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〈危機の時代を生きる〉

 今日をしのぎ明日を開く コロナ禍の長期化に立ち向かう

2020年8月22日

NPO法人全国こども食堂支援センター「むすびえ」理事長

東京大学特任教授 湯浅誠さん

 

 新型コロナウイルスの感染拡大の長期化と、私たちはどう向き合うべきか。NPO法人全国こども食堂支援センター「むすびえ」の理事長を務める湯浅誠・東京大学特任教授に、コロナ禍で見えてきた社会的課題や「新しい日常」のあり方について話を聞いた。(聞き手=志村清志・村上進)

 

 ――湯浅さんは、2008年の金融危機の後の「年越し派遣村」で貧困問題の支援に携わるなど、数々の社会課題の解決に取り組んできました。今回の長期化するコロナ禍は、私たちにどのような影響を及ぼしていますか。

  

 本年春、国内で新型コロナの感染拡大を抑えるため、緊急事態宣言が発令され、外出や店舗営業などの自粛が要請されました。それによって、感染拡大はいったん収まったものの、飲食や観光関連業をはじめ、多種多様な人々の生活が深刻な打撃を受けました。一方、5月中旬以降、各地で緊急事態宣言が解除され、徐々に経済活動が再開される中で、感染者数は再び増加傾向になっています。

 このように「感染抑止」と「経済危機」「生活危機」は“歯車”のような関係にあって、どちらかを回すと、もう一方も回ってしまう状況が続いています。

 自然災害の場合、発生時には人命救助最優先で復旧的な措置がとられる。それがある程度、落ち着いた段階で、生活再建・経済復興に全力を傾けていくという意味で、時間軸の移行が見えやすいといえます。しかし、コロナ禍では経済復興を強く回すと、感染拡大によって人命優先の自粛の方向に戻らざるを得ない中途半端な状況が繰り返され、時間軸が長期化していく。これがコロナ禍の難しさであり、怖さだと感じています。

 さらに長期化すればするほど、生活再建に向けての個人差、いわば「復興格差」は広がります。東日本大震災の時も、しばらくしてから孤立死や自殺の問題が顕在化しました。今回も長期化に伴うリスクには、十分注意が必要です。

  

 ――NPO法人「むすびえ」は、全国で3700以上ある「こども食堂」のサポートなどをしていますが、どのような課題と向き合っているのでしょうか。

  

 3月ごろから、多くの学校が臨時休校を余儀なくされ、給食が食べられないこともあり、「食」に困る子どもや家庭が増えました。

 これまで「こども食堂」の多くは、安価な食事などを提供しながら、地域の人たちが気軽に集まれる場所として機能してきました。しかし、コロナ禍によって一緒に食事をすることが難しくなった。そのような状況で、衛生面等の対策をしながら、食材等を取りにきてもらい配布するフードパントリーや、個別に宅配するなど、創意工夫しながら事業を継続しようという動きがありました。

 そこで「むすびえ」では、各地の「こども食堂」で使ってもらえる食品や運営資金の調達を目指し、全国的に寄付を募り、大きな支援をいただき、現場に届けることができています。ここで大切にしてきたテーマは「今日をしのぐ 明日をひらく」です。

 

 

――「むすびえ」が今回の取り組みのテーマに掲げた「今日をしのぐ 明日をひらく」には、どのような思いが込められていますか。

  

 「今日をしのぐ」とは、生活危機の進行に歯止めをかけ、生活の崩壊を防ごうという視点です。フードパントリーや宅配などの取り組みが当てはまります。「明日をひらく」とは、コロナ禍からの復興、さらには行政や企業などと連携して、誰も取り残されない地域を目指す、中長期的な視点を意味します。

 6月中旬、「むすびえ」は、全国の「こども食堂」を対象にアンケート調査を実施しました。その中で印象に残ったのが、「こども食堂」で人が会話できなくなると、「食べるだけの場所になることへの疑問がある」「多年代の交流ができないのが残念」といった、「こども食堂」の「本質」に立ち返る記述が多かったことです。「明日をひらく」という観点で、このことは非常に示唆的だと考えています。

 感染流行する前の平時にあっては、「こども食堂」は、食事提供だけではなく、地域の交流を促進する場でもありました。いわば“アクセル”の役割です。そして、コロナ禍という非常時にあっては、食事提供を通して、生活危機に歯止めをかける“ブレーキ”の役割があるといえます。

 「平時のつながり」と「非常時のセーフティーネット(安全網)」――アクセルとブレーキを踏み分けるように、この二つのサイクルを循環させることが、地域におけるつながりを豊かにし、結果的には災害に強い地域をつくっていきます。「こども食堂」には、その“起点”としての機能が期待されています。

 「こども食堂」が初めてつくられたのは2012年。東日本大震災の翌年です。その後も、日本では多くの災害が発生しました。そして、それに呼応するように、「こども食堂」も全国各地につくられていきました。愛媛県の宇和島市は、もともと、「こども食堂」がありませんでしたが、18年の西日本豪雨水害の後の1年間で13カ所も開設されました。

 「病気になって初めて、健康のありがたみを知る」といいますが、非常時になって、多くの人がつながりや居場所の大切さを実感したのでしょう。そうした経験の蓄積が、「こども食堂」をつくる機運を高めた、と考えられます。

  

 ――「新しい日常」を考える上で、リスクとの向き合い方は欠かせないテーマの一つといえます。その点、湯浅さんはどのように考えていますか。

  

 ここ10年、日本は多くの災害に見舞われました。そのことを考えると、社会は「長い平時の合間に非常時がある」のではなく、「非常時と非常時の間に平時が織り込まれている」と捉える方が適切ではないかという気がします。平時と非常時の反復そのものが、「新たな日常」ともいえるでしょう。

 今回のコロナ禍も、ワクチンが普及しない限り、リスクは大きくは減少しません。先月の豪雨水害では、避難所での感染防止が迫られたように、複合的なリスクが立ち現れることも視野に入れる必要があります。

 また非常時というのは、社会全体で同時になるものとは限りません。個人や家族単位で見れば、交通事故や病気などは、いつ何時、誰に起こっても不思議ではありません。昨日まで“支える側”にいた人が、急に“支えられる側”に回ることもあります。

 そう考えると、今まで以上に重要視されるのが「地域」の存在です。コロナ禍の影響で、私たちの生活圏域が縮小したこともあり、そう実感している方も多いのではないでしょうか。自分の周囲に「非常時のセーフティーネット」を築くためにも、いかにして「平時のつながり」をつくっていけるかが、この「新しい日常」を送る上で大切な視点になります。

 2020年という節目に感染症の世界的大流行が起こったことは偶然にすぎませんが、私はそこから2020年代を生きる教訓を引き出したいと考えています。今までの10年は、多くの災害を通して、人とのつながりや居場所の重要性を実感した10年でした。そして、これからの10年は、リスクに強い地域・社会を定着させるための“勝負の10年”だと思います。

 「誰も置き去りにしない世界」をうたうSDGs(持続可能な開発目標)のゴールでもある2030年をどのように迎えるか――今の私たちの行動が、問われている気がします。

 

 ――現代は「無縁社会」といわれるように、人と人との関係が希薄になりつつある社会です。その中で、つながりを豊かにするために、何が必要でしょうか。

  

 私の実感ではありますが、度重なる災害の経験を経て、社会における「共助」の感覚が強まっている印象を受けます。「むすびえ」が行ったクラウドファンディング(インターネット上で広く資金を募ること)に関しても、10年前だったら「そうはいっても、現実は変わらない」という冷たい反応も少なくなかった。しかし今は「10円でも100円でも寄付する方が、大事だ」という雰囲気があります。つながりをつくる“土壌”のようなものが、つくられてきたと思います。

 その上で、地域社会を見てみると、“縦割り”の課題別組織が多く存在しています。例えば、病院や警察、役所などは、個々の課題を解決するための機関です。ある人が抱える、さまざまな課題をひとまとめに受け入れることは、しにくいといえます。

 ここでいう「つながり」とは、人を課題別で見ないで、多様な悩みを、全て包摂するような深い信頼関係を意味します。

 そうした関係性をつくるためには、ありのままの自分を受け入れてくれるような“居場所”が不可欠です。残念ながら、今の社会には、あらゆる人にとっての“居場所”になり得るものが不足しています。

 そうした状況にあって、創価学会のように、地域に根を張ったコミュニティーは、ますます存在意義を増すでしょう。コロナ禍の中で、電話やメール、手紙などで友人とつながろうとした学会員の方は多くいたと思います。平時から“一度つながった人とは、つながり続けよう”という意識があってこそ、今回のような非常時に行動に移すことができるのではないでしょうか。

 今後、より多くの個人・団体が「平時のつながり」と「非常時のセーフティーネット」のサイクルを回すことが求められます。それぞれが、地域のつながりを豊かにする“起点”となって、共々に、信頼関係を広げていきたいと思います。

 

 ゆあさ・まこと 1969年、東京生まれ。20代の頃から、ホームレス・生活困窮者の支援に携わる。内閣府参与、法政大学教授などを歴任して、東京大学特任教授に就任。NPO法人全国こども食堂支援センター「むすびえ」の理事長として、貧困問題等の社会的課題について、発信を続ける。主な著作に『反貧困』『「なんとかする」子どもの貧困』など。

 

〈危機の時代を生きる〉

 新型コロナ危機後の世界

2020年7月29日

人間主義と持続可能性によって制御されたグローバル経済へ

 

寄稿 

高木功教授 

創価大学経済学部長

 

 新型コロナウイルス感染のパンデミック(世界的大流行)によって、世界経済は大きな打撃を受けた。各国で経済活動が再開される中、専門家やメディアの間では“新型コロナ後”のグローバル経済の在り方について、さまざまな議論が交わされている。世界経済の現状と今後の課題について、創価大学経済学部長の高木功教授に考察してもらった。

 

 新型コロナウイルスの世界的な感染拡大が止まらない。WHO(世界保健機関)などによると、世界220カ国・地域に及び、感染者の数は世界で1648万人を超え、約65万4100人の命が奪われた(7月28日現在)。国境の存在を忘れさせるグローバルな経済活動と大量の人々の移動・交流が、新型コロナウイルス感染のパンデミックを導いた主因であり、超グローバル化の帰結の一つである。

 1990年代後半から、経済のグローバル化は加速し始めた。規制緩和と自由化の政策路線は、先進国内の企業による国際投資を活性化させ、企業の生産工程において分業・協業化を導いた。「グローバル供給連鎖」と呼ばれる現象である。

 特定の部品も、製品も、複数の企業によって意匠・製造・ブランド化され、世界市場への販売に向けて、いくつもの国境をまたいでいく。一つの生産物を、一つの企業の製品として特定することは今や難しい。そこに「グローバルな価値創造の連鎖」が形成される。私たちの生活の維持は、世界各地の多様かつ無数の労働・資源に支えられており、“一蓮托生の世界”といえよう。

 グローバル経済はこの30年、一段と拡大・膨張した。購買力平価(ある国において一定の商品・サービスの組み合わせの価格が、米国では何ドルで買えるかを示す交換レート)で換算した80年の世界のGDP(国内総生産)は13兆ドル余りだったが、90年に27・4兆ドルに増加。2000年には50・2兆ドルとなった。08年、世界を震撼させた金融危機が起きたにもかかわらず、10年には89・6兆ドルに拡大。そして19年には142兆ドルにまで達している。

 グローバル経済の急拡大を支えたのは先進各国の相互の過大な投資であり、また中国やブラジル、インドなど新興諸国への投資と、新興国経済の急成長である。その背景には、米国の慢性的な経常収支赤字と、先進各国の金融緩和政策によって生み出された巨額の余剰資金、すなわち過剰流動性が挙げられる。

 新型コロナウイルスの感染拡大は、こうしたグローバル経済の連結構造を一気に分断し、世界経済を危機に陥れた。国家レベルの危機回避策として、国や都市の封鎖を実施し、人々の国内外の移動を制限したが、それによって生産・消費活動は停止し、国際物流網は寸断された。年内の危機収束を前提としたIMF(国際通貨基金)の推計でも、経済成長率は、米国がマイナス5・9%、欧州ユーロ圏がマイナス7・5%、日本がマイナス5・2%となっている。今年の世界経済は戦後最大の危機に直面しているといえよう。

 米国、日本、EU(欧州連合)からなる先進国経済はこれまで、異常なまでの金融緩和策で景気を演出してきたが、バブル経済の崩壊と危機の発生が、経済の内的要因ではなく、感染症のパンデミックによってもたらされるとは、誰が予想しただろうか。

 金融危機ではなく、新型コロナ危機が近年の野放図なグローバリゼーションのリスクを広く知らしめたのである。

 

では、新型コロナ危機後の世界経済は、どうあるべきであろうか。

 

 第1に、グローバル化の負の産物である格差社会の是正と、万人に「人間らしい生活」を保障する経済体制の構想が求められよう。

 フランスの経済学者トマ・ピケティが示唆するように、グローバルな供給連鎖と金融中心のグローバリゼーションは国内・国際を問わず、所得・資産格差を拡大してきた。経済格差の大きい米国では、新型コロナウイルス感染による死者と被害者は、十分な医療サービスを受けられない貧困層、マイノリティー(少数派)に偏っているという。経済格差と感染症の被害に密接な相関があると思われる。

 つまり、経済格差が大きいほど、その社会は感染症の危機に脆弱だということ。医療サービスの享受をはじめ、健康的な、人間らしい生活を最低限保障することが再び注目されるべきであろう。ここでは、人々の意識変化、国家と地方自治の役割の見直し、そして危機管理能力が問われることになる。

 第2に、分断されたグローバル経済を再生・再構築すると同時に、足元の各国経済、地域経済の再構成が必要だ。新型コロナ危機は、グローバルな供給連鎖と、世界市場への過度な依存によるリスク、不確実性を明らかにしたからである。

 例えば、国外で、どこか一つの工場が閉鎖されれば、ある商品の生産活動がストップしてしまうのである。これまでのように、収益性と効率性を追求するだけではなく、リスク管理の強化が必須となる。供給連鎖を構成する契約先を複数・多様化させると同時に、生産活動の簡素化あるいは国内回帰も見直されるべきだ。国・地域内の循環経済も再構築される必要がある。

 第3に、人々と世界を結び付けるインフラ整備として、ICT(情報通信技術)ネットワークと、リアルな社会・経済との融合が挙げられる。目に見えないウイルスは、人々の心を恐怖と不安で覆い、人や社会、経済の連帯を破壊した。一方で、世界中の人々が同じ危機に直面し、自分自身と世界とのつながりを認識した結果、相互連結のネットワークの修復と再構築へ動き出している。この関係性の構築と修復に欠かせないインフラがICTである。

 ICTはAI(人工知能)と結び付くと、国家による監視強化とプライバシーの侵害をもたらしうるが、国境を越えて人々を結ぶツールとして、計り知れない潜在力を有している。新型コロナ危機の後、リモートワーク、リモートラーニングは広く普及し、対面会議よりもリアルタイムのオンラインコミュニケーションが主流になる可能性すらある。

 

 最後に、私たち自身の意識変革と行動変化について記したい。

 グローバリゼーションの拡大を支えた原動力は、中国に代表される新興国の人々の豊かさへの渇望と、国境を越えて肥大化する富への際限なき欲望である。人間の豊かさへの渇望と欲望の肥大化を止めることは難しいが、これらを抑制・転換する新しい変化はすでに見られる。

 例えば、環境問題への対策を含む国連「持続可能な開発目標(SDGs)」の達成を目指す「2030アジェンダ」は、普遍的な共通目標として人々に共有されつつある。その中には、感染症対策と、全ての人に保健医療サービスの提供を目指す「ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ」の達成が含まれている。同時に、目標達成のための国際パートナーシップの構築も掲げられている。

 世界的な投資市場においても、環境・社会・企業統治への配慮を掲げる「ESG投資」が主流化しつつある。

 一方で、新型コロナ危機をきっかけに、世界の貧困率は上昇し、SDGsの「目標達成は一層困難になっている」(グテーレス国連事務総長)との見通しもある。その意味で、今まさに正念場であり、達成に向けた意識と取り組みが世界的に強化されなければならない。

 持続可能性と、あらゆる人間の生を保障する人間主義に導かれる「制御可能なグローバルエコノミー」の構築を期待したい。

 

 たかぎ・いさお 1956年生まれ。創価大学大学院博士課程単位取得満期退学。専門は、世界経済論、開発経済学、アジア経済論。シンガポール東南アジア研究センター客員研究員、フィリピンのデ・ラ・サール大学ユーチェンコ・センター客員研究員などを歴任。現在、「ウェルビーイング(よき生)」「人間主義経済学」の研究に取り組む。

 

〈危機の時代を生きる〉

 グローバル時代の感染症に「国際協力」で立ち向かう

 

 東京都立大学 詫摩佳代教授

2020年7月8日

 

 いかに人々の健康を守り、維持していくのか――。新型コロナウイルスの流行は、この人類の長年の問いを、改めて現代に突き付けている。今回は国際政治が専門であり、感染症との闘いと国際協力の歴史をつづった著書『人類と病』(中公新書)を本年4月に出版した、詫摩佳代・東京都立大学教授にインタビューした。(聞き手=萩本秀樹・村上進)

 

 ――なぜ、新型コロナウイルスの流行は私たちにとって脅威なのか。近著『人類と病』では、グローバル化時代の感染症の特徴について述べられています。

  

 新しいウイルスの流行は新型コロナに始まったことではなく、近年でも、エボラ出血熱やSARS(重症急性呼吸器症候群)といった新興感染症の流行が頻繁に起きていました。

 しかし新型コロナには、発展途上国や一部の地域だけではなく、全世界に一律に、被害が広がったという特徴があります。この世界的な感染の原因をたどると、国や地域などを超えて社会や経済が一体化するグローバリゼーションの進展に行き当たります。

 もちろん、国境を越える人や物の交流は今までもありましたが、その移動の量とスピードは、近年増しています。そのため、中国・武漢で感染爆発が始まったウイルスが瞬く間に世界に広がり、グローバル化時代の感染症の脅威を、世界に知らしめました。

 感染症の影響は、公衆衛生という一領域にとどまらず、経済、社会、政治といった領域に多面的に及んでいます。ゆえに各国では、保健関係の省庁のトップではなく、アメリカのトランプ大統領、中国の習近平国家主席、そして日本では安倍首相といった国家の首脳が、自ら陣頭指揮に当たっています。

 そのため、ウイルスを巡る対応に、国際政治が色濃く反映されていることも、グローバル化時代の感染症の特徴であるといえます。

  

 ――感染症への世界規模の対策を主導することは、WHO(世界保健機関)が本来の役割とするところですが、WHOの対応を巡っては今、加盟国の間で意見や対立があります。

  

 感染症の脅威は、グローバル化時代に、その影響力を増しています。それに対応するための枠組みであるWHOは、さまざまな改革を経てはいても、グローバル化時代に完全に適応する形で存在しているわけではありません。

 WHOの主な役割は、専門的知見を結集し、情報提供や勧告を行うことですが、いずれも強制力を持つものではなく、加盟国の自発的な協力なくしては機能し得ません。こうした性格による課題が、今回、露呈したといえます。

 また、WHOは国際機構であるため、自ら資金を拠出することができず、財政面で加盟国に依存せざるを得ない現実があります。そのため、アメリカや中国といった大国の動向に、振り回される局面が出てくるのです。

 今後、WHOなどを中心としたグローバルな感染症対策を進めるためには、各国の自発的な国際協力が不可欠となります。

 

――人類がウイルスに立ち向かうための国際協力体制は、どのように生まれたのでしょうか。

  

 制度としての国際協力の誕生は、19世紀のヨーロッパにさかのぼります。それまでは感染症の流行のたびにそれぞれの国や地域で独自の対策が講じられてきましたが、19世紀のコレラ大流行を機に、複数の国々によるルール策定が始まりました。

 港にやって来た船をどれだけ隔離するのか。人々をどのように検疫するのか。それらのルールが定められ、1903年、史上初の「国際衛生協定」が成立しました。

 この協定が対象としたのは、コレラペスト、後に加えられた黄熱病の三つでしたが、第1次世界大戦後、より広範囲な感染症対策の仕組みづくりが始まります。同時に、清潔な家に住むことや上下水道の整備など、感染症の流行を起こさせないような環境そのものが人間の健康を守る、という考えが芽生えていきます。

 第2次世界大戦の戦乱の中でも、連合国を中心に感染症抑制のための保健協力が続けられました。そして終戦後の48年に、WHOが設立されました。

  

 ――政治においては対立している国同士が、「保健」という共通項では協力し合ってきたという側面もあります。

  

 昨今の米中対立に見られるように、感染症対策に国家や国際政治が介入することのマイナス面も、もちろんあります。しかし、地球規模で感染症をコントロールし、今後完成するであろうワクチンを公平に分配する点などにおいて、政治の力は必ず必要になります。

 冷戦期、アメリカとソ連は、天然痘根絶事業で協力した歴史があります。ここから、私たちが学べることは多くあります。時に諍いながらも、両国は、ワクチン開発などで助け合い、天然痘を根絶に導いたのです。

 この事業においてWHOは、両国へのこまやかな配慮を切らしませんでした。ソ連が提供したワクチンがWHOの品質テストに合格しなかった時、担当者がすぐにモスクワに説明に飛んだことなどがその一例です。当時、国連安保理を含む国際機関が機能しない中、WHOは重要な役割を果たしました。

  

 ――今後の保健協力において日本が果たしうる役割は。

  

 トランプ大統領がWHOからの脱退を表明し、少なくとも大統領選(11月)が終わるまではアメリカの協力は期待できないでしょう。しかし、新型コロナを収束に向かわせるために必要な施策や、発展途上国など対応能力が低い国々で感染拡大を抑えていくことなど、目の前の課題は変わりません。

 また、有効なワクチンの開発を急ぐとともに、完成した場合は、それを公平に分配していくという課題もあります。これらは、国際協力なくして達成できないものであり、中長期的にそれを支えるのは、ヨーロッパや日本といったミドルパワーの連帯だと考えます。

 日本は、戦後築かれてきた、開かれた国際協力を推進し、民主的な価値を基調とする国際社会を維持していく上で、重要な役割を担うと考えています。

 さらに考慮すべきは、新型コロナが収束しても、次なるコロナは必ずやって来るという見通しです。その時代に、いかに備えるか。

 感染症が発生した時、国際保健規則にのっとった義務を各国が果たせば、感染症の管理は非常にスムーズになります。しかし、世界の約7割の国は、その履行能力が不十分であるといわれており、日本をはじめとする先進国が、自国のリソース(資源)や研究を生かして支援することが大切です。

 また日本は、国民皆保険を実現しているまれな国の一つとして、発展途上国で、国民が負担可能な費用で医療を受けられるシステムの構築に尽力してきました。今後もその活動を継続していくことは、より多くの命を助けることにつながるのではないでしょうか。

 日本やヨーロッパの国々は、WHOを中心に協力していく立場を示していますが、その他の例ではパリ協定(地球温暖化対策の国際枠組み)でも、国際協調を支えていく姿勢は一貫しています。

 その底流には、食糧や環境、保健といった個々の分野の協力を積み重ねることが、国際協力の基盤であるとの意識があるといえます。自国第一主義などで、リベラルな国際秩序が揺らぎつつあるといわれて久しいからこそ、その基盤である機能的な協力を支えようという価値観が、日本やヨーロッパの国々のリーダーに見られます。

 また、ビル&メリンダ・ゲイツ財団やGaviワクチンアライアンスなど、非国家アクター(行動主体)も大きな影響力と役割を持ち始めています

 こうした中間団体は、国益や個人の政治的選好から離れることが可能です。ゆえに、政治や経済的なインセンティブ(動機)によって生じたゆがみや格差を是正し、より公平な視点から国際協調を促していくことができます。これらの団体の役割を高めることが、活動の幅を広げることにもなります。

  

 ――国家以外の組織や団体を含む、国際保健協力の枠組みを指す「グローバル・ヘルス」は、国益を超えた“人類益”を、新たな価値基準として示すものです。

  

 国家を主役とする枠組みの限界は、新型コロナによって明らかになりました。国家を超えて、いかにグローバルな枠組みをつくれるか。WHOを中心としながら、情報収集などの局面では、非国家アクターも国家と同様に扱うような枠組みづくりが、急務であると思います。

 WHOでは、特定の国家やアクターに依存し過ぎないよう、個人から基金を募る仕組みもできました。資金面で一般市民の役割は高められ、それは発言権が増すことにもつながります。こうした市民の声を反映する体制づくりも、今後は大切になるでしょう。

 市民一人一人が、特定の国家や個人のためといった価値観を見直し、全ての人の健康を、国際社会における共通の価値へと高めていくことで、より大きな役割を発揮していくことが求められていると思います。

 

 たくま・かよ 東京都立大学法学部教授。専門は国際政治。東京大学法学部卒、同大学院総合文化研究科国際社会科学専攻国際関係論博士課程単位取得退学。博士(学術)。東京大学東洋文化研究所助教、首都大学東京法学政治学研究科准教授などを経て現職。著書に『人類と病』『国際政治のなかの国際保健事業』『新しい地政学』(共著)などがある。

 

コロナ禍に立ち向かう

 戸田記念国際平和研究所

 ケビン・クレメンツ所長

2020年7月7日

パンデミックで露呈した現行システムの限界

「人間の安全保障」に基づく優先課題の見直しが急務

 

 戸田記念国際平和研究所(創立者=池田大作先生)のケビン・クレメンツ所長は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミック(世界的大流行)を踏まえ、所長声明「コロナ禍に立ち向かう――危険と機会」を発表した〈4月28日配信「Policy Brief(政策提言)」No.71〉。声明では、今回のコロナ禍によって軍事的な「安全保障」の枠組みの限界が明らかになったと指摘。疫病や気候変動、貧困など生存に対する現実の脅威を見据え、「人間の安全保障」の概念に基づいて国家と世界の優先課題を再検討し、多国間プロジェクトを再活性化させることを訴えている。同声明の要約を紹介する。

 

 コロナ禍という難題への取り組みが最終的にもたらすのは、革新的かつ根本的な制度変革か、現状の再肯定のいずれかです。しかし後者はすでに、パンデミックの脅威に対する人類の対応能力の欠如を証明してしまっています。

 感染者数と死者数を見れば、人間の生存に関わる課題と世界的な安全保障の問題が、今回のコロナ禍により顕在化したといえます。

 新型コロナウイルスの被害は、世界のテロ行為による被害をはるかに上回ります。それにもかかわらず、諸国は過去20年間、健康への脅威より軍事的脅威に、人間の安全保障より国家の安全保障に、より多くの資金を投じてきました。今回のパンデミックは、人間の生存に対する現実の脅威を克服するための、政治的・経済的優先順位を決定する唯一無二の機会を提供してくれているといえます。

 今回の事態は危険であると同時に、改善のチャンスでもあります。危険の方は認識されていますが、改善の機会についての認識はどうか、を考えてみたいのです。

 

何が脅威か再考を

 

 第一に、21世紀におけるリスク、脅威の性質の見直しを始める必要があります。

 今回のコロナ禍によって、国家は、健康、世界人口、集団移民、難民、気候変動、不平等などよりも軍事的脅威を上位のリスクに据えることは難しくなりました。国民と政策担当者は、福祉と生存に対する脅威の性質を再考することが不可欠であり、特に「人間の安全保障」の概念に基づいて検討することが重要になります。

 

 コロナ禍で浮き彫りになったのは、医療崩壊、気候変動、貧困撲滅に対して無力であることが明らかな「軍事的国家安全保障」という枠組みの限界です。核兵器や通常兵器の軍備拡大競争は、今日の世界的問題を解決できない。それどころか、それにより悪化し、複雑になるだけです。

 あらゆる人が健康で生産的な生活を送れるようにするためには食料、水、汚染されていない環境が必要であり、医療・教育制度を特に重視する必要がある。このビジョンを推進できる戦略を策定するために、国家と世界の優先課題を軍事的安全保障から地球全体の安全保障へと大幅に転換する必要があります。

 また、不気味に迫っているのが気候変動による中長期的な影響です。これも21世紀最大の課題であることを忘れてはなりません。

 

多国間協力が不可欠

 

 第二に、これら複合化された脅威のいずれに対しても、一国のみで解決することは困難であり、地域的・世界的な協調を必要とします。このため、コロナ禍後の世界では多国間プロジェクトを再活性化させる必要があるということです。

 国家と国民は世界に関わる意思決定のために、国際機関の効率、有効性、関連性の改善に重点を置く。とともに、国家や世界の政治指導者は、さまざまな国際機関の戦略や目標の有効性と関連性について、「国益」のためという狭い概念ではなく、「人間」にとってより良いものにするために注意を向けなければなりません。

 また、このパンデミックは貧困層に対してとりわけ深刻な打撃を与えており、貧困と不平等の問題はさらに悪化しています。

 パンデミックによって私たちは社会的、経済的、政治的な優先事項を考え直すことを余儀なくされるのです。「人間の安全保障」の概念および再活性化された多国間機関は、革新的な政策決定を可能にするといえましょう。

 

新たな経済モデルへ

 

 第三に、このパンデミックが、国と地域と世界の経済活動に根本的な変化をもたらすことは明らかです。

 世界の労働者33億人のうち、合計81%において、職場が全面的または部分的に閉鎖されました。グローバル・サウス(南半球に多い発展途上国)の経済に対するパンデミックの影響の全体像はまだ確認されていませんが、最悪の影響を受けるリスクがあるとの指摘もあります。

 このため、新たな経済的思考では、工業化された北部(北半球)だけでなく、南部(南半球)の持続的な経済活動も活性化させる方法に重点を置くことが大事です。

 コロナ禍後の世界で古い経済モデルを改めて追認することは極めて反動的であり、21世紀のための新たな経済システムについて大胆に思考する必要がありますそしてこの危機の結果として生まれる経済システムを、大企業のためのものではなく、社会福祉中心のものにしていく努力が求められます。

 

地域共同体が重要

 

 第四に、回復力を持つ社会制度を確実に整備するためには、コミュニティーの再活性化と社会的連帯(ウイルスに対応する中で生まれたもの)を基盤とすることが不可欠です。

 危機が収束したときに、この惨禍を切り抜けることができたのは公共サービスを担う労働者、最前線の医療従事者、そして、なかなか認められることもない、現代都市生活の土台を維持するために不可欠な人々のおかげだという事実を、政治家も一般の人々も忘れないことが重要です。

 そして何より、持続的なコミュニティーの礎としては、家族と世帯単位の回復力を基盤とすることが大切です。それは近所同士が協力し、確実に地域、町、市の自立性と持続性を強化すること、少数の人のニーズではなく全員のニーズに対する感受性を高めることを意味します。

 

医療制度を構築

 

 最後に、独裁的な指導者がこのパンデミックを利用し、非常時の権威主義的権力を恒久的に導入する事態を防ぐことが不可欠です。

 この危機を通じて、私たちはあらゆる分野で進歩的な政治変革を実現し、誰もが母胎にいる時から墓場までの安全を保障され、未来が投げ掛けるあらゆる危機に対応できるだけの医療制度を構築しなければなりません。

 このたびのパンデミックは、恐怖と混乱と不安をもたらしましたが、新たなビジョンを築くための機会――より共感的、平等で、恐れが少なく、汚染が低減され、自然と調和した世界を築く唯一無二の機会も提示しているのです。これは、創造的な可能性が開かれた瞬間です。今回の世界危機がもたらした一つの結果として、今世紀の大きな課題に応えられるだけの世界を共に創出していこうではありませんか。

 

〈危機の時代を生きる〉

 インタビュー 

立命館大学 

開沼博 准教授

2020年6月24日

コロナ禍で見落とせない「多様なリスク」への視点

 

 「ウィズコロナ」という言葉が表すように、当分の間、私たちの生活は、新型コロナウイルスとの“共存”が想定される。こうした状況下で、私たちが向き合うべき課題は何か――。東日本大震災の被災地復興に携わり続ける、立命館大学の開沼博准教授に話を聞いた。(聞き手=志村清志・村上進)

 

 ――コロナ禍が長期化する現状を、どのように考えていますか。

  

 日本においては、ウイルス感染による「直接的なリスク」は、抑えられつつあるといえます。むしろ今後は、コロナ禍の影響で起こる「間接的なリスク」を一層、考慮していくべきでしょう。

 具体例の一つは「健康リスク」です。外出や人との交流が減っていることで、心身に不調をきたす恐れがあります。社会的孤立から、自死に至る場合も想定されます。また「経済的リスク」も深刻です。今は飲食業や観光業などが影響を受けていますが、今後、他の業種へも広がっていくでしょう。

 他にも、高齢者の認知機能の低下や児童虐待・DV(家庭内暴力)の増加など、挙げればキリがありません。

 今日の状況は、2011年の東日本大震災後の状況とよく似ています。福島県において、地震や津波で亡くなった方は、1605人を数えます。一方、避難生活の中で心身の体調を崩して亡くなった「震災関連死」の数は、2308人に上ります(本年6月16日現在)。「直接的リスク」もさることながら、「間接的リスク」も、私たちの社会に深刻な影響を与えるのです。

 かつての日本社会は「貧・病・争」(貧乏・病気・争いなど)が、人々にとっての主要なリスクでした。ある意味では、分かりやすかった。その後、経済発展に伴い、国民全体の生活水準が高まると、人々の生活が多様になり、立ち現れるリスクも多様化・細分化されました。そのため、一般には“見えづらい”リスクが増えていったのです。

 社会全体が、こうした細かなリスクを見落としてしまえば、東日本大震災の後に「震災関連死」が問題になったように、「コロナ関連死」と呼ばれる問題が顕在化するのではないかと危惧しています。

  

 ――今後、コロナ禍と向き合う上で必要な視点は?

  

 小さなリスクにも目を配る「多元的なリスク観」が求められます。

 そうした視点に立つことで、全体の被害逓減に大きく貢献する場合もあります。1853年に起きたクリミア戦争の際、ナイチンゲールは、戦死者の死因が、戦闘で受けた傷自体よりも、治療現場の不衛生によるものの方が多かったことを、統計を用いて解明しています。その後、衛生管理を改善し、死者数を大きく減少させました。こうした彼女の姿勢は「多元的なリスク観」に立ったものといえるでしょう。

 しかし現状を見ると、「感染リスクの抑制か、経済危機からの復興か」という二項対立の議論ばかりが目立ちます。3・11の後、「原発か、脱原発か」との論争が多く取り上げられた構図と同じです。

 こうした問題は早々に解決できるわけではありません。それにもかかわらず、延々と二項対立の議論が続けば、課題解決に向けた本質的な議論は一向に深まらず、多くの人が抱える「多様なリスク」が抜け落ちてしまう恐れがあります。

 

 かいぬま・ひろし 1984年生まれ。福島県出身。東京大学卒。専攻は社会学。福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)ワーキンググループメンバー、復興庁東日本大震災生活復興プロジェクト委員などを歴任。2016年から、立命館大学准教授を務めている。主な著書として、『はじめての福島学』『漂白される社会』『フクシマの正義』などがある。 

 

オンラインなどの活用を通して

新たな「顔の見える関係」をつくる

個人間の情報格差(デジタルディバイド)をなくし

社会の中に「共助」の基盤を

 

 

今、青年部を中心に“オンラインによる集い”の取り組みが推進されている

 ――危機的な状況に直面した場合、多様なリスクがこぼれ落ちてしまう理由は何だと考えますか。

  

 さまざまな理由がありますが、一つは、日本社会の“特殊性”といえるでしょう。

 社会学には「社会統制」と「社会化」という概念があります。「社会統制」とは、秩序の維持のために、個人の行動を規制するメカニズムのことで、法や制度などを指します。一方で「社会化」とは、人々が、集団や社会の行動様式を取り入れる過程を意味します。ここでは“暗黙のルール”と考えてもよいでしょう。

 4月に発令された「緊急事態宣言」は「社会統制」に分類されます。ただし、この宣言には、法的な強制力はほとんどありません。それにもかかわらず、国民の多くは宣言に従い、外出や店舗の営業などを自発的に控えるようになり、5月25日には「緊急事態宣言」が全面解除になりました。これは、政府の提示した行動様式を取り入れる「社会化」が、強く働いたことを意味します。

 しかし、その一方、“自粛警察”と呼ばれる、一般市民による私的な取り締まりや攻撃、感染者のあぶり出し、医療従事者やその家族への差別行為など、「社会化」の“負の側面”も多く見られました。

 人々のライフスタイルや生活環境は多種多様です。中には、止むに止まれぬ事情から、緊急事態宣言下であっても店舗の営業を続けた人もいたでしょう。

 それにもかかわらず、日本社会には、そうした人たちへの想像力に欠ける部分があり、全体から逸脱する人を「悪」と捉えてしまう傾向がある。言ってしまえば「社会化」の行き過ぎが、多様なリスクを“見えづらい”ものにしている原因といえます。

  

 ――多様なリスクを見逃さないためには、何が必要でしょうか。

  

 地域のつながりが豊かになることが大切だと考えています。そうすれば、ある人がリスクを抱えたとしても、皆で助け合うことができるからです。そのためにも、人とのつながりを形成する、「サードプレイス」(第3の場所)のコミュニティーが求められます。

 これは、社会学者オルデンバーグの提唱した概念で、家庭(第1の場所)や会社・学校(第2の場所)とは異なる「場」のことです。地元の喫茶店や居酒屋、身近な集会での交流などを指します。こうした場では、ゆるやかな「顔の見える関係」の中で、豊かな教養やつながりがつくられやすい。そこで生まれる信頼や安心感は、「共助」(助け合い)の輪を育む上で大変に有効です。

 しかし、「個人化」の進展した現代社会にあっては、そもそも「サードプレイス」の存在が減少している。さらに追い打ちをかけるように、新型コロナウイルスの感染拡大によって、そうした「場」に集まりづらい状況が生まれています。

 こうした苦境の中で、どのように「顔の見える関係」を構築できるか――つまり、“新たな日常”における新たなコミュニティーのあり方、「共助」のあり方が、今後、求められます。

  

 ――ここ最近、オンライン上での交流が活発に行われるようになってきています。

  

 直接会っての交流がしづらい状況は、しばらくの間、続くでしょう。そうした中で、オンラインを活用して交流し、支え合う流れをつくることは、有効だと考えています。

 しかし、その裏で、見逃してはいけないのは、「デジタルディバイド」(情報格差)の問題です。インターネットを使えなければ、即座にこうした「共助」の流れから脱落してしまいます。加えて、オンラインによる教育や医療、公的サービスの申請などからも取り残されれば、大きな格差につながりかねません。

 日本におけるインターネット利用率は79・8%です(総務省・令和元年版「情報通信白書」)。単純に考えて、人口の約2割が、インターネットへのアクセス手段を持っていないことになります。この2割にあてはまる層は、高齢者や経済的に恵まれない人が想定されます。つまり、もともと多くのリスクを抱えている層です。

 東日本大震災の時もそうでしたが、もともとリスクを抱えていた人ほど、災害などの非常事態が起こった際、さらなるリスクに見舞われます。今回のコロナ禍にあって、「デジタルディバイド」の問題は、その象徴的な例といえます。

 単に技術的な問題と捉えられがちな「デジタルディバイド」ですが、この状況下では、人の命・生活に関わる重要な問題です。そうした人々へのサポートは、ますます希求されるでしょう。

  

 ――“コロナ以前”のように、直接会っての交流がしづらい状況の中で、この問題を乗り越えるためには?

  

 個人間の情報格差をなくすには、行政による「公助」が必要になってきます。社会の中で「共助」の流れが生まれるような基盤をつくってほしいと思います。

 その上で留意してほしいのは、この問題は今に始まったわけではないということです。個人化された社会では、人と人とのつながりは希薄になり、そもそも「共助」の流れがつくられづらい。長らく棚上げされてきた課題が、今回のコロナ禍で可視化されただけといえます。

 だからこそ、私たちは、この課題に真摯に向き合い、新しい「共助」のあり方を構築していかなければいけません。そうした意味で、創価学会をはじめ、個人と社会を結ぶ「中間集団」の果たす役割は大きいでしょう。「共助」には、人と人のつながりが欠かせません。東日本大震災の時も、学会の励ましのネットワークが、多くの人を勇気づけたように、今回のコロナ禍でも、「共助」の流れを生み出す起点として、その力を発揮してほしいと思います。

 

2020.6.24付聖教新聞一面

 

〈危機の時代を生きる〉

 インタビュー

 創価大学看護学部

 佐々木諭 教授
2020年6月17日

アフリカ大陸で広がる新型コロナウイルス
逆境に立ち向かう力は地域コミュニティーに

 

 世界中で猛威を振るう新型コロナウイルス。アフリカ大陸でも広がっており、累計の感染者数は5月22日に10万人を記録し、今月中旬には25万人を超えた。国際保健学が専門で、アフリカで医療支援をした経験のある創価大学看護学部の佐々木諭教授に、アフリカの現状をはじめ、日本の医療現場で奮闘する看護師の様子などを電話で取材した。(聞き手=加藤伸樹)

 ――WHO(世界保健機関)は、アフリカで封じ込めに失敗すれば“1年間で最大4400万人が感染し、19万人の死者が出る恐れがある”と警鐘を鳴らしています。
  
 アフリカで最初に感染が確認されたのはエジプトで、2月14日でした。アフリカ疾病予防管理センターの発表などを見る限り、ヨーロッパなどの国々と比較すると流行のスピードは抑えられており、その要因として、専門家と各国が連携し、事前に抑制の準備に取り組んできたことが指摘されています。
 ただ、国によって状況は異なるものの、5月に入ってからは徐々に流行し始めています。アフリカの国々は、人工呼吸器などの医療機器や治療に当たる専門職の人々も不足していますし、集中治療室の割合も低く、重症患者に適切な処置が行えません。都市部には貧困層の人々が暮らす未計画居住区があり、そこでは狭い家屋に大人数で生活していたり、「感染予防では手洗いが大事」といっても、安全な水にアクセスできない人もいます。こうした環境下では、すぐに感染爆発が起こることは想像に難くありません。先進国に比べ、警戒が必要です。
  
 ――感染者が少ない理由として、検査体制が不十分であることを指摘する専門家もいます。
  
 アフリカの人口の6割は、25歳未満の若年層です。こうした人々は免疫力も高いことから、感染を抑えられているのではないかと考えられています。しかし、ご指摘の通り、アフリカで最も人口の多いナイジェリアで1000人当たり0・46人など、検査数が低いのが実情で、実際の感染者はもっと多いことも考えられます。
 ただアフリカには、エイズやマラリア、エボラ出血熱など、さまざまな感染症と闘ってきたノウハウが蓄積されています。
 医療資源が限られている分、特にアフリカでは「地域の支え合い」で感染症に立ち向かってきました。その要が、各家庭に感染予防や健康改善に関する教育を行う「コミュニティー・ヘルス・ワーカー」と呼ばれるボランティアの存在です。こうした人々が行政や医療関係者らの指示のもと、感染しないための策を講じた上で、各家庭に正しい予防法を指導するのです。ボランティアの強みは“実際にその地域に住む人”ということです。地域のことをよく知り、地域の人々との信頼もあります。もちろん人との接触は感染のリスクを伴います。しかし、一人一人に丁寧に伝える分、皆が正確な情報をもとに判断でき、何より納得して行動できます。そこでは、さまざまな情報があふれ、何を信用していいのかといったことは起こりません。

 

感染症を防ぐ三つの方策
①治療薬開発で「感染源」を除去
②皆の協力で「感染経路」を遮断
→手洗い・マスク、身体的距離の確保
③免疫力強化で「感受性」を低める
→睡眠・食事・運動、笑顔ある生活
最前線で命を守る医療従事者にエールを

 

 ――感染対策において、私たちは何を基準に考えていけばいいのでしょうか。
  
 そもそも感染症は、「感染源」「感染経路」「感受性宿主」という要因がそろうことで広がります。病原体という「感染源」が存在し、感染が広がる「経路」があり、その病原体を「感受」、つまり“受け入れる生物がいる”ということです。一方、どれか一つでもブロックできれば感染症は広がらないことが分かっています。それを踏まえて考えれば、①感染源を除去する治療薬の開発、②感染経路を断つための一人一人の行動変容、③健康的な生活の心掛けや予防接種を受けることで免疫力を高めること――この三つが大切なのです。
 一つ目の治療薬は世界の研究者らが行っているので、私たちができることは、二つ目と三つ目になります。手洗いの励行やマスクの着用、身体的距離を取るといった行動は、病原体の体内への侵入を防ぐもので、感染経路への対策。三つ目の免疫力の強化には、ワクチンの接種も含まれますが、十分な睡眠や栄養バランスの取れた食事、そして適度な運動を心掛けることでも高めることができます。
  
 ――やはり「正しく知る」ことは大切ですね。
  
 私はザンビアでコレラの大流行の制御対策をしましたが、その際に特に力を入れたのは、行動変容を中心とした感染経路の遮断でした。コレラは、口から細菌が入ることで感染します。ですので、先ほどのボランティアグループの人々に感染予防や家屋の消毒などの講習を行い、水質調査をもとに「ここの水は飲んではいけない」とか「石けんによる手洗いが大切ですよ」などの情報を伝えました。
 その中で罹患率を下げることができたことからも、感染症対策において、地域コミュニティーの存在と、その人々が伝える正しい情報がいかに大切かを感じました。
  
 ――日本赤十字社は、不確かな情報に振り回され、感染症への恐怖が増してしまうと、感染者や医療関係者への差別につながっていくと警告しています。
  
 創価大学看護学部の1期生が卒業したのは、2017年のこと。以来、4年にわたって卒業生を送り出してきました。卒業生たちも今、医療現場の最前線で奮闘していますが、人とすれ違う際にあからさまな態度で避けられたことなど、差別が起きていたことは聞きました。
 医療従事者は、自分が感染してしまうかもしれないリスクと不安の中にいますが、それでも目の前の命を救うために全力を尽くしています。こうした医療従事者を守ることが、新型コロナウイルスに打ち勝つ道であると確信します。
  
 ――未知のウイルスということもあり、治療や看護の仕方も試行錯誤の連続だと思います。
  
 患者を勇気づけられるよう、真心と誠実で一人一人に寄り添ってきた看護師も、今回のウイルスが蔓延してからは、さまざまな制約の中で看護に当たっているようです。
 病室に入る時間も制約があり、患者と接する時間も当然、短くなります。またマスクやゴーグルなどを着けた状態では、笑顔といった自分の表情で相手の不安を取り除いてあげることもできません。だからこそ、「声」が大事だと、今まで以上に一言一言に思いを込めていると聞きました。
 加えて、家族も患者と会えない状況があります。そうした家族へのケアのために、まずは家族と信頼関係を深め、電話で小まめに患者の状況を伝えたり、SNSを活用して患者と家族が話せるように工夫したりしているそうです。
  
 ――航空自衛隊のブルーインパルスが5月末、医療従事者への感謝を示すために都心上空を飛行するなど、さまざまなエールが送られています。
  
 そうしたエールは、間違いなく医療従事者を勇気づけています。患者や家族からの「ありがとう」との言葉や、地域の方々の「頑張ってね」「応援しているよ」といった声が力になり、「負けずに頑張ろう」と思えると感謝していました。
 また創大看護学部の卒業生にとって、学部開設時に創立者・池田先生から贈られた三つの指針が心の支えとなっていることを改めて感じました。
 「生命の尊厳を探究する生涯学びの看護」「生きる力を引き出す励ましの心光る看護」「共に勝利の人生を開く智慧と慈悲の看護」との指針を在学中から何度も自らに問い掛けてきた卒業生は、それぞれの医療現場にあって、どうすることが患者の生きる力を引き出し、患者と共に勝利の人生を開くことになるのかと日々模索し、そして、共に探究してきた仲間たちと連携を取り合い、励まし合いながら奮闘しています。
  
 ――励ましの絆を広げていくことは、人類が感染症に立ち向かっていく上でも重要ではないでしょうか。
  
 社会に不安が漂う中、励ましは人々に生きる力を与えます。「笑い」が免疫力を高めることは知られていますが、励ましで“人々を笑顔にしていくこと”も、感染症の予防に貢献することでしょう。
 また、感染症対策で必要なのは「自分が感染しない」「人に感染させない」との思いを持ち、皆で感染を抑え込もうという協力体制です。その意味では、人々の絆が鍵を握ると思います。
 例えば、正しい情報といっても、人によって置かれた状況も納得の度合いも違います。だからこそ、一人一人に応じて話す人も必要ですし、誰一人孤立することがないよう、地域の人々を見守る存在も重要でしょう。
 新型コロナウイルスの流行によって、人と人の物理的距離を保つことが求められますが、その中でも電話などを使って社会的なつながりを強めることは可能です。支え励まし合う絆は、危機の時代にあって、ますます求められていくと感じます。

 ささき・さとし 医学博士。新潟大学大学院医歯学総合研究科助教、創価大学学士課程教育機構准教授などを経て現職。国際医療NGO「AMDA」の職員として、ルワンダなどでの難民支援の医療系業務に従事。国際協力機構(JICA)の専門家としてザンビアの貧困地域で子どもたちの健康改善に取り組んだ経験も持つ。創価大学ではグローバル・シティズンシップ・プログラム(GCP)ディレクターも兼任

 

寄稿

 コロナ後の目指すべき社会

2020年5月31日

社会学者 大澤真幸

国民国家を相対化する

自発的な連合の重層化を

 

 現在、世界は新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)によって大きな転換点、岐路に立たされている。かつての日常が失われるなか、私たちの社会はどのような世界へと向かえばよいのだろうか。社会学者の大澤真幸氏にコロナ後の社会と世界をテーマに寄稿してもらった。

 

地球社会貫く原理の限界

 

 人類の共同体は、国民国家の集合である。政治的主権は、最終的には国民国家に帰属しており、それよりも大きな組織(例えば国連)も、またより小さな共同体(例えば自治体)も、国民国家の主権を超える権限をもたない。そして何より、私たちのアイデンティティーが、国民国家への所属をベースにしている。標準的な日本人にとって、「私は日本人だ」という意識は非常に重要だ。しかし例えば「アジア人である」と意識することはほとんどなく、「○○県民である」ということを自尊心のよりどころとする人は少ない。

 従って、地球社会の全体を貫いている原理は、国民国家の間の競争の論理である。もちろん、国民国家は絶えず闘っているわけではなく、多くの協力的な関係が結ばれてきたが、そのような協力も、それぞれの国益に合致する限りでしか成り立たない。

 しかし、二十世紀の末期以降、私たちは、国民国家間の競争という論理には限界がある、いやこの論理は危険である、ということを繰り返し確認してきた。人類の存続にも関わるような大きな問題は、国民国家のレベルでは解決できない。それどころか、国民国家間の競争こそが、問題を深刻なものにしてきた原因だ。例えば環境問題。アメリカの「パリ協定からの離脱」が示すように、それぞれの国の利益の追求こそが、二酸化炭素排出量の削減という目標への到達を阻む最大の障害である。

 国際社会の基本的な枠組みが、「国民国家間の競争」である限り、個人が倫理の点でいくら成熟しても、絶対に重要な社会問題は解決できない。このとき、最も高潔な行為と最も野蛮な行為とが、完全に合致してしまうからだ。国民国家の観点からは、最も高潔な行為とは、自国民のために命をも懸ける覚悟でなされることだ。しかし、その同じ行為は、国家間で見れば、野蛮さむき出しの闘争として表れる。例えばある国の科学者が、その国の防衛方針に従い、自己犠牲的な努力によって核ミサイルを開発したとする。この業績は、その国の内側から見ると英雄的だが、国家間で見れば、ケンカを売っているに等しい。

 

一国だけの解決はない

 

 さて、現在の新型コロナウイルスのパンデミックは、「国民国家間の競争」という前提の下では絶対に解決できないということを示す究極のケースとなっている。述べたように、現在の重要な問題はいずれも、国民国家がそれぞれ国益を求めて競争しあっている限りは解決困難なわけだが、その問題から生ずる破局はまだ少し先のことであるため、人々は、何とか従来の枠組みの中でことを収めようと、「悪あがき」してきた。しかし、目下の新型コロナの場合は違う。破局的な混乱はすでに来ているのであって、私たちは今その渦中にいる。

 もちろん、現在、コロナ対策は国ごとに行っている。各国政府は、外国からの渡航を制限し、都市をロックダウンしたり、人々の外出を制限したりしてきた。そうしながら、世界中の人が理解したことがある。感染症の流行は、一国だけでは解決できない、と。いや、そもそも、「一国だけの解決」ということ自体がナンセンスだということを人々は学んだはずだ。

 仮に自国の感染者の数が減少し、ゼロに近づいても、他国で流行が止まっていなければ、自国にとってさえも解決ではない。地球上のどこかに、感染者がいれば、ウイルスがいつ自国に再び入ってくるか分からないからだ。そもそも、他国に感染者がいる間は、十分な経済活動も交流も不可能で、私たちは本来の生活を取り戻すことはできない。要するに、「一国だけ」であれば、それはいまだ解決ではないのだ。

 従って、各国政府が奮闘する中で明らかになったことは、「国民国家の主権」の不十分さ、無力さである。ここから導かれる教訓は次のようなことだ。すなわち、今後もまだ何年か続くパンデミックへの対応を通じて、あるいはコロナ後の来るべき社会においては、国民国家の主権は相対化され、やがて乗り越えられなくてはならない、と。

 国民国家の主権は、二つの方向へと――つまり、より包括的な上位と、よりローカルな下位へと――向けて相対化される必要がある。

 

人々にも変化の必要が

 

 一方で、国民国家は最終的には主権を放棄し、代わって主権は、国民国家を横断するグローバルな共同体に、要するに「人類」そのものであるような共同体に担われるべきである。現在でも、WHO(世界保健機関)や国連など、国民国家をつなぐ機関や制度はあるが、それらは、国民国家の主権を超えるものではないので、いざというときに役立たない。WHOや国連が、国民国家の争いの場となってしまうからだ。将来は、WHOや国連を改組し、「人類」を代表するそれらの機関に、国民国家レベルの行動を抑制し得る権威が与えられなくてはならない。

 この目標はしかし、非常に高い。人類を代表するとされる機関が民主的に支持され、実際に機能するためには、少なくとも、私たちのアイデンティティーの在り方が変容しなくてはならない。国民国家への所属からくるアイデンティティーより、人類という共同体への所属に基づくアイデンティティーが優越する必要がある。「日本人」や「アメリカ人」であるより前に世界市民である、と。

 例えば、グローバルな機関は、パンデミックのとき、医療資源やスタッフを「わが国」ではなく、別のもっと感染者が多い地域に優先的に配分すべきだと決定するかもしれない。「国益」には反するこうした決定を受け入れられるためには、人は世界市民である必要がある。他方で、(大枠の方針ではなく)具体的な個々の判断や施策に関しては、権限は逆に、国民国家よりも小さいローカルなコミュニティーのレベルへと移されなくてはならない。現在のコロナ対策において、日本でも、また他国でも、一国の政府よりも、地方自治体の首長や地方政府の活躍が目立っているが、それには理由がある。医療に関しては、地域の実情を熟知し、それに即した対応ができる行政機関が必要だからだ。人が、地方政府の判断を信頼できるのは、もちろん、ローカルなコミュニティーに対して、強い参加意識をもっているときに限られる。

 従って、整理すれば、国民国家は、将来的には、その上位と下位の二つのレベルの「連帯」によって相対化される必要がある。ローカルなコミュニティーのレベルの連帯とグローバルな人類のレベルの連帯である。この二つのレベルを合体させると、私たちが最終的に目指すべき社会の在り方として、次のような理念的な像を得ることができる。

 コミュニティーの理想を、自由な個人の間の自発的な連合という意味で「アソシエーション」と呼ぶとしよう。これをグローバルな連帯と接続するということは、結局、アソシエーションを重層化していくということである。アソシエーションの集まり自体が、アソシエーションの原理で結び付く。アソシエーションをこうしてより包括的なものへと何段階も積み上げ、最終的には人類の普遍性へと至る。これは単純化したモデルだが、しかし、コロナ後に目指すべき社会の骨格を表現している。

 

世界市民として考える

 

 とはいえ、悲観的にもなる。私たちが現在目にしているのは、むしろ国民国家レベルの極端な利己主義でもあるからだ。トランプ大統領がドイツの製薬会社に米国人向けのワクチンを開発させようとしたり、中国がコロナ後の覇権を視野に入れて戦略的に他国を援助したり、米中が互いを非難しあったり……と。パンデミックの前からあった「自国ファースト」の方針が、強化されようとしている。

 要するに、人類は、現下のパンデミックの中で、大きな分かれ道に差し掛かっているのだ。国民国家の利己主義を極限まで推し進めるのか、それとも国民国家を相対化する新たな連帯へと向かうのか。二十一世紀の末にも人類が繁栄しているとすれば、私たちが今、後者の道を選んだときである。

 二百年以上も前にカントが書いていたことが、今このときほど当てはまるときはない。カントによれば、思考の自由とは、理性を公的に使用することだ。普通私たちが「公的」と見なすこと、例えば公務員が自国のためにあれこれ考えることは、カントの考えでは、理性の私的使用である。それは国家の利己的利害に縛られているからだ。理性の公的使用とは、世界市民として考えることである。

 カントはこうも書いている。思考の自由を維持しつつ、とりあえずは国家のルールに従いなさい、と。私たちも今は安全のために必要な要請に従いながら考え抜こう。理性を公的に使用する術を得たならば、私たちは正しい道の方へと進みつつあることになる。

 

 おおさわ・まさち 1958年、長野県生まれ。千葉大学助教授、京都大学教授を歴任。社会学博士。著書に『夢よりも深い覚醒へ――3・11後の哲学』『自由という牢獄』『三島由紀夫 ふたつの謎』『社会学史』などがある。

 

〈危機の時代を生きる〉

 新型コロナのパンデミック

 乗り越える鍵は皆が地球規模で考えること

2020年5月27日

北海道大学 人獣共通感染症リサーチセンター 髙田礼人教授 

 

 猛威を振るう新型コロナウイルスは、なぜ出現したのか――。世界各地を飛び回り、動物から人にうつるウイルスの感染メカニズムを解き明かしてきた北海道大学人獣共通感染症リサーチセンターの髙田礼人教授に、電話で取材した。(聞き手=本田拓視)

 

 ――新型コロナウイルスの出現について、どう思われていますか。

  

 正月明けくらいに、中国で原因不明の肺炎が流行していると報道され、これが他の地域に広がったら、どのくらいの影響を及ぼすかと心配していました。

 今回の新型コロナウイルスは、感染しても症状の出ない「不顕性感染」も多いことが対策を難しくさせています。感染者が感染に気付かず、他の人と接触してウイルスを撒き散らしてしまう可能性があるからです。SARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)に比べて致死率は高くないものの、今は警戒が必要だと思います。

  

 ――教授はこれまで、エボラウイルスやインフルエンザウイルスの研究をされてきましたが、今回のウイルスもエボラウイルスと同じく、コウモリの持っていたウイルスと考えられています。

  

 新型コロナウイルスに非常によく似ているウイルスがコウモリから見付かっているので、自然宿主(もともとウイルスと共存している動物)はコウモリと考えられます。その上で、どうしてコウモリに、そんなに多くのウイルスがいるのかとよく聞かれます。あくまで推測ですが、コウモリは洞窟等の密閉した空間で密集・密接して生活しているものが多いのです。いわゆる「3密」です。そういった環境は、ウイルスが維持されやすいのだと思います。

 ただ実際は、コウモリとともにげっ歯類(ネズミの仲間)もまた、多くのウイルスを持っていることが分かっています。そうしたウイルスがたまたま人や他の動物に入った時に、感染症を引き起こすのです。

  

 ――エボラ出血熱で臨床試験が行われていた「レムデシビル」が、新型コロナウイルス感染症の治療薬として国内で承認されました。

  

 新型コロナウイルスは感染した細胞の中に入り込み、自らの遺伝情報(RNA)を複製させていきますが、この複製の際に必要なのは、ウイルスが持っている「RNAポリメラーゼ」という酵素です。「レムデシビル」には、この酵素の働きに作用する性質があり、結果としてウイルス遺伝子の複製を阻害することができます。日本で注目されている抗インフルエンザ薬「アビガン」も似たような機能を持っており、2014年に西アフリカで流行したエボラ出血熱の治療にも使用されました。ともに副作用があることも指摘されていますが、有効な薬の候補であることに間違いはありません。

 

 

ウイルスは無生物だが生物的

 自然界で生き物と静かに共生

コロナ後に求められる新たな哲学

 人と動物と環境の健康を

 

上空を飛ぶコウモリ。新型コロナウイルスの自然宿主と考えられている(コートジボワール、EPA=時事)

 ――RNAを持つウイルスは、変異しやすいといわれます。さらに凶暴化することはあるのでしょうか。

  

 それは分かりませんが、そもそも重症化しやすいウイルスは、生き残りにくい。感染者に依存して自らの子孫を増やすウイルスにとって、生き残るためには“一人の感染者から一人以上に感染させること”が求められますが、感染者が重症化して寝込んでしまうと、他の人にうつすことができず、途絶えてしまう確率が高くなるからです。なので、毒性が強すぎるウイルスは、生存戦略としても望ましくないのです。また新型コロナウイルスは、普通の風邪を引き起こしているウイルスと同じ「コロナウイルス科」に属します。断定はできませんが、このまま人類に定着するならば、長い年月をかけて弱毒化していくだろうと思っています。

  

 ――ウイルスを、まるで生き物のように語られますね。

  

 生命活動に必要なエネルギーを生み出す「代謝」を行わず、自ら分裂して「増殖」することができないウイルスは、生物学的には「生物」ではありません。ですから、ウイルスは“ただの物質”と考えることもできますが、ひとたび生物に感染すると、生物の細胞の代謝能力などを利用して、自らの遺伝情報を複製させるのと同時に、ウイルス固有のタンパク質を合成させ、子孫をつくっていきます。まさに“極めて生物的な物質”といえます。

 また、そう考えるようになったのは、私が長年、人と動物に共通して感染する「人獣共通感染症」を研究対象としてきたからかもしれません。人と動物の接触によって起こりうる事態を予測し、先回りで予防策を立てるために、これまで各地でフィールドワーク(現地調査)を続けてきましたが、その中で動物を生かし、時には支えながら自分も生き続け、自然界で静かに存続するウイルスの姿を見てきました。そのあり方から、ウイルスも地球上に存在する生命体の一部であると感じるのです。

  

 ――そうしたウイルスがなぜ、人間にとって致命的な病気を引き起こすものに変わってしまうのでしょうか。

  

 長い時間をかけて築き上げられたウイルスと自然宿主動物との蜜月な関係に、人間が踏み込んでしまったからでしょう。

 人獣共通感染症の多くは、野生動物との接触から始まります。自然破壊などを通して人間の活動領域が広がったことや、地球温暖化による動物や昆虫の生息域の変化で、ウイルスと共生していた動物との接触が増える。すると当然、今まで人との接触がなかったウイルスと出くわす可能性も高くなります。野生動物からまずは家畜に感染し、それが人に伝播するという経路もあります。そのウイルスが人への感染に成功し、爆発的に増殖できる条件を備えたものであれば、高い病原性を示すこともあるのです。

 また、人類の食糧問題とも深く関係しています。先進国では野生動物を珍味として食べているかもしれませんが、途上国では生きていくために食べざるを得ない状況もあります。その動物の血液、粘液、尿あるいは糞等に触れることで感染する恐れがあるのです。一方、こうした感染の恐れのある動物を食べないようにするため、農業や畜産業を発展させようと思っても、農地などを広げるためには、やはり自然に踏み込まざるを得ない。こうした環境破壊や食糧問題とどう向き合うかも、人類に問われていると思います。

  

 ――仏法には、環境(依報)と人間(正報)は密接に関わっていると説く「依正不二」という法理があり、自然破壊は人間の命を脅かすものとなり、逆に自然を守ることが人間を守ることにつながると考えています。

  

 興味深い視座です。私たちの大学院では今、人の健康、動物の健康、環境の健康は互いにつながっていると捉えるワンヘルス」という考えをもとに教育・研究を進めています。「依正不二」とも共鳴するのではないでしょうか。

 ともあれ私たちが研究を続けているのは、今の脅威はもちろん、新たに遭遇するかもしれないウイルスにも備えるためです。近年は遺伝子の配列を高速で調べることができる「次世代シーケンサー」と呼ばれる装置も生まれ、今まで発見できなかったウイルスも検出できるようになりました。こうした科学技術の力も使いながら、獣医学、医学、環境学という分野の垣根を越えて、感染症対策に当たっていきたいと思っています。

  

 ――最後に、新型コロナウイルス対策で私たち市民が心掛けるべき点を教えてください。

  

 世界がこういう事態になっても、悲観も楽観もせず、なるべく平常心でいてほしいと思います。

 その上で、たとえ緊急事態宣言が解除されても、「自分の地域は大丈夫」と人々が一気に動きだせば、当然、再び感染は広がります。感染が世界に広がっている以上、日本だけが乗り越えればよいという問題でもありません。

 私自身、「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー」という言葉、つまり“地球規模で考え、足元から行動する”ことを大切にしていますが、一人一人が世界全体のことを考え、今できることを地域や個人レベルでやっていく。この心掛けが大事だと思います。

 

 たかだ・あやと 1968年、東京都生まれ。獣医学博士。専門は獣医学、ウイルス学。北海道大学獣医学研究科助手、東京大学医科学研究所助手などを経て現職。エボラウイルス研究の第一人者として知られる。著書に『ウイルスは悪者か』(亜紀書房)など。

 

〈危機の時代を生きる〉

 希望は正しい知識と行動から

2020年5月20日

東海大学医学部 山本典生 教授

ウイルスからの「挑戦」には人類の知恵と絆で「応戦」

 

 新型コロナウイルスの正体を知ることが、私たちの身を守るための第一歩――そう主張するのは、ウイルス学を専門とする東海大学医学部の山本典生教授。現在の研究で分かっていることや、一人一人ができる感染防止法などを電話で聞いた。(聞き手=加藤伸樹)

 

 ――新型コロナウイルスについて、研究が進む中で分かってきたことを教えてください。

  

 ウイルス感染は、ウイルスが体内の細胞と結合し、自らの遺伝情報(RNAやDNA)を複製させていくことで広がります。新型コロナウイルス(SARS―CoV―2)の感染は、まだ謎が多いものの、人間の細胞膜にある「ACE2」というタンパク質と結合することから始まると判明しています。私自身、これまでSARS(重症急性呼吸器症候群)の研究をしてきましたが、そのきっかけとなるタンパク質と同じです。

 ACE2の量は臓器によって違いますが、肺の奥にある細胞で多く発現しています。そこでウイルスが増殖するため、気道の比較的浅いところで増殖するインフルエンザウイルスと比べて、重症肺炎が起きやすいのでしょう。またACE2は、心臓や腎臓などの細胞表面にもあることから、感染が多臓器不全にもつながると考えられています。

  

 ――これまでも重症化のリスクが高いといわれてきた心不全、呼吸器疾患などの基礎疾患のある方は、やはり注意が必要ですね。

  

 一般的に、高齢者や基礎疾患のある方は、ウイルスに対する炎症反応が起こりやすいことが分かっていますが、新型コロナウイルスの感染メカニズムから考えても、こうした方々を感染から守らなければなりません。またACE2は血圧を調節する役割を担うタンパク質なので、感染による血圧の乱れが人体に悪影響を及ぼしてしまう高血圧の方も注意が必要です。

 ACE2は最近、舌の細胞にも発現しているとの報告がありました。そうしたことが背景で「何を食べても味がしない」という味覚障害につながっている可能性も指摘されています。

  

 ――世界で今、研究者がウイルスの解明に当たりながらワクチンや新薬を開発しています。実用化の見通しを教えてください。

  

 ワクチンは急ピッチで開発が進んでいます。安全性や有効性を調べるため、通常は実用化までに数年を要しますが、1年半程度で実用化されるものも出てくると思います。ワクチンは体の免疫系に働き掛け、体内でウイルスへの抗体(抵抗力)をつくらせるものですが、今回のウイルスは、その抗体が、かえって症状を悪化させる可能性も指摘されています。開発されたワクチンの安全性などは、慎重に見る必要があります。

 また治療薬の研究も精力的に行われています。新薬をゼロから開発するには、一般的に10年以上かかるともいわれますが、10年後に特効薬が開発されても、目の前で起きている感染症の治療には使えません。そこで、別の病気に対して既に開発された薬を、今回の治療に転用するという研究が進められています。現時点で治療薬候補として挙げられている薬剤は、ほとんどがこの枠に入るものです。

 

 

新型コロナウイルスの弱点

 

①石けん・アルコールに弱い

   →小まめな手洗い・消毒で撃退

②自分では増殖できない

   →接触・飛沫からの感染に注意

 

小まめな手洗いは有効な感染症対策(スイス、EPA=時事)

 ――「アビガン」や「レムデシビル」など、有効といわれる薬が次々と出てきていますね。

  

 薬には、さまざまな形でウイルスの動きを制限する働きがあります。「ファビピラビル(アビガン)」と「レムデシビル」は、どちらもウイルスのRNA複製を抑える薬です。アビガンは抗インフルエンザウイルス薬、レムデシビルは抗エボラウイルス薬として開発されましたが、作用メカニズムとしては、これらのウイルスに限定されないと考えられます。そのため、今回のウイルスへの転用が早くから検討されました。

 私たちの研究グループでは、エイズの薬として既に実用化されている「ネルフィナビル」が、今回のウイルスの増殖を抑制することを見いだしました。このほか、喘息薬の「シクレソニド(オルベスコ)」、抗寄生虫薬の「クロロキン」や「イベルメクチン」、リウマチの治療薬「トシリズマブ(アクテムラ)」なども有効と期待されています。

 現状、どの薬が最もよいかという結論は出ていませんが、例えばアビガンは副作用の面で妊娠中の方には使用できないなど、特定の薬だけでは対応できない方も出てきてしまいます。また将来、そうした薬に耐性を持つウイルスが現れる恐れもあることから、薬の選択肢を増やすことが、多くの人の命を守ることにつながると考えます。

  

 ――“目に見えない敵”ということもあって、不安を感じている人もいます。

  

 ウイルスは、電子顕微鏡を通さなければ見えない大きさです。まさに目には見えない敵ですが、人類にはウイルスからの「挑戦」に対し、巧みな技術と知恵で「応戦」してきた蓄積があります。その中で、これまで不治の病と恐れられたエイズも、今では効果的な薬が見つかりました。今回も、絶対に希望はあると考えています。

 また新型コロナウイルスは、未知の部分が多いものの、分かっていることはあり、全く弱点がないわけではありません。ウイルスの正体を知り、その弱点を踏まえて行動すれば、一人一人も身を守る「応戦」ができると思います。

  

 ――ウイルスの挑戦に応戦する中で、人類は希望を見いだしてきたのですね。今回のウイルスの弱点と、私たちにできる応戦の方法を教えてください。

  

 一つは、新型コロナウイルスの膜(エンベロープ)は、石けんやアルコールに弱いことが分かっています。ですので、小まめに石けんを使って手洗いしたり、アルコール消毒したりすることで、感染リスクを減らすことができます。

 またウイルスは体内の細胞と結合しない限り、自己増殖できないことも弱点の一つでしょう。それを防ぐためにも、接触感染と飛沫感染への注意が大切です。

 接触感染は、ウイルスが付着した手で自分の口や鼻を触ったり、その手で食べ物などを食べたりすることで起こります。飛沫感染は、くしゃみや咳でまかれたウイルスを含む飛沫を、自分の体内に取り込んでしまうことで起こります。

 こうしたウイルスの弱点や感染の特徴を踏まえた上で、むやみに自分の顔を触らないよう心掛けたり、密集、密接、密閉という「3密」を避けたりすることが重要です。また、マスクは“ウイルスがマスクの繊維を通過してしまうので効果がない”と言う人もいますが、手に付いたウイルスが口に入ることを防ぐ効果があることから、感染予防にも有効と考えます。

  

 ――ウイルスの正体を知ると、どこに気を付けるべきかが明確になります。

  

 人との間隔を空ける、対面ではなく横並びで食事をするなど、政府の専門家会議が提言する「新しい生活様式」も、こうしたウイルスの弱点を踏まえて行動することを意味します。大事なことは、正しい知識をもとに、何が感染につながるのかを一人一人が考えて生活することです。

 また感染症には、人と人の接触を避けなければならない面があることから、地域や社会を分断してしまう側面があります。その点、現代は電話やメールなどで周囲の人々と連絡を取り合うことができ、その中で正しい知識を共有したり、不安に思う人々を支えたりすることもできます。そうした励ましの絆も、立派な感染症への「応戦」につながるのではないでしょうか。

 今後も、新たなウイルスのパンデミック(世界的流行)が起こらないとも限りません。私は、そうした時代が来たとしても、人類が乗り越えていける「応戦」の土台を今、創価学会の皆さんと手を携え、築いていきたいと思っています。

 

 やまもと・のりお 1969年、千葉県生まれ。医師、医学博士。東京医科歯科大学大学院ウイルス制御学講座助教、国立感染症研究所インフルエンザウイルス研究センター第5室室長、順天堂大学大学院感染制御科学講座准教授などを経て現職(基礎医学系・生体防御学)。

 

2020.5.20付聖教新聞1面2面

 

新型コロナと今後の社会

2020年5月19日

自国優先ではなく人類益へ連帯を

Gaviワクチンアライアンス

 オコンジョ=イウェアラ理事長

 

 新型コロナウイルスがもたらした危機を受けて、社会の在り方が改めて問われている。開発途上国の子どもたちへの予防接種支援を行う国際団体「Gaviワクチンアライアンス」のンゴジ・オコンジョ=イウェアラ理事長に話を聞いた。(聞き手=南秀一)

 

 ――Gaviが設立された経緯を教えてください。

 まず、このたびの新型コロナウイルス感染症で亡くなられた全ての日本の方々に、心からの哀悼の意を表したいと思います。また、医療従事者をはじめ、感染症との闘いの最前線で尽力されている皆さんに、この場をお借りして、世界中が感謝し、応援していることをお伝えしたいと思います。

 Gaviは発展途上国の子どもたちにワクチンを提供するため、2000年に世界経済フォーラムの年次総会で発足しました。ユニセフ(国連児童基金)やWHO(世界保健機関)、ビル&メリンダ・ゲイツ財団などと連携しながら、これまで7億6000万人の子どもたちにマラリアをはじめとする感染症の予防接種を提供し、1300万人以上の命を守ることができました。

 治療する方法が存在するにもかかわらず、国に経済力がないために子どもたちが命を落とすことなど、あってはなりません。私たちは今後5年間で、さらに3億人の子どもたちに予防接種を提供することを目指しています。

  

 ――ワクチン開発への投資は、持続可能な社会を築いていく上でどのような意義を持つのでしょうか。

 今回の世界的な感染拡大は、ワクチンの本質的な重要性を明らかにしました。殺傷力、感染力ともに強力なウイルスから身を守るためには、ワクチンが唯一、継続性ある解決策なのです

 新型コロナウイルスがもたらした損失は、経済の側面でも計り知れません。IMF(国際通貨基金)の発表によれば、本年の世界全体の実質成長率はマイナス3・0%に落ち込むと予測されており、世界中で多くの人々が職を失うことになります。西アフリカで起きた“エボラ危機”の際も、同地域では収入が激減し、多くの失業者が生まれました。

 その教訓から学ぶべきは、効果的な治療法の発見に注力しなければ、世界経済は大きな損失をこうむるということです。その意味でワクチンへの投資は、命を守るためにも経済を守るためにも重要なのです。

 

命を守り未来を守るため保健制度の強化が急務

ワクチンは世界の「公共財」

 

 フランスで新型コロナウイルスの研究に取り組む科学者。今、世界各地でワクチンの開発が進められている(AFP=時事)

 ――新型コロナウイルスのワクチンは、世界中で熱望されています。開発された場合、先進国にも途上国にも平等に行き渡る仕組みをつくることはできるのでしょうか。

 

 まさにそれこそ、私がWHOからCOVID―19ワクチン開発のグローバル特使に任命された理由の一つであると思っています。

 新型コロナウイルスのワクチンは、世界中で研究・開発が進められています。いつ開発されるかは、まだ分かりませんが、一部の国や企業がその利益を独占してしまう危険性があります。そうならないために、世界の民衆の声が大切なのです。

 つまり、経済学の用語になりますが、開発されたワクチンは世界の「公共財」であるという認識に皆が立つことです。万人に提供可能なワクチンが開発されたとして、いかなる団体、個人も、その知的所有権にしがみついてはなりません。誰人も、ワクチンを必要としている人に十分提供できるようにすることを妨げてはならないのです。そのためには、ワクチンが世界の公共財であると宣言することです。

 莫大な資金を投じたワクチンの権益を省みないことには、葛藤もあるでしょう。まして現下の経済状況では、そうした思いは強くなるのかもしれません。

 だからこそ今、世界が一つになって人的資源、物的資源を出し合い、貧しい人も豊かな人も誰もが平等に扱われるようにすることが重要です。自己の利益を超えて、人類の利益という視点に立てるかどうか――ここに、今回の危機を通して人類が直面している課題があります。

 全ての生命には等しく価値があります。お金がないことが、医療を受ける順番が後回しにされ、ワクチンを手にする前に死ななければならない理由になってはならないのです。

  

 ――保健衛生分野における対応として、今後、各国にどのような変化を期待しますか。

 今回の危機を経て、世界が以前と同じ状態に戻ることはないでしょう。とりわけ二つの点で、大きな変化があります。

 

 一つは、世界の連関性のさらなる深まりです。新型コロナウイルスの感染拡大は、旅行や貿易、物流などを通して、いかに私たちが分かちがたくつながっているかを、世界に改めて思い知らせました。

 世界のどこかで起きたことは、即座に他の場所に影響する。それはつまり、これまでのような自国優先の内向きの態度では、かえって人々を危険にさらすことを教えています。もちろん、自国を優先すること自体を否定するものではありませんが、パンデミック(世界的大流行)のような事態に対しては、団結し、協力しなければなりません。私たちは態度を改めなければならないのです。

 もう一つは、保健制度の脆弱さです。先進国でさえ、検査キットやマスク、病床が不足するという事態が起きました。低所得国の状況はさらに悲惨です。次のパンデミックに備えて、世界的に保健制度の強化が急務です。

 今後、薬品や医療器具等のサプライチェーン(部品の調達・供給網)の在り方も変化していくでしょう。この期間、医療品や設備を海外から買い占めるという事態がありました。どの国も国内の需要を満たせるだけの体制を整えていくことになるでしょう。それは保健体制の強化にもつながるものです。

 

 ――創価学会青年部も、SNSやウェブサイトを通し、あらゆる感染症のワクチン量産に向けてGaviが進める署名キャンペーン「Sign For Life」への協力を呼び掛けています。次代を担う青年に、改めて今回の危機から学ぶべき教訓を教えてください。

 

 青年の皆さんに心に刻んでほしいのは、人類が直面している課題は、誰も一人では解決できないということです。だから連帯し、協働することが不可欠なのです。

 今回のようなパンデミックは、残念ながらこれが最後ではないでしょう。多くの科学者が、新型コロナウイルスは北半球で秋ごろに再び勢力を強めると予想しています。いずれにしても今後、世界的な感染拡大がないとは言えません。

 大切なのは、今、準備をすることです。ワクチンを世界の公共財と宣言することをはじめ、持続可能な社会へ動きだすべきは今であるということです。

 皆が問題解決に協力できる社会の構築に向けて、共に頑張りましょう。

 

 【プロフィル】経済学者。アジアやアフリカ、ラテンアメリカ等で30年以上にわたり開発に携わる。ハーバード大学で修士号、マサチューセッツ工科大学で博士号を取得。ナイジェリアの財務大臣、外務大臣、世界銀行副総裁などを歴任し、2016年より現職。

2020.5.19付聖教新聞1面2面

 

学会が「再エネ100宣言」に参加

 気候変動問題への対応の一環 

2020年5月12日

 

 持続可能な地球社会構築への取り組みの一環で、創価学会はこのほど、法人として「再エネ100宣言 RE Action」(https://saiene.jp/)に参加した。

 これは、各参加団体が2050年を目指して使用電力を100%再生可能エネルギーに切り替えることを宣言・実践することで、太陽光や水力などの再生可能エネルギーの利用を広く促していく取り組み。

 2014年、企業活動で消費する電力

を全て再生可能エネルギーでまかなうことを目指す国際的な企業ネットワーク「RE100」が発足。気候変動への対策として国際的に脱炭素化の流れが強まる中、再生可能エネルギー需要の高まりの動向を発信し、そうした動きを加速させてきた。「再エネ100宣言 RE Action」は、日本国内でも同様の機運を高めるべく、昨年10月に発足したもの。

 今後、総本部をはじめ全国の会館などで引き続き着実な省エネを推進するとともに、再生可能エネルギーへの100%転換を目指した取り組みを行う。さらに、同エネルギー普及に関する提言などに協力していく。 

 

2020.5.12付聖教新聞1面

〈危機の時代を生きる〉

 

在留外国人が直面する悩み

「情報不足」と「仕事」 

 

 公益財団法人

 日本国際交流センター

 毛受敏浩 執行理事
2020年4月29日
インタビュー
 

 新型コロナウイルスの感染拡大は、日本で暮らす外国人にも特有の困難をもたらし、顕著な影響を及ぼしている。そうした現状に目を向けることは、新型コロナに立ち向かう社会を考える上で不可欠ではないか――民間の立場で国際協力を推進する公益財団法人「日本国際交流センター」で執行理事を務める毛受敏浩氏に、そうした観点から電話で話を聞いた。(聞き手=金田陽介)
 ――新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、緊急事態宣言が全国に拡大(今月16日)しています。日本の在留外国人数は、過去最高の283万人(※注)で、人口の2%以上。そうした人の仕事や生活には今、どんな課題が生じていますか?
  
 大きくは2点、「情報不足」と「仕事」の課題があります。


 まず「情報不足」について。
 例えば、これは熊本市の知人から聞いている話ですが、行政や関連機関に、「外国人はどこでPCR検査が受けられるのか」といった相談が増えています。先月は「トイレットペーパーがなくなるというのは本当か」「マスクや消毒用品はどこで買えるのか」などの相談も多く寄せられていました。外国語での、信頼できる情報が少ないのです。


 次に、「仕事」についてです。

 在留外国人の方は、派遣など非正規労働の方が非常に多い。社会の経済状況が悪化すると、こうした人が真っ先に雇い止めや解雇などに遭い、生活が不安定になります。外国人が「雇用の調整弁」のような形で雇われているケースもまだまだ多く、そこに、最初に経済混乱のしわ寄せがいくのです。
 ほかにも、留学生から「内定が取り消しになった」という声もあります。
  
 ――1点目の「情報不足」については、「言葉の壁」が大きいですね。
  
 近年の望ましい変化として、政府や地方自治体で、多言語や「やさしい日本語」による情報発信が増えているという点があります。ただ、状況は自治体によって相当ばらつきがあるようです。また、日本人は日々オンタイムで最新の情報を得られますが、翻訳された情報となると、手元に届く頃には1~2週間が過ぎている、という場合もあります。
 (注)昨年6月時点。出入国在留管理庁の発表に基づく。「在留外国人」とは、3カ月以下の短期滞在者を含まず、永住者や中長期在留者、技能実習生、留学生等を指す。

 

困難の中で他者を思う
今は「想像力」を鍛える時

 
 在留外国人も今、それぞれの、仕事や生活の苦境に立ち向かっている

 もう一つの課題は、多言語での対応が、なかなか「問題解決」までは行きつかないということです。
 例えば、多言語対応の窓口に寄せられた「PCR検査を受けたい」という相談に対して、「ここに電話してください」という対応はできる。でも、指定された先に電話してみると、そこでは日本語での対応しかなく、らちが明かないということもある。困りごとに対して「困りましたね」というところで終わってしまい、本当の問題解決になりにくいのです。
  
 ――ウイルス感染拡大という状況ならではの難しさもあります。
  
 例えば、地震などの災害は、過去の知見の積み重ねもあり、有事に起こることが、ある程度は事前に想定できます。避難所の場所、その中での対応手順や掲示物など、すでに多言語化された情報がネットでも共有されており、いざという時にダウンロードして活用できます。
 ところが、今回のように、これから何が起こるか分からない、いつ収束するかも分からないという状況だと、事前に構えが取れない面もあります。
  
 ――2点目の「仕事」についても、さまざまな対応が取られています。
  
 出入国在留管理庁は先日、新型コロナの影響で働く先を失った外国人技能実習生などに対し、1年間、別の職種への転職も認めることを発表しました。
 厚生労働省は、「新型コロナウイルスにより会社の経営が悪くなっているときでも、外国人であることを理由として、外国人の労働者を、日本人より不利に扱うことは許されません」と明示しています。休業手当や年次有給休暇についても同様です。
 こうしたことは非常に大事だと考えます。日本が外国人のことをきちんと待遇する国だという国際的なメッセージにもなり、日本で暮らす外国人も安心できます。
 いずれにせよ、世の中の皆が同じ不安の中で、目の前の情報を追うのに精いっぱいになり、他者に思いを寄せる心を持ちにくくなる。そうした中で外国人の支援をするということは、非常に困難を伴うことを感じています。
 考えねばならないのは、外国人には特有の不安もあるということです。日本に残るか母国に帰るかの板挟み、また、帰りたくても今の状況では帰れない、などの不安や悩みがあります。
 加えて、社会の緊張が高まるにつれて差別や排斥の空気が深刻になるのでは、という不安を持つ人もいます。


勇気づけ合う発信を


 ――確かに今は、他者に意識を向けにくい社会状況といえるのかもしれません。
  
 日本社会の、包摂の力が試されていると感じます。宗教の役割もそうかもしれませんが、「危機の中でも他者の苦しみを思う力」という意味での、想像力が試されています。それができるかが社会の成熟度、ということにもなるのでしょう。
 もちろん自分も大変だけれども、社会には立場の厳しいさまざまな人がいる。その一つの大きなカテゴリーが外国人であり、そうした方々への想像力が求められています。
 宗教団体には、弱者に寄り添うという本来的な役割を、今の社会状況の中で果たしていただけることを望みたいです。
 また、直接的な接触を控えねばならない状況の中、それでも一人一人が誰かとつながっているのだというメッセージ、苦しいけれど負けずに現実に立ち向かう姿などを、メディアが発信していくことも非常に効果的だと考えます
 誰もが不安だからこそ、皆で力を合わせて頑張りましょうというメッセージを届け、勇気づけ合う――今まさに貴紙が取り組んでいるような発信が、特にこういう社会状況の中では重要だと思うのです。
  

個人としてできることは

  
 できれば、周囲の人に声を掛けること。困っていませんか、お子さんはどうですか、と。もし自分が外国でこの危機に遭ったらどうか、と考えてみるといいでしょう。一言、声を掛けられるだけでうれしく、安心できると思います。
 もちろん、なかなか難しい面もありますが、私も外国人の方に声を掛けてみると、さまざま不安な思いを抱いていたり、情報を捉え違っていたりということがあります。


「本音で語る」社会へ


 ――感染拡大が終息に向かっていったときは、社会のさまざまな在り方や感覚が、大きく変わるのではないかと感じています。
  
 日本の「コロナ終息後」は、諸外国と違う形になるのではないかと思います。

日本は高齢化、

人口減少が急激に進んでいるからです。

中小企業の多くは後継者不足で、

2025年には団塊の世代が75歳以上になります。

 

 働いていた高齢者が、コロナ終息後は一気に退職に向かう、ということも考えられます。

 

 今の日本は毎年、人口が50万人ずつ減って、外国人が20万人ずつ入ってくる状況になってきています。

 日本で頑張りたいという若い外国人材を増やしていく制度設計など、これまでにない大胆な発想での施策を行っていけるかが“終息後”の日本を考えるカギになるでしょう。

 具体的には、別の職種への転職を認めた技能実習制度を、19年にできた「特定技能」に吸収し、定住への道を開くことなどです。
  
 ――その意味でも、多様な他者と共に生きていくための「想像力」を、今のうちから鍛えておく必要がありますね。
  
 同調を求めるのではなく、多様な他者の可能性を引き出し合っていくという発想が必要になるかもしれません。そのためには「深いコミュニケーション」が必要です。つまりは、本音で語り合うこと。目の前の課題に対して一番いい解決策は何なのかを、きちんと突き詰めることです。
 それは、いわば“面倒くさい”ことです。でも、そこから逃げずに議論を重ね、きちんと最善の道を見いだしていくという作業が不可欠になります。仏教の言葉でいえば、慈悲をもって人と接し続けていく、ということになるでしょうか。
 従来と違う価値観や、他者にない背景や経験を持つ人は、物事に違う光を当てられる人、ともいえます。そうした人たちと丁寧に議論を重ねる中で、今までは見えなかったものが見えてくる。コロナ終息後の日本は、いよいよ、それを逃げずにやらねばならない社会になっていくのではないかと思います
 めんじゅ・としひろ 1954年生まれ。徳島県出身。慶應義塾大学法学部卒、米エバグリーン州立大学大学院修了、桜美林大学大学院博士課程単位取得退学。兵庫県庁を経て、日本国際交流センターに勤務。慶應義塾大学等で非常勤講師を歴任し、現在は新宿区多文化共生まちづくり会議会長。『自治体がひらく日本の移民政策』(明石書店、2016年)、『限界国家 人口減少で日本が迫られる最終選択』(朝日新書、2017年)など著書多数。

2020.4.29付聖教新聞1面

広がる新型コロナウイルス

医療社会史から見た感染症

2020年4月7日

聖教新聞10面

小俣和一郎

大戦終結させたスペイン風邪
経済優先の世界見直す作用も
 
 2020年は、思いも掛けず新型コロナウイルス感染症騒動で始まった。もっとも、日本でこの問題が深刻味を増したのは、感染患者が集団発生した大型クルーズ船検疫を巡る対応や国内での感染者が増加した2月以降のことである。

 ところで、歴史上このような新しい感染症が現れ、それが広域に伝染して、いわゆるパンデミック(世界的な流行)の状況が出現したとき、人間社会がどのような反応を見せてきたのかを顧みると、そこには驚くほどの共通点が見いだされる。
 新しい感染症であるから、それに対する免疫を持つ人はなく、治療法もないという点で、大きな不安と恐怖心を呼び起こす。そうした感情は本来身を守るためのポジティブなものであるが、集団心理となると、社会にとって逆にネガティブなものともなる。
 その最も極端な例が感染源とみなされた人々への攻撃であろう。
 ヨーロッパ中世におけるペスト大流行に際してのユダヤ人焼き殺し、いわゆる魔女狩りの一部などがその例といえる。さほど極端ではなくとも、今回のコロナ危機における外出制限のエスカレートや買い占め騒動なども、そうした人間の集団心理が深く関わっている。
 そうしたこともあって、「コロナブルー」とか「コロナ疲れ」ともいわれる何とも表現しがたい鬱積感、圧迫感がまん延している。

繰り返される 

 もっとも、感染者を隔離するという行動は公衆衛生上の基本的な手段であり、検疫という英語のクアランティン(語源はイタリア語のクアランテナ=40)も、町の外の港に船を乗員ごと40日間停泊させ、異常がなければ上陸を許可したことに由来する。その起源は14世紀の都市国家ベネチアといわれる。
 この手法は現代の世界でもなお医学的に有効とされるので、冒頭に触れたクルーズ船検疫のような対応は基本的に間違ってはいない。ヨーロッパ各国のような陸続きの国で国境を封鎖して入国者をとどめ置くというのも、同じ意味で誤った対応とは言えない。
 しかしながら、集団心理が昂じてパニックが広がれば、先に述べたような集団虐殺、人種差別、露骨な買い占め騒動などに結び付き、本来何の科学的根拠も持たない行動となって現れる。こうした非科学的な集団行動は、未知の感染症が流行するたびに歴史上、繰り返されてきた。
 医学の歴史を専門に研究する分野を「医学史(または医史学)」というが、その周辺には最近になって、さまざまな関連分野が生まれている。感染症と人間社会との関わりを研究テーマとする領域も「医療社会史」ないしは「医療文化史」などと呼ばれることがある。
 ただし、こうした領域の定義や境界はまだ定まっていない。しかし、今回のコロナ危機のように、パンデミックを引き起こし、しかもそれゆえに世界経済にも大打撃を与えつつある事態に対しては、そうした新しい領域の研究者も大いに関心を持たざるを得ないであろう。

 

自然共生的

 

 

 ところで、医療社会史的に分析してみると、これまでのパンデミックのような広範な感染症の流行は、一方で上述のような非科学的で非人道的な愚行を繰り返し生むのだが、他方で人間社会全体にとってはむしろよい結果というものをもたらしてきた歴史も見ることができる。
 例えば、1918年に発生した「スペイン風邪」のパンデミックがその一つであろう。この大流行の発生源はいまだによく分かっていないが、その流行がスペインで大きく報じられたことからスペインの名称を冠してこう呼ばれる。また、その正体はインフルエンザウイルスであった。
 しかし、当時はなおこのウイルスに免疫がなかったため、またたく間に世界中に感染が広がった。日本でも多くの人が感染し死亡した。世界的には5億人以上が感染、死者も5000万人以上といわれている。この膨大な数の感染死、とりわけ若者の死によって徴兵に支障が出たため、こう着状態にあった第1次大戦が終結(18年)したともされる。

 

ウィルスによる世直し

 

 今回の新型コロナウイルスのパンデミックはまだ収まらず、一日も早い終息を祈るばかりだが、各国が検疫目的で移動制限を実施したことで旅行者数が激減したのに伴い多数の航空便もストップし、工場の休業で石炭排出ガスなどが減少し、かえって空気が浄化され、パンデミック前までは国連をはじめ多くの学者らが警鐘を鳴らしていた地球温暖化にさえ一時的な歯止めがかかったかもしれない。

 

 つまり、ウイルスという微生物が、人間界に対してあたかも「世直し」のように作用しているということである。もちろん、それに伴う多くの犠牲者、経済的影響は見過ごすことはできない。だが、長い目で見れば、バブル経済のような過度の株価上昇、地元住民にとっては迷惑この上ないオーバーツーリズム、地球規模での気候変動などが抑制されるという結果につながるかもしれない。

 また、テレワークのような勤務形態の促進、経済最優先の成長主義の見直し、地球環境に配慮した自然共生的生き方の拡大などにつながる可能性はないのだろうか。

 よくウイルスVS人類のようにあたかも戦争にたとえ、闘争心を煽るが、感染症という病気自体も自然のなせる業である以上、それを真に克服できることにはつながらない――医療社会史がわれわれに教えていることも、そのようなことではないか。(精神医学史家)

 おまた・わいちろう 1950年、東京都生まれ。精神科医。著書に『近代精神医学の成立』『異常とは何か』『精神医学史人名辞典』、訳書にラング『アイヒマン調書』、グリージンガー『精神病の病理と治療』などがある

 

世界広布新時代

創立90周年へ

前進・人材の年

(2020年)

2013.11.18

祝広宣流布大誓堂落慶

更新日

2020.9.22

第1695回

  

日天月天ワンショット

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