んでしまうことで起こります。

 こうしたウイルスの弱点や感染の特徴を踏まえた上で、むやみに自分の顔を触らないよう心掛けたり、密集、密接、密閉という「3密」を避けたりすることが重要です。また、マスクは“ウイルスがマスクの繊維を通過してしまうので効果がない”と言う人もいますが、手に付いたウイルスが口に入ることを防ぐ効果があることから、感染予防にも有効と考えます。

  

 ――ウイルスの正体を知ると、どこに気を付けるべきかが明確になります。

  

 人との間隔を空ける、対面ではなく横並びで食事をするなど、政府の専門家会議が提言する「新しい生活様式」も、こうしたウイルスの弱点を踏まえて行動することを意味します。大事なことは、正しい知識をもとに、何が感染につながるのかを一人一人が考えて生活することです。

 また感染症には、人と人の接触を避けなければならない面があることから、地域や社会を分断してしまう側面があります。その点、現代は電話やメールなどで周囲の人々と連絡を取り合うことができ、その中で正しい知識を共有したり、不安に思う人々を支えたりすることもできます。そうした励ましの絆も、立派な感染症への「応戦」につながるのではないでしょうか。

 今後も、新たなウイルスのパンデミック(世界的流行)が起こらないとも限りません。私は、そうした時代が来たとしても、人類が乗り越えていける「応戦」の土台を今、創価学会の皆さんと手を携え、築いていきたいと思っています。

 

 やまもと・のりお 1969年、千葉県生まれ。医師、医学博士。東京医科歯科大学大学院ウイルス制御学講座助教、国立感染症研究所インフルエンザウイルス研究センター第5室室長、順天堂大学大学院感染制御科学講座准教授などを経て現職(基礎医学系・生体防御学)。

 

2020.5.20付聖教新聞1面2面

 

新型コロナと今後の社会

2020年5月19日

自国優先ではなく人類益へ連帯を

Gaviワクチンアライアンス

 オコンジョ=イウェアラ理事長

 

 新型コロナウイルスがもたらした危機を受けて、社会の在り方が改めて問われている。開発途上国の子どもたちへの予防接種支援を行う国際団体「Gaviワクチンアライアンス」のンゴジ・オコンジョ=イウェアラ理事長に話を聞いた。(聞き手=南秀一)

 

 ――Gaviが設立された経緯を教えてください。

 まず、このたびの新型コロナウイルス感染症で亡くなられた全ての日本の方々に、心からの哀悼の意を表したいと思います。また、医療従事者をはじめ、感染症との闘いの最前線で尽力されている皆さんに、この場をお借りして、世界中が感謝し、応援していることをお伝えしたいと思います。

 Gaviは発展途上国の子どもたちにワクチンを提供するため、2000年に世界経済フォーラムの年次総会で発足しました。ユニセフ(国連児童基金)やWHO(世界保健機関)、ビル&メリンダ・ゲイツ財団などと連携しながら、これまで7億6000万人の子どもたちにマラリアをはじめとする感染症の予防接種を提供し、1300万人以上の命を守ることができました。

 治療する方法が存在するにもかかわらず、国に経済力がないために子どもたちが命を落とすことなど、あってはなりません。私たちは今後5年間で、さらに3億人の子どもたちに予防接種を提供することを目指しています。

  

 ――ワクチン開発への投資は、持続可能な社会を築いていく上でどのような意義を持つのでしょうか。

 今回の世界的な感染拡大は、ワクチンの本質的な重要性を明らかにしました。殺傷力、感染力ともに強力なウイルスから身を守るためには、ワクチンが唯一、継続性ある解決策なのです

 新型コロナウイルスがもたらした損失は、経済の側面でも計り知れません。IMF(国際通貨基金)の発表によれば、本年の世界全体の実質成長率はマイナス3・0%に落ち込むと予測されており、世界中で多くの人々が職を失うことになります。西アフリカで起きた“エボラ危機”の際も、同地域では収入が激減し、多くの失業者が生まれました。

 その教訓から学ぶべきは、効果的な治療法の発見に注力しなければ、世界経済は大きな損失をこうむるということです。その意味でワクチンへの投資は、命を守るためにも経済を守るためにも重要なのです。

 

命を守り未来を守るため保健制度の強化が急務

ワクチンは世界の「公共財」

 

 フランスで新型コロナウイルスの研究に取り組む科学者。今、世界各地でワクチンの開発が進められている(AFP=時事)

 ――新型コロナウイルスのワクチンは、世界中で熱望されています。開発された場合、先進国にも途上国にも平等に行き渡る仕組みをつくることはできるのでしょうか。

 

 まさにそれこそ、私がWHOからCOVID―19ワクチン開発のグローバル特使に任命された理由の一つであると思っています。

 新型コロナウイルスのワクチンは、世界中で研究・開発が進められています。いつ開発されるかは、まだ分かりませんが、一部の国や企業がその利益を独占してしまう危険性があります。そうならないために、世界の民衆の声が大切なのです。

 つまり、経済学の用語になりますが、開発されたワクチンは世界の「公共財」であるという認識に皆が立つことです。万人に提供可能なワクチンが開発されたとして、いかなる団体、個人も、その知的所有権にしがみついてはなりません。誰人も、ワクチンを必要としている人に十分提供できるようにすることを妨げてはならないのです。そのためには、ワクチンが世界の公共財であると宣言することです。

 莫大な資金を投じたワクチンの権益を省みないことには、葛藤もあるでしょう。まして現下の経済状況では、そうした思いは強くなるのかもしれません。

 だからこそ今、世界が一つになって人的資源、物的資源を出し合い、貧しい人も豊かな人も誰もが平等に扱われるようにすることが重要です。自己の利益を超えて、人類の利益という視点に立てるかどうか――ここに、今回の危機を通して人類が直面している課題があります。

 全ての生命には等しく価値があります。お金がないことが、医療を受ける順番が後回しにされ、ワクチンを手にする前に死ななければならない理由になってはならないのです。

  

 ――保健衛生分野における対応として、今後、各国にどのような変化を期待しますか。

 今回の危機を経て、世界が以前と同じ状態に戻ることはないでしょう。とりわけ二つの点で、大きな変化があります。

 

 一つは、世界の連関性のさらなる深まりです。新型コロナウイルスの感染拡大は、旅行や貿易、物流などを通して、いかに私たちが分かちがたくつながっているかを、世界に改めて思い知らせました。

 世界のどこかで起きたことは、即座に他の場所に影響する。それはつまり、これまでのような自国優先の内向きの態度では、かえって人々を危険にさらすことを教えています。もちろん、自国を優先すること自体を否定するものではありませんが、パンデミック(世界的大流行)のような事態に対しては、団結し、協力しなければなりません。私たちは態度を改めなければならないのです。

 もう一つは、保健制度の脆弱さです。先進国でさえ、検査キットやマスク、病床が不足するという事態が起きました。低所得国の状況はさらに悲惨です。次のパンデミックに備えて、世界的に保健制度の強化が急務です。

 今後、薬品や医療器具等のサプライチェーン(部品の調達・供給網)の在り方も変化していくでしょう。この期間、医療品や設備を海外から買い占めるという事態がありました。どの国も国内の需要を満たせるだけの体制を整えていくことになるでしょう。それは保健体制の強化にもつながるものです。

 

 ――創価学会青年部も、SNSやウェブサイトを通し、あらゆる感染症のワクチン量産に向けてGaviが進める署名キャンペーン「Sign For Life」への協力を呼び掛けています。次代を担う青年に、改めて今回の危機から学ぶべき教訓を教えてください。

 

 青年の皆さんに心に刻んでほしいのは、人類が直面している課題は、誰も一人では解決できないということです。だから連帯し、協働することが不可欠なのです。

 今回のようなパンデミックは、残念ながらこれが最後ではないでしょう。多くの科学者が、新型コロナウイルスは北半球で秋ごろに再び勢力を強めると予想しています。いずれにしても今後、世界的な感染拡大がないとは言えません。

 大切なのは、今、準備をすることです。ワクチンを世界の公共財と宣言することをはじめ、持続可能な社会へ動きだすべきは今であるということです。

 皆が問題解決に協力できる社会の構築に向けて、共に頑張りましょう。

 

 【プロフィル】経済学者。アジアやアフリカ、ラテンアメリカ等で30年以上にわたり開発に携わる。ハーバード大学で修士号、マサチューセッツ工科大学で博士号を取得。ナイジェリアの財務大臣、外務大臣、世界銀行副総裁などを歴任し、2016年より現職。

2020.5.19付聖教新聞1面2面

 

学会が「再エネ100宣言」に参加

 気候変動問題への対応の一環 

2020年5月12日

 

 持続可能な地球社会構築への取り組みの一環で、創価学会はこのほど、法人として「再エネ100宣言 RE Action」(https://saiene.jp/)に参加した。

 これは、各参加団体が2050年を目指して使用電力を100%再生可能エネルギーに切り替えることを宣言・実践することで、太陽光や水力などの再生可能エネルギーの利用を広く促していく取り組み。

 2014年、企業活動で消費する電力

を全て再生可能エネルギーでまかなうことを目指す国際的な企業ネットワーク「RE100」が発足。気候変動への対策として国際的に脱炭素化の流れが強まる中、再生可能エネルギー需要の高まりの動向を発信し、そうした動きを加速させてきた。「再エネ100宣言 RE Action」は、日本国内でも同様の機運を高めるべく、昨年10月に発足したもの。

 今後、総本部をはじめ全国の会館などで引き続き着実な省エネを推進するとともに、再生可能エネルギーへの100%転換を目指した取り組みを行う。さらに、同エネルギー普及に関する提言などに協力していく。 

 

2020.5.12付聖教新聞1面

〈危機の時代を生きる〉

 

在留外国人が直面する悩み

「情報不足」と「仕事」 

 

 公益財団法人

 日本国際交流センター

 毛受敏浩 執行理事
2020年4月29日
インタビュー
 

 新型コロナウイルスの感染拡大は、日本で暮らす外国人にも特有の困難をもたらし、顕著な影響を及ぼしている。そうした現状に目を向けることは、新型コロナに立ち向かう社会を考える上で不可欠ではないか――民間の立場で国際協力を推進する公益財団法人「日本国際交流センター」で執行理事を務める毛受敏浩氏に、そうした観点から電話で話を聞いた。(聞き手=金田陽介)
 ――新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、緊急事態宣言が全国に拡大(今月16日)しています。日本の在留外国人数は、過去最高の283万人(※注)で、人口の2%以上。そうした人の仕事や生活には今、どんな課題が生じていますか?
  
 大きくは2点、「情報不足」と「仕事」の課題があります。


 まず「情報不足」について。
 例えば、これは熊本市の知人から聞いている話ですが、行政や関連機関に、「外国人はどこでPCR検査が受けられるのか」といった相談が増えています。先月は「トイレットペーパーがなくなるというのは本当か」「マスクや消毒用品はどこで買えるのか」などの相談も多く寄せられていました。外国語での、信頼できる情報が少ないのです。


 次に、「仕事」についてです。

 在留外国人の方は、派遣など非正規労働の方が非常に多い。社会の経済状況が悪化すると、こうした人が真っ先に雇い止めや解雇などに遭い、生活が不安定になります。外国人が「雇用の調整弁」のような形で雇われているケースもまだまだ多く、そこに、最初に経済混乱のしわ寄せがいくのです。
 ほかにも、留学生から「内定が取り消しになった」という声もあります。
  
 ――1点目の「情報不足」については、「言葉の壁」が大きいですね。
  
 近年の望ましい変化として、政府や地方自治体で、多言語や「やさしい日本語」による情報発信が増えているという点があります。ただ、状況は自治体によって相当ばらつきがあるようです。また、日本人は日々オンタイムで最新の情報を得られますが、翻訳された情報となると、手元に届く頃には1~2週間が過ぎている、という場合もあります。
 (注)昨年6月時点。出入国在留管理庁の発表に基づく。「在留外国人」とは、3カ月以下の短期滞在者を含まず、永住者や中長期在留者、技能実習生、留学生等を指す。

 

困難の中で他者を思う
今は「想像力」を鍛える時

 
 在留外国人も今、それぞれの、仕事や生活の苦境に立ち向かっている

 もう一つの課題は、多言語での対応が、なかなか「問題解決」までは行きつかないということです。
 例えば、多言語対応の窓口に寄せられた「PCR検査を受けたい」という相談に対して、「ここに電話してください」という対応はできる。でも、指定された先に電話してみると、そこでは日本語での対応しかなく、らちが明かないということもある。困りごとに対して「困りましたね」というところで終わってしまい、本当の問題解決になりにくいのです。
  
 ――ウイルス感染拡大という状況ならではの難しさもあります。
  
 例えば、地震などの災害は、過去の知見の積み重ねもあり、有事に起こることが、ある程度は事前に想定できます。避難所の場所、その中での対応手順や掲示物など、すでに多言語化された情報がネットでも共有されており、いざという時にダウンロードして活用できます。
 ところが、今回のように、これから何が起こるか分からない、いつ収束するかも分からないという状況だと、事前に構えが取れない面もあります。
  
 ――2点目の「仕事」についても、さまざまな対応が取られています。
  
 出入国在留管理庁は先日、新型コロナの影響で働く先を失った外国人技能実習生などに対し、1年間、別の職種への転職も認めることを発表しました。
 厚生労働省は、「新型コロナウイルスにより会社の経営が悪くなっているときでも、外国人であることを理由として、外国人の労働者を、日本人より不利に扱うことは許されません」と明示しています。休業手当や年次有給休暇についても同様です。
 こうしたことは非常に大事だと考えます。日本が外国人のことをきちんと待遇する国だという国際的なメッセージにもなり、日本で暮らす外国人も安心できます。
 いずれにせよ、世の中の皆が同じ不安の中で、目の前の情報を追うのに精いっぱいになり、他者に思いを寄せる心を持ちにくくなる。そうした中で外国人の支援をするということは、非常に困難を伴うことを感じています。
 考えねばならないのは、外国人には特有の不安もあるということです。日本に残るか母国に帰るかの板挟み、また、帰りたくても今の状況では帰れない、などの不安や悩みがあります。
 加えて、社会の緊張が高まるにつれて差別や排斥の空気が深刻になるのでは、という不安を持つ人もいます。


勇気づけ合う発信を


 ――確かに今は、他者に意識を向けにくい社会状況といえるのかもしれません。
  
 日本社会の、包摂の力が試されていると感じます。宗教の役割もそうかもしれませんが、「危機の中でも他者の苦しみを思う力」という意味での、想像力が試されています。それができるかが社会の成熟度、ということにもなるのでしょう。
 もちろん自分も大変だけれども、社会には立場の厳しいさまざまな人がいる。その一つの大きなカテゴリーが外国人であり、そうした方々への想像力が求められています。
 宗教団体には、弱者に寄り添うという本来的な役割を、今の社会状況の中で果たしていただけることを望みたいです。
 また、直接的な接触を控えねばならない状況の中、それでも一人一人が誰かとつながっているのだというメッセージ、苦しいけれど負けずに現実に立ち向かう姿などを、メディアが発信していくことも非常に効果的だと考えます
 誰もが不安だからこそ、皆で力を合わせて頑張りましょうというメッセージを届け、勇気づけ合う――今まさに貴紙が取り組んでいるような発信が、特にこういう社会状況の中では重要だと思うのです。
  

個人としてできることは

  
 できれば、周囲の人に声を掛けること。困っていませんか、お子さんはどうですか、と。もし自分が外国でこの危機に遭ったらどうか、と考えてみるといいでしょう。一言、声を掛けられるだけでうれしく、安心できると思います。
 もちろん、なかなか難しい面もありますが、私も外国人の方に声を掛けてみると、さまざま不安な思いを抱いていたり、情報を捉え違っていたりということがあります。


「本音で語る」社会へ


 ――感染拡大が終息に向かっていったときは、社会のさまざまな在り方や感覚が、大きく変わるのではないかと感じています。
  
 日本の「コロナ終息後」は、諸外国と違う形になるのではないかと思います。

日本は高齢化、

人口減少が急激に進んでいるからです。

中小企業の多くは後継者不足で、

2025年には団塊の世代が75歳以上になります。

 

 働いていた高齢者が、コロナ終息後は一気に退職に向かう、ということも考えられます。

 

 今の日本は毎年、人口が50万人ずつ減って、外国人が20万人ずつ入ってくる状況になってきています。

 日本で頑張りたいという若い外国人材を増やしていく制度設計など、これまでにない大胆な発想での施策を行っていけるかが“終息後”の日本を考えるカギになるでしょう。

 具体的には、別の職種への転職を認めた技能実習制度を、19年にできた「特定技能」に吸収し、定住への道を開くことなどです。
  
 ――その意味でも、多様な他者と共に生きていくための「想像力」を、今のうちから鍛えておく必要がありますね。
  
 同調を求めるのではなく、多様な他者の可能性を引き出し合っていくという発想が必要になるかもしれません。そのためには「深いコミュニケーション」が必要です。つまりは、本音で語り合うこと。目の前の課題に対して一番いい解決策は何なのかを、きちんと突き詰めることです。
 それは、いわば“面倒くさい”ことです。でも、そこから逃げずに議論を重ね、きちんと最善の道を見いだしていくという作業が不可欠になります。仏教の言葉でいえば、慈悲をもって人と接し続けていく、ということになるでしょうか。
 従来と違う価値観や、他者にない背景や経験を持つ人は、物事に違う光を当てられる人、ともいえます。そうした人たちと丁寧に議論を重ねる中で、今までは見えなかったものが見えてくる。コロナ終息後の日本は、いよいよ、それを逃げずにやらねばならない社会になっていくのではないかと思います
 めんじゅ・としひろ 1954年生まれ。徳島県出身。慶應義塾大学法学部卒、米エバグリーン州立大学大学院修了、桜美林大学大学院博士課程単位取得退学。兵庫県庁を経て、日本国際交流センターに勤務。慶應義塾大学等で非常勤講師を歴任し、現在は新宿区多文化共生まちづくり会議会長。『自治体がひらく日本の移民政策』(明石書店、2016年)、『限界国家 人口減少で日本が迫られる最終選択』(朝日新書、2017年)など著書多数。

2020.4.29付聖教新聞1面

広がる新型コロナウイルス

医療社会史から見た感染症

2020年4月7日

聖教新聞10面

小俣和一郎

大戦終結させたスペイン風邪
経済優先の世界見直す作用も
 
 2020年は、思いも掛けず新型コロナウイルス感染症騒動で始まった。もっとも、日本でこの問題が深刻味を増したのは、感染患者が集団発生した大型クルーズ船検疫を巡る対応や国内での感染者が増加した2月以降のことである。

 ところで、歴史上このような新しい感染症が現れ、それが広域に伝染して、いわゆるパンデミック(世界的な流行)の状況が出現したとき、人間社会がどのような反応を見せてきたのかを顧みると、そこには驚くほどの共通点が見いだされる。
 新しい感染症であるから、それに対する免疫を持つ人はなく、治療法もないという点で、大きな不安と恐怖心を呼び起こす。そうした感情は本来身を守るためのポジティブなものであるが、集団心理となると、社会にとって逆にネガティブなものともなる。
 その最も極端な例が感染源とみなされた人々への攻撃であろう。
 ヨーロッパ中世におけるペスト大流行に際してのユダヤ人焼き殺し、いわゆる魔女狩りの一部などがその例といえる。さほど極端ではなくとも、今回のコロナ危機における外出制限のエスカレートや買い占め騒動なども、そうした人間の集団心理が深く関わっている。
 そうしたこともあって、「コロナブルー」とか「コロナ疲れ」ともいわれる何とも表現しがたい鬱積感、圧迫感がまん延している。

繰り返される 

 もっとも、感染者を隔離するという行動は公衆衛生上の基本的な手段であり、検疫という英語のクアランティン(語源はイタリア語のクアランテナ=40)も、町の外の港に船を乗員ごと40日間停泊させ、異常がなければ上陸を許可したことに由来する。その起源は14世紀の都市国家ベネチアといわれる。
 この手法は現代の世界でもなお医学的に有効とされるので、冒頭に触れたクルーズ船検疫のような対応は基本的に間違ってはいない。ヨーロッパ各国のような陸続きの国で国境を封鎖して入国者をとどめ置くというのも、同じ意味で誤った対応とは言えない。
 しかしながら、集団心理が昂じてパニックが広がれば、先に述べたような集団虐殺、人種差別、露骨な買い占め騒動などに結び付き、本来何の科学的根拠も持たない行動となって現れる。こうした非科学的な集団行動は、未知の感染症が流行するたびに歴史上、繰り返されてきた。
 医学の歴史を専門に研究する分野を「医学史(または医史学)」というが、その周辺には最近になって、さまざまな関連分野が生まれている。感染症と人間社会との関わりを研究テーマとする領域も「医療社会史」ないしは「医療文化史」などと呼ばれることがある。
 ただし、こうした領域の定義や境界はまだ定まっていない。しかし、今回のコロナ危機のように、パンデミックを引き起こし、しかもそれゆえに世界経済にも大打撃を与えつつある事態に対しては、そうした新しい領域の研究者も大いに関心を持たざるを得ないであろう。

 

自然共生的

 

 

 ところで、医療社会史的に分析してみると、これまでのパンデミックのような広範な感染症の流行は、一方で上述のような非科学的で非人道的な愚行を繰り返し生むのだが、他方で人間社会全体にとってはむしろよい結果というものをもたらしてきた歴史も見ることができる。
 例えば、1918年に発生した「スペイン風邪」のパンデミックがその一つであろう。この大流行の発生源はいまだによく分かっていないが、その流行がスペインで大きく報じられたことからスペインの名称を冠してこう呼ばれる。また、その正体はインフルエンザウイルスであった。
 しかし、当時はなおこのウイルスに免疫がなかったため、またたく間に世界中に感染が広がった。日本でも多くの人が感染し死亡した。世界的には5億人以上が感染、死者も5000万人以上といわれている。この膨大な数の感染死、とりわけ若者の死によって徴兵に支障が出たため、こう着状態にあった第1次大戦が終結(18年)したともされる。

 

ウィルスによる世直し

 

 今回の新型コロナウイルスのパンデミックはまだ収まらず、一日も早い終息を祈るばかりだが、各国が検疫目的で移動制限を実施したことで旅行者数が激減したのに伴い多数の航空便もストップし、工場の休業で石炭排出ガスなどが減少し、かえって空気が浄化され、パンデミック前までは国連をはじめ多くの学者らが警鐘を鳴らしていた地球温暖化にさえ一時的な歯止めがかかったかもしれない。

 

 つまり、ウイルスという微生物が、人間界に対してあたかも「世直し」のように作用しているということである。もちろん、それに伴う多くの犠牲者、経済的影響は見過ごすことはできない。だが、長い目で見れば、バブル経済のような過度の株価上昇、地元住民にとっては迷惑この上ないオーバーツーリズム、地球規模での気候変動などが抑制されるという結果につながるかもしれない。

 また、テレワークのような勤務形態の促進、経済最優先の成長主義の見直し、地球環境に配慮した自然共生的生き方の拡大などにつながる可能性はないのだろうか。

 よくウイルスVS人類のようにあたかも戦争にたとえ、闘争心を煽るが、感染症という病気自体も自然のなせる業である以上、それを真に克服できることにはつながらない――医療社会史がわれわれに教えていることも、そのようなことではないか。(精神医学史家)

 おまた・わいちろう 1950年、東京都生まれ。精神科医。著書に『近代精神医学の成立』『異常とは何か』『精神医学史人名辞典』、訳書にラング『アイヒマン調書』、グリージンガー『精神病の病理と治療』などがある

 

世界広布新時代

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